週刊琴線(2010年11月5日号)

今週の琴線:
For The Ghost Within(Wyatt/Atzmon/Stephen)
Lorca(Tim Buckley)
Ballad Of Big Nothing(Elliott Smith)
Man Of The World(Fleetwood Mac)
These Days(Jackson Browne)
As I Call You Down(Fistful Of Mercy)
The Transfiguration Of Blind Joe Death(John Fahey)
Bright Penny(Liam Hayes And Plush)
The Leather Boys(Sidney J. Furie)
Death Line aka Raw Meat(Gary Sherman)
Britannia Hospital(Lindsey Anderson)

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Deerhunter、Marnie Stern、Fresh&The Onlys他、注文しておいたレコードが届いて嬉しい週だった。レコード屋に寄ると色んな作品に目移りしてしまい、かつ、芋づる式に連想が働いて「この作品はあるかな」「そういや、あれも買い損ねてた」とサクサクしてしまい、予定外の衝動買いをしがち。
この前取材でソーホーに行った時も、軽い時間つぶしのつもりでSister Rayに足を踏み入れたところ、気がついたらいつの間にか、レジでParson Sound(スウェーデンの素晴らしいサイケ・バンド)のボックス・セット他の代金を支払っていた・・・そのままふらふらRevivalで中古、Sound of The Universeでジャズ・・・とハシゴしそうになったが、取材時間が迫っていたので我に帰れた。レコード店街は、自分にとって危険とスリルが背中合わせの地雷原である。Hurt Lockerかいな。

なので、近頃は新譜に関してはインディのオンライン通販店で買うようにしている。ショップで買うより若干割安、というのも大きいが、お買い上げ確定な決め打ちレコードはともかく、ジャケやレーベル、メディアのバズや謳い文句がアンテナに引っかかった初体験アーティストの作品の場合は、「購入」ボタンを押す前にいったん保留にして、MyspaceやSpotifyで試聴するよう心がけている。面倒くさいけど、そうやってお茶でも淹れて一息つき、冷静になってから注文表を見返すと、「これは我慢していいか」という作品が何枚か出てくるものである。

んなわけで何枚か「リスニング待ち」なアルバムが並んだのだが、その中でも真っ先に聴き、ステレオを占拠し続けているのが「For The Ghosts Within」。ロバート・ワイアット、タンゴ・カンパニーでの活動や弦楽カルテット:The Sigamos String Quartetで知られるヴァイオリニスト:ロス・スティーヴン、そしてロバート・ワイアットとの共演経験も豊富というジャズ・サキソフォニスト:ギルアド・アツモンの3者によるコラボ・アルバムだ。ジャケットは、おなじみアルフィーの手によるもの。

・・・と分かった風に書いているが、もちろん自分にとって最大のポイントはロバート・ワイアット。残る2名のプロフィールは、正直あまりよく知りませんでした(上記のデータは公式バイオの受け売り)。朝からくすみがちな空と強風、にわか雨でグズつくことの多い秋の空にめげて家にこもりがちだったこともあり、ロバート爺の枯れ葉のようにもろく、しかし超然とした歌声の美しさと物悲しさが、余計沁みた気がする。彼の声は、聴き手を謙虚にさせる。
作品は、オリジナルとカヴァーの混じった変則的な内容になっている。カヴァーには「Round Midnight」、「What A Wonderful World」といった(筆者でも知ってるくらい有名な)ジャズ・スタンダードが、またオリジナル曲の他に「Maryan」(「Shleep」収録)、「At Last I’m Free」など、ロバート・ワイアットのセルフ・カヴァー~再編も含まれている(「At Last~」は元はと言えばシックのカヴァーだけども)。
ロバート爺の歌声は、それ単体でも自分にとっては充分に音楽。「Shipbuilding」を持ち出すまでもなく、彼の咽喉を通じて新たな霊感を吹き込まれた楽曲は多いわけで、スティーヴン&アツモン組が、ジャズのデコンストラクション作業というアイデアにこの人を招き入れたのは納得のチョイス、である。

ロバート・ワイアットのユニークな声の持つ潜在的なパワーに引きずられる/寄りかかりすぎることなく、ふたりのコラボレーターもディレクションの手腕を発揮、イマジネーション豊かな音楽をクリエイトしている。サウンドの基調を成すトーンはオールド・ファッションなジャズ・アンサンブル、そしてネオ・クラシカルな弦楽で、50年代映画のサントラを思わせるムーディ&夜な雰囲気(ジョン・ダンクワースのスコアとかね)。アコースティックのふくよかな音像を捉えたプロダクションとロバート爺の声とのマッチングは、ばっちりである。
一方で、そこにコラボレーター各人の多彩なバックグラウンドも巧みに織り込まれていて、タンゴやアラブ風な旋律、口琴、エレクトロのさりげないトリートメント、ミックスの面白さ・・・と、コンポジション(特にオリジナル曲)における音の冒険、マッシュアップぶりは新鮮。アイデアが多すぎて破綻ということもなく、それぞれの要素は無駄なく研ぎ澄まされ、コントラストを重視した緻密なデザインの元に配置されている。スタンダード曲に伴いがちなノスタルジアやセンチメンタリズムが思っていた以上に抑えられ、心地よい緊張感を伴う聴体験になっているのは、その「モダンな感性による解体・再構築」というチャレンジングな側面――単なる「名歌手によるスタンダード歌集」ではない――が大きいと思う。聴いているうちに、クリス・マルケルの「Sans Soleil」が思い浮かんできた。

アルト・サックスのソロやリード楽器の優雅な響きが、しかしシャープに差し込まれていき、ストリングスは時に跳躍し、時に滑らかに流れ、と自在に舞う。ロバート・ワイアットの声にしても、コーラスのみ、あるいは口笛、はたまた留守電に残した声がコラージュされるなど、純粋な意味合いでの「ヴォーカリスト」としてばかりではなく、音楽の構成要素のひとつとしても機能。2曲ではリード・ヴォーカルを他のシンガーに任せているし、そのうち1曲はアラブ語のラップだったりする。
歌詞に目をやると、音楽活動でけではなく執筆等も通じ、パレスチナ問題に対する政治的なスタンスを打ち出しているというギルアド・アツモンのメッセージも本作の根底にあるのかな、と感じる。しかし、虐げられてきた人々を常にサポートしてきたロバート・ワイアットは、単なるマウス・ピースに陥ることなく、「この素晴らしき世界」と歌い、本作を締めくくってみせる。
素晴らしいどころか今も世界は混沌としているし、事故により半身不随で半生を送ってきた彼がそんな歌を歌うのは、一種切ないアイロニーとも映る。が、俗世のもろもろを越えたどこからから鳴ってくるごとき彼の透明な歌声に耳を傾けていると、ストラグルの果てに、いつか訪れる平穏はある、と信じたくなる。

声そのものが楽器と言えば、ティム・バックリィもそんな人だ。少し前にブログで取り上げたこともあり、エレクトラ・レコードの作品を色々と引っ張り出し、聴き返していたのだが、中でも一番今の自分の気分/感覚にフィットするのが、デイヴィッド・アックルズのファースト、そして「Lorca」。どちらもカルトなSSW作品であり、ずいぶん昔に再発CDを買ってはみたものの、ピンとこなくて「未決」としてしまいこんでいた。背伸びしてたんでしょうね、自分。

そうした作品を聴き直す余裕が出てきて、ここ2、3年は折に触れて「未決」作品に再びトライ~再発見の喜びも多いのだけど、中でもこの2枚にはショックを受けた。「Lorca」はティム・バックリィがフォークからジャズ・フュージョン~アヴァンギャルドへ移行していた過渡期の作品で、ゴシック・ホラーを思わせる音作りと眩暈のするようなヴォーカリゼイション――抽象の域に達した、本能的なうなり声がすごい――には、聴くたびなぶられる。スコット・ウォーカーの「Drift」にも通じる、極北で異形の美というか。この次の「Starsailor」も大好きだが、今の季節はこのアルバムだろう。特にA面。
そのスコット・ウォーカーは、デイヴィッド・アックルズのアルバムでも思い浮かんだ人だ。深みのあるバリトンで歌われる、バロック・ポップ~ラグタイム~ショウ・ミュージック的なメロディ。その悲劇的なドラマ性とアメリカン・スタンダードの根本的な明るさとの対比は、なんとも言えない不穏を心に掻き立てる。バーニー・トーピンが絡んだサード「American Gothic」が名作とされていて、それは否定しないのだが、なぜか自分は、このファーストに繰り返し戻っている。

初のアンソロジー盤となる「An Introduction To…Elliott Smith」の発売タイミングに合わせ、今週のNME表紙は、なんとエリオット・スミスだった。久々にあの雑誌を買いましたが、スーパーのマガジン・ラックにエリオットの顔が並んでいる光景を眺めるのは、どうにも違和感があった。カート・コバーンやジェフ・バックリィに対しては、そういう思いはもはやあまり抱かないのだけれど。
ベスト盤は「Elliott Smith」、「Either/Or」期を中心とした内容で、シングルや死後リリースされた作品に収録された曲も含め、ファンにはなじみの深い代表曲が並んでいる。生前発表されたオリジナル・アルバムだけでも5枚、スプリット・シングルやコンピレーション他音源は様々に散らばっている人でもあるので、どの作品から聴こうか・・・と迷う若いファンにとっては、手軽な入門編になるかもしれない。
トラック数は14とヴォリュームに欠けるし、(コンピの宿命で)「この曲も入れて欲しかった」等々、思いを上げ始めればきりがない。しかし、ベスト盤と銘打っているわけではないし、文字通り「導入部」と捉えれば、こうした新たなリリースを通じて彼の音楽に対する興味が更新され、新たな世代に引き継がれるのはポジティヴなことだと思う(このコンピのジャケットに使われた王道なポートレートにしても、イラストや変化球なヴィジュアルが多いオリジナル作からは伝わりにくい、エリオット・スミスという「作者像」と音楽とを結びつけよう、という意図が感じられる)。

何曲かは新たにミックスを施されているそうだし、ラリー・クレインの書いたライナーノーツを読むのも楽しみ・・・と思いつつ、聴いたことのない未発表曲が含まれているわけではない&コンプを目指すほどの鬼コレクターでもないので、このアルバム、実はまだ買っていない。クリスマスに、自分用のプレゼントとして買うのもいいかも。それでも、このリリースに際して発売された「Ballad Of Big Nothing」の7インチは手に入れずにいられなかったです。家に帰ってターン・テーブルに載せた時、今年の彼の命日に、このレコードをプレイできたら良かったなと、ふと思った。

感傷的なマイ・ムードにぴったりだったのが、グリニッジのレコード屋に入った時、店長がBGMに流していたフリートウッド・マックの「Man Of The World」。久しぶりに聴いたが、以来頭の中でリピートしっぱなしだ。フリートウッド・マックは、ご存知のように数奇な運命を辿ってきたグループ。ブリティッシュ・ブルースの渋いバンドとして始まりながら、メンバー・チェンジと音楽スタイルの変遷を重ねつつ、アメリカに転戦。それが吉と出てミリオン・セラーを連打、70年代ウェスト・コースト・ポップ~AORを代表するメガ・スターになった人達である。
人気が頂点に達したバッキンガム&ニックス参加後が一番好きだが、この曲は、いわゆる英国時代=ピーター・グリーンが事実上のリーダーだった頃のシングル(1969年)。ピーター・グリーンは、脱退したエリック・クラプトンの後釜としてジョン・メイオールのブルースブレイカーズに迎えられた天才ブルース・ギタリスト。しかしBBでのキャリアはすぐ終わり、彼はBBのメンバーだったミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーを引き連れて、フリートウッド・マックをスタートさせる(こういう逸話のせいで、ジョン・メイオールとグレアム・ボンドにはいつも同情の念を抱かずにいられない)。「Albatross」「Oh Well」などヒットも飛ばし、「Black Magic Woman」は、後にサンタナの代表曲にもなった。

しかし、60年代後期の英ブルース・ブームを牽引した「ブルース伝統主義者=ブルース学徒達」の音楽というのは・・・自分にはまだ、よくその魅力が分からない。いくらギターが上手くても、曲としてつまらないと、やはりつまらない。ロバート・ジョンソンを聴けば事足りるのでは?と感じることもあるし、忠実にトレースされた「ブルース好きのためのブルース」に、興味はあまり湧かないのだ。それよりイギリス人のフィルターを通して変容・混交した、ある意味「バチ当たりなブルース」(そこからロック、ハード・ロック、プログレ、メタルが発明されていったわけだが)の方が、自分にはずっと面白い。
そういえば、Jools Hollandの最新シリーズのひとつにキングス・オブ・レオンが出るってんで観たのだが(「Radioactive」「Pyro」の2曲を披露。かっこよかったよ~!)、たまたまエリック・クラプトンも同じ日に出演していた。泣きのあるギターをしょっぱい顔して弾いていたけど、やっぱりそのすごさはよく分からなかったです。まあ、いつかピンと来る日も訪れるだろう。

話が逸れたが、そんなわけで初期フリートウッド・マックはあまり詳しくない。が、この曲は別。イミディエイトからの単発シングルということもあるのか、ブルース臭のほとんどないジェントル&メロウなマッカートニー調ポップ・バラードで、ピーター・グリーンの飾り気のない真摯な歌声も、ギタリストらしくていい。
しかし、世界中を回って多くの体験を重ね、何もかも手にしたとされる男(=世慣れした男Man Of The World)の独白である歌詞は、「必要なものはどれも手に入れた/これ以上何も望まない/自分以外の誰かになりたいとも思わない/でもこの世に生まれてこなければ良かったと思う」と呟くように続く。どれだけ富や名声を手にしても、心の中に空いた穴を埋めることはできない、ということだろうか。

23歳の若さでこの曲を書いたピーター・グリーンはとても繊細な人柄のブルース一徹人だったそうで、フロント・マンやギター・ヒーローというスターダム(一時期、彼は英ブルース・ファンの間で「Green God」と呼ばれていたという)がまったく性に合わず、フリートウッド・マックの成功に重圧を感じていたらしい。途中からバンドのセカンド・ギタリスト:ダニー・カーワンにスポットを譲りがちだったのも、そのせいだろう。
シド・バレット同様次第にLSDにからめとられていった彼は、精神分裂病を患いバンドも脱退。治療、流浪生活・・・と不遇の時を過ごし、90年代に復調~復活を果たすまで、音楽活動からも遠のいていたという。興味のある方は、去年制作・放映されたドキュメンタリー「Peter Green:Man Of The World」をお薦め。時にツアーに出ながら余暇は釣りをして過ごす、好々爺ぶりを目にするとほっとさせられるはずだ。

「若いのに達観」という意味では、ジャクソン・ブラウンもそんな不思議な人だ。彼もソングライターとしてエレクトラ・レコードに縁深い人であり、それもあって、初期作品を聴いていたのだけど、「Man Of The~」にも通じるシンプリシティとメロウさが泣ける「These Days」の歌詞には、久々にやられた。というか、この曲はいつ聴いても胸にズシンと来る。あなたのために、やれたはずだったのにやり損ねていたこと。機会はいくらでもあったのに、つい、忘れてしまったこと。でも、償いたくてもあなたはもういない――普段は心の隅に追いやっているものの、ふとしたはずみで表面に浮かんできてしまう、後悔の数々である。
賢い人達は、「過去に縛られてイジイジしててもしょうがない、前に進みなさい!」と言う。仰る通り、確かにその通りで正論なのだけど、簡単には前に進めない人も世の中にはいるのです。自分がそういう弱っちい人間なので、たとえ「センチ」「ノスタルジック」とバカにされても、ジャクソン・ブラウンがこの曲で描いた情感には、共感できる。

この曲は、ニコのファースト・ソロ「Chelsea Girls」で世に出た。ジャクソン・ブラウンが1966年頃に彼女に出会い恋に落ち、楽曲提供したことを考えても、18歳か19歳で書かれたトラックということになるが、最後のヴァース=「僕の犯した過ちを責めないでほしい/その過ちのどれも、僕は忘れちゃいないから」というフレーズは、50歳の大人でも抱く感慨じゃないだろうか?ファウンテンズ・オブ・ウェインのカヴァー・ヴァージョンも素敵なので、機会があったら聴いてみてください。
「Chelsea Girls」でもうひとつ思い出すのは、エリオット・スミスだったりする。いや、こじつけではないですよ・・・というのも、彼の初日本ツアー時に取材した際、押し付けがましい&おせっかいなのは重々承知の上で、ちょうど出たばかりだった「Chelsea Girls」紙ジャケ・リマスター再発日本盤をプレゼントしたことがあるのだ(米雑誌取材で、彼がこの作品をフェイバリットに挙げていた&「These Days」もカヴァーしている)。
「ありがとう」と受け取ってくれたが、ツアーの合間に受け取ったプレゼントなんて荷物に紛れてしまい、実際に聴かれることはなかったと思う。それでも、彼が最後に暮らしたフラットの片隅のどこかに、機材だの楽器、他のレコードにまぎれて、あのCDが埃を被って眠っていたらいいなと、今でもたまに夢想することがある。

フィストフル・オブ・マーシーは、お世話になっている編集さんが送ってきてくれた作品。ありがとうございます・・・というのは、こうした思いがけないプレゼントで心が躍るのはもちろんのこと、ウェストコーストに向かっていた今の自分のモードにぴったりな音だったから。すっかり愛聴しております。
中身を説明すると、ダニ・ハリスン(ジョージの息子)、ベン・ハーパー、ジョゼフ・アーサー(好きです~)の3人によるコラボで、人によっては「スーパー・グループ」って扱いになるだろうか。繊細なコーラス・ワークとツボを心得たプロダクション/パフォーマンス、奥ゆかしいフォーク+ロックなメロディの美しさには、思わずはらはらと涙がこぼれてしまう。若い世代で言えばミッドレイクやフリート・フォクシーズ、遡ればCSN&Y好きにはジャストかもしれない。

そんなまったりした調子で、他に引っ張り出して聴いていたのはジョン・フェイヒィとプラッシュことリアム・へイズ。ジョン・フェイヒィのあたたかなギターの音色は、寒くなると聴きたくなる。プラッシュのこの作品は、ロマンチックなフォーキィ・ソウル好きにお薦め。彼もそうだけど、クリス・リーとかデイヴィッド・ヴァンダーヴェルドといったモダンなブルー・アイド・ソウル作品は、最近はあまりもてはやされないですね。悲しい話だけども。

シメは、「The Leather Boys」、「Death Line」、「Britannia Hospital」の映画3本。別に考えた挙句のチョイスではないのだが、いずれも(時期は60年代、70年代、80年代と異なるが)イギリス産作品である。

「Leather~」はザ・スミスのファンにはおなじみであろう、ロッカーズ=英バイカーを主人公にしたカルト作品。「Taste Of Honey」、「The Knack」ですっかり惚れたリタ・トゥーシンハムも出演ということで、「観たい」と願いつつ、ビデオ化もされないしリバイバルのチャンスに恵まれることなく、ずっと観損ねていた。
少し前に入手した「100 Road Movies」というガイド本をパラパラめくっているうちにこの作品のレヴューに出くわし、懐かしさも手伝って観てみたのだが、設定は60年代英映画=「怒れる若者」系のリアリズム~キッチン・シンクの典型。ステレオタイプを破り、尻軽なビッチを演じてみせるリタ・トゥーシンハムにはびっくりしたけど、「EastEnders」とか、今の英ソープに出てきても何の違和感もなさそうなワーキング・クラスの女性キャラ、とも言える。

革ジャンにリーゼントのバイク・マニア、そのGFはエイミー・ワインハウスばりのビーハイヴ・ヘア・・・という、50~60年代当初期の若者風俗(マーロン・ブランドやジェームス・ディーンに憧れたキッズ)を群像的に描いた、一種のエクスプロイテーション映画とも言えるが、そこにホモセクシュアルというタブーの香りをリリカルに漂わせたところがレア。ポッシュな上流階級ならまだしも、ワーキング・クラスの同性愛というのは、なかなか描かれなかった側面だろう。
また、今とはまったく違う南ロンドンの町並み、霧にむせぶ美しいモノクロ映像、劇中に何度か登場するロンドン・バイカーのメッカ:The Ace Caféの情景・・・と、絵を追っているだけでも楽しい。あ、あと、All Tomorrow’s Partiesでおなじみのホリデー・リゾート施設:Butlinsもロケ地に使われていて、今の寂れっぷりが嘘のような、60年代当時の盛況ぶりにはびっくりさせられた。

「Death Line」は、これまたロンドンが舞台のトンデモ・ホラー。廃墟になった地下鉄駅に住む怪物が人を襲うという設定そのものは、現代版ハマー・ホラーみたいで悪くない。が、低予算映画だったのだろう、主役級カップルの演技は大根だし(髪型とかファッションは当時の空気を楽しめるが、男優はB級なウォーレン・ビーティ、女優はB級のジェーン・フォンダって見てくれで・・・トホホ)、脚本、最後までなかなか「本当に」怖くならないテンポの遅さ、辻褄、編集といい、ヘボい。
それでも、怪物に対する同情に満ちた視点はナイスだし、刑事役:ドナルド・プレザンスがヤケに近い(?)コミカルな「俺様」演技で異彩を放っているのは最高。また、オープニングのクレジットで大御所クリストファー・リーの名前が出てきて「おおっ!」と思わせつつ、スクリーンに登場するのはほんの2、3分という間の抜けたところ(しかも、彼のキャラはストーリーそのものにはほとんど絡んでない)も、B級感を増していて逆にポイント高し。
改修工事が進み、色んな駅が少しずつモダナイズされているロンドンだけど、タイル貼りのプラットフォームの壁や木製のエスカレーターと、もはや廃止された「いにしえの情景」も楽しめる。っていうか、70年代は地下鉄車内でタバコ喫煙がOKだったってのが、すごい話だよね・・・ちなみに、木製エスカレーターが廃止されたのは、乗客が落とした吸いかけのタバコのせいで、キングス・クロス駅で大火災が発生したためでした。

先日チャリティ・ショップで中古DVD(=£3)を買ったものの、「積ん読」状態になっていた「Britannia Hospital」を、やっと観る。英映画というのは日本でもマイナーで、本や雑誌で読み知ってもなかなか観るチャンスがなかったりするのだが、こういうカルト作を手軽に観れるのはありがたい。特に、ここ2年ほどCriterion Collectionに負けじ(?)と、Britsh Film Instituteが忘れられた50~60年代の英映画(たぶん、英国内でしか封切られなかった類のプログラム・ピクチャー)を「The Flipside」として積極的にDVDシリーズ化している。
このシリーズには、ビートルズ映画でおなじみのリチャード・レスターの「The Bed Sitting Room」、スウィンギン・シクスティーズを描いた「Here We Go Round The Mulberry Bush」(邦題は「茂みの中の欲望」。もちろんトラフィックの同名曲をフィーチャー!)、素人俳優を起用し東ロンドンの労働者階級をリアルに描いた「Bronco Bullfrog」など、めっけもんも混じっているので、英映画ファンはチェックされたし。

中でもお薦めは、「The Privilage」(たぶん、邦題は「堕ちたアイドル」?)。マンフレッド・マンの優男ヴォーカル:ポール・ジョーンズを主役に据えたこのセミ・ドキュメンタリー調の映画は、時代がかったデザインや風俗の古臭さを排して観れば、マス・メディア~セレブ文化&コマーシャリズム~プロパガンダといった今日的なテーマにも充分通じる、先見性のある社会風刺映画だと思う。ポール・ジョーンズの相手役が、60年代英アイコンのひとりであるスーパー・キュートなモデル=ジーン・シュリンプトン(「欲望」の主役のモデルとされるデイヴィッド・ベイリーの恋人で、後にテレンス・スタンプとも浮名を流した)ってのもいいですねぇ。
このFlipsideシリーズがどこまで続くかは分からないが、ぜひぜひ、「Made」(ロイ・ハーパー出演)と、「Joanna」を再発プリーズ!・・・特に「Joanna」は、90年代に日本でのリヴァイヴァル上映で感動しまくった作品&大好き★ドナルド・サザーランドも出演してるんで、もう1回観たいっす。

で、話を「Britannia」に戻すと、監督はブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ代表作のひとつ「If・・・もしも」で知られるリンゼイ・アンダーソン。その「If」の主人公ミック・トラヴィス(=マルコム・マクダウェル)を巡るブラックな諷刺三部作(「If/1968年」、「O Lucky Man/1973年」、「Britannia/1982年」)の、完結編に当たる作品だ。
DVDパッケージやキャスティング・クレジットを始め、ネーム・ヴァリューの高い大スター:マルコム・マクダウェル(「時計じかけのオレンジ」ですからね、何せ)が前面に出てはいる・・・ものの、本作での彼は狂言回し的存在。大した見せ場もないまま、作品中盤であっさり殺されてしまうのには大笑いである。
架空の「ブリタニア病院」の一日を舞台に、福祉医療制度、階級闘争、王室批判、体制VS社会派の衝突等々、モダン・ブリテンの矛盾や恥部が諷刺されていくのだが、ドタバタ・コメディとSF、社会ルポルタージュが混じった作風はグロテスクかつアナーキーで、マカヴェイエフとデレク・ジャーマン、テリー・ギリアムあたりに通じる味かも。
かなりの珍作だが、「スター・ウォーズ」でおなじみのマーク・ハミルが、ハッパでラリラリのカメラ・クルー役でちらっと出演しているのは笑える。また、本作のもうひとりの主役と言えるマッド・サイエンティスト=ミラー博士(この三部作にはすべて出てます)を演じるグレアム・クロウドンは、キッチュな70年代英SFスパイ・コメディ映画「The Final Programme」(主人公ジェリー・コーネリアスが、ジム・モリソンとミック・ジャガーを足して二で割ったようなダンディ・ロック系でご機嫌)でもクレイジーな科学者役を演じていた。「Back To The Future」のクリストファー・ロイドもそうだけど、ああいう顔立ちって科学者/医者にタイプキャストされやすいのかな。

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Mariko Sakamoto について

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