Crystal Stilts@XOYO,20June/2011

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ブルックリンからやって来たニヒルなジャングリー・ロッカーことCrystal Stilts。今回は、2枚目のフル・アルバム「In Love With Oblivion」リリースに伴ってのロンドン公演です。それほどメディアでガンガン取り上げられている印象はないけれど、The Fresh&Onlysなんかと並び、素ん晴らしくセンスのいいエレメンタルなインディ・ロックを鳴らしていてご機嫌。しかも、バンド名といい楽曲タイトルといいアートワークといい外さない。そんな彼らは、ここんとこの溺愛の対象バンドのひとつである。そういえば、このバンドのファンを自認するディーン&ブリッタによるインタヴューをさっき見つけたので、どうぞ。

アメリカではSlumberlandから作品をリリースしているが、イギリスにおける彼らの発売元はFortuna Pop!。ゆえにこの晩も、肝心のスティルツの出番まで3バンドくらいジャングリーでトゥイーでC86な連中が対バンしたのだが、すみません、そちらは完全にスルーさせていただきました(でも、イーノやXTCを爆音で流してくれたFortuna Pop!勢によるライヴ間のDJはとても良かった&楽しかったです)。
11月にこのレーベルのバースデイ・ギグがロンドンであり、クリスタル・スティルツも出演するのだが、そのイベントの看板的にフィーチャーされてるのが、あのザ・プリミティヴスだったりするのもショエーッ!て感じだ。ええ、モリッシーに愛された、トレイシーちゃんが一時的にインディ男のアイドルだった、あのプリミティヴス再結成である。「All The Way Down」のBeat Versionは大好きですけども。

当時聴いていたのがネックになっているかもしれないけど、近年の「ネオアコ~ギター・ポップ再来バンド」の手合いは、よほど曲が良くないと、逆に耐え難かったりする。シーンが若干被っていたために一緒くたにされがちな気がするけど、もともと甘ったるくてファンシー、ガーリィでフレンズ、去勢気味にアセクシャルな面のあるトゥイーの世界観は、自分は得意ではない。ロータス・イーターズくらいバチコーンと別世界に突き抜けてれば話は別とはいえ、基本的にはダークでドライなひねりがある、ヴェルヴェッツやテレヴィジョン、パンク~ポスト・パンクの流れを汲む連中(ジョゼフK、モノクローム・セット、フェルト、パステルズ、ウェザー・プロフェッツ等々)が好み。しょせん、自分はバチあたりなロック好きなのである。
ポスト・パンクからエレ・ポップ、そしてニューロマへと表舞台が推移していく中、英アンダーグラウンドの一角を成したインディ・ギターのシンプルなアプローチというのは、個人的には、60年代のガレージ・ロック・ブームの「Back To Basics」エソスと共鳴していたのではないか?と思っている。実際、アメリカではSSTによるサイケデリアの再編成やペイズリー・アンダーグラウンドみたいなノスタルジックなシーンが生まれたし、オーストラリアでもギター・バンド回帰の流れがあった。イギリスにしても、ポスト・パンク~ゴス勢、そしてネオ・サイケの連中が懐古の種子を着々と蒔いていたわけで。

話が若干逸れましたが、要は、クリスタル・スティルツを交流関係(ちなみに、音作りの細かい処理にうならされる「In LoveWith~」のエンジニアリングを担当したのは、レディバグ・トランジスターのギャリー・オルソン。泣けますな)や対バン相手、所属レーベルといった周辺情報だけで「かわいい系」「トゥイーなポップ」とさっさとジャッジしないでくださいませ~、ということ。ほんと、抜群にイカした、かっこいい音のバンドなので。

とはいえ、ライヴそのものは、彼らを初めて観た時――この時はまだ、フランキー・ローズちゃんがドラムを叩いてました――に較べ、とっちらかった印象。バンドの演奏は良かったんだけど、イベントそのものの仕切りと進行が素人だったり、不可抗力の負のエネルギーが働き、結果的に冴えに欠けるショウになってしまったという。2、3ヶ月前から予約して心待ちにしていたライヴだったんで、こういう展開は残念である。

ロンドンのライヴ・シーンは相変わらず元気がいいとはいえ、それに伴いイベントやショウとしてのクオリティも向上しているか?と問われれば、必ずしもそうではない。この晩のように、トリのバンドの出演時刻が遅すぎて、終電を捕まえる都合上最後まで観れなかったとか、洒落にならない展開は最近増えている(昔のようにナイト・バスを乗り継いで帰る辛抱強さ&エネルギーがなくなった、という自分事情もありますが)。
会場側としては、できるだけ長くお客を留めておけばそのぶんバーで酒代が稼げるわけで、遅いスタートはウェルカムなのだろう。でも、不味い缶ビールや安ワインをプラスティック・カップに空ける程度の「バー」じゃ、上乗せされた酒代を払う気にもならない。その上、バーが常にゲロ混みで長く待たされたりすると、ライヴの気分は更に台無しである。これはアーティストそのものではなく、イベント・プロモーターや会場のセンスが大きくモノを言う話なので、近頃はよっぽど「ここでしか観れない」ライヴじゃない限り、会場そのものが苦手だと回避ORロンドン外の街で観ようとする傾向になってます。

別に、自分が注文の多い気難し屋な人間だとは思わない。要は、①出演バンドの雰囲気とレベルにふさわしいヴェニューで、②ファンとして気分よく音楽を楽しみたい――それだけのこと。しかし、明らかにゲスト客を入れすぎて息苦しい不快なライヴとか、無礼なセキュリティ・スタッフがいる、あるいはぼったくりのドリンク代だの、様々なツケを払わされ、妥協させられるのはお金を払って観に来たお客という舐めた展開には、我慢できない。というか、我慢すべきじゃないと思う。それでも、バンドやアーティストを観たいので、ファンはチケットを買わざるを得ないわけですけど(涙)。
もちろん、すべてがネガティヴではないですよ。送り手ではなく、オーディエンスとしての気持ちや視点をまだちゃんと保っているソウルのあるロンドンのプロモーター/会場として、All Tomorrow’s Parties、Upset The Rhythm、Café Otoを挙げておきます。

話を戻そう。自分が観た彼らのショウの中でも、今回は一番広め(って言ってもキャパは300マックスくらいでしょうが)の会場だったが、入りは8割程度。軽く踊るスペースもあるレベルだ。かつ、東ロンドンという場所柄、この会場に多く群がるヒップスター連中(=「そのライヴ行ったよ~」と自慢したいだけなんでしょうか、彼らは??酒飲んで友達と喋るばかりで、音楽聴くのは二の次のうざったい人達)も少なめで、スティルツの出番が遅かったのを除けば、そんなに悪くなかった。
しかしバンドのセットアップは傍目に見ていてもバタバタで、既に押している予定開演時刻に少しでも間に合わせるべく、躍起な感じだ。キーボード奏者君も演奏の合間に「この会場、ヘンだよね~?倉庫みたくない?」と戸惑い気味に洩らしていて、バンドと会場の相性はあまりよくなさそうである。はるばるアメリカから来たのに、かわいそう。
ともあれ、ステージも暗いままだし、いつ始まるのかいな?と怪訝に思っていたら、いつの間にか演奏は始まっていました。長回しのカメラが徐々に海辺にズームし、それと共に波の音が耳に流れ込んでくるような調子で、オルガンの薄いヴェールやギター・ノイズ、ミニマルなビートのかすかな重なりが少しずつ音量を上げていく。バンドの音楽面でのブレーン:JBタウンゼント(Voxギターを使ってるのもナイス!)はお客に背を向けて演奏にのめりこんでいるし、このアブストラクトなインスト・ジャム、なんと冒頭15分近くブンブンと続いたのだった。

非速攻で愛嬌がないアプローチに音をあげたかのごとく、さっさとタバコを吸いに外に出てしまうお客もいた。しかし、新作のスペイシーで銀粉きらめく、サイケデリックな音空間に聴き手を引き込むという意味で、このスロー・バーンな導入部は抜群だった。ヴェルヴェッツやジョイ・ディヴィジョンが好きなら、間違いなく痺れると思う。
続いてスクリーンにモノクロのイメージ映像が映写され始め、カリスマティックなシンガー:ブラッド・ハーゲット(若い頃のディラン、あるいは70年代のジョン・クーパー・クラークの生き写し)の姿も光と影の中にちらちら浮かび上がる。TEPIのノリがあって、うーん、これまた素敵です。
とはいえ、そういうVU好きの御託はいったん脇に置くと――このバンドの魅力は、フィードバックやシューゲイズ・ノイズの音圧/カコフォニーのダイナミズムに寄りかからない、曲そのものの良さとアレンジの妙だと思う。ブラッドの低く物憂いエコーのかかった歌声とJBの50年代調ギター(リヴァーブとトゥワングが決め手)のコンビネーションはもちろん、リズム隊とキーボードもグルーヴがあり、要するにどの音もちゃんと存在感があって生きている。ので、そのハモりを堪能させてくれるシャープなポップ「Through The Floor」や名曲「Shake The Shackles」が登場した中盤で盛り返すまで、ショウのピントがややボケていった観は否めなかった。

本編ラストは、アルバム1曲目の「Sycamore Tree」。この晩もっとも聴くのを楽しみにしていたトラックのひとつでもあり、渋くランブルするベース・ラインにウェスタンなギター・リフ、ギュワーン!とドライヴ感のあるオルガン・アタック・・・と、ガレージ・ロックンロールのお手本のような演奏に踊りまくり。バンドもいよいよ本調子だわ!と思ったところでわーお、あっさり終了とあいなった。アンコールもちゃんとあり、これまた秀逸な「Prometheus At Large」からキック・オフしたものの、いったん途切れた集中の糸を拾うのは自分には難しく、アンコールの終わりまで留まることなく帰路についた。

あの唐突な終わり方は、会場側のCurfew、すなわち終演規定時刻の都合でセットをカットせざるを得なかった結果?と察するが、クライマックスを肩透かしする天邪鬼も厭わない~客に媚びない感じは、クリスタル・スティルツの不思議な引力の源泉でもあるかな、と思った。たとえば「In Love With~」にしても、ジャケット正面はおろか、背中にすらアルバム・タイトルがクレジットされてない茫洋ぶりである(数えたところ、ジャケットに印刷されたクレジットはトータルたったの247字)。せっかくの見開きジャケなのに、別にバンド写真が使われているわけでもない。
不親切とも言えるだろうけど、今の世の中、ネットを軽く浚っただけで相当な情報が手に入る。音楽を聴く以前の段階で、バンドやアーティストの名前、そして彼らにまつわるブログ村の早耳バズを一通りスキャンすることも可能だし、しかもそのアクトがトウィッターとかタンブラーに夢中なタイプだと、パーソナルな趣味だの興味、日常のあれこれ、更にはアホな失言や暴言までチェックできる。

それは、自分にとってはある意味Too Much Information。ノー・サンキューな情報なのです。そういう、情報過多の全体的な風潮に嫌気がさしてしまったからか、3、4年くらい前まではマメにチェックしていた音楽サイト他のネット・サーフも、最近はめっきりサボっている。もちろん、新作リリース情報、新人発見等に欠かせないツールではある。けど、誰もが血眼で「新しい」何かを探り、「次にクるのはこれ!」と祭り上げて手柄を立てようとするごとく暑苦しい雰囲気のある昨今、それに100%ついていくのは不可能な話だし、焦って振り回されるのは不毛な行為ですらあると思う

開き直りと笑われるかもしれないけど、人気や話題のバンドに早くから目をつける/水面下のアクトを発掘=先物買いにフォーカスがシフトした状況で――それに伴い、レーベル側のプロモーションやマーケティングもデビュー時の投資に全力投球というスタイルになっている――一番乗りを競い合ったってしょうがない気がするのです。だったら、自分の中の時計やアンテナ/感性の自然な動きに従った方がよっぽどいい。
そもそも、最近リリースされたレコードで、半年経ってもまだ聴いている作品、あるいは5年後も持っていて聴くであろうと思える寿命の長い作品なんて、そんなに多くないわけで(リリース総数が増えても、いい作品とダメな作品の比率そのものは変わらないのですよね~)。リリース期のバズや盛り上がりの煙幕が落ち着いた段階で、冷静に聴くパターンが増えているのも、そのせいだろう。
なわけで、クリスタル・スティルツのように素っ気なくてミステリアス、こっちに過剰に供給しようとしないバンドの在り方は、自分はむしろ歓迎なのです。まあ、好きなバンドには基本的に人気が出て欲しいという考え方なので、もうちょっと欲を出してくれてもいいかな~、とも感じた晩だったけどね。

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Mariko Sakamoto について

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