Four Lions

9月はあまりライヴに行かなかったが、映画やDVDは結構観た。過去2ヶ月で2回も映画館に行ったのも、自分としては珍しい話である。なるべく封切り時に観たい/観ようと志してはいるけれど、「DVDになってからでいいか」と自宅鑑賞の安易&手軽さにダラけ切っている。

Chris Morris初の長編監督映画「Four Lions」も、劇場で観る・・・つもりで上映館やスケジュールも調べていたのだが、結局DVD化まで待つことになってしまった、ごめん。「Trash Humpers」も同じ展開になったし、せめて「Enter The Void」はシアターで観なければ。ともかく、いきなり「クリス・モリス」と言われてもピンとこない人は多いと思うので(彼の作品で、日本流通・公開されたものはたぶん皆無だろう)、簡単に説明。
ブリストル生まれのこの諷刺家/コメディ作家/俳優は、90年代に名を挙げ、今や「英コメディ界の暗黒王子」とも呼ばれるカルトな存在。世相や日常のシュールな「妙さ」、タブーを様々な角度からえぐるラジオ番組の執筆・構成・出演から始まり、SPOOF(だまし/架空)のインタヴューやニュース映像で構成されたテレビ番組「Brass Eye」(※有名人や政治家を「新種のドラッグ問題」「動物愛護活動への協力」他でっち上げのネタでだまして取材し、彼らのもっともらしいコメントをそのまま使っている)では、テレビ局に抗議電話が殺到、物議を醸したエピソードも生んだ。
彼の番組「Blue Jam」でアンビエント音楽を使ったり、ステレオラブに声をサンプリングされたり、インディ音楽界とも縁の深い彼の名は折々で見かけてなんとな~く知ってはいたが、筆者が実際にクリス・モリスを意識したのはイギリスに住むようになり、ヒップスター諷刺ドラマの秀作「Nathan Barley」(2005)を観てから。毒舌批評家Charlie Brookerとの共同脚本であるこのシットコムは、IT~メディア~ファッション系ヒップスターの軽佻浮薄さをダークに描いた戯画で、「わが意を得たり」だった・・・まあ、自分もメディア人のはしくれなので、あの手の人種を間近で見てよく知っているから、というのもあったのかもしれない。けど、その後ロンドン(特に東ロンドン)に蔓延した「ブルックリンかぶれのヒップスター」を傍目に見ていて、「Nathan Barley」が現実になった・・・と感じたのは自分だけではないと思う。

以来クリス・モリスはマイ観察の対象のひとつになったわけだが、調べれば調べるほど、彼のコメディ人脈や影響が、実は様々な場面で自分の興味とも交錯していて驚いた。自分的に一番「うわ!」と思わされたのは、晩年のPeter Cookとラジオ共演していたという事実だったが、先に書いた「NB」のチャーリー・ブルッカーにしても、ドラマを観る以前に、彼が新聞に寄せているテレビ番組批評コラムが面白くて気になっていた人だった。また、「24 Hours Party People」のトニー・ウィルソン役でおなじみ:Steve Cooganや、近年の英コメディの最・最高峰である政治諷刺ドラマ「The Thick Of It」を生み出したベテラン:Armand Iannuciとも、若い頃に仕事していたという。作家としてのみならず、俳優業に目を移してみても、「The Mighty Boosh」組(=Richard Ayoade演じる英版オタクの縮図:モスが出色なのはもちろん、Noel Fieldingのゴス・キャラも最高。相方のJulian Barrattは「IT」には出てないが、「NB」で主役を張りました)が顔を出すギーク・コメディの傑作=「The IT Crowd」に出演、とことんアホで軽薄、エゴイストでイケすかない会社重役:デンホルム役を楽しそうに演じていたのは印象的だった。
「Mighty Boosh」は、スティーヴ・クーガンが総指揮~および彼の製作会社Baby Cowも関わっているのでなるほど納得だし、そもそも「IT Crowd」を観ることにしたのは、もはやモダン・コメディ古典の趣すらある愛すべき名作「Father Ted」の作者:Graham Linehanの新作だったから。この人は、コメディの感覚もややマイルド、かつ音楽の趣味もナイスなコメディ作家である(先日も、英雑誌の取材でパンダ・ベア「Person Pitch」をここしばらくのお気に入りレコードに、またヨ・ラ・テンゴの「Fakebook」をフェイヴァリット・レコードに挙げていた。ちなみに、彼の最愛バンドはガイデッド・バイ・ヴォイシズで、「IT Crowd」のセットにもGbVのポスターが使われてます★)。
そのグレアム・リネアンやアーマンド・イアヌッチもプッシュしている、比較的若手なコメディ・ライターがSam BainとJesse Armstrongのコンビ。この人達は、これまたナードで救いようのない(しかも相互に依存し合ってる)、しかし「ああ、こういう男いるよね~」と頷かずにいられない男性二人組を主人公にしたオフビートなシットコム「Peep Show」で人気を博し、その後イアヌッチの「The Thick Of It」、およびその映画版「In The Loop」にも脚本で参加している。そのサム・ベイン&ジェシー・アームストロングを共同脚本に招き、製作されたのが「Four Lions」。映画界デビュー短編「My Wrongs 8245-8249 and 117」(2003)に続く、クリス・モリス2度目のメガホン作品である。

「Four Lions」は、国内でジハード(異教徒との戦いという意味のそれなので、ここでは「聖戦」と考えていいだろう)を目論む、5(途中でひとり減るので、最終的には4)人の英シェフィールド出身のパキスタン系イスラム過激主義者のグループを主人公にしたコメディ。9.11はもちろん、2005年に起きたロンドン同時多発爆破事件(こちらも爆破犯は4人)の記憶/余波もまだ残る時期に、火中の栗を拾うようなモチーフと言える。そもそも、「自爆テロリストを主人公にした」「喜劇」なんてありなの?と国内メディアも即反応し、昨年の撮影中から話題を集めたのはもちろん、サンダンス映画祭出品時、そして英プレミアまで、報道の波は続いた。
クリス・モリスが着想を得て、リサーチを開始したのはロンドン爆破事件以前の話だったそうだが、潜在的にはTheo van Gogh殺害事件並みのトラブルを招きかねない際どいプロジェクトということもあり、資金繰りは難航。フィルム4とワープ・フィルム(=WARPレーベルの映画部門。「My Wrongs~」は、ワープ・フィルムの第一弾作品でもあった)が製作に立ち上がったものの、ウェブサイトを通じてファンからの寄付を求めていた時期もあったように、ナーヴァスでタフな撮影だったようだ。しかし英公開時にはおおむね高い評価~および好成績を収めており、スタッフも胸を撫で下ろしたことだろう。

映画における過激派あるいは非合法な活動を繰り広げるテロリストは、多くの場合「公衆の敵」「異質者」として、外部から描かれる。たとえばハリウッド産ヒーロー活劇の大半は、その「正義のヒーローVS外から来る敵(=テロリストに限らず、これまで宇宙人、ナチ、冷戦など、様々な悪玉が変奏されてきたが)」の図式にのっとっていると言っていいだろう。しかし「Four Lions」は、敵側が主役。ロンドン爆破事件で、実行犯達がイギリス生まれだった事実に衝撃が走ったように、外から侵入してくる異物としてではなく、内から生まれた敵、という構図がベースになっている。
内なる敵=言い換えれば、我々の日常の網目に組み込まれた「隣人」として、彼らは「テロ集団」という単語からイメージされる危険さや冷酷非常さ、厳しい集団規律といった(一種の)神秘性を引き剥がされていく。イスラムに改宗した白人男性も含まれるように、生き様も人種も考え方も世代もまちまちなこの男性5人組は、常に「リーダーは誰か」といがみ合い茶番を繰り広げ、鈍くてボケ気味なメンバー達は嘲笑の対象として突っ込まれ、威嚇され、いじめられる。そもそも、「ジハード・ワナビー」的に自発的に発足~独立して動いているグループなだけに、組織の上層部にお伺いを立ててみても、明快な指示は下らない。爆破テロの対象=攻撃目標を何にするか、それすら簡単に決まらない。はっきり言って、ずっこけた集団である。
「ジハード!」「ムジャヒディ~~ン!」といったグループ内の合言葉、秘密のアジト、自家製爆薬、ビデオ・メッセージと言った「それらしい」要素で結び付いてはいるものの、思想や主義、明確な行動原理で動く急進主義セクトというよりも、彼らがビデオ・ゲームや戦争アクション映画のクリシェ、遡れば「犯人と警官」のごっこ遊びに夢中な子供とさほど差がない存在であることに、観る者はすぐに気づかされると思う。

ミニチュアのAK47を小道具に使ったビデオ撮影では「小さすぎて絵にならない」とNGが入り、秘密軍事訓練中に得意げにライフルを乱射し、「俺っち、ランボーだべ!」と携帯電話で記念写真を撮っていたメンバーは、士官にバカヤローと怒鳴られる(携帯の電波で、偵察中の米軍に居場所が発覚する恐れがあるため)。自家爆弾製造用の材料を買出しに行ったメンバーは、膨大な量の薬品をすべて同じ量販店から買ったために叱咤されるし(ここでの言い訳が最高)、秘密のアジトで留守番役を任されたメンバーは、火薬、釘、薬品他がところ狭しと並ぶ部屋に隣人女性を招き入れ、パーティを繰り広げているところ(この場面で、Toploaderの「Dancing In The Moonlight」が流れるセンスも最高!)がバレて、他のメンバーの顰蹙を買う・・・。
彼らの「しょうもなさ」を描く場面は他にも山ほどあるが、そのシュールですらあるこっけいな姿を笑っているうちに、次第に①頭の中に入り込んだラディカルな考えを除けば、基本的には我々となんら変わらない彼ら――本作の主役級キャラ:オマーは、職業はショッピング・センターの警備員で上司にもかわいがられ、美人看護婦である奥さんとの間にかわいい男児もいる設定――が哀れに思えてくるし、同時に②マスコミやメディアを通じて見聞きする戦争やテロが、いかにこちらの視点を左右し意識を麻痺させるだけのパワーを持っているか、という点にも思いが至る(上記の失態エピソードの数々を見ていて、「普通、それはやらないよ~!」と感じた自分自身、ドラマや映画で描かれる犯罪者や兵士の行動が頭にインプットされているのだろうし)。
もちろん、生き死にを賭けた本物のテロリストや戦士の日常はこんなにお気楽ではないし、これはあくまで、大げさに戯画化されたフィクションではある。が、たとえ主義や使命といった大枠があっても、その中に詰め込まれるのが(矛盾や非ロジック性をいくつも抱えた)生身の人間である以上、どこかにこうした「期せずして生まれたユーモア」の可能性はあるのではないか?その可能性を、「Four Lions」は押し広げたことになる(いくつかのインタヴューで、クリス・モリスは5年を費やした本作向けのリサーチ中に出くわした実話エピソードを語っているが、そもそもの発端になったのは、「船を爆破しようとしたテロ組織が、自分達の乗るボートに大量の爆薬を積み込んだところ、爆薬の重さで途端にボートが沈んでしまった」という話だったという)。

しかし、観る側が主人公=(怖いけど、怖くない)敵達に感情移入しそうになったところで、ドラマはタフで苦い現実へと急転回する。テロ・チームの1名が爆弾の移動中に誤爆であっけなく死亡、残された4人のメンバーはビビり、パニクり、決意はもちろんそもそもの動機は?と揺らぎ、分裂。すったもんだとソウル・サーチングの挙句、来るロンドン・マラソンを標的に、「いつまでも語り継がれるテロを実践しよう」という話に落ち着き、4人は首都に向けて出発するのだが――そこからエンディングまでは、笑いのスパイスこそ随所に効かせてあるものの、社会からもイスラムのコミュニティからも孤立し、追い詰められ、行き場を失ったこのセクトの迷走の悲劇である。
観客を怖がらせ、怒らせ、反感を掻き立てるために、悪役側に「顔」を与えないのが映画の常套手段。しかし、喜劇を通じて彼らを観客と同じ土俵に立たせることで、「Four Lions」は紋切り型の「敵」描写とは異なる、人間性=「顔」を付与している。かといって、「同じ人間だからきっと理解し合える」といった楽観的な着地点は用意されていない。メンバー間ですら対立がある上に、警察側がテロ犯を説得しようと試みてあえなく失敗するくだりなど、いくつもの隔たりがあることはドライに提示される。言うまでもなく、狂信的な彼らの主義主張、手段を正当化しようとする作品でもない。しかし、「分らない」「話が通じない」とハナから諦めて蓋をするのではなく、少なくともここでは蓋を苦労して開け、中身を検証してみようではないかという積極的な努力がなされている。
本作が日本公開される可能性は薄いと思うけど、ひとつの視点――イギリス国内のイスラム問題を提起する視点――として、機会があったらトライしてみていただきたい作品だと思う。にしても、本作の製作はもちろん、ブーシュ組が再会を果たしたスウィート&シュールなコメディ「Bunny And The Bull」、Shane Meadowsの愛すべき短編「Le Donk & Scor-zay-zee」と、ワープ・フィルムのリリース群はリチャード・カーティスや(ハリウッド受けする)歴史/文学ドラマといったメインストリームを横目に、着実にモダンな英映画界の一角を占めるようになっていて頼もしい。そのワープ・フィルム発の最新作となるリチャード・アイオーデの監督処女作:「Submarine」は、ロンドン映画祭のプレミアでチェックできたら、と思っている。

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Mariko Sakamoto について

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