週刊琴線11月4日号

週刊琴線もすっかりご無沙汰してましたが。10月は珍しく忙しく、書き終えてなかった夏のライヴの話をうんしょ、うんしょとまとめるので手一杯な感じだった。そんなに時間が経って、誰が読むのか?とも我ながら思う。が、ライヴねたは自分にとっての備忘録でもあるし、「書いておきたい」と感じたギグは、どうも無視することができない。そうですね、ハイ、自己満足と言ってくださって結構です。

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ともあれ、忙しいながら、10月はそのぶん普段より動きが多く、変化や刺激も多かった。家に閉じこもり、それこそ貝のように生活している&社交性も極度に低いので、こういう刺激はとてもありがたかったりする。もっと積極的に外に出るように心がけるべきなんだろうけど、なにせ出不精のデブ性。マジな話、もしも自分が映画や音楽に興味がない人間だったら、映画館に行くこともライヴに出かけることもなく、ただナメクジのように寝転がって本を読んでレコード聴いてるだけじゃないか?とたまに思う。

先月の個人的なハイライトはニューキャッスルのアングラ・フェス=Tuskに行ったことだったが、そのすぐ後に世界的に有名なミュージシャンに対面取材することになり、我ながらギャップの大きさに笑ってしまった。そのチャンスは偶然転がり込んできたんだけど(そうでもなければ、自分のようなすっとこどっこいにそんな機会は訪れません)、やはり「人に歴史あり」というか、ベテランは話がすごく面白い。
お呼ばれライヴもいくつかあって、そのおかげで久々にマンチェスターに行けたのは、非常に嬉しかった。ライヴそのものももちろん素晴らしかったのだけど、ちょうど友達に貸してもらったショーン・ライダーの自伝『Twisting My Melon』を読んでいるところでもあり、本の中に出てくる通りの名前や土地勘をリアリティと共に味わうことができた。
本はショーンが生まれた60年代から始まっているので、今やずいぶん様変わりしただろう。ハッシエンダ他、話に登場するヴェニューには、もうないものだってある。が、街の基盤構造やランドマーク、地理そのものは変わっていないわけで。これまで足を伸ばすことのできなかったオールダム・ストリート他も今回は急ぎ足でチェックできたし、何よりあの街の中心部にはいい建物がかなり残っているので、通りを歩いて建物を眺めているだけでも、かなり心の栄養になった。

そのショーン・ライダーの自伝は、まだ半分までしか読んでいないけど、とても面白い。マンデーズが登場した80年代半ばというのは、言うまでもなく今より遥かに伝達される情報量が少なく、インディ・ミュージックに関しては日本のマニアックな音楽雑誌、あるいは輸入雑誌が頼りだった。イコール、多くの場合、英全国レベルのメディアがそのアーティストなりバンドのシングルやライヴ、アルバムを取り上げるレベルになるまで、日本の音楽ファンには達しにくかったことになる。
一目置かれた存在であり、英インディの草分けのひとつであるファクトリーの所属アクトだけあり、マンデーズは比較的早くから注目を集めることができた方だと思う。しかし、マンチェスターのローカル人、あるいはバンド周辺の人間でもないと知らない/知りようのない当時の状況、音楽シーン、そしてマンデーズの始まりはこんな感じだったのね・・・と、今まで欠けていたパズルのピースが、少し埋まった気がしている。「ハッピー・マンデーズ」の音楽そのもの、あるいはメンバー写真やアルバム・ジャケットは鮮明でも、自分にとって、彼らの背景や来歴、シーンにおける縦横の関係性~人脈図などは、これまであまり具体的ではなかったので。
たとえば、初期の話に出てくる「近くでリハーサルをやってたジャズ・デフェクターズのアシッド・ジャズは好きだった」との述懐やマンデーズのメンバー全員がオレンジ・ジュースのファンであったこと、映画『パフォーマンス』が『Bummed』のインスピレーションになっていた等々、一読意外でありつつ、しかし「なるほどな」と感じる箇所はいくつも出てくる。あと、この人は(たとえ間違っていたとしても)「黒は黒、白は白」と言い切る人なので、駆け出しの頃のマンデーズが見聞きした他の当事のバンドや業界人に対する見解、バンドのメンバーや取り巻きに対する思い、はたまた付き合った女性まで、オール実名でスパスパ切ってくれて気持ちがいい。
それはまあ、マンデーズというバンドが行儀&素行の悪さで知られた存在=今さらあれこれ取り繕うまでもないくらい、お里が知れているから可能な物言いなのかもしれない。ガキの頃からこそ泥や万引きの常習犯、ドラッグにはなんだって手を出し、ハッシエンダにEを流通させた人ですからね。けど、これがたとえば生真面目で優等生タイプのロッカーの自伝だったら、他人や関係者への躊躇、自己規制が作用して、こんな風にフンドシ一丁になれないんじゃないか?と。デーモン・アルバーンとかクリス・マーティンが自伝を書いても、きっとつまらないと思うんですよね~(偏見かもしれないが)。

かといって、ショーン・ライダー自伝は単なる「マンチェ不良のセックス・ドラッグ&ロックンロール・ストーリー」、あるいは英版ギャングスタの礼賛に陥ってはいない。今年49歳の彼は、過去の自分の行いの数々をみっともない恥ずべき行為として淡々と綴っているし、様々な逸話――バンドのプロモで初めてニューヨークに飛んだ際、当事話題騒然のドラッグ=クラックを買いにディーラーのいるやばいエリアに勇んで向かったところ、地元のハスラーともめて、顔に銃を突きつけられたetc――にしても、それを英雄談的に美化することもない。一歩間違えれば、スラムの片隅で脳みそを吹っ飛ばされおっ死んでいたわけで、そのうそ寒さはちゃんと伝わってくる。
実際、この手の「元バッド・ボーイ」の自伝(モトリー・クルー、アンソニー・キーディス他)って、クスリや大酒、セックス、OD、警察沙汰他、法螺じゃない?とすら感じるような逸話がいくらでも出てきて、それがそんなロケンローな生活とは程遠い、我々一般人の覗き屋心理をくすぐりもする。が、ほぼ毎ページそういう豪快な描写が出てくると、書き手にとってはカタルシスなんだろうが、露出趣味/ナルシシズムに食傷気味にもなる。その点ショーンの書き方は「事実を述べているだけ」という感じで、なんというか、大人っぽい(グラストンベリーに出演した際、メンバーの側近達がツアー・バスの中にカラー・コピー機とラミネート・マシンを持ち込み、バックステージ・パスを偽造してバラまいたとか、普通考えられないチンピラ行為の数々は相当バカで笑えるけどね)。

それは、彼自身が自ら、そしてマンデーズを「アンダードッグ=負け犬」と称するくらい自己把握が正確で、かつ、負け犬であることになんの引け目も負い目も感じていないからだと思う。マンデーズのメンバーが生まれ育ったサルフォードは、典型的なカトリック系アイルランド移民の労働者階級エリア。マンチェスター、リヴァプール、ニューキャッスル、スコットランドなど、UK北部にこうしたスポットは少なくないが、ジョン・ライドンの自伝『No Irish,No Blacks,NoDogs』のタイトルを持ち出すまでもなく、生まれた時からある程度のスティグマを背負わされることになる。
マンチェスター人ですら「厄介な」と感じるほどというから、サルフォードとそこに暮らす人々のタフさは相当なものだったのだろう。ゆえに若い頃の貧しさやラフな環境も忌憚なく描かれているが、自己憐憫はない。むしろ、その動かしようのない現実=ハンデを乗り越えるために必須であるストリート仕込みの知恵、生き残りの術、反射神経を堂々とさらすことで、マンデーズは一部の英ロックにある閉じたエリート性をおちょくり、突き崩すことになったのだと思う。その意味で、本の中で何度かマンデーズのクリエイティヴなエソスをラップ・ミュージックになぞらえているのは納得である。

「アーティスト」なんて呼称は、たぶんショーンは面映くて嫌がるだろう。しかし、この本の随所に浮かぶ彼のユニークな感性に触れていると、パブリック・イメージである「カッペな元不良」「成り上がったならず者集団」像の下に、自分のやりたいこと/やりたくないことを的確に見極められる知性(音楽であれなんであれ、アートの創造の開始点はそこだろう)、そして繊細な感受性のが存在を感じる。と同時に、そうした原石の才能――大都会のアカデミックなアートではなく、いわば、ローカルな市井の芸術家――の可能性に賭けたファクトリーというレーベルの、いい意味でのアブノーマルさにも思い至った。

マンチェスター・ロックの歴史の1ページ(特にエクスタシーの伝播・影響のくだりは、体験していない者には興味深いはず)を繰るという意味ではもちろん、あまり脚光を浴びない英ワーキング・クラス人のノリや北部人の感性を知るという意味でも(知ってどうなるってわけでもない&「ノース」とひとくちに言っても、マンチェ、スカウス、ジョーディーとそれぞれ土地柄/キャラは違うので類型化はできませんが・・・)、いい本だと思います。以下に引用するくだりなんか、すごく端的に、(今も残る)一部のイギリス人のメンタリティを捉えていると思うのだ;

「…I remember they used to say if someone saw a nice car over here they’d scratch it with a key, but if someone saw a nice car in America they’d think, ”I’m going to make something of myself so I can get a car like that one day.” No one is afraid to be a success in America, which they could be over here—it’s a very British thing. British kids were never schooled in that way; they weren’t encouraged to think they were going to be successful…」(P164)

翻訳が出るかは分からないので、面倒だが英語版を読むしかない。けど、一人称の口語体で書かれた自伝というのは、同じ音楽書籍であっても、ジャンル分析本やヒストリー本、あるいは他人によるバイオ本に較べ、慣れない「作家先生のボキャブラリー」「凝った表現」に出くわしてオタオタと辞書を引く手間が少ないので、比較的読みやすい。この他にも何冊かミュージシャンのバイオ本は「積んだまま」になっていて、早く読み終えたいと思ってはいるけれど、今から首を長くして心待ちしているのが、モリッシー初の自伝。オーソドックスな自伝叙述形式になるのか、はたまた・・・?なんて想像しつつ、モズいわく「過去30年の感傷的なピーク」になるであろうというこの本、今から約1年後ですけど、予定どおり刊行されることを祈っております。

他には・・・そうそう、BBCで『Upside Down:The Creation Records Story』が放映されたので、やっと観ました。なんか、マンデーズといいローゼズ再結成の話題といい、にわかに90年代づいてますな~。ただ、このドキュメンタリーは好きになれなかったので、DVDで買わなくて正解だった。自分にとっての最大のネックは、映像と編集のセンスがダサいって点なんだけど(なんで現在のインタヴュー映像がいちいち気取ったモノクロなの?合間に登場する、テレビ画面に映ったナレーターのおっちゃんが鬱陶しいんだけど?・・・等々)、トーキング・ヘッズ形式、すなわち過去の思い出や証言を述べる連中がやたら出てくる同窓会スタイルって、ノスタルジアや美化に陥りやすくもある。
その証言のコラージュぶりにしても、「いかにアラン・マッギーとクリエイションがクレイジーだったか」「どれだけラリパッパでロックンロールだったか」に焦点が置かれていて、タブロイド的な好奇心が原動力になっている作品、との印象を強める。クリエイションの個性と業績、優れたバンド達、英インディのアイデンティティを変えた点は認めるが、ドラッグだのワイルドさと言った周辺ネタを自画自賛っぽく強調することで、逆にその真価や意味合い、存在そのもののダイナミズムを半減させる結果になっているというか。

だいたい「異端児」だの「革命児」って形容は、当人が認めてそれを言い出した途端、たいてい寒くなるもの。しかし、アラン・マッギーという人は自分自身の広告を怠らないので、平気な顔でそのハイプを活用するし、しかも自らのハイプを信じてしまうフシすらある。マルコム・マクラーレンのような、下手したらハンドルするバンドや関わった作品以上に有名になってしまう「(本来は影の立役者であるはずの)英業界人」の流れに位置する人、と捉えていいと思う。
けれど、そういうカリスマ・キャラの大きな弱点というのは、当人の神通力あるいはセンスが鈍った瞬間、求心力や推進力がガタッと衰える点。ワンマンだから仕方ない話だけど、ポップ・ミュージックのように「新しいもの」が生命線の分野においては、時間と共に変化し老いていく個人の感性が根本にあると――個人のセンスゆえに、思い切った独断や賭けに出れるという「強み」はあるものの――、組織としては長続きしないわけです。90年代以降、そういう「カリスマ」音楽業界人が出てきていない(暗躍はしてるけど、表舞台にはあまり出てきませんよね)のも、マルコムやジェフ・トラヴィス、トニー・ウィルソン、アラン・マッギーらが反面教師的に機能しているからかもしれない。

作品中、クリエイションがソニーに乗っ取られていった経緯のあたりで、ボビー・ギレスピーが「メジャーはオアシスと(マイ・ブラッディ)ヴァレンタインズ、プライマルズにしか興味がなかった」と苦々しい表情で発言していたけど、このドキュメンタリーも基本的にクリエイションの「花形プレイヤー」に的を絞って展開していくわけで、あんまり差が無いのは皮肉だな、と感じた。「名作」と語り継がれる作品と同じくらい、いや下手したらそれ以上に、駄作や奇作、隠れ名作、失敗作もあった上でのクリエイションだと思うんですけど。
それはまあ、製作者と監督がこの作品に設定した彼らの価値観/意図/アングルのせいであって(その意味で、ドキュメンタリーというのも「リアル」とは言い切れなくて、フィクションのバリエーションのひとつなわけです)、作品に登場するクリエイション関係者やミュージシャンの非ではない。それに、過去のバンドの貴重なライヴ映像他(特にJAMCとザ・ロフト~ウェザー・プロフェッツ、一瞬出てくるダン・トリーシー他)、作品前半は初見&必見シーンも多く、見所はちゃんとあります。

それよりも遥かに面白いのが、デイヴィッド・アッテンボロー卿がナレーションを務める新作ネイチャー・ドキュメンタリー『Frozen WorldPlanet』。南極と北極、シベリア永久凍土など、文字通り「凍った世界」の生態系・自然を追った内容なんですが、さすがBBCというか、氷河の上から海中、地の底まで、驚異的な映像や気が遠くなるほど美しい画面が続々と出てきます(シャチとかペンギンとかアザラシとか白熊とか、自分が基本的に寒い国の動物好きってのもあるかもしれませんが)。ので、日本でもきっと放映される(あるいはDVD化されるでしょう)と思います、その暁にはぜひぜひ、ご覧くださいませ。

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Mariko Sakamoto について

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