週刊琴線(12月24日号)

今週の琴線:

Splice(2009/Vincenzo Natali-Sarah Polley,Adrien Brody)
Harry Brown(2009/Daniel Barber-Michael Caine)
It’s Always Sunny In Philadelphia(FX)
L’Homme de Rio(1964/Phillippe De Broca-Jean Paul Belmondo)

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

髪を切りに行きたい、レコード屋行きたい、本屋にも行きたい、クリスマスの買い物もしたい・・・と、欲求不満がミシミシたまってまーす。しかし仕事のケリが着くまでは我慢の子。それを越えたら、今に思いっきり発散するど~!

と、いつもこんなことを書いているわけですが。ストレス解消のため、仕事の合間の娯楽映画ウォッチングが続いたのもいつも通りっす。こっちで利用しているLoveFilmというDVDレンタル・チェーン(ネットで作品を注文して、届いたら、観終わるまでキープしてていい。返送料もタダ)から、色々届いていたのをまとめて観て返却する必要もあったし。しかし、発散のために散歩するとか、活動的に身体を動かす、あるいはジムに行く・・・という健康的な発想が一切湧かないのは困ったもの。冬は、マイ怠惰を加速させる。

「Splice」はカナダ産のSFホラー映画で、遺伝子操作や科学が行き過ぎると大変なことになりまっせ~という、現代版フランケンシュタインに「Demon Seed」、「Alien」、そしてクローネンバーグが若干振りかけられた内容だった。テーマはともかく、観ようと思った最大の動機は主演のサラ・ポーリー。今ではエレン・ペイジが一番有名だろうが、サラ・ポーリーはカナダのインディ女優としては彼女の先輩に当たる人と言える。
最初に彼女を観たのは確か「Sweet Hereafter」で、美しい子だなあ!と思っていたら、ハル・ハートリーの「No Such Thing」、そしてカルトなコメディ名作「Go」(〝洗脳〟される前のケイティー・ホルムズもなかなか可愛い)と、まったく毛色の違う(しかも難し目な)役を難なくこなす演技力とスクリーン・プレゼンスを見せ付けられ、すっかり惚れてしまった。演技だけではなく、既に商業映画の監督デビューも果たしている。ジョディ・フォスター系ってこと?

ジョディもそうだけど、綺麗とか可愛らしい女優がいくらでもいる中、知性と品性が透明感をもたらす、そんな聡明な美しさを放つアクトレスというのは、なかなか出くわさない。故に貴重で、フォローしたくもなる。最近だと、「The Lovely Bones」のシアーシャ・ローナンが、抜群にそういう感じだった。あの映画そのものはすべてにおいて悲惨だったが、彼女とスタンリー・トゥッチの存在で、なんとか持ちこたえたっていう。
「Splice」も、その意味では「The Lovely~」に似た映画体験だったかもしれない。「Cube」で売れた監督の作品だけあって、プロダクションもちゃんとしてるし、SFXもいい方だとは思う。が、主演がサラ・ポーリーとエイドリアン・ブロディじゃなければ、それこそコミコン・ファンの間で騒がれてすぐにDVD化、だったんじゃないだろうか。コミコンを貶めるつもりは毛頭ないが、熱心なSF/ホラー/ファンタジー映画ファン向け作品かな、と。SFもホラーもファンタジーも好きだが、その「ジャンル」と心中するほど熱狂的ではない。そんなライト・ユーザーにとっては、たとえば「ミラ・ジョヴォヴィッチが観たいからResident Evilを観る」のに近いかもしれない。

遺伝子工学を利用しての新たなタンパク質合成に取り組むサラ・ポーリーとエイドリアン・ブロディの夫婦科学者が、新たな生命体=DREN(NERDのアナグラム)を作り出し、秘密裏に育てるところから話は始まる。夫婦には子供がないため、その生命体――様々なDNAのハイブリッド――は、彼らにとっての研究対象であるばかりでなく、養子的存在になっていく・・・という前半は、ストーリーに対する興味を維持するに足るし、一種のメルヘン、そして精神分析学的なサブテキストのひねりなんかも感じられる。
しかし、モラルの混乱、えげつないパニック、そしてアクションが映画のリズムを支配するせわしない後半になると、「エンディングに向けて、とにかく派手なクライマックスを作るのじゃ!」というスタジオ側の焦り気味な意図が見えてきて、やや興ざめになってしまう。と共に、それまでは「まあ、これもありか・・・」と許容できていた、そもそも荒唐無稽な新生命体(シニード・オコナーがモデルか?!)の生態や進化~驚異の変容も、いくらプロダクションが頑張ったって嘘臭く見えてしまい、困りもの。

ホラーやファンタジーで、そういうボロが見えてきたら終わりではないだろうか。この作品は共同プロデューサーにギレルモ・デル・トロ(=大好き)がクレジットされているのだが、彼の作品くらい、突っ込む余地がないほど緻密な世界観&ヴィジュアルを構築してくれないと、いまどきのスレた(?)ファンタジー好きは、納得させられない。すぐに「この新生命体、翼が出てきて飛ぶのはいいけど、格納する場所が背中にないんですけど?」などと、要らんことを考えてしまう。
要するに、いかにSuspension of disbelief=疑問を一時保留にして、(映画という)イリュージョンに浸らせてくれるかがポイント、ということ。そのやり方には色々あるが、好きな監督で例をあげると、①ダリオ・アルジェントのように、ストーリーも設定もアラだらけでも、なぜか映像と音で突っ走って見せてしまう(納得はしないが)、イタリアならではのワン&オンリーなセンス②サイエンスやテクノロジーの根源的な怖さを、理屈をつけてそれっぽく見せてしまうのが上手いクローネンバーグ③先述のデル・トロ、あるいはクリストファー・ノーランのように、別世界をひとつ丸ごと作り出す(それは、キューブリックとかリドリー・スコットがルーツかもしれん)・・・というところか。
ともあれ、後半のアクション主体な展開からエンディングも予想できてしまい、「あー、やっぱりねぇ」という感じだったが、サラ・ポーリーの元気なお姿を観れたから、それでOK!かも。お金のために、こういう作品にも出演承諾するのか・・・とも感じたが、いい役者って、伝統的にみんなこうしてサヴァイヴしていくものなので、実は気にならない。それより、彼女が腐ったロムコムに出るようになった方が、よっぽど怖い話である。

上にも書いたクリストファー・ノーランは、昨今の「ハリウッド産のドル箱映画」にほとんど縁のない自分にとって、メインストリームとの繋がりを保たせてくれる数少ない(比較的)若手な監督のひとりでもある。好きな点は色々あり、長くなるのでここでは書かない。が、ノーラン映画に自分が惹きつけられる要因のひとつに、出演俳優のチョイスが自分の好みに合う!というのがある。ガイ・ピアース、クリスチャン・ベール、ギャリー・オールドマン、ヒース・レジャー、キリアン・マーフィ、ジョゼフ・ゴードン―レヴィット(「Mysterious Skin」と「Brick」がマイ決定打)、トム・ハーディ(「Bronson」が最高!)・・・「Inception」に至っては、ジョゼフ&トムのコンビを銀幕で観たいがために、封切り時に劇場まで行ったもんなぁ。ジョゼフのシャープなスーツ姿、トムの「007」ばりの雪中アクション・シーンなど、行った甲斐はありましたよ。
まあ、そんな風に好きな俳優(=ディリープ・ラオまで起用していて嬉しい!)と同じくらい、自分にとってはどーでもいい俳優(=ヒュー・ジャックマン、ボウイ、ディカプリオ、渡辺謙等)も使ってるんで、よく考えるとあまり説得力のない話ではある。が、演技だけではなく、フォトジェニックな役者の「顔」という面も、ヴィジュアルのひとつにしっかり使っている気がするんだよね、この人。ゆえに、女優のセレクションもレベッカ・ホール、マギー・ギレンホール、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ等なかなかいいし、その傾向から、もしかしてゲイでは?という疑念もかすかに抱いてるんだけど(笑)、そのノーラン映画の準常連とも言える、マイケル・ケインが主役を張った「Harry Brown」も観ました。

マイケル・ケインは・・・・・・この人についても、テレンス・スタンプやスタンリー・ベイカー並みに話が長くなるのでここでは割愛するが、英映画好きならハリー・パーマーや「Alfie」、「Italian Job」、そしてUKギャングスター映画の古典=「Get Carter」で忘れがたい、アイコニックな俳優だろう。まあ、イギリスにおける人間国宝のひとりと言っても過言ではない。んなわけでいまやサーの称号付き・今年77歳の彼が「怒らせたら怖い熟年族の復讐」を繰り広げる「Harry Brown」は、英国版「Gran Torino」というところ。
舞台は南ロンドンの貧しい公団=Council Estateで、そこに暮らすケインちゃん演じるハリー・(パーマーならぬ)ブラウンは、病に倒れた妻を抱える、年金暮らしの老人。元海軍兵、北アイルランド紛争で闘った経験も・・・というバックグラウンドを持っているものの、苦難を共にした戦友とのなじみのパブで一杯やりながらのチェス勝負くらいが楽しみという、まあ、今や穏健なおじいちゃんである。

が、公団に巣食う若い不良&ギャング集団――ここ数年イギリスで問題にされることの多い、「ASBO(Anti Social Behaviour Order) Kids」、あるいは「Hoodies」(=フード付きのパーカを着て顔を隠すことが多いので、この俗称が生まれました)――のせいで妻の死に目にあえず、更には戦友がその不良軍団にリンチされ、惨殺・・・という展開に、法に任せてはおけぬ~~!とハリーが立ち上がる。チャールズ・ブロンソン物、バットマン、日本で言えば「必殺仕事人」他、自警団ストーリーのバリエーションである。
とはいえ、こうした「自分の権利は自分で守る」型のカウボーイなドラマって、イギリスでは成立しにくいのだな、とも感じた。たとえば「Gran Torino」の舞台であるアメリカは、ライセンスさえあれば、民間人であっても、自衛のために殺傷度の高い銃器を保持できる。故に、物語後半の住宅地におけるドンパチ応酬も「アメリカならあり得るか」と思えるわけだけど、イギリスでは、民間人は当然のこと、基本的に警官ですら丸腰。「Harry Brown」には、暴徒が騒いでストリート暴動に至るおっかない場面が出てくるのだが、そんな状況下でも、警官は銃を発射できない(=敵方が発砲するまで、警察側は火炎瓶を投げられても、攻撃されても、銃を使うことはできない)。そういう社会においては、マイケル・ケインは、逆立ちしたってクリント・イーストウッドの「目には目を」なヒーローになれないのである。

ネタバレは良くないのでこれ以上は明かさないが、個人的にぐっと来た箇所;
●ケインちゃんのコート。ステンカラーで、ハリー・パーマーのイメージがだぶる~。
●ケインちゃんの戦友を演じるのが、「Our Friends In The North」でも印象的だったベテラン:デイヴィッド・ブラッドリー。ハリー・ポッターにも出てるらしいが、自分の中では、この人は「OFITN」のエディーなのだ。
●非合法グッズ(クスリ、銃)を売りさばくディーラーのひとりとして、「This Is England」のウッディ役でおなじみ、ジョゼフ・ギルガムが出演。あっけなく殺されますが。

そうしたピンポイント的箇所以外では、本作の悪役=不良集団のリーダー役を演じた、プランBことベン・ドリューが案外良かった。ラフな東ロンドン出身のこの人は、2006年のデビュー作「Who Needs Actions When You Got Words」で社会派ラッパーとしてデビュー。そこから、今年いきなりセカンドにしてコンセプト・アルバムである「The Defamation of Strickland Banks」で、アルマーニのスーツに身を包んだ〝男ワインハウス〟調60年代風ソウル・シンガーに転身~大成功を収めているタレントである。
「Harry Brown」は彼にとって映画出演2作目だそうで、いずれもロンドンのストリート・ギャングの役。もともとそういう物騒なエリアから出てきた人だけに、その素地を買われてタイプキャストされているとも言えるし、演技が上手い・・・とも思わない。が、「8 Mile」でのエミネム同様、ナチュラルな存在感とふてぶてしさはなかなかのもの。たとえば、「Face」で東ロンドンのギャングスターの子分を演じてまったく冴えなかった(つーか、信憑性ゼロ)だったもともと中流で坊ちゃんなデーモン・アルバーンに較べれば、かなりマシ。その意味では、プランBがもっさり型の普通の子で、際立った美男子じゃないって点も、プラスに作用しているかもしれん。同じ役を、たとえばザ・ストリーツのマイク・スキナーがやったら、顔が可愛いすぎて、全然機能しなかっただろうな~と思う。
しかし、そのプランBは、「Harry Brown」における敵側=英不良少年達の造形――彼らが何故に暴力や違法行為に走るのか、その要因=病巣を掘り下げる描写(社会からの阻害、家庭内暴力他)がゼロだったのかが不満だったらしい――に飽き足らず、キッズが主人公の映画を自ら制作・初監督したという。その映画「Ill Manors」は来年公開だそうだが、かなりダークで陰惨な内容らしい。見れたらいいな、と思っている。

重い気分になってきたので、「It’s Always Sunny In Philadelphia」の最新版=シーズン6を、全話一気に見倒してバランス回復を図る。米FXで放映されているこのシットコムは、フィラデルフィアのアイリッシュ・バー=Paddy’s Pubを舞台に、バーのオーナーでもある男4人+女1人の「Gang」ことアル中仲間(=彼らがバーを共同経営しているのは、昼間から飲みたいから)が繰り広げるすったもんだが主眼。「Friends」の、もっとリアルでプア&トラッシー、エキセントリックなバリエーション、とも言える。
常に貧乏で酒びたり、怠惰な彼らが、金儲けやセックスといった自己充足のために、いかに卑劣&恥知らず&常識破りな行為を画策し、実行に移すか・・・という点がポイントで、時事ネタやノンPCギャグを筆頭にタブー破りな筋書きも多く登場するが、コメディなので悲壮感はなし。何より、メインの馬鹿4人によるアンサンブル=①自信過剰な自己過信がトラブルを招くナルシスト男デニス、②マッチョでアホで操られやすい単純肌マック、③ピエロ役なんだけどもっとも愛すべき怪物チャーリー、④とことんがめつくとことんモラルの欠如したバカ・ブロンドの戯画なデニスの妹:ディーが最高で、自分的には、「Arrested Development」と「Trailer Park Boys」の間をいく内容じゃないかと思っている(特に「Trailer Park Boys」は、キャラ他にパクりっぽい面が多く見受けられる)。

ちなみに、①②③の役者3名がこの作品のクリエイターでもあり、シリーズ開始のきっかけは、自作自演のパイロット版ビデオだったという。それをFXが目に留め、見事シリーズ化と相成ったわけだが、フランク役で現レギュラーを張る(かつ、本シットコム唯一の有名な役者)ダニー・デヴィートは、第1シリーズを観て作品に惚れこみ、自ら「出演させろ!」と嘆願し(殴りこみ?)、シーズン2から仲間に加わったという。観たくもない全裸姿など、文字通り悪乗り~身体を張っての熱演を繰り広げてくれます。
6シーズン目ともなると、どんなシットコムもやや息切れしてくる。キャラがマンネリ化する、ネタが尽きる・・・と色々あるが、「IASIP」は頑張っている方だと思う。もっとも、シリーズが軌道に乗ってきたシーズン3&4のクリエイティヴ+グルーヴィな高みにはちと届かないし、「Green Man」「Night Man/Day Man」といったアイコニックな名キャラも、今回は登場場面がなくてがっかり。インモラルなアイリッシュ・カトリックの変態兄弟=マクポイル・ブラザーズが1回しか出なかったのも、自分的にはかな~り不満である。が、すべり気味だった最初の2、3話を経て、「ハロウィーン・パーティ編」を筆頭にシーズン6(12話)全体を通しての爆笑打率はきちっと保っていたし、「Lethal Weapon」のパロディも最高だったっす。偉い。
今シーズンは、ディー役の女優ケイトリン・オルソンが実際に収録中おめでた(マック役のロブ・マケルヘニーとの間の子供)。んなわけで、劇中でも彼女の出産がハイライトになる設定のシリーズ最終話は、過去キャラも出てきて大団円と相成った。他の人気準レギュラー・キャラも今シリーズの中にほぼすべて顔を出したし、もしかしたら、今回でいったん終了なのかもしれないなあ。そうなったら寂しいけども、両親が揃って連ドラ撮ってたら赤ちゃんは大変なわけで、産休はきっちり取ってもらった方がいい。
ちなみに、自分が一番好きなのはチャーリー。基本的に、デニス&マックの使いっぱ/衛生観念ゼロのゲテモノ/いじめられっ子な役どころで、トイレ掃除とか嫌な仕事を一切合財押し付けられてるんだけど、キレた時の演技と計り知れぬ才能(裁縫が上手)は最高である。また、彼の叶わぬ恋の相手が行きつけのカフェのウェイトレスなのだが(何度も出演してるにも関わらず、名前はなく、常に「ウェイトレス」呼ばわり。実生活では、チャーリー役のチャーリー・デイの恋人)、そのウェイトレスが(顔だけではなくキャラも含め)某友人に似ているのも、観るたび笑ってしまう理由だったりする。

最後は、フランス映画であります。以前このブログでもちょいと触れた、英UNCUT誌の「50 Great Lost Films」。今や廃盤・廃巻の憂き目に合い、eBayでVHSに大枚はたかない限り、ちょっとやそっとじゃ観れません・・・というカルト映画をラインナップした特集だったが、反響が大きく、今度(=ザ・キンクスが表紙の2010年12月号)は「読者の皆さんから寄せられた、〝これもお忘れなく〟なカルト・リスト」が発表された。
最初の特集は、なるほど納得というものも多かったし、また、イギリスでは割と知られていても、日本ではほとんど無名に近い作品(ロイ・ハーパー出演でカルト値が高い「Made」、イェジー・スコリモウスキの名作「Deep End」他)ってあるものなのね~、と感心させられた。と同時に、逆もしかり。その意味で、フランスやヨーロッパ=非英語圏映画は案外と穴場になってくるのだ、というのは、経験からもうすうす承知してはいた。
たとえば、ヴァディム/マル/フェリーニによる、アラン・ポーをネタにしたオムニバス「Histoires Extraordinaires(日本題は「世にも怪奇な物語」だったかな?)」を、こっちの結構シネフィルな友人ですら知らなかったりした。仰天。で、名匠フェリーニと、あんた達の国のアイコン:テレンス・スタンプの唯一の顔合わせにして、むちゃロックンロールでローグでキャメルな「Toby Dammit」編を観ずにどうするよ~?と、DVDを買い与えたほどだったのだが、どうも、英欧の境界線って、近いが故に逆に、海を越えたアメリカよりも潜在的に深いものらしい。そこらへんは、日本とちょっと似てる?

んなわけで、UNCUT誌が「他にもあるはずの、今や入手しにくいカルト名作映画を読者からも募ります」とアナウンスした時も、自分内でラインナップしたのは、フランス映画が多かった。ガレルの「La Cicatrice Interieure(=内なる傷痕)」、「Les Dimanches de Ville d’Avray(=シベールの日曜日)」(これは監督のブールギニョンというよりも、撮影のアンリ・ドカエ仕事をまた観たい・・・というオブセッシヴな欲望が動機)等。
でまあ、結局はリストが長くなって収拾がつかなくなった&我ながらオタッキーで気持ち悪ぃ~と感じたため、UNCUT編集部にそのリストをメールするには至らなかったのだが、雑誌で発表結果を見たところ、(マイ・リストに含めた)愛するフィリップ・ド・ブロカ2作=「That Man From Rio(L’Homme de Rio/リオの男)」および「King Of Hearts(Le Roi de Coeur/まぼろしの市街戦)」がノミネートされていて、思わずニンマリ。

ブロカちゃんは、もともとはヌーヴェルヴァーグ組から始まり、コメディで人気を博した監督。ちょっと、毛色がヘンな人と言える。「リオの男」はそんな彼の代表作で、友達がVHSを発掘してきてくれたので、久々に観ることになった。子供の頃にテレビで観たっきりだったので、「リオの男/ベルモンド/ドヌーヴの綺麗な姉」という断片は強烈に記憶に貼り付いているものの、最初と最後以外、話の筋はほぼ忘れていた(笑)。
基本的には、この作品も「007」のヒットを受けて広まった、「世界を股にかける活劇映画」のバリエーションなのだろう。が、冒頭のタイトル・シークエンスも超おしゃれだし、紙っぺらのようなプロット&いい加減なストーリーだからこそノンストップで走り、動き続けられるベルモンドの軽さと、そこから生まれるスチャラカな笑いが抜群。バイク、疾走、飛行機、自動車、自転車、カヌー・・・とにかくローテクに走りっぱなしです。
こうして改めて見返して、「タンタン」やジャック・タチの面影を感じたのは発見だったし、UNCUT読者が「〝インディ・ジョーンズ〟の原点はこれ?」と指摘しているのも、まあなんとなく分かる。それ以上に個人的に面白かったのは、この作品のベルモンドって、「ルパン三世」(特に大好きな第一シリーズ:緑背広&黄ネクタイのアニメ版)への影響が強かったのでは・・・?と感じた点。そう考えると、ルパン大好きっ子だった自分が盛り上がったのも頷ける。あと、特筆すべきは画面に登場する60年代ブラジルの景色。リオの町並みや南国ならではの色調の鮮やかさもいいし、オスカー・ニューマイヤーの建築は、今観ても相当に斬新でかっこいい。

「リオの男」に続く「カトマンズの男」は、しかしそんなに面白くなかった気がする。一方、「まぼろしの市街戦」は戦争コスチューム・ドラマ。数年前に日本に行った時、新宿HMVタイムズ・スクエア店でDVDを見つけたのに、セル価格が想像以上に高かったので購入を断念したのだった。アラン・ベイツ主演だから、まあイギリスでも見つかるか・・・と踏んでいたものの、以来ゲットできずに今に至っている。無念。荒唐無稽なシチュエーションの諷刺コメディなんだけど、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドの可愛さがもー、たまりません。あの作品もそうだけど、フィリップ・ド・ブロカの独特なオフ・ビートさって、「フランス版リチャード・レスター」と呼びたくなる何かがあるかもしれない。

広告

Mariko Sakamoto について

Hi.My name is Mariko.Welcome to my blog,thanks for reading.坂本麻里子と言います。ブログを読んでくれてありがとう。
カテゴリー: film, hall of dudes, TV タグ: , , , パーマリンク