Field Day@Victoria Park,6Aug/2011

インディ系のブッキングを得意とするロンドンのギグ・プロモーター=Eat Your Own Earsが、東ロンドンにあるヴィクトリア・パークでの1日フェス、Field Dayを立ち上げたのは2007年のこと。以来、非アウトドア/カントリー・サイド型のフェス族の人気を博しフェス・カレンダーに定着、会場設備を使いまわす形でUnderage Festival(お客は14歳以下に限定)も開催し、今年はフィールド・デイの翌日にApple Cart(現在30~40代、お子さんとナイスな中流家庭を営んでいる「元ヒップスター」「元ロック・チック」あたりを狙ったイベント)第1回も企画された。
これらフェスの理想的な流れとしては、①よちよち歩き~幼稚園時代に音楽好きな父母にアップル・カートに連れて行かれ、フェス初体験②味をしめ、小中学生期には友人達とアンダーエイジ・フェスティヴァル参入③ハイティーン~20代に達したらフィールド・デイへ・・・といったところ? これを将来のフェス族育成ベルトコンベヤーと考えれば、結構すごい話だなあと思う。ある家庭が、子供の人生最初の16年なり18年なりの間に、とある機関にそれなりの額のお金を継続的に注ぎ込むわけですからね。学校かいな。

ともあれ。毎年フライヤー他でラインナップはふむふむとチェックしていたものの、自分が参加したのは今年が初めてだった。最大の理由は、フィールド・デイのラインナップが基本はローカル人気=ロンドン・ベースのヒップスター向けセレクションなことだと思う。以前からそうだったが、イギリスにいるにも拘らず(一部を除き)現行のUKアクトにさほど有難みや憧れを抱かない性質なので、あまり燃え上がらないのだ。勿体無い話ですけど、現地にいると逆に、幻想が薄れてしまうものなのです。
留学生してた97年~98年の1年間にしても、最優先のライヴは「日本に来なさそうなアメリカのバンド」であり、観たUKアクトはコーナーショップ、ハイ・ラマズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、ゴーキーズ、プライマル・スクリームくらい。ウェルシュとスコティッシュを除くと、たった2アクトである。とはいえコーナーショップは、当時の滞在中にいちばん数多くライヴを観た。オブセッションに近く入れ込んでいて、ロンドンだけでは飽き足らず、バーミンガムまで観に行ったくらいだ(これはラジオ1のショウだったので、生ジョン・ピールのおまけつきでした)。今年フジ・ロックで久々に観れた時は、ロン・セクスミスのライヴと並び、えらく感動したっけな。

更に遡ると:ロンドン初旅行は1990年。その時の最大の目的は「ロイド・コールの初ソロ・ギグ目撃」だったし、在英の友人と一緒に観たライヴがジャズ・ブッチャーだったのを思い起こせば、ずいぶん変わったとも言える。そういや、あの時はニューヨークとロンドンの二都市旅だったんだけど、NYの旅行期間中で唯一タイミングが合って、前売り券をがっちり買えたのがジーザズ・アンド・メリー・チェインのコンサート(前座は売り出し中のナイン・インチ・ネイルズ)。
クレジット・カードがあれば日本にいながらにしてチケットを予約できる、ネット時代の今から考えれば嘘のような話かもしれません。が、大変だったんですよ・・・タワレコに(1~2週間遅れで)入荷されるヴィレッジ・ヴォイス紙を買いこみ、ギグ・リスティング&告知広告を虱つぶしに漁り、観たいライヴの日程と会場を在NYの知人にエアメール(国際電話って手もありましたが、親の脛かじりだった当事の身で贅沢は言えませぬ)で通知し、その返事をえんえん待つ。すっかり「昔語り婆」な語り口になってますけども、ライヴに行けるか行けないか判明するまで、軽く2週間くらいはかかったもんです。

この話にはオチがある。JAMCのライヴは、ロンドンからNYに戻ったその晩開催。空港に迎えに来てくれた知人とマンハッタンに向かい、荷物を下ろしてそのまま会場(どこか忘れてしまったけど、倉庫っぽいクラブだった)に急行した・・・のだが、開場時刻なのに入り口エリアは閑散としている。ヘンだな~と思ってドアに近づくと、「キャンセル」の貼り紙が。ショックにボーゼンとするしかなかったが、次の瞬間怒りが取って代わり、気がついたら会場のドアをガンガン蹴って暴れていた。
仰天した知人達になだめられて立ち去ったが、そこらにまだウロウロしていたアメリカ人客も、クレイジーな東洋人の振舞いにビビって(?)遠巻きに眺めていた。フライト疲れと空腹が悔しさの火に油を注いだのもあったと思うけど、むちゃくちゃ楽しみだったんですよねぇ。もちろん、こんなキレた行為に及んだのはこれまでこの1回きりです。

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閑話休題。フィールド・デイ2011は、野外ステージ、テント他、計7つの舞台に80近いアクトが出演。チケット代は約40ポンドと手ごろな上、マーク・コズレク、S.C.U.M.、ウォーペイント、ダックテイルズ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ワイルド・ビースツ、ホラーズ、アンナ・カルヴィ、ゾーラ・ジーザス等々、観たいアクトが少なくとも8~10組はいるので、一組4~5ポンドと換算すればお得感も充分である。もっとも、楽しみにしていたトータスがいつの間にかラインナップから抜け落ち、さりげなくザ・シー&ケイクに摩り替わっていたのにはずっこけるしかなかったけど。

マーク・コズレクのセットを目指し、午後早い時間にヴィクトリア・パークに到着。リスト・バンドをゲットし、いざいざ・・・と元気に入場ゲートを抜けたところで、同行知人が待ち構えていた警察犬の一匹にまとわりつかれる。笑っていた知人も、寄ってきた警官ふたりに挟まれ、「身体検査します」のお達しが下ってびっくり。知人は薬物はもちろんハッパもやらない人で、言うまでもなく手ぶら。冗談でしょ?何も持ってません!と半ば呆れて抗議したものの、警官はあくまで真顔で検査用のテントを指差すのみ。
「違反物は何も持ってないのに、サーチなんてされてたまっか!もう帰る!」と知人は怒っているが、ボディ・サーチしないと退場すらさせてくれないとのこと。こういう状況だと何を言っても通じないから・・・と諦め、フェンスの向こうのテント内に連行され消えた知人を待つこと10分。しかし、観察していると、かなりの頻度でフェス客がテントに送り込まれている。いくらなんでもこれは多すぎだし、警察犬の嗅覚自体アテにならないかも?などと冗談半分で考えていると、知人が(当然)無罪放免で出てきた。
まだ真っ赤な顔で憤慨しているのを宥めようとしたが、なんとこの身体検査、ストリップ・サーチ。ストリップ。要するに、係官2名を前に個室で全裸にさせられたそうで、何も出てこなかったのにおざなりな取調べ済みのチケット1枚渡されただけ、ロクな謝罪もなかったとなれば、怒り心頭もごもっとも、である。

フィールド内で酔っ払いやケンカを取り締まるパトロール警官はともかく、フェスのサイト内で警察犬に出くわしたのは、思い起こす限りこれが初めてである。スケープ・ゴートめいた「楽勝な標的」になるくらい、フィールド・デイってドラッグが蔓延してるの?っていうか、もし警察が本気の本腰入れて薬物違反を検挙するつもりなら、金払って観に来てる一般客の入場口ではなく、金持ちやタレント、業界人だのが集うVIPエリアを抜き打ち検査した方が、ジョイントなんぞより遥かに高い成果が上がるのとちゃうか??フェスにとっちゃVery Important Personだとしても、人権という意味では一般客もVIPも平等。そこでダブル・スタンダードを持ち出すのは、フェアじゃない。
いやはや、マン・パワーと警察力の無駄遣いじゃのう・・・と思っていたら、この日の晩からロンドン暴動/略奪騒ぎが始まった。都会育ちの中流階級な有閑キッズがオーディエンスの大半を占める、基本は「グッド・タイムを過ごしたい民の集合」=人畜無害な音楽フェスで朝からテントを張って警官隊や警察犬を待機させ、罪のない人々をいじめてるヒマがあったら、他によっぽどやることがあるんじゃないですかね。

というわけで、フェスとその運営方針に対する不信&嫌悪感がばっちり植え付けられてしまい、ライヴを観る前から気分は台無し。それでも楽しもうとしたけど、湿った火薬に火をつけようとするようなもので、うまくいきませんでした・・・。そんな自分を、「たかがメンタル面で萎えたくらいで文句言うな!」と叱咤しようとも思った。が、①他にもっといいフェスを過去に体験してきたし、②イベントそのものの問題点も目に付き、最後まで居残ることなく帰ってしまった。
②の最たるものが、「詰め込み過ぎ」&「音の混じり/にじみ」。この日のマイ一番手として駆けつけたマーク・コズレク(と言っても、入場時の警察犬すったもんだのおかげで冒頭は見逃しましたが)がその最大の犠牲だったんじゃないかと思うけど、深い歌声のニュアンスとアコギ一本の弾き語りで聴かせるこの人のセットは、テント・ステージの音の粗さはもちろん、周りでくっちゃべってる観客の多さ、他ステージから伝わってくるノイズ、周りで音楽出してる無神経なスピーカーに汚染され、まったく楽しめなかった。マーク自身「俺はなんでここにいるんだろう?」という表情を浮かべていたくらいだし、今後、この人がフィールド・デイに出演することは二度とないんじゃないかと感じた。
「詰め込み過ぎ」はゾーラ・ジーザスがすごくて、テント・ステージからあふれてあぶれたお客が通行路を塞ぐほどの勢い。必死で背伸びしたけど、たまに頭のてっぺんが見え隠れする程度、混沌としたライヴ音響もいただけない。注目度が高い人なので不思議はないとはいえ、だったらもっと広いスペースで多くの人に見せるべきだし、何より彼女のゴスでダーク・ディーヴァでドラマチックな音楽性/ヴィジュアルと、まだ明るい昼間のテントは雰囲気が全然マッチしない。それはワンオートリックス・ポイント・ネヴァーも同様の話であり、ジェームス・ブレイクやアンナ・カルヴィなんてもっとひどいことになるだろう・・・と想像すると、思わず戦意喪失してしまった。

文句ばかり並べているけど、メイン・ステージは悪くなかった。正統からフリーまで自由に乗りこなすサン・ラ・アルケストラのジャズ・タペストリー(でも、観客が少なくてとてもかわいそう!)から始まり、ジョン・ケイルは・・・「Paris1919」をまたやってくれるのかと期待していたところ、あまりパッとしない新曲群で責めてきたのでちょっと拍子抜け。それでも、格調高いコンサート・ホールではなく、こういう若者向けフェスの場で御大の姿を拝めるのは、それだけでもナイスではあるのだが。ハイライトは、抜群に良かったウォーペイント。落日前の最後の西日を浴びながら、彼女達のエレガントでドリーミィな深海グルーヴに揺られ、踊るのは最高の気分。この手のブティック・フェスの常でフード屋台のレベルも良く、ヴェトナム・サンドイッチは美味でした。

客の多さはもちろん、スポンサー提供ではないまともなドリンク(地ビール他)を売っているバー行列の長さにも辟易してきたし、ここから夕方~夜になってもっと人が入って来て、更に不快度が増すだろうと思うと、長居する根性も夏の宵に消えうせた。なんかこう、牧場の牛や羊の群れか何かのように扱われてる感覚が否めなかったなあ。後味悪い。
我々クラウドは、突き詰めれば「色んなところからやって来た烏合の衆」ではある。しかし、音楽イベントの基本項である音響面での配慮/工夫、音が混じらないステージ設営の工夫、クラウド・コントロール=客がライヴを気持ちよく楽しめる環境作りに穴が多いと、たとえ豪華なラインナップを取り揃えても、参加者としては空疎さが残る。

フィールド・デイのコンセプトは、「ロンドンという大都会で開催される村祭り(Village Fete)」という。コンセプトそのものはいいと思うけど、村祭りや野外の祝いの根底にある共同体のスピリット、すなわち企画者も参加者も同等で、皆で力を合わせていい体験を生み出す・・・というノリは伝わってこなかった。
それは、土地との繋がり=コミュニティ意識がそもそも希薄で、誰もがバラバラで好き勝手に生きているコスモポリタンな都会の住人達が顧客のフェスだから、とも考えられる。観たいギグはなんでも観れるロンドンみたいに恵まれた場所だと、お客側もスレてクールになっちゃうしね。とはいえ、フィールド・デイがブッキングしたインディーズ/アンダーグラウンド/オルタナ・アクト達は、その多くがマニアックな音楽ファン達のコミュニティ~ネットワークにはぐくまれ、支えられている点を考えると、フィールド・デイというフェスそのものに共同体感覚が欠けているのは、ちょっと皮肉だなと思った。
対して、10月にニューキャッスルで開催されたTusk Festivalは、ミニ・フェスティヴァルの良さ(イベントとしての規模はフィールド・デイの足元にも及びませんけども)、地方都市の音楽コミュニティの結束およびその可能性を堪能させてくれ、とても楽しかった。このフェスの模様は、追ってポストします。

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Mariko Sakamoto について

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