Weary Of RockT:2――ロックT無常

今回取り上げるのは、まだ持っているロックTの中でも(80年代ヴィンテージを除き)2番目に長い付き合いの1枚。永遠のアイドルのひとり:マーク・ボランです。買ったのは、94~95年だったと思う。最初にロックTを買ったのはいつか?と考えてみたところ、確かストーン・ローゼズの、例のレモンTだった。ほんとは「Elephant Stone」ジャケがいちばん欲しかったんだけど、「大は小を兼ねる」なワン・サイズは大きすぎて、着る機会はほとんどなかった。

雑誌の通信販売広告、あるいはレコード・ショップなどで見かけてはいたものの、大御所ロック・バンド(ストーンズ、ビートルズ他)、ハード・ロック/メタルを除くと、90年代初めのオルタナやインディ系バンドのTシャツって、マーチャン商売の屋台骨を成すようになった今ほどには、当時一般的ではなかったと思う。
その潮流が変化したのは、ザ・スミスあたりからではないだろうか?あれがオフィシャル・マーチャンタイズだったのか、あるいは海賊商売だったのかは分からない。けど、男性知人達(多くが熱烈なスミス・ファン)は、絵になるスミスのジャケットをフィーチャーしたTシャツをよく着ていた。人気が高かったのはMeat Is Murder、そしてHatful Of Hollow柄。リーヴァイス501にドクター・マーチン、そして伊達メガネ・・・とモリッシーを真似る人も珍しくなかった。

そう考えると、ドレス・アップとトライバリズムが長らく基本コードだった英インディ・ロック界において、Tシャツ=(ブルース・スプリングスティーンに象徴される、ブルー・カラーでアメリカンなイメージですね)カジュアル・ウェアが幅を利かせるようになるには、案外と時間がかかったのだと思う。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

仮に、90年代以降の英ロック~ブリットポップの起点をパンクとしよう。パンクと言えば、革ジャンにTシャツ、膝の破れたジーンズ・・・の印象が強いが、ムーヴメントの核であるピストルズは、マルコム・マクラーレン(アート&セオリー)とヴィヴィアン・ウェストウッド(ファッション)の「ワーキング・クラスによる現代都市のアナキズム」というコンセプトを体現する「人体実験台」でもあった。
最終的には、早死にして伝説と化したシドのヴァイオレントでマッチョ、ゲイも混じったイメージ(鋲打ち革ジャン、アクセサリー、バイカー・ブーツ他)が一般的なパンク・ルックとして定着した。しかし、テディ・ボーイやスローガンT、モヘア・セーター、ボンデージ・スーツのフェティッシュ・ルック他、ピストルズは衣装提供者:ヴィヴィアンにとっての動くマネキンとしても、ある程度機能していた。そんなピストルズのワードローブは、かのザ・クラッシュも羨んだという(クラッシュのブレーンのひとり=ドン・レッツは、キングス・ロードのマルコム&ヴィヴィアンのライバル店で働いていた)。
その意味で、ロンドン・パンク――特にセックス・ピストルズ周辺は、案外とアンディ・ウォーホルのファクトリーから青写真を引いていた/インスパイアされていた、とも言える。ファクトリーは、究極の人体実験の金魚鉢だったわけで。というわけで、オリジナルのピストルズ。番組の司会者は、後にファクトリーを設立する故トニー・ウィルソンです。

そうした背景を(いい意味で)あまり考えず、テクニックに長けた「ミュージシャンじゃなくたってOK」というパンクのDIY/ゲリラ・エソスに触発され、ラモーンズ型のストリート不良スタイルを踏襲するバンドも多く登場した。しかし、イメージやヴィジュアル重視というもうひとつのエソスを嗅ぎ取り、取り入れていったアート・ロックやポスト・パンク~ニュー・ウェイヴ勢は、ベーシックな「Tシャツ+ジーンズ」ルックにあまり与していなかった。
そこには、彼らの上に直接影を落としていた前世代=60~70年代ファッションのえてして過剰な装飾性、カラフルさを否定する思いも働いていただろう。たとえばの話、親が長髪でボヘミアンの元ヒッピー、子供の前でジョイント吸ってるような異様にユルく理解のあるリベラルだったら、そこに反抗/反発するには髪を短く刈り、お堅いスーツやユニフォームを着るに限る(60年代でも、ザ・フーやスモール・フェイセズら、モッズのシャープで現代的なセンシビリティはパンクスに受け入れられた)。
ドレッドロックなど、移民カルチャーに接近するバンドもいた。しかし、ワイアーやジョイ・ディヴィジョン、レインコーツなど、学生あるいは教師、サラリーマンと見まごう「普通」な格好(この一派のアメリカの元祖がトーキング・ヘッズか)、あるいはパブリック・イメージ・リミテッドをバンドではなく「会社」であると主張したジョン・ライドンは、外側からの対立ではなく、順応を装った内からの反発センシビリティの象徴と言えるだろう。

もっとも、親が眉をひそめるデコラティヴなルックスと言えば、ゴス、エレ・ポップ、そしてニュー・ロマがある。が、彼らの服装コードに最大の影響をもたらしたのはボウイであり、ロキシー・ミュージック(そこにニューヨーク・ドールズ、ストゥージズ、ヴェルヴェッツを加えれば、さながらプロト・パンクのミニ・カタログですな~)。ボウイのSF趣味、異世界からのフリーク=究極のアウトサイダーという存在感は、70年代のぬるま湯に疎外されたはみだし者達に強くアピールしたし、ロキシーのポップ・アート志向=価値観の混乱とシュールな美は、くすんだ現実ではなく未来の夢を与えた。ロキシーと言えば、以下の映像は何度観ても飽きないテレビ・ライヴ・クリップのひとつにして、当時の彼らのトンデモなエッセンスをみごとに捉えていると思うので、どうぞ。

とはいえ、ボウイとロキシーはやがて「グラム・ロック」から逸脱し、欧州的なデカダンスとロマンチシズムに回帰していった。ベルリン三部作期のボウイ、ブライアン・フェリーのダンディなスーツ姿など、「Tシャツにジーンズ」のアメリカニズムの攻勢と一線を画す、フォーマルで特権的な空気がある。タブーであるナチス・イメージと彼らが戯れたのも、ナチズムそのものへの心酔ではなく、その美学的側面にヨーロッパのアイデンティティを見出していたからだろう(「タブー」を破るというスキャンダラスな点そのもの~メディアの反応にも、彼らはある程度のスリルを感じていたとは思うけど・・・今年のカンヌ映画祭のラース・フォン・トリアと、大して変わらない)。
ゴス勢のボウイ崇拝はもちろん、エレ・ポップ~ニュー・ロマ世代(いわゆる「ブリッツ・キッズ」)にとって「Low」や「Heroes」の世界観、そしてサウンドはバイブルに等しかった(そこに80年代の拝金主義/成金のひけらかしが加わり、デュラン・デュランのヨットだのスパンダー・バレエの貴族趣味、スポーツやリゾート嗜好が生まれる)。ゲイ・ルックやアンドロジナスの傍流も、その根っこにはボウイがいたと言っていいだろう。

グラマラスに華やかに浮かれるロンドンに対し、地方のインディーズはその反動のごとく質実、あるいはクールな平服に向かっていった。例外もあるとはいえ、ポストカード(グラスゴー)、キッチンウェア(ニューキャッスル)、クリエイション(オフィスはロンドンでも、アラン・マッギーの感性は地方重視)、サラ(ブリストル)など、所属バンドの多くはチャリティ・ショップで買った古着を着ているファン達と大して差はなく、いわゆる「スター然」としたところはなかった。
エコー&ザ・バニーメンの外套姿、ザ・スミスの普通さ――そもそもバンド名が、「田中さん」「鈴木さん」ばりに一般的な苗字――は、静かな、しかし断固とした「南(首都ロンドン)のバブリーな風潮」に対するNOでもあっただろう。シンプル・マインズやU2、デペッシュ・モードら、アリーナ~スタジアム・ロックの最大公約数的なエンターテインメント性、空漠なエゴを抱えたバンドが人気を博していたのも、反動傾向を加速させていたかもしれない。

しかし、この夏雑誌取材のお手伝いでボビー・ギレスピーに「Screamadelica」周辺の話を聞いた際、彼は80年代後半英インディ・シーンに対する嫌悪をあらわにしていた。生真面目で没個性な学生ルックに宿るインディのピューリタニズム/カレッジ・ロックのアンチ・ファッションは、初期から革パン着用、ロックンロールのエクセスとグラマーに常に惹かれていた彼には、物足りなかったらしい。かといって、PWEIやワンダー・スタッフ、ネッズ・アトミック・ダストビンの小汚さはアンチ・インテレクチュアル過ぎたのだろう。しかし、ボビーいわく「アシッド・ハウス~レイヴとエクスタシー、そしてマンデーズとローゼズの人気爆発で、状況は変わった」。

そもそもモッズ/ノーザン・ソウルの下地を持つ北部~マンチェスター勢は、サウスのアート・スクール系インテリに較べ、ダンス・ミュージックやグルーヴの享楽性に対する反感、あるいは縄張り意識が薄い。そこにフットボール文化が混じることで発展した80年代の英サブカルチャー=ペリー・ボーイズ、そしてスカリーズは、ブランド物のポロ・シャツやスポーツ・ウェア、トレイナーを身につけるのを矜持にしていたという(ニュー・オーダーのバーニーの、当時のファッション・センスを参照)。
やがてヒッピー的な「ラヴ・ヴァイブ」をもたらす新種のサイケデリック・ドラッグ=エクスタシーがアンダーグラウンドに流入し、喰った者達はニコちゃん顔で踊り始める。再びボビーのコメントを拾うと、ビールがぶ飲みでアルコールが主燃料だったロック・ギグが暴力を誘発しやすかったのに対し、エクスタシーのシーンは文字通り「Come Together」、クラバーもロック野郎もハッピーにひとつになれる「セクシーな場」だったという。そこで、よりルーズ・フィットで踊りやすい、カジュアル・ウェアやスポーツを基本とするバギー・スタイルが好まれることいなる。ローゼズの40センチ幅フレアやブカブカなTシャツ/長袖ポロも、もちろんこの流れにあった。

いや~、長くなりましたな。が、要するに、基本は折り目正しいのが好きなイギリス人達が、スポーツ・カジュアルをファッションとして受け入れるまでにはかなり時間がかかったらしい・・・というお話。今だって、一部のイギリス人は、ジャージ上下姿とかトラック・スーツを目の仇にしていますからね。雨や風をしのぐのに実用的、誰もが一着は持っているであろうフード付きパーカすら、「Hoodies」として社会悪的に捉えられてるフシがある。それはまあ、フードで顔を隠せるので、軽犯罪者が着用することが多いからでもあるのだけれど(うちの近所のスーパーは、フル・フェイスのヘルメット、およびフードを被ったまま店内に入ってくる客を禁止している)。
ともあれ、マンデーズとローゼズのTOTP出演を機に「MADCHESTER」がバズ・ワードになり、ダンス・ミュージックやレイヴの高揚感・陶酔をロック・バンドが取り入れる、いわゆるインディ・クロスオーヴァーが到来。クラブ・プレイを意識した12インチ・リミックスがリリースされ、インディ・キッズ~音楽好きな学生のドレス・コードも変化。かのブラーですら、デビュー・シングル「She’s So High」期にはバギー/スカリーズ・ファッションをやってたくらいである。

と同時に、エクスタシーやLSDといったドラッグ・カルチャーが背景にあっただけに、この潮流には60年代先祖帰り~ノスタルジアの側面もあった。ローゼズのザ・バーズやマージー・ビートからの影響。「Lazyitis」でビートルズを、「Donovan」でドノヴァンの「Sunshine Superman」を引用したマンデーズ。「Strawberry Fields Forever」(キャンディフリップ)、「Only Love Can Break Your Heart」(セイント・エティエンヌ)、「She’s A Rainbow」(ワールド・オブ・トウィスト)のカヴァーがあり、「Shall We Take A Trip」のノースサイドやフラワード・アップなど、それっぽいタームやイメージを打ち出す連中もいた。90年代初頭の英バンドのヴィジュアルやアート・ワークには、ニュー・サイケデリアとでも言うべきカラフルでポップな感覚が多く見られる。
程なくしてグランジがロックへの揺れ戻しをうながし、(ボウイ/グラム系の)スウェードがブリットポップの端緒を切ったことで、バギーの蜜月は長くは続かなかった。しかし、マンチェスター・ブーム~インディ・クロスオーヴァー人気を境に、イギリスにおけるインディ・バンドT/ロゴTは過去以上に市民権を得るようになり、デザインやバリエーションも豊富になったと思う。94年~96年にかけて、カムデン・マーケットによく行っていたが、海賊商品も含め色んな人気バンドのTシャツが売られていた。もう処分してしまったけど、70年代っぽい縁取り+シルヴァーのプリントがお気に入りだったジーザス&メリー・チェインの赤Tシャツ、「Exit Planet Dust」の頃のケミカル・ブラザーズTとか、女性サイズが販売されていたのはプチ感動だった。

このT.レックスTは、オフィシャルではなく完全に海賊商品である。買ったのは、エンジェル駅の近くのヴィンテージ・ショップ。すべて古着ではなく、店のオリジナル商品やリフォーム新品も多少扱っている手合いのお店だった。行った目的は別にロックTではなく、当時コレクションしていたフレッド君を探しに近くのアンティーク・マーケットに行き、うろうろしていたらこの古着店に辿り着いた、というもの。
T.レックスと言えば「ブギーの王」「電気の武者」というわけで、そこそこ聴いてはいた。ガンズのスラッシュみたいにもろオマージュな人もいたし、日本のバンドの中にも影響は多く見受けられたし(ストリート・スライダーズ等)、プライマル・スクリームやオアシスら、ボラン・ラヴを語る連中のおかげで代表曲・ヒット曲程度は知っていた。が、70年代のアイドルとしてではなく、心底「すごい人」と「マーク開眼」=サード・アイで享受することになったのは、ティラノザウルス・レックス作品を聴いていたこの時期がきっかけ。それは単純な話、当時の恋人の趣味の影響なんですけど、特に「A Beard of Stars」にはヤられてしまった。もちろん「Electric Warrior」や「The Slider」も素晴らしいし好きなのだけど、あの作品はいまだに特別な1枚であります。

というわけで、にわかに(笑)ボラン好きになっていたこともあり、このTシャツは「運命の出会いだわ!」とばかりに速攻で買った。人間の勘違いした思い込みって、ほんと勝手でいい加減ですよね~。まあ、冷静に考えれば、昔のポスターか雑誌広告か何かを勝手に流用して作られた、ばったモンのスクリーン・プリントTではある。しかし、まだ洗練度の低かったロックTワールドにおいて、「T」とマークのドリーミィな表情を活かしたデザインのひねり、パステル調のカラーリング、そして生地の柔らかさとジャストなフォルムはかなり秀逸だった。すぐに色落ちするんじゃないか?と半ばバカにしてたけど、案外とタフにできていて、歳月をサヴァイヴ。今でもたまに着ております。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

肝心のTシャツそのものよりも、枕のマンチェスター話が長くなった・・・のは、別にストーン・ローゼズ再結成の報道にかこつけたわけではありません。「Tシャツ無常」の第2回はこのTシャツ、と前から決めていましたし。とはいえ――記者会見の前日に「ローゼズ、再結成をアナウンス」の報が飛び込んできた時は、やはり驚きました。

2005年には「自分がローゼズを再結成するより、マンデーズを再結成する率の方が高い」とイアンは言い切っていたし、ジョンのアート作品にしても、彼らが再び一緒にプレイすることはないだろう、とのマイ認識を裏付けるものだった。オリジナル・メンバーがまだ全員健在の80年代バンドという意味で、ザ・スミス、そしてローゼズは、貴重な存在ではある。それも、昨今の再結成メガ・ブームに(これまで)頑として折れなかった彼らに対して、ある意味自分にとっての「最後の砦」みたいな感覚があった。
MBVやペイヴメント、ブラーの再結成ギグをエンジョイしたくせに、思いっきり矛盾した感覚ではある。しかし、①新作が出ないまま解消②バンドとしての頂点を作品に刻んで解散③以前からくすぶっていた不和が表面化してメンバーが分離・・・という彼らに対し、スミスとローゼズは、それぞれにかな~り後味の悪い終わり方(と後日談)を公衆の面前に晒した。そのいきさつをファンとして追ってきた身からすれば、いまさら和解されても、「ちょ、ちょっと待ってくださ~い」な複雑な思いが混じってしまうわけです。

今回の再結成の背景として、イアンとジョンの和解が大きかった、というのは事実なのだと思う。もともとこのふたりは幼馴染で、4人のうちでもっとも絆が強かった。それだけに、いったん分裂した両者が再びコネクトすれば、再結成に至るハードルの多くは越えたことになる。その一方で、やはりマネーの側面を完全に無視して「めでたい!」と喜び騒げるほど、自分はもはやナイーヴでもない。記者会見では「お金が目的ではない」と語っていたし、新作への抱負も飛び出した。
が、左団扇とはちょっと想像しがたい4人の現況、そして現時点で公表されている6月のマンチェスター公演だけではなく「世界を回る」との発言(おそらく、来年の海外フェス・サーキットのブッキングも着々と進行しているのだろう)は、純粋に「ローゼズ・レガシーの祝福」だけではなく、やはり「ひと稼ぎ」もあるんじゃないか?と勘繰ってしまう。たとえば、ライヴ8のために再結成したピンク・フロイド、あるいはアーメット・エルテガンの追悼として再結成したレッド・ツェッペリンは、どれだけ引きがあっても、どんなに巨額のギャラが転がりこむと分かっていても、いまだに「ツアー」はしてないわけだしね。他にもやり方はあるわけです。

――ここまで書いたところで、ふと、男性というのは自分にとって都合の悪いことは忘れられる種なのかもな~、と思い当たった。もちろん、全男性がそうだとは言いませんよ(それはあまりに乱暴な一般化である)。が、自らの発言に責任を持たない~「その場で言い捨て」な手合いの男性には、これまで結構出会ってきた。もちろん、向こうは完全に「忘れている」、あるいは記憶スペースからその事実を追いやっているので、いくらこっちが「以前こう言ってたよ」と突っ込んでも、「そんなこと言ったっけ俺?」と暖簾に腕押しだったりする。だったら始めから黙っててほしいものである。

そんなことを考えたのは、先日久々に会った地方在住の知人からしばらく経って受け取った、「マイク・ワットのライヴ最高だった、ミニットメン好きは必見!」のCCメールのせいである。そのライヴ=マイク・ワット&ミッシング・メンは、彼に会った際にお薦めしたところ(今回ロンドン日程はなく、地方公演のみ)、ケチョンケチョンな反応が返ってきた。いわく、「マイク・ワットのライヴは当たり外れが激しい」、「最近のマイク・ワットはダメ、クソだ」etc。いやそんなことないって、去年のATPでも素晴らしかったから、ぜひ観に行きなよ!と反論したままで話は終わったが、2週間くらい経って掌返したようなこのメールを知人達に送りつけてくる、この知人の物忘れの激しさというのか、都合のよさには、なかば呆れてモノが言えなかった。
いいライヴに感動し、その感動を友人達とシェアしたい・・・ってのはナイスな話ではある。けど、「ストゥージズでのマイク・ワットは地味でダメだ」とか、自分から見ればかな~り的外れな批判――ストゥージズにおいて、マイクがオリジナル・メンバーにスポットを譲るのは当然でしょう――や否定をついこの間までさんざんブチまけておいて、そこに対する反省の一言もなく絶賛モードに入れるのって、目を丸くするしかない。とはいえ、「言った先から忘れる」男性の実例がまたひとつ増えたな~と思っていたところに、ローゼズの記者会見があったので、余計におかしかった次第。それに較べ、女性というのは「覚えている」生き物じゃないか、とよく思う。道理で、男と女というのはなかなか上手くいかないわけですよ。

とかなんとか言いつつ、彼らは自分の青春時代における最大級の存在/役割を果たしたバンドであり(ある意味、ローゼズを好きにならなければ今の自分はいなかったかもしれない)、せっかくイギリスにいるんだから・・・とモヤモヤし気持ちはいったん脇に置くことにし、発売日にチケット予約にトライしてみた(結局はファンなんで)。が、あえなく惨敗。注文ページは一時的にクラッシュしたそうで、じっと我慢の子、で画面の前に陣取ってはみたものの、一般チケット(手数料込みで60ポンド!)はおろか、特別パッケージ(ビールやフード代、お土産がついて209ポンド!!)も30分も経たずに消えていた。広告では6月29、30日しか告知されてなかったのに、途中からいきなり7月1日も「追加」されたのには驚いた。てか、始めから決まってたんだろうし、クラッシュ緩和のために最初から3日間売り出してくれればいいものを・・・
新聞報道によれば、2日分のチケット15万枚は14分で売り切れ。追加の7月1日分も合わせると、発売開始から68分で総計22万枚がソールド・アウトしたという(来年はオリンピックの影響でグラストンベリーが開催されないので、そのぶんのお客もがっちり掴んだか?)がっかりしたヤケのついでに、冷やかし半分でeBayを覗いてみたところ、昼にはもう、チケットが元値の2倍以上の値段でオークションにかけられてました(こんな冗談ページまで登場したそうですが・・・)。うーん、運よくマンチェスター外での英公演、あるいはどこかのフェスで観れるのを祈るしかないようです。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

しかし、ローゼズ・リユニオン・ショウのチケット発売告知が掲載されたGuardian紙に、来週開催されるフローレンス+ザ・マシーンのロンドン・ライヴに関する興味深い広告が出ていて「おー」と思った。セカンド・アルバム発売直前のこのプレミア・ライヴは、これまた発売から数分でチケットが完売、フローレンス人気を印象付けた。で、その広告というのは「£3.99でこのライヴを丸ごとライヴ・ストリームしませんか」。パソコンなりタブレットなり携帯電話なりを通じて、ライヴを観れるという仕組みらしい。

もちろん、ウェブを通じてのストリームそのものは、iTunesフェス他海外フェスの中継を始め、既に試みられている。先だっても、「自宅でクラブ体験」がモットーのボイラー・ルーム・シリーズに、DJトム・ヨークが登場したばかりだ。ただ、単独公演の、しかも有料のフル・ストリームって、自分が知る限り、まだあまり聞いた覚えがない。この試みが成功するかどうか、かなり好奇心をそそられる。
というのも、これまでのストリームって、たとえば「専用アプリケーション購入」等のやんわりとした「支払い壁」は存在したとしても、ネット環境さえ整っていれば基本的にコンテンツそのものは無料、という感覚がなんとなくあったと思うから。アーティストやバンドにとっては、露出~プロモーションと割り切る側面もあっただろう。

もちろん、有料なので音も画像も良好、回線トラブルのストレスなんぞとは無縁な、これはスムーズで秀逸なストリームになるはずである。けど、このヴァーチャルなライヴ・スタイル――会場に行かない/行けずに悲しんでいるファン(特に海外のファン)にとっては朗報でもあるが、見方をガラッと変えて「そこまでしてファンに課金するか?」との反論も生まれる気がする――が受け入れられるか否かで、ライヴ・ミュージックに対する価値観はいくらか変化するんじゃないか?と思うから。

たとえばの話、このフローレンスの有料ストリームがそれなりの成果を上げて評価されたら、他のアクトが同じ企画に追従する可能性も高まる。下手したら、このビジネス・モデルが業界スタンダードになる確率だってゼロではない。ライヴ会場の入場数=キャパに限界がある以上、アーティストがひとつの空間と時間にしか存在し得ない以上、どうしたって「観に行けない」人は生まれる。しかし、物理的な制限や不可能を(形を変えて)可能にしてきたデジタル・ワールドの平等感覚がこれだけ浸透した状況で、人々を昔のように我慢させる/諦めさせるのは難しいだろう。
自分自身のストレートな直反応を書けば、「ライヴは生で味わってなんぼでしょ」という、昔気質の朴念仁ではある。その場の雰囲気や興奮は、数値やデータに換算できないものだと思っている。しかし、先にも書いたように、「ライヴを観たい」「新曲を聴きたい」→けど、諸般の事情で無理なんですぅ・・・というファンの熱意と意気込み、悲しみはよ~く分かるので(だから、昔はよく海外にライヴを観に行ったわけです)、たとえ同じ場にいなくても、海を越えて耳と目でライヴを体験できるツールが存在すること、それそのもののメリットを否定する気はない。それに、会場の熱気や雰囲気だって、ウェブが進化したら五官で体験できるようになるかもしれない・・・はは、サイバー・パンク小説の読みすぎかもしれませんね。

CD=フィジカル・セールスが低迷(アナログは盛り返してるけどね:)★)を続ける中、ミュージシャンやアーティストにとっては、むしろ音楽出版権~ライセンシング、マーチャンタイズ、コンサート収益といった派生ビジネスの方が命綱だったりする昨今。一時期話題になった「360°ディール」というのも、それぞれに異なるテリトリーであり、ゆえに異なる「中間搾取」が存在した①作品そのもの②コンサート③キャラクター商品④ラインセンス他を一本化して富を集中させましょうよ、という考え方だったと思う。それくらい、もはやCDの売り上げだけでは「寒い」のだとも言える。
その意味でも、コンサートをウェブで切り売り(って、なんか言い方悪いですけど)するとも言えるこのストリームの結果が吉か凶かは、ひとつの小さな試金石でもあると思う。ツィッターでの実況ライヴ・レポ、あるいはコンサートの直後にアマチュア映像がYouTubeにアップされ・・・という状況が現実としてある中で――ライヴのレヴューを当ブログで書いてますけど、よっぽど早く同じライヴ評がアップされるので、しょっちゅう「書く意味あるのかいな?」と自問もします――果たして3.99ポンドまで払っての有料システムが、今の不景気なイギリスで受け入れられるだろうか?と。

楽観的に考えれば、ライヴ・ストリームのオプションは、eBayやチケット転売サイト(要はネットのダフ屋)の悪質な価格吊り上げに対する抑制効果になるかも、との見方もある。利ざやを稼ごうとする人間に(いやいやながら)120ポンドの大枚はたかないと生で観れないライアン・アダムスの向こうに、3、4ポンドでライアンの良質なライヴ・ストリームが観れるという選択肢があれば・・・冷静に考えれば答えは明白だろう。しかし、どんなにクレイジーな大金はたいても、女房子供を質に入れてもこのライヴを!という輩はどこにでも存在するので、あくまでセオリー、心底楽観してはいない。
一方で、一部のアクト――大手レーベルの手厚いバックアップやテクノロジーのノウハウ、メディアの盛り上げに無縁で、ギグの収益をこつこつ丁寧に積み重ねながら音楽をクリエイトしている人達――にとって、この傾向はマイナスにもなりかねない。「ウェブで観れるから」と、実チケットの半額以下のストリームにお客を持っていかれたら?それは、痛し痒しの状況である。マーチャン台でTシャツやCD、アナログを買う、あるいはアーティスト本人と雑談するなんて素敵によろこばしい付加価値な機会とコミュニケーションも、ストリームでは失われてしまうわけで。

ともあれ、ライヴ・ミュージックの感動や「生」のヴァイブ、ヒューマンなコミュニケーションは、そう簡単にはデジタルに翻訳されないだろう――というか、そう信じたいんだけど、便利さ&楽さ&ポピュラリティにどんどん安易に流れてしまう/流されてしまう人間の生来の本質を考えると、正直、ちょい不安でもある。
ここ最近のポストで、自分はロンドンのライヴ会場やフェスに対して盛んにブーたれていた。それは、見知らぬ他者、あるいは不快な環境という、自分のコントロールできない「何か」に対する(所詮は)子供っぽい苛立ちにすぎない。で、その考え方を突き詰めれば、コントロールできる快適なシチュエーションでエンターテインされたい(=例:好きなドリンクを手に、仲のいい友達とわいわい話しながらライヴ・ストリームを疑似体験)という、「楽ちん」志向に行き当たる。水みたいな不味酒に辟易することなく、タバコ吸いながらライヴを観るのも、自宅ならオール・クリアなわけで。

HDの大画面フラットスクリーン、そしていいスピーカーがあれば、そうした環境を実現するのも不可能ではない・・・だろうが、そんな風にハードウェアを強化するのに夢中になっていると、肝心のソフトがおざなりにもなりゃしないか、と感じる。ソフトにはいくらでも浪費するが、ハードに関してはコンサバで財布の固い自分は、んなわけで、いまだにのうのうと過去に生きてます。でも、レコード・プレイヤーも動くし(針を買い換える時期が来てますが)、カセット・デッキもCDプレイヤーも健在。ハードウェアやメディア、テクノロジーの変化に合わせてリスニング・スタイルやソフトを買い換えさせられるってのは、もう飽き飽きなのです。けど、今の時代を生きる人間にまで、フィジカルを押し付ける気はない。デジタル、やっぱ楽ちんだしハンディだからね。

そういや、先週いちばんびっくりしたのが、12月のAll Tomorrow’s Partiesが3月に延期決定したこと(バトルズ他がキュレートするNightmare Before Christmasは変更なし)。これはフェス史上初のケースで、かつ、かなりデカい決断である(払い戻し客もかなりいるだろうし)。いったい理由は?とATPピープルの間で様々な憶測が飛び交っていて、バリー・ホーガンの説明が待たれる・・・が、法律的な問題やプライヴェートな事情が絡んでいる場合、簡単に口は開けないのだろうなとも思う。ともあれ、会場行きの電車チケットを予約する直前だったんで、大損を免れた(イギリスの電車チケットは、安い指定席だと予約の時点でお金が引き落とされます)のは、不幸中のミニ幸いではあったけど。

広告

Mariko Sakamoto について

Hi.My name is Mariko.Welcome to my blog,thanks for reading.坂本麻里子と言います。ブログを読んでくれてありがとう。
カテゴリー: music, uncategorized タグ: , パーマリンク