Coachella Festival 2011:Day3

まずは一杯

入場ゲート。正面突破は難しそうです

オフ!でのモッシュ大会

キース・モリス(中央)の勇姿

Best Coast

Fistful Of Mercy

コーチェラのマジック・アワー

The National

The Strokes

PJ Harvey

さよならコーチェラ、また会う日まで・・・

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ここまで無事に過ごせば、あとは流せる・・・というわけで、いよいよ最終日。起きたら足の痛みも消えていて、マジに「ロンドンに戻ったら病院に行かないとダメかしら?」と心配していたこともあり、一気にポジ・モードに回復。前日のビーサンのおかげで、足への負担が軽くなったのかもしれない。ビーサンは、泥はねするので雨のフェスでは避けた方がいいのだけど、コーチェラみたいに地盤がしっかりしたフェスでは、(サンダルと並び)大いにありだろう。

同行知人は、「これだけはフルで観ます」なメイン課題だった①キングス②スウェード③アーケードを前2日間で消化したこともあり、「俺はまあ、日が落ちて多少涼しくなってからの入場で構わないんだけど・・・」というおっとりモード。それは承知していたのだが、エゴ全開な本音を言えば正午少し過ぎのフォスフォレッセント~トゥイン・シャドウの流れから観たい。しかし大トリのカニエが登場するまで10時間後を乗り切るのは、さすがに辛い・・・というわけで、折衷策をとることになる。
コーチェラは樹木もないだだっぴろいポロ・フィールドなので、日中の直射日光を避けられる場所が少ない。カンカン照り/あるいは雨の時にフジのレッド・マーキーが満杯になるように、シールドのあるテントは日中はすごい人ごみ&熱気。オーガナイザー側もそれは承知していて、水分補給と日射病への注意を促すと共に、日除けできるスペースをちょっとずつ増やす努力はしている。今年は、大きな日除けの下にベンチも併設した飲食&休憩エリアもできていた。しかし、ライヴの模様を眺めながら休む・・・という、ステージに近いインフラの設営は、なんだかんだいってコーチェラでいちばん大切な音楽の享受を妨げる=誰かしらの視界を遮ることになるからだろう、オミットされている。昼間は、案外とまったり&のんびり観るのが難しいのだ。

お昼早目の時間帯を除けば、次に観たい「マイ波」が来るのは14時以降なので、買い物タイムも含め、11時出発に決定。滞在していたホテルと会場の間にはいくつかスリフト・ストア(=古物商)があって、そこを軽くチェックしてからご飯を食べ、知人に会場で落としてもらう(知人は、そのままTargetのバーゲンあさりとか、近郊のアウトレットでお買い物もしてました)算段に落ち着いた。
さすがにアメリカで、スリフト・ストアはだだっ広く、商品の数も半端ないし、一ヶ所に数軒並んでいるのも便利だ。金持ちが結構住んでるはずなんで、ブランド古着なんかが見つかるかも?と期待してたんだけど、やはり基本はリゾート/スポーツ/アウトドアの盛んなエリアなだけに、古着のほとんどはTシャツだのスポーツ・ウェア&カジュアルで、またサイズが日本人にはちと大きめなケースも多く、特に収穫はなかった。むしろ、食器とか古道具、家具の方が狙い目かも。中古レコードもまだ売られていたが、残念ながら、こちらもクラシックとかイージー・リスニングがほとんどでした。

ローカル紙の日曜版を読みながら、会場近くのデニーズで腹ごしらえ。お客の8割は、コーチェラのリスト・バンドを着けている。第一面からコーチェラ・レポが載っていて、見出しは「今夜いよいよカニエ登場」。先日のSXSWではジェイZと共演して話題を集めただけに、今夜は誰がスペシャル・ゲストか?ケイティ・ペリーか、はたまたニッキー・ミナージュか?と憶測が飛んでいる。
ウェイトレスのおばちゃんに「あんた達もフェスに行くのかい?」と訊かれ、「忙しいみたいっすねー」と少し話したところ、来週は同じ会場でメタル・フェス(例の、メタリカ/メガデス/スレイヤー/アンスラックスの四天王フェス)、その次の週末にはカントリー&ウェスタンのフェスが開催されるそうで、エンパイア・ポロ・フィールドのステージ設備や駐車場はそのまま使い回されるらしい。
そういやロンドンでも、たとえば夏の間ハイド・パークには野外ステージが設営され、様々なフェスが開催されるし、イベント企画者の発想は世界的に同じみたいですね。確かに、せっかく建てた設備を1回きりでたたむのはもったいないし、昨年コーチェラのオーガナイザー=ゴールデンヴォイスとポロ・フィールド所有者との間でリース契約が延長されたこともあり、パーム・スプリングスの街そのものが「フェス歓迎」の姿勢に移行しつつあるのだろう。デニーズも大繁盛ですなぁ。

2時近くに会場入り。最終日ということもあり、入場ゲートの行列を見ていると、フェスっ子もさすがに少々疲労している模様。夕方以降は涼しくなるのでこの日も長袖&ジーンズだったのだが、ボディ・チェックのおばちゃんに「あんた真面目そうに見えるわよ!」と笑われた。おっしゃる通り、周りの連中はほぼ全員Tシャツ/タンクトップにホットパンツ、チューブトップあるいはビキニ、男は上半身裸・・・と露出度ガンガンな盛夏ルックなので、自分は確かに浮いてる。とはいえ、この3日間で今年1年ぶんくらい、人間の素肌は見た気がする。最初はワオ!とも思うし、パンツ1枚+おっぱいに花を2輪アタッチして隠しただけのほとんど全裸な女の子達(野郎が皆振り返ってました)とか驚かされもしたが、もう正直、肌は飽きたっす。
ドラッグ、ガラス瓶他持込み禁止品/危険品を徹底的にチェックする、入場の行程はかなり厳しい。リスト・バンドとバッグのマニュアル検査は2回(金属探知機も併用)、ペット・ボトルも途中で捨てないといけません(リフィル用の水筒は、空なら大丈夫)。最後の最後に、リスト・バンドに埋め込まれたチップをセンサーで自動的にチェックする、専用ゲートを通過して晴れて入場・・・と、他フェスと較べても物々しい。昨年の偽造リスト・バンド大量流出にブーイングの声が大きかったこともあり、たとえ入場に時間がかかる!と不平が出ても、不法侵入対策はきっちり、ということなのだろう。
しかし、前を歩いていた女の子はすごかった。スレンダーな、いわゆる「カリフォルニア・ガール」の一団のひとりで、金髪でビキニにミニスカートのほぼ手ぶら、すいすいチェック・ポイントを通過していた・・・のだが、セキュリティのおばちゃんにストップをかけられてる。なんと、彼女が足にはめてたギプス(最近の、スキー靴のお化けみたいにロボティックなあれ)の中に、テキーラのフラスク型ボトルが隠してあったのが発覚、廃棄処分。すごい持ち込み根性だなあ~、と妙なところで感心してしまった。ともあれ、ルールの網目をかいくぐろうとする人間は、どこでもいるようです。

ゴシップ調のエレクトロ・パンクで盛り上げていたMENをちょっと流して観て、楽しみだったゴビ・テントのOFF! に待機。ブラック・フラッグの初代ヴォーカル~サークル・ジャークスと渡り歩いてきた西海岸パンク・ベテランであるキース・モリス、バーニング・ブライズのディミトリ・コーツ(G)、レッド・クロスのスティーヴ・マクドナルド(B)、ロケット・フロム・ザ・クリプト他のマリオ・ルバルカーバ(Ds)による、いわゆるパンク・スーパー・グループで、既発のEP4枚をまとめたCDがリリースされたばかりのタイミングだ。
腰まで届くドレッドロックが迫力たっぷりのキース(昨日のBADのドン・レッツといい勝負?)、スティーヴはミュージカル「CATS」のTシャツ(笑)というギャップもナイスだ。昨年、サークル・ジャークスの新作レコーディングから派生したというこのバンド、キースにとってはブラック・フラッグ時代への回帰という側面が強い。曲の尺も1分強、四の五の言わせない強烈なブラスター・サウンドはハードコアの古典をきっちり踏襲。シングルのジャケットは、いずれもレイモンド・ペティボンが手がけてもいる。
んなわけで、若い男達が結集したステージ前方、1曲目から瞬時にスラム・ダンス開始~~っ!ものすごい土ぼこりの中、たちまち円陣が生まれ、右から左からぼんぼん飛んでくる身体を避け、押し返しながら見守ることになった。「次は俺の友達、ジェフリー・リー・ピアースに捧げる曲。『Fire Of Love』はみんな聴けよ!」のMCには思わず号泣したし、「デュラン・デュランなんざ売女だ」の声には笑いと喝采が巻き起こった。「いちばんテンダーな曲だから、スロー・ダンス・タイム!」の掛け声に続き、爆発ノイズと共に〝Fuck People!〟のコーラスが押し寄せるトラックに、再び砂塵が舞い上がり・・・と、BFの重さ&緻密さには欠けるものの、スピードと迫力は文句なしにフロアを制していった。

政府に対する批判他、硬派な社会的メッセージを含む歌詞はもちろん、音も妥協なしのタフ&ハード。キース自身MCで「俺達みたいなバンドがコーチェラに出るのは妙だよな」と語っていたように、リッチなキッズしか来れないコーチェラの、中流でコンサバ、ノンポリで楽天的なヴァイブは、OFF!のようなバンドを持て余してもいた。前方でがっつり盛り上がってるパーティ野郎達を除くと、ほとんどのお客が「何じゃこれ?」と引きまくりで眺めていた様子は、初日のオッド・フューチャーのステージとよく似ていた。しかし、主催者であるゴールデンヴォイスは、もともとパンク・ギグのブッキングから発展してきたインディのプロモーター。一見ハッピーで陽気なカリフォルニアの中に、確実に存在するダーク・サイドや不満の「不協和音」をラインナップの中にミックスするのは、彼らにとっても意地なのだろう。

隣のテントでは、ちょうどCSSが始まるところ。かなりの人ごみでラヴフォックス以外は見えないが、中国京劇みたいな頬紅、チリチリのアフロ(セドリックと毛髪交換したのか?)にマタドールの衣装と、相変わらずはちきれんばかりのエネルギーで煽りまくる。フェスにぴったりの人達である。1曲目「Off The Hook」をタフに決めたと思ったら、2曲目「Rat Is Dead」のイントロで早くも暑苦しい衣装をめきめき脱ぎ捨て、ホットパンツ+Tシャツ(TRASHのプリントがナイス)の軽装になったところで、ジャ~ンプ!そしてボディ・サーフ開始!セキュリティが厳しく、なかなか好き勝手に動き回れない様子だったけど、体当たりなパフォーマンスにお客は大喜びしている。成長がないっちゃないとも言えるだろうが、芸人根性は立派である。

午後の日差しが最高値に達し、しばらく休憩。モニター・テレビでメイン・ステージのWiz Khalifaの様子をぼんやり眺める。人気ラッパーだそうで、お客も手ワイパー状態で盛り上がっているが、どこかで聴いたような最大公約数的ヒップホップとしか言いようがなく、こんなのが今は売れるんだ・・・と、なんとなくゲンナリしてしまった。幸い風も少し出てきて、休みながら、近くのテントから流れてくるエレクトロ・アクトのビートにも耳を傾けてみる。DJ~エレクトロ系が多く登場した2テントは常に賑わっていたが、欧州の2、3年前のトレンドが、アメリカにもやっと到着したか、という感慨を抱いた。
気を取り直し、クリスタル・キャッスルズとの縁でも知られるHealthのステージに向かう。エレクトロ+メタルで、これはスレイ・ベルズよりもよっぽど「ドゥーム・ステップ」の形容がふさわしい音かもしれない。シンセ他の機材にドラム2台、長髪のギタリストがデス声で咆哮するサウンドは凶暴にデカく、それまで四つ打ちビートだと何であれホイホイ踊っていた客も、耳の危険を察知して(?)ビビっている雰囲気。しかし、ハード・ロックのヘヴィなギターと粗いパーカッション、エコーの効いたかすみのようなヴォイス(チャントに近い)が絡み合う曲など、爆音の中にも様々なディテールが聞こえて、すごく面白かった。

アウトドア・シアターに向かい、Jimmy Eat Worldの後半だいっ。アリゾナ出身の彼らですら、ラスト・スパートの西日が真正面から照りつけるこの時間帯(17時近く)は少々辛いようで、汗だくで熱唱するジムの顔はリンゴのように真っ赤、見ているだけでこっちの頬もヒリヒリしてくる。3日目で相当くたびれた芝生の上に腰掛け、あるいは寝転がって休みながら観ている客も少なくない。「Coffee&Cigarettes」の泣きメロ、フー・ファイターズばりのダイナミックなチャージを聴かせる「Your New Aesthtetic」、「Action Needs An Audience」の広がりなど、久しぶりに観たけど、演奏の素晴らしさはまったく衰えてない。とはいえ、なんだかんだでもっとも盛り上がったのは「The Middle」そして「Sweetness」のエモ・クラシック2連打。それまで座り込んでいた客も立ち上がって踊り出し、ステージ前もポップコーンのようにはぜていた。
移動のかたわら、Ellie Gouldingを1曲観る。イギリス人の彼女にテント内の暑さは相当きつかったと思うが(こちらもほっぺがピンクにほてほて染まってました)、ソウル+モダン・エレクトロの大人なサウンドで観衆を集めている。しかし、今年のコーチェラ、UKニューカマーのアメリカにおけるブレイク=ドラマの目撃という意味では、やはりアデルとジェームス・ブレイクをブッキングしてもらいたかたところです。

Off!と同じくらい、たぶんイギリスでは観る機会がないだろう・・・という意味で、 Fistful Of Mercy は自分にとってのプチ・マストの一組だった。ベン・ハーパー、ジョゼフ・アーサー、ダニー・ハリスンの3者による(これまた一種の)スーパー・グループで、今流クロスビー・スティルス&ナッシュなどとも呼ばれている。彼らの地元カリフォルニアでそのハーモニーを生で聴けるのは、なんとも楽しみ。
ステージに上がる前に楽屋で3人がハグし合う姿がスクリーンに映し出され、いよいよ!と思っていると、女性ヴァイオリン奏者を従え、3人がスツールに腰掛ける。ダニーはこうやって見ると面影がお父ちゃんそっくりだなあ(彼はピアノも担当)、ジョゼフはレイバンに無精ひげで小汚いなあ、などとミーハー丸出しで見守っていたが、ツアーをガンガンやるタイプのライヴ集団ではないだけに、リハ不足な感は否めなかった。1曲目「In Vain Or True」からして、ギターのハモりが甘い。盤での澄み切った音を期待するのが間違いなのかもしれないが、これだけ上手い人達が顔を合わせただけに、マジックが生まれるのを期待してしまうのだ。また、ライヴだとジョゼフの生来のパフォーマーとしてのアクの強さが前面に出てくるのも、三者のバランスという意味ではややぎこちない。
「As I Call You Down」もヴォーカル・ハーモニーが決まりきらず、ウムム~と思っていたが、続く「Fistful Of Mercy」ではアウトロでミニ・ジャムが始まり、ヴァイオリンの悲痛な響きとベンのラップ・スティールの泣きが溶け合う光景は、エモーショナルで引き込まれた。ライヴでは、完成度よりむしろ、こうしたインタラクションを重視しているのかもしれない。ともあれ、生だとベンの声がやはり一番美しく冴えていて、彼のマスキュリンな存在感がこのユニットの音楽にソウルフルなバックボーンを与え、ただのフォーキィなAORポップとは異なる味を醸しているのも確認できた。

ルックスや音楽性など、カニエ・ウェストをお手本にしているのはミエミエなTinie Tempah。通りすがりにチラと覗いただけだが、UKラッパーという変り種にも関わらず、ちゃんとお客をノせてました。Best Coast は、ヒップで旬なインディ・バンド~しかも地元勢なだけに、集客がすごいだろうな・・・と思いきや、楽勝で前に行けたので意外。彼らのレトロ・ポップで西海岸なチャームって、イギリスや日本では「アメリカ産」と喜ばれるけど、もしかしたらアメリカの中、特に西海岸においては「普通すぎ」になっちゃうのかもしれない??
ともあれ、下手でも気にしない勢い&熱演でぶっ飛ばしていく、バンドのノリは痛快だった。ドラムは元ヴィヴィアン・ガールズのアリーちゃんで、彼女のズンドコなジャングル・ビートに乗り、ベサニーがおきゃん、というか姉御肌&軽くコブシの効いたヴォーカル(カタトニアのケリスの声にちょい似)で魅了する。レスリー・ゴーアのガレージィなカヴァー、あるいは「Something In The Way」など、曲はいずれもシンプルなポップなんだけど、彼女の歌い回しと愛嬌のあるキャラで成り立っているんだから、大したもの。
マジに、途中で演奏がズレたり、アナだらけっちゃアナだらけ。いわゆるヘタウマなんだけど、「So Gone」以降のご機嫌なサーフ・パンク~高速ノイズ・ポップの疾走感(ここで「Come on,Coachella!」の迫力いっぱいのシャウトが見事に決まったのもかっこいい)は、アナだらけで車体が軽いからこそ、だろう。複雑な制御装置とか頑強なボディ/エンジンを備えた最新鋭の車には、このかっとびフィールはたぶん出せないのだから。ラウドな疾走の後には、打って変わってスロー&スウィートな「Each And Everyday」。2分ほどの短いフィナーレだったけど、ガーリィな余韻をふわっと残す幕切れはお見事でした。

1&2日目は、夜になってもピーカンな昼間の暑さが残響している感じだったが、コーチェラ名物の風(=時にジェット機ばりの大風になり、ホワイト・ストライプスのメイン・ステージでの演奏など、音がちぎれてかなり可哀想な展開になることもあったほど)が最終日になってやっと戻ってきて、夕涼みな風情が漂い始める。風に運ばれてきた雲がたなびく中、フラミンゴ・ピンクとラベンダーの交じり合うマジック・アワー、美しい夕焼け空にしばし見とれた。

そんな抜群にロマンチックなシチュエーションの中、The National の開始が迫る。黄昏時のアウトドア・シアターでは、クィーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、べル・アンド・セバスチャンなど「一生忘れないぜ」系の名演を観てきたが、このライヴもそんなスペシャルなセットになりそうな予感がひしひし。
ホーン・セクションを引き連れてバンドが登場し、この日のこのステージで最大級数の観衆が、ドオッと沸き立つ。愛されてますなあ。「Bloodbuzz Ohio」の力強くタイトなビートからキック・オフした演奏は、素晴らしいライヴPA(較べるべきではないだろうが、その前のベスト・コーストの音がおままごとに思えてくるほど・・・)と相まって、大文字の「ロック・バンド」が本気を出した時の威力をたっぷりと味わわせてくれる。と同時に、コーラス・ワーク、ホーンのグラデーション、細やかなパーカッションのニュアンスやギターの多彩な質感など、緻密なアレンジを再現しきる演奏集団としてのメカニズムも美しく、脂もばっちり乗っている感じだ。上質な耳福である。
最新作「High Violet」を中心に、ファンにはおなじみの人気曲が連打されていく。バンドの内なる炎が本格的に燃え盛り始めた「Squalor Victoria」は素晴らしかったし、オーディエンス側の手拍子や熱気を吸い込み、場の空気に電気がピリピリ走るよう。「Alligator」好きとしては、「Able」の高揚感で完全にツボがプッシュされた。背景のビデオ映像がステンド・グラスのパターンを映し出し、エピックな雰囲気を一段と高めた「England」。「国際的な大ヒット曲です」のジョークMCに笑いが起こり、しかしピアノの弾き語りから始まり、包容力あふれる盛り上がりにうならされた「Fake Empire」。そこから一気にヒート・アップ、極点を刻んだのが名曲「Mr.November」で、メンバー全員のパッショネイトな演奏(特にヴォーカルのマットは、全身使っての文字通り「熱唱」だった)+ドラマチックなライティング、オーディエンスを巻きこむ洪水のような勢いに満ちていて、メイン・ステージのフィナーレを一足早く体験したような気分になった。

実は今まで、このバンドのライヴを観て心底感動したことはなかった。上手すぎ&誠実すぎて隙がないのはもちろん、マット・バーリンガーのムーディな低音ヴォーカルが、シリアス&ミゼラブル&ぺシミスティック~時に自己耽溺にすら響くのが、どうも自分にとってはハードルだった・・・つい、不謹慎にも「元気出せよ~、世の中そんなに悪くないから」と言いたくなっちゃうんですよね。苦労人バンドだから、まあ分かるんだけど。しかし、この晩の彼らはそうした成熟ぶり/老成気味なところは演奏に反映させつつ、ロックのダイナミズムやドラマ、シニカルな人間だったら身震いするかもしれない「生の肯定」=情熱をてらいなく打ち出す強さと説得力とを身に付けていた。
そのマインドの変化というのは、ある種のロック・バンドがいつかはくぐらなければならないステップ・アップの関門のひとつではないか、と自分は思っている。しかし、「Boxer」からじっくりと歩を進め、無理なく開花してみせたザ・ナショナルの今は、取って付けたような促成型の飛躍とそれに伴ううそ臭さとは異なる、重みと実質に満ちていた。そういうバンドの成長曲線あるいはあり方が、今後どんどん減っていくであろうことを考えると、この時点の彼らを観れたのは、ラッキーだったなと思う。たとえバンドが変化しても、シーンが変化しても、こういうライヴ体験は一生残るものだから。

と、柄にもなく感動しながら、ストロークスに控えるべくメイン・ステージに向かう・・・が、そのプレシャスな感動をすっかり踏みにじってくれたのがDuran Duranだった。ザ・ナショナルの演奏中にも、風に乗って左から流れてくる彼らの爆音が耳障りで不快だったから、というのもあったかもしれない。それはデュラン・デュランの罪ではないのだが、今までコーチェラで観てきた色んなライヴの中でも、このショウほど退屈、かつ場違いな内容はなかったかもしれない。
懐かしいベテランの再結成、あるいは再始動は昨今のフェスの定番メニューのひとつだし、それ自体は否定しない。デュラン・デュランのようにヒット曲が多いバンドは、いわば80Sディスコのようなもの、無責任なお祭り気分にはもってこいとも言える。でもねえ・・・ほんと、コテコテに芸能界でショウビズでボーイ・バンドで、ラス・ヴェガスのディナー・ショウの方が似合うのでは?とついつい感じてしまった。

メイン・ステージ圏内に入った頃には、ちょうど「Rio」。赤いカーテンをバックに大所帯の編成で、バリバリにフィーチャーされたサックスが、曲にゴージャス感を添えている。メンバーのルックスはさすがに大写しだと厳しいが、もともとアイドル顔ではなかったサイモン・ル・ボンが、逆に一番過去とのギャップが少なく、観ていてもきつくないのは皮肉かもしれない。で、そのル・ボンが張り切りすぎなのが、自分にとってはなんとも厳しかった。最新作で、プロデューサーのマーク・ロンソンが彼を焚きつけ、あのヴィンテージな「ル・ボン歌い」を奨励したと言われているが、それが妙な自信に繋がってしまったのかしら??マーク、お前の責任は重い。
ともあれ、お客の反応は悪くない。もっと前から観ていた知人によれば、「Notorious」「Hungry Like A Wolf」などもプレイしていたそうだから、その「お客を喜ばせるのが最優先」な割り切りは正解。しかし、続いて「ジョン・バリーに捧げます」のMCから始まった007編の演出は、ダサすぎてひっくり返りそうだった。そこから「View To A Kill」に繋げる展開であろうことは瞬時に分かったし(ミエミエすぎや)、「007のテーマ」をストリングス付きで披露、メドレーされた「ダイヤモンドは永遠に」の、ロック・カラオケみたいな解釈もスーパーかっこ悪い。同郷のレジェンドへのオマージュというアイデアそのものは悪くないけど、結局イギリスって、アメリカで広く認知されるには「007の国」程度の認識を持ってこないといけないのかな~と思うと、なんか虚しい。ジョン・バリー様も、天国で耳を塞いでるんじゃないだろうか。そんなところへ、ル・ボンが衣装替えを終えて再登場。お約束の白タキシード姿で、(もちろん)「View~」を歌い上げてくれた。お前がブライアン・フェリーを気取っても意味がない!とドヤしたくなる。

もう、アーケイディアでもなんでもやってくれや・・・となかば呆れていたのだが、とどめは「Girls On Film」。「ステージに向けて笑顔を!ニック・ローズが君達の写真を撮るよ~」の前MCでこれまたすぐバレたのだが(ニックのポーズに合わせてシャッター音が響き、イントロ開始という展開)、その演出の分かりやすさとベタさにはブヒーッと爆笑するしかなかったし、合間にガガの「Pokerface」を一瞬挿入する、見事に「2年前」なセンスにも憤死。まあ、お父さんバンドだから、それくらいのスピード感でいいのかもしれませんけども。終演予定時刻ジャストで終わったのも、実にプロっぽかった。
もうちょっと「バンド」なライヴをやるのかと思ってたんだけど、完全にエンターテインメントだった・・・と後で同行知人に話したところ、「っていうか坂本さん、何期待してたんすか~?」と笑われてしまった。ハハ、おっしゃるとおり。昔からアイドル・グループにはまったくと言っていいほど興味がなく、コンサートに行ったこともない。ので、この手のライヴをエンジョイするコツやツボが、自分にはまったく欠けているのだろう。免疫ゼロっす。でも、この晩のデュラン・デュランの手堅くスリルの「ス」の字もない掌中に乗るよりは、カニエやビヨンセ、ガガのような鬼プロの仕事の方が、自分は観たい。

さてさて、お待っとさん!なThe Strokesです。5人のオン・ステージ姿を観るのは5年ぶりで、緊張は否めない。とにかく、滑らないでくれ!という感じで、心配なのである。しかし、やはりこのバンドはどこかしら滑ってしまうところが、自分にとっては魅力でもあるのだな~と感じるライヴだった。いや、演奏そのものは、長期のギャップをまったく感じさせない、タイトなものでしたけどね。
「ひさびさ」は、もちろん多くの観衆にとっても同様。ちょっとしたカムバックといっていい状況だけあって(中には「ストロークス観るの初めて!」な若いファンもいただろう)、10分押しだけでも「早く~~」「まだか~」な雰囲気とじれったい空気がみなぎる。即時の欲望解消が当然な昨今だけに、遅刻に対するマイナス・イメージは高いかも・・・?ステージ両サイドに<<<>>>と矢印マークを模したプロップ、その中央にはスクリーン。彼らにしては、かなりドレス・アップしたステージ・デザインだ。
「We Will Rock You」を思わせるドンドン・パ!なビート(笑:あれ、ジョークだと思う)を入りの音楽に、お客の手拍子もシャンシャンと始まったところでバンド登場。写真もずいぶん見てたけど、アルバートの髪の減少度は切ない。ジュリアンはトラッカー帽にレイバンでガード固い感じだし、ファブもオールバックで真面目度アップ。ニコライとニックは変わってないっす。というか、ニックはますますキース・リチャーズ度が増したか。

無言のまま、「I Can’t Win」からキック・オフ。「行間を深読みしすぎじゃね?」と笑われても構わないので書くと、この曲、あるいは「What Ever Happened」で始まるんじゃないかと、なんとなく思ってはいた。「What~」のイントロは「俺は忘れられたい/思い出させてほしくもない」であり、「I Can’t~」には「がんばったな でも気に入らない/努力は認める でもこれはお断りだ/そう言われて俺に勝ち目はないよ」というコーラスがある。フェスの大舞台にお膳立てされた復活コンサート――多くのバンドが、この待遇を羨むことだろう――にも関わらず、ファースト・ショットはむしろ肩透かしのカーブであり、さりげなさでガス抜きしよう、な雰囲気だったことになる。
普通の感覚で言えば、たとえフリであっても「やあみんな、俺達帰ってきたぜ~!イェーイ」的に盛り上げるだろう。そうやってバブルを膨らませないところが、なんとも彼ららしいと思った。もちろん、そうやって機に乗じて大きな何かを生み出す、周囲の期待にばっつり応えるバンドの姿に、カタルシスを感じるのもありだ。しかし、自分にはそれと同じくらい、ストロークスの頑固さというか、器用に立ち回らない「ダメ」な正直さが嬉しかった。かつ、「I Can’t~」のラストには「I’ll be right back」のフレーズがある。完全な撤退ではなく、リターン・マッチへの意志もちゃんと残っているのだ。

バンドのコンディションは良く、しょっぱなからあの、正確無比で胸のすくように美しいサウンド・デザインが現出する。この爽快感と覚醒のフィーリングは、他のどのバンドからも、自分は感じない。ジュリアンのヴォーカルだけ出切っていなかったが、続く「Hard To Explain」で解消。この曲・・・というか、今年10周年(!)なファースト曲(この晩の計16曲のセット中、実に6曲。セカンド3、サード2、最新作5の割合)に対するリアクションはいちいちすさまじく(文字通り「歓喜」)、何度も合唱大会に突入していった。そこからの「Under Cover Of Darkness」は、イントロのツイン・ギターのしなりだけで即死モノのかっこよさ&文句なしにクラシックなストロークス・ポップに悶絶――したが、ファーストと最新作曲を交互に(律儀に?)編みこんだ内容のセット前半は、慎重だな~という印象も受けた。それくらい、反応に露骨な差があったのだ。
個人的には、「Angles」の奇妙な美とひねくれにあふれた世界をもうちょっと聴きたかった(アルバムのキモになる曲はすべてプレイしてくれたのでOKだったが、時間が許せば、「Machu Pichu」、「Call Me Back」、「Metabolism」も聴きたかった・・・)。しかし、それは単独公演を待つべきなのだろう。グレー・ゾーン層も多く含まれるフェスの場というリアリティの前では、いくら本人達が新曲をプレイしたくても(新曲をプレイする時は、やはりバンドも楽しそうだった)、フィールドをリフトアップさせるという意味で、どこかしら妥協せざるを得ない。その意味で、このセットの慎重さは、ややぶっきらぼうな今夜の表層にも関わらず、このバンドがいまだ模索中で迷っていて、我々リスナーからのフィードバックを欲しているのを感じさせた。それは、自己満足気味な「君達が待っていたのは、これだろ?」な自信に満ちたセットより、ずっとマシである。

ファースト曲は、ヴィンテージな味を踏まえた上で、ヴォーカルのアドリブやキー・チェンジ、ギター・フレーズのちょっとした差異など、彼らが「許した」範囲のヴァリエーションが麗しい。言うまでもないが、「Is This It」は「完璧なデビュー・アルバム」の1枚であり、当時のライヴの曲順をそのままなぞったごときシークエンスも含め、バンドにとっても聴き手にとっても、ある意味不可侵。そこをいじれる、唯一の存在である彼ら自身が手を加えた今のサウンドは、ファーストのファンにはぜひ聴いて欲しい。「Modern Time」を始め、ニックのソロは、それこそ10年を凝縮する勢いだった。
そういえば、バンドに集中していてまったく気がつかなかったが、ステージ演出も色々やってましたよ・・・「Someday」で、背後のスクリーンにテレビ・ゲームなノリのイメージ=テトリス、パックマン他が浮かんだのは、かわいかった。と同時に、初日のKOLもそうだったけども、ストロークスもステージ・ヴィジュアルをもうちょっと頑張るべきかな?と。自分は音楽聴いて、バンド観てるだけだから、正直何も他に必要ないけど、他のお客さんをエンターテインする意味でも、もうちょっと派手&クレバーにしてもいいんじゃないの?と。どっちもそういうバンドじゃないのは分かるんだけど、時代に歩調を合わせて、彼らにジャストなヴィジュアルの冒険をしてください、スタッフの皆様。

最新作の楽曲では、「You’re So Right」と「Taken For A Fool」が抜群に良かった。この2曲はサードからのロジカルな成長としてもっとも分かりやすい曲であり、ライヴ映えするロック曲なので、お聴き逃しなく。後半は「Juicebox」で折り返し(これはあんまいいヴァージョンじゃなかった・・・空間が欠けてました)、ストロークス版「A Change is Gonna Come」とでもいうべき「Under Control」のスウィート&リラックスしたヴァイブをクッションに、パブ・ロックのいなたい味とコーラスも素敵だった「Gratisfaction」。そこからはハードに「Reptilia」を叩きつけ、ひときわ受けの良かった「Last Nite」、そして「Take It Or Leave It」の定番フィナーレ。既に終演予定時刻を若干オーバーしていたからだろう、挨拶らしい挨拶の言葉もなく、そそくさとバンドが退出した。

言葉と言えば、ジュリアンのMCが不発弾の連発でケッサクだった。「この週末、みんな死ぬほどたくさん音楽聴いたよな?」「楽しんでる奴、誰かいる?」「デュラン・デュランはどうだった?(なんでも「イェーイ!」で元気に応える大観衆に苦笑して)・・・皮肉が通じないみたいだな・・・もういいや、とにかくレッツゴー!」「(次の曲の開始前にややもたつくバンドに対し)早くやろうぜ、俺は準備ばっちりだ」「リード・シンガーがしゃべります!」「カリフォルニアはジョークが通じない」「っていうか、俺、意味のないことごちゃごちゃ話してるだけだよな~」――お客の迎え方は実にあたたかく、それに対するテレ隠しもあったのかもしれないが、こちらの印象としては、誰に向かって話しているのか自分自身よく分かってないけど、緊張もあってとにかくモノローグを口走ってる・・・というもの。お客の大半はポカンとしていて、自爆しまくりである。
この人は取材の時もこんな調子なので、「ジュリアン、相変わらず『仮面』が被れないなぁ」と微笑ましくもあった。ひとりひとりの顔が見えない、ある種漠然とした「パブリック」な相手(たとえば、ライヴ客であったり、雑誌の読者)に向けて話すのが、基本的に苦手なのだと思う。それにまあ、ジュリアンは去年のコーチェラにもソロとして出たんだけど、あれだけ素晴らしいソロ・アルバム――最高です――も、「ストロークス」の看板の前に歯が立たなかったことに、ある種のシニシズムというか、フラストレーションが甦ってきたのかもしれない。また、ステージ向かって左サイド:ニック&ニコライと、ライヴ中にほとんど接触/アイ・コンタクトがなかった(アルバートとの絡みはありましたが)のを考えると、やっぱり何かしらバンド内にぎこちない空気があって、そこからくるストレスを軽減する・・・という色んな意味も含めての、あの「不思議ちゃんMC」だったのかなぁ?とも感じた。ああ、複雑な人。

悪いことに、イギリスに戻ったら「SPIN」2011年4月号のカヴァー・ストーリー以上に「マジ?大丈夫かこの人達(汗)」と感じるくらい、バンド内の不和を伝える内容のインタヴューが、「Q」2011年6月号に掲載された。それを読んでますます不安にもなったのだが、逆に言えば、こうしてライヴ・サーキットに戻ってきたということは、問題は抱えつつ、でもそれを明らかにした上で先に進もうという覚悟が5人の中で固まったからではないか、と。プレイそのものに関しては問題ゼロなんで、あとはオーディエンスからの愛情、そして何より自分達自身を信じて、シニカルになることなく、リハビリに励んでほしい。サマーソニックでも、どうかあたたかく迎えてあげてください。

ストロークスは最後まで観つつ・・・しかし、自分にとっての今夜のもうひとつのポイントである、PJ Harvey の登場を迎えたアウトドア・シアターへ、ちょっとずつ、ちょっとずつ後ろ歩き。ああ、聞こえてきました・・・最新作から、「Let England Shake」。砂漠の夜闇を切り裂く、鳥の声です!ストロークスのラスト15分で始まるはずだったので、少し押したらしい。オレってラッキー。彼女にとって、実は今夜はコーチェラ・デビューだったりする。デザート・セッションズ、そして「Uh Huh Her」のレコーディングでこのエリアに来たことはあるとはいえ、ちょっと意外ですな。

アルバム向けのイメージ・ショットでは黒いカラスを思わせるドレス姿だったが、この晩の彼女は白いヴィクトリア朝時代風のロング・ドレスをまとい、髪にも羽根をあしらった姿は、フランケンシュタインの花嫁のリアレンジといったところ?とはいえ、夜風にそよぐドレスのバックは短くカットされていて、ニー・ロングの黒ブーツをはいているのがちょっと見えるのがかすかにセクシー。向かって左手にミック・ハーヴィ(白髪が増えましたね)、奥にジャン=マルク・バッティ、そして右にジョン・パリッシュの陣営だ。

次の曲に移る前に、中継モニターのスクリーンに「PJ Harvey Is The Headline Act(彼女こそヘッドライナー)」と書かれた紙を胸元に掲げたファンの姿が大映しされ、「わが意を得たり」とどっと沸く観衆。PJがオートハープを抱えたまま優雅にスウィングし始め、「The Words That Maketh Murder」。ノリのいいビートに人々も揺れ、「Summertime Blues」のフレーズをハミングする者も。このバンドの演奏の無駄のなさ、息の合い方はさりげないながらも絶品で、まさに彼女の手足を思わせる自在さ。本当に、数少ないバンマス型の女性アーティストである。かっこいい~。
続く「C’mon Billy」のイントロに歓声が上がり、にこやかに微笑むPJ。この晩の彼女はほとんどMCなしだったが、モナ・リザを思わせるミステリアスなその微笑は、慈悲とも、悲しみとも、あるいは喜びともとれる、不思議な求心力を放っていた。アレンジは完全に現バンドのアコースティック~フォーク調に翻案し直されていて、軽やかさが美しい。
進軍トランペットのマーチに乗り、「The Glorious Land」。コーラスのテクスチャーは、生でも最高である。「The Last Living Rose」の滔々とした、しかしやがて深く胸に突き刺さる歌声。そこから(これまた受けのよかった)「Down By The Water」ではPJがしなやかに踊り始め、キーボード重めのエレクトリックなアレンジとエレキで、モダンなブルース・ロックを堪能させてくれる。
この晩もっとも楽しみだった「Written On The Forehead」は、さざなみのように寄せるグルーヴから、エクスタティックな高揚へ。既にライヴ向けにドラム・アレンジを変えているのもさすがだし、彼女のナチュラルな声域より高いキーにも関わらず、ヴォーカリゼイションは完璧。「Blood&Fire」のサンプリングと共に、いくつもの霊達の声が空に向かって羽ばたいていくようで、断然のハイライトだった。

そのおごそかな雰囲気を蹴破り、ガレージ・ロックンロールが牙を剥き、高/低自在なバンシーめいた歌声で魅了した「Sky Lit Up」、一転シンプルな弾き語りで聴かせた「Angelene」と「Is This Desire?」曲が続いた後、「Bitter Branches」はレコードよりも躍動感と迫力に満ちた演奏でいい出来だった。ステージ袖にはかなりの数のミュージシャンがいたが、キルズのふたりが倒さんばかりの勢いでフライト・ケースにしがみつき(笑)、かぶりつきで観ていたのが、かなりおかしかった。憧れなんだろうねえ。
ここから再びおごそかな「Battleship Hill」、オルタナ・ロックな原曲のアレンジをすっかり変えて新鮮なヴァージョンの「Big Exit」、そしてメタル並みにエレキをばりばり弾きまくってダーティ&ゴシックな味にうならされた「Meet Ze Monsta」・・・と抜群な展開で、メンバーと共にお辞儀するフィナーレに喝采が注がれた――んだけど、カニエ開演が迫るにつれ観客が流れ始め、最後には4割近くがメイン・ステージに消えるという、信じがたい展開に。常に高水準の作品をリリースしてきた彼女だが、最新作「Let England~」は中でも屈指の1枚――というか、今年上半期のベスト・アルバムだと思う。そんなタイミングで彼女のパフォーマンスを観れるのは、音楽好きにとっては恩恵だと思うんだが?

とまあ、「余計なお世話」に他ならない感慨を抱きつつ、撤収の始まったアウトドア・シアターを後にして、早くも花火の上がっているカニエ・ステージに向かって歩き出したところ、背の高い若者(=見ず知らず)が近づいてきた。半裸のサーファー・ヒッピー系で、なにやら言いたそうである。タイムテーブルが知りたいのか?それともタバコをせがむ手合いか?と様子を伺っていると、「あのー、君に頼みがあるんだけど」。はあ、なんでしょうか?「・・・・・・(かなりためらっている)」。??「妙に思われるだろうけど・・・・・・・・・君にオシッコしてもいい?」――聞き違いとしか思えなかったが、聞き返すとやはり、オシッコをかけたいそう。冗談じゃないっす!&もちろんお断りなので拒絶し逃げ去ったが、別にしつこく食い下がることもなく、「そうか、ダメか・・・」と、どこか悲しそうで途方に暮れた表情だったのが、ちょっとおかしかった。
この手のフェスでよくある、飲み友達とのジョークな賭け(例:「フィールドを全裸で走ったら50ドルやる」「一気飲み競争」とかね)の類いかとも思ったけど、仰天するこっちを見て笑い出すわけでもない。立ち居振る舞いや喋り方も明らかに普通じゃなかったし、恐らく、クスリのやりすぎか何かで錯乱しちゃった人だろう・・・と片付け、笑い飛ばすことにする。赤の他人の東洋人にあんなことをお願いするくらいだから(まあ、見ず知らずの相手だからこそ恥を感じることなくトライできる、ってのもあるでしょうが)、相当イっちゃってたんでしょう。にしても、男性の秘めた欲望やファンタジーって、こちらの想像を超えるものがある。女とはまったく違う生物と承知してるつもりだけど、この歳になって、まだまだ知らないことがあるもんだ・・・っていうか、あんまり知りたくないかも。知らぬが仏でいい。

しかし、欲望とファンタジー(そしてエゴ)と言えば、この人の右に出る者はいません!な大トリ=Kanye West 。「とりあえず、観ておかないと」という物件だけに、いやー、ものすごい集客だわ。昨晩のアーケードもすごかったけど、単純にギャラリーの数という意味では、この人が今年のコーチェラのチャンピオンでしょう。話題騒然の登場シーンは完全に見損ねたけど、自分がフィールドに入った時点ではまだ「Power」を熱演中。オーディエンスの遥か上空にそびえる、足場が7色に光る特注仕様のゴージャスなクレーン(見てるだけでめまいがしそう・・・)に仁王立ちという型破りな光景は、さすがのエンターテイナーぶり。マイクを差し伸べて合唱をあおり、ポーズをびしっと決める姿は、遠目には、例のマイケル・ジャクソンの銅像を思わせるアイコニックさだ。
ヒップホップやR&Bの大スター、すなわち「超メインストリームなポップ」がロック系フェスのヘッドラインを務めるようになったのはここ数年の話だけど、彼らの芸人根性と娯楽性の高さは、確実にフェスに新たな血を注入していると思う。それを「ソールド・アウトした」と批判する人もいて、そのピューリタンな気持ちも分かるとはいえ、いまどきのフェスで商業性がゼロのものなんてそもそも少ないわけで、そこまでかしこばることもないんじゃないか?と感じる。それにまあ、ビヨンセやカニエみたいなビッグ・スターを、フェスのついでに観れるのは単純にお得だと思いますし。

上空にばかり気をとられていたが、ステージも後方に階段が設置されたレヴュー・ショウ風で、そこから肌色のストッキングみたいなボディスーツに身を包んだ女性ダンサー(遠目には裸に見えます)集団がこぼれだし、白いフロアの上でカニエを囲み、山海塾めいたダンスを繰り広げる。ガガへの対抗意識なのか?ともあれ、正直、かなり不気味。そこから名曲「Jesus Walk」という展開で、オーディエンスも大喜びし、「Yo! Yo!」と腕を突き上げての反応だ。しかし、このステージ、なんかヘンだな・・・との違和感の原因は、要はカニエ以外に舞台に誰もいないからだった。
ダンサー達は「人」ではなく演出装置=肉体/ムーヴメントに過ぎないし、バンドのメンバーはすべて舞台両脇に押しやられ、ゲストで歌ったジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)も、たま~にスクリーンに映されるものの、これまた袖に立たされている。場所柄飛び入りゲストも多いコーチェラながら、結局スポット・ライトを奪うようなアクトは登場しなかったというし、聞きしに勝る「オレっぷり」というか、強大なエゴ&プライド&自負心・・・ダメだ、この人の半径5メートル以内に立ったら、それだけで疲れそう。シャイニーな白板で覆われたステージで、マイク片手にただひとり、数万の視線を浴びながらラップし、うめき、シャウトし、全身で歌い踊る姿は、フィギュア・スケートのソロ選手のナルシスティックなパフォーマンスが一番近い?と感じた。
もっとも、この晩のステージは3幕から成る一種のドラマ仕立てな内容で、本人にとっても非常にエモーショナルな内容だったというし、カニエのプリマ・ドンナ性が強調されていたのは、それもあったのだろう。続く「Can’t Tell Me Nothing」では背景スクリーンが一転、デューラーの銅版画(!)を思わせる神話系な絵画が映り、雰囲気はいかめしく重いものになっていった。彼のいき過ぎたエゴ、そこからの転落、そして贖罪/救済をテーマにしたストーリーらしく、批評家によってはギリシャ悲劇になぞらえる者もいたくらい。その壮大なイマジネーション~オレ語りぶりは確かに図抜けていて、好き・嫌いは完全に別としても、ある種のフリーク・ショウとして、一見の価値は確かにあった。

最後まで見ていると脱出渋滞に巻き込まれるので、まだガンガン進行中~花火も上がっているステージを後にし、知人と合流、11時半にはサイトから出発。途中で道路工事の迂回路にハマって迷ったため時間をロスしたものの、無事にLA市内に。途中で深夜のマルホランド・ドライヴのスプーキーな光景を見れたのは、ちょっとだけ嬉しかったっす。3時には目指すホテルに到着し、ともかくお疲れさま!の乾杯(飲んでばっかと笑われそうだが、アメリカのエアラインはアルコール有料なので、ここで飲みだめしておくに限る)。知人が撮影したコーチェラ画像を早速テレビで鑑賞しながら、フライトのチェックイン時刻まで、結局完徹。ふたりとも疲れていたが、いいライヴをたくさん観れた興奮&感動は残っていて、「来年はどうします?」という話題まで、早くも出てきた。
ちなみに、来年のコーチェラは2週末連続開催。今年のチケットの完売ぶり・人気の高さを鑑みて、しかし会場サイズをこれ以上拡張することはできないので、じゃあ2回やりましょう、ということらしい。開催地を変えての入れ子フェスってのはあるけど、初耳である&豪快だなあ~。にしても、2回とも顔ぶれはまったく同じなのだろうか?フェスとフェスの間の7日間、出演アーティストは何をして過ごすのだろう?LAとその周辺でライヴやるのかな。興味津々なんで、誰がヘッドラインか想像しつつ(コールドプレイあたりでしょうか?)、またなんとなく、春に向けて心の下準備が始まったのでした。

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Mariko Sakamoto について

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