Weary of Rock T:1――ロックT無常

いつもポストが長たらしいので、気楽に書けるテーマとしてロックTを取り上げてみようと思う。要はマイ・ロックTコレクションの紹介なのだが(同趣旨のウェブサイトももうたくさん存在することでしょう)、「コレクション」と呼べるほどヴィンテージでご大層なブツ、たとえば「ベロ出しストーンズの70年代真正ツアーT」「ヴィヴィアン・ウェストウッドのオリジナル・パンクT」とかを所持しているわけでもなんでもない。むしろ、音楽を聴き、ライヴに行き続けてきた結果、なんとな~くたまってしまった有象無象のTシャツに別れを告げるための、これはボンファイアとでも言いましょうか。

別れを告げるっていうのは、やや物々しい表現かもしれない。しかし、ぶっちゃけロックTって、案外着ない=無用の長物だったりしませんか?

ライヴの後の歓喜/興奮に駆られてとか、記念&思い出に・・・といった調子で、ロックTは結構勢いで買ってしまう。腰が引けるほどショッキングな価格のアイテムではないし、モダン・カジュアル・ファッションの2大巨頭が①ジーンズそして②Tシャツであるのを考えれば、日本のフェスでTシャツ&マーチャン売り場に常に長い行列ができる点を指摘するまでもなく、集団的な衝動買いを促しやすいアイテムなのは間違いない。
ベーシックで性別年齢を問わないTシャツの平等なスタイルは、バンド・ロゴなりジャケットのアート・ワークなり、信号やメッセージを投影するキャンバス=ミニ・メディアという側面もある。袖を通すだけで主張/趣向なり、着ている人間の属性やキャラをアピールできる、手軽な自己主張アイテムなわけです。そもそもTシャツとジーンズ(そして長髪)は、かつての若者にとってのアンチ・エスタブリッシュの象徴でもあったしね。

何事も「楽ちん」がポイントな人間なので、ボタンを留めずに済むTシャツは、音楽モノに限らず山ほど持っている。しかし、カジュアル・ウェアが基本的に苦手なファッショナブルな友人に言わせれば、筆者のロックT消費行動は「単なる無駄遣いでしょ」。確かに、冷静にその指摘を考えれば、買ったはいいものの、まず滅多に着ない/着ていない。相当数が、箪笥の肥やしか寝巻になっている。それはまあ、いい年ぶっこいてバンドTを着て歩くのもいかがなものか・・・という、いつもは都合よく目をつぶっているものの、否定しようのない自明の事実(これに該当する英語表現が「Elephant In The Room」。アラン・クラークの傑作「Elephant」を参照)が、無意識の自主規制をかけている、というのもあるだろう。
また、自分のもともとの性向に深く存在しいている、カテゴライズ回避の思い――平たく言えば天邪鬼ってことですが――が、バンド/ロックT着用の妨げになってもいると思う。昔から、いわゆる「ブランドもの」は超苦手で、たとえば「ラルフ・ローレン」「ルイ・ヴィトン」「シャネル」「ロレックス」といった具合に、一目でそれと分かるデザイン、あるいはブランド・ロゴをでかでかフィーチャーした衣類だのアクセサリーを身に着けたことは、いまだかつて一度もない。着た瞬間にレッテルを貼られ、そのブランドの広告塔になっちゃうなんて、恥ずかしいことこの上ない。その恥ずかしさを逆手にとってひねり、アイロニカル/ユーモラスなおしゃれに仕立てられる高度な達人もいる。とはいえ、(自分も含む)世の人間の9割は、まあ「ブランドに着られてる」って状態じゃないだろうか。

そんなにうだうだ考え込まず、素直に着りゃあいい話でもある。コンサートやフェスでロックTやバンドT、フェスTを着ているファンは多いし、それはすなわち、そのバンドなりフェスの支持表明。「ピクシーズが好き」「ピンク・フロイドのマニアです」「レディング・フェスに90年代から来てます」といった具合に、好きで献身しているならためらうことはないわけで。実際、ロックTウォッチは好きだし、着ているファンを見ると「ほほえましい」と感じても、ネガティヴな感慨はまったく浮かばない。
しかし、他人がやってるのは問題なくても、自分でそれをやる踏ん切りがなかなかつかない。そのくせ、ツアー・マーチャンを買って少しでもバンドなりアーティストに直接貢献したい(日本はどういうシステムか知らないけど、イギリスの小さいギグではTシャツやCDの売り上げはアーティストの懐にダイレクトで入る、貴重な現金収入源でもある)・・・という思いが働き、結局は買っても着ることのない衣類がたまる結果になっている。
それに、処分しにくいんですよね~。着ない割りに、好きなバンドのロゴが入っている、あるいはライヴやアルバムの思い出が甦るといった具合に、それぞれになんらかの愛着や物語が伴うので、思い切りにくいわけですよ。

しかし、何かとモノが多い生活――ロックTひとつでこんなにあーだこーだ言ってるくらいなので、それ以外にも有象無象の色んなモノ(レコード&CDを筆頭に、書籍/雑誌、衣類、文房具、香水他)をためこんでいるのは言うまでもありません――をそろそろ脱出する時期が来たかなと、ここ最近、自然に感じるようになってきた。加算よりも除算に潮流が変わった、人生の秋=年齢的な達観のせいもあると思う。
ともあれ、何かに対する執着というのは、ちょっとした中毒に近いので、本人が「もうや~めた!」と思い立たない限り、終わることがない。なので、このタイミングを逸することなく、ブログに残す形で、ロックT達に別れを告げよう・・・と考えているわけです。もちろん実際に燃やして処分するわけではないし(どれも充分着れるので、チャリティ・ショップにでも寄付しますかな~)、愛用していて残しておくTシャツも一部あるけど、心の中でボンファイアを焚いて野辺送りするってところでしょうか。

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というわけで(結局長くなってますね、すんません)、第一弾はRTXことロイヤル・トラックスのライヴで買ったTシャツ(2008年)。選んだのに深い理由や根拠はなく、割と最近購入したので引っ張り出しやすかった&持ってるTシャツの中でも一番「ロックっぽい」ので、トップ・バッターにいいかな~と。イメージはアルバム「Transmaniacon」のジャケットで、4年前のアルバムのマーチャンをダラダラと売ってるやる気のない感じが、ジェニファー・ヘレマっぽくてルーズでいいっす。

このライヴそのものは、以前レヴューしたのでここで再びグダグダ書くのは避ける。代わりにと言っちゃなんですが、アラン・マッギーがこのライヴ期のジェニファーについて触れた文章があるので、そちらをリンクします。ともあれ、ロックンロールの髄を体現していたロイヤル・トラックス時代――ニール・ハガティがキースで、ジェニファーがアニタだったわけです――に較べ、RTXはハード・ロック色が強い。故にTシャツもこのバッドアスな柄、しかも生の音は容赦なくメタルだった。
お客の多くは「ロイヤル・トラックスのジェニファー」を観ようとやってきた90年代からのオールド・ファン、そして「ヘロイン・シックの権化」に憧れるファッション・ピーポーも混じっていたと思うが、ごっつく分厚いギター・サウンド、バッド・カンパニーやマウンテン、レイナード・スキナードあたりを思わせるベタ&ラフ&タフ&トラッシーなメンバーの「アウト」なルックスに、フロアは引き気味。その光景を眺めていて、東ロンドンの軽佻浮薄なヒップスター達が、アライグマの尻尾やターコイズ・バングル、革リスト・バンド、パッチ付きジーンズ、ヘビ革ブーツを真似る日は遠いだろうと感じて、嬉しかった(それでも彼女のワン&オンリーでハードコアなルックスにトライしたい!という勇気のある方は、本人がデザインしたジーンズのラインをどーぞ)。

ぶっちゃけ、音楽的に言えば、ニール・ハガティと一緒だった頃の方が断然好みではある。90年代のベスト・バンドのひとつだったしね、ロイヤル・トラックスは・・・聞いたことがない方は、「Twin Infinitive」、「Cats and Dogs」、「Accelerator」あたりをお薦め。
とはいえ、あの晩のパフォーマンスはカオティックだったし、ジェニファーは歌の上手いシンガーではない。ただ、音楽的な天才のパートナーと袂を分かっても、こうしてマイ・ウェイを突き進み、アートを作り続けていくブルータルな強さ、そしてニートにパッケージし切れないヤバさ/野生動物を思わせる気ままさを貫いているところが、ジェニファーを好きな理由でもある。何より、女性パフォーマーにしては珍しく、たとえばジェフリー・リー・ピアースとかジュリアン・カサブランカスにも通じる、男っぽいSwaggerが自然に滲んでいるのが最高である。

自分の中で、他の人間に対する最上級の賛辞にあたる形容は、「美女」でも「かわいい」でも「イケメン」でも「クール」「かっこいい」でもなく、「DUDE/DUDETTE」である。それって何?と問われると明快に説明しにくいので、いくつか例をあげてみましょうか:ローリング・ストーンズ=(自分にとっての)DUDEはキースとチャーリーで、ミックはDUDEではない。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ=フリーとジョンはDUDEで、アンソニーはDUDEではない。
うーん、余計に分かりにくいか・・・?ともあれ、存在そのものが意図しない美(>顔かたちが美しいってのとは別です&「意図しない」がポイント)を備えていて、フリー・スピリットで、芯にタフネスがあり、生き方や感性に独特なヴィジョンの筋が通ってる人、と言うところかな。天才、あるいはエキセントリックな人と言い換えることも可能だろうし、イコール、自分自身の真逆の存在である。ゆえに、「素敵」とか「かわいい」「きれい」、要するに鑑賞用=Eye Candyの地上的なレベルに留まらず、存在そのものをリスペクトし、ことほぎ、愛でたい対象とも言える。その意味で、ジェニファーは間違いなく自分にとってのDUDETTEのひとりである。

というわけで、マイ・アイドルを久々に生で観れた喜びもあり、このTシャツをいさんで買った・・・はいいが、やはり着にくい(笑)。しゃれこうべの殺伐は、ロック会場の薄暗がりで見た時はまったく抵抗がなかったものの、近所のスーパーで野菜だのなんだの買っている、我に帰った白昼の日常生活においては、着ていく場所が見当たりません。開き直って着てみても、知人達に「なにごと?」と怪訝に思われるのが関の山だろうし、たとえジェニファーの威光に少々あやかってはみても、自分の基本的におちゃらけたキャラにはどうにもロックはマッチしないのである。トホホ・・・。
しかもこのTシャツ、昨今の気の利いたインディ・ロックTとは異なり、とことんアメリカンなメーカーの大雑把で無骨なデザイン。ほんときついんですよねー、あれ。首周りと袖が、これは首のがっしりした男性には似合うだろうなぁと思うけど、上半身が全体的に薄っぺらく寒い自分の日本人女性体型には、どうにも合わない。襟と袖はかなり重要なポイントなんですけど、だからって欧米人の体型にはなれないし(&なりたくもない)。
ので、ライヴに行ってTシャツを買って、それがたとえばフルーツ・オブ・ザ・ルーム産だったりすると、写真のように、家に帰った瞬間、親の仇かのごとく真っ先に襟ぐりをハサミでジョキジョキしてしまう。袖が肩から16センチくらいだったりして中途半端に長いと、袖だって躊躇なくカットする。それでも、嗚呼悲しいかな、(恐らく)ロックT製造業というのは伝統的に男性着用イメージが基本モデルなのだろう、女が着るとプリントの位置がどうにも微妙。たかが数センチの話ながら、胸の凹凸が邪魔になり、メインの図柄がすっきりしたポイントに留まってくれないのですね。

もっとも、Tシャツも進化していて、今時は女性用サイズはもちろん、デザインも充実している。地に使われる柄(霜降りグレーのTシャツなんて、ほんと最近ですよ?)や原色以外の微妙なカラーリング、襟ぐりや袖のレングスだけではなく、着てみていい感じにストンとした状態(女Tと言えばピッチリ気味のシェイプした胸元強調デザインやソフトなシルエットが多いけど、それって女性の要望より男性の願望が優先反映されたものではないかと、よく感じる。本当にロック好きな女子は、悪いけども、コートニーの下着ドレスで装うよりも、男子と同じくらいカート・コヴァーンみたいな煤けたTシャツ&カーディガンを着たいのです)になるか否かまで試せて、かなりグー。
そう考えると、このRTXのマーチャンはいい加減で手抜きとも言えるわけだけど・・・アメリカン・アパレルだの、エコなオーガニック・コットンを使うフェアトレード・メーカーなんかとこじゃれたコンシャスなマーチャンを作るより、このオールド・スクールぶりの方が、遥かにこのユニットのスリージィでアンダーグラウンドでぶっとい音にふさわしいと思う。結局は、It’s Only Rock’n Roll T-Shirtsなのでね。

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Mariko Sakamoto について

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