Tusk Festival@The Cluny,Star&Shadow Cinema in Newcastle-Upon-Tyne,7-9Oct/2011:Day2

Star&Shadowの外観

ストーナー上等、Bong

コルサノちゃん

リース・チャタムの勇姿

Alvarius B ことアラン・ビショップ

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2日目は、午後1時から夕方までStar&Shadow Cinemaでライヴ、6時半以降はThe Clunyに会場を移して・・・という構成。前日レポでも触れたが、スター&シャドウ・シネマはメイン会場のザ・クルニーから歩いて5分ほどのところにあるインディ映画館。余談になるけども、そのA地点とB地点の5分ほどの距離に他にパブが2軒もあるのは、さすが酒好きなニューキャッスルというか。でも、2会場ともそんなに広くないので、人いきれに疲れたり、あるいは時間つぶしにこれらのパブはもってこいだった。スター&シャドウの蓮向かいにあるパブは生DJも入れていて、がんばってました。

この映画館には初めて行ったのだけど、アートハウス/アングラ/アーカイヴ作品を中心にしたプログラムはなかなか個性的で、ニッチを突いてる&アート系映画館/名画座に足繁く通っていた学生時代を思い起こし、懐かしい気分にもなった。建物は、恐らく昔は倉庫だったのを改装した感じで、コンクリの床に白壁とシンプルそのもの。「映画館」と称しているものの、ライヴ・コンサートやトーク・イベント、テーマ上映など企画は多彩で、ゆえに固定シートはなし。恐らく通常はパイプ椅子でも並べて映画を上映しているのだろう。入り口からすぐのエリアはラウンジも兼ねていて、いくつか置かれた中古のソファにトークや休憩したいクチがたむろっている。奥のトイレの手前に自転車スタンドがあって、たまにサイクル組がすい~と横切っていくレイドバックぶりもいい。
とはいえ、一番感銘を受けたのが、このシネマの運営は100%ボランティアで成り立っている点。リスト・バンドをチェックする入り口のおっちゃんも道理でのんびりしてるし(2日目以降は、ほぼ顔パス:笑)、バーのスタッフも老若男女混じっているわけです(普通は、店の顔とも言えるバー・スタッフは若くて見栄えのいいヤングが重宝されます)。そうでもなくてはこんな風にポリシーのある会場を切り盛りするのは難しいとも言えるけど、有志の人々が集まればこういうこともできるのだな、と感じてちょっと感動した。

この日の一番手は午後1時15分~、地元ニューキャッスル出身のBong。知人のひとりが昨年バーミンガムのSupersonicでもこのバンドを観ていて、強くお薦めされたので観ることにした。ハッパ他を吸うガラス製のパイプっていうバンド名からも察しがつくと思うが、ばきばきにドゥームでサイケなストーナー・ロック(メンバーはもちろん全員ごっつい長髪)で、タールのようにねばつくリフの海には思いっきり飲み込まれる。しかし、のしかかるギターの重みを跳ね返して熾烈なドラムがキック・インするたびにエピックなカタルシス、そして新たな波動を契機に音が広がっていく様はド迫力の美しさで、約30分/1曲のセットを堪能。ブラック・サバス~スリープやSUNN O)))あたりが好きな人にはたまらないサウンドではないかと思います。

すっかりテンションが上がったところで、Chris Corsano&Dennis Tyfus。近年のインプロ~前衛界でももっとも忙しいパーカッショニストのひとりではないか?とよく感じるほど引っ張りだこのクリス・コルサノは、本フェスでライヴを熱心に見守る姿を初日から何度も目撃した。出演者としてだけではなく、いちオーディエンスとしてもこのフェスを満喫しているようですな~。ちなみに、Tuskで他に見かけたミュージシャンは、①マキシモ・パークのポール・スミスと②来年リリースの新作が楽しみ!なフィールド・ミュージックのデイヴィッドのサンダーランド組。そういやポール・スミスはATPでもしょっちゅう見かける音楽好きさんなのだが、今回もいつもと同じ格好(=フードつきパーカ+ジャケット+ハイカットのトレーナー+帽子)だったのが笑えた。あれは、彼にとっての「定番フェス・ルック」なのかもしれない。

話をライヴに戻して――セッティングは、デニス・タイファスがカセット・デッキ2台を操ってバック・トラックやノイズを編んでいき、そこにコルサノのドラムス/パーカッション・インプロが絡むというもの。ノイズ混じりのアトモスフェリックなサウンドがループしコラージュされる中、導入部は通常のドラム・キットを使ったジャズ的ビートで、トライアングルの繊細な羽ばたきやスネアがきらきら瞬く。しかし、コルサノの足元に置かれた「お道具袋」(?)の中からは、優に10本以上詰まったスティック/バチ類、板切れ、各種ベル、口にくわえたチューブを使ってのエフェクト、ヴァイオリンの弦といった秘密道具が次々に引っ張り出される。
手腕はもちろん足、肘など、マッサージ師のように全身を使って叩き、こすり、ひっかき、振り回し、揺らし・・・と、豊かな音色のさざめきをシームレスに、しかも精確に繋げていくその様にオーディエンスも息を呑み、約20分の即興セット、終演と共に喝采の嵐が寄せられた。彼の演奏をこんなに間近で観たのは初めての自分(これまでは他バンドとの共演やコラボがほとんどで、割とオーソドックスなロックよりの演奏だった)も、スポーツ選手を思わせるただただワンダフルな反射神経が生み出す、千手観音も真っ青なその動きに見とれてしまいました――とまあ、それはデニスの使った(いくつものテープのうちのひとつだが)サウンドに日本の念仏を思わせるものが混じっていて、かつ、コルサノの潔癖な坊主頭という絵が混じった、強引な連想ですけども。

にしても、コルサノのスキンヘッドはきれいである。彼は、演奏ぶりがワイルド、かつ異形人が氾濫するインプロ界にいるので見落とされがちだが、なにげに唇も赤々として肌は雪花石膏の英国的美青年だったりする。知人の女性も、このパフォーマンスを観終えて真っ先に「彼は・・・ムフフ!(=要チェックね)」と意味深なリアクション笑顔を浮かべていたくらいだ。しかし、よく考えると、紫の袈裟に木魚というよりも、むしろバチカンとかカトリックの世界に置きたい人かもしれないな。

くだらないボウズ談義はそれくらいにして、続いたのはChris Forsyth&The Paranoid Cat Band、そしてJohn Duncan。前者はうるわしいメロディとギターで聴かせるユニットで、後者は屋台状態でエレクトロ機材を並べ、ささやくように繊細なミュージック・コンクレートを構築・・・とまあ、やや杜撰な書き方になってしまってすみません。が、それはこの日のマイ・ハイライトその①が、彼らの後に登場するRhys Chatham performing “Guitar Trio”だったから、その1点に尽きる。期待を裏切らない――というか、それを遥かに上回る最高なパフォーマンスで、恐らく多くの人間が、このフェスのベスト・アクトに上げるショウだったと思う。
来年60歳を迎えるリース・チャタムは、アメリカ現代音楽/ミニマリスト/前衛コンポーザーとして知られるベテラン。ラ・モンテ・ヤングに師事し、トニー・コンラッドらとも交流しつつ60~70年代ニューヨークのダウンタウン・アート~ノイズ~ノー・ウェイヴ・シーンで活躍、伝説のThe Kitchenの音楽監督を務めたこともある。今回演奏されるエレクトリック・ギターのためのシンフォニー=「Guitar Trio」は77年に発表された彼の代表作で、彼の組織したギター・アンサンブルには、これまでグレン・ブランカやサーストン・ムーアらも参加してきた。

タイトルは「トリオ」ながら、本コンポジションのパフォーマンスは近年6人以上のギター・プレイヤーを中心に編成されている。このTuske Festivalヴァージョンは、リース・チャタム本人を筆頭に、ビル・オーカットやジョン・ダンカンといった他の出演者達、そして地元から招集された若いギタリスト達から成る計9人。そこにベース1名とドラムスが加わった大所帯は壮観だし、舞台が狭いのでギタリストの半数はあふれてフロアの端に降り立つ形で、大きな半円が形作られる。
全員がポジションに着いたところで、つば広の黒い伝道師帽から豊かな白髪をのぞかせ、黒スーツにベスト+白いシャツというシックないでたちのリース・チャタムが入場(〝フォンズ〟ことヘンリー・ウィンクラーを、もっと上品にした感じでしょうか)。軽いコンポジションの説明に続き、いよいよ演奏開始。全ギタリストにそれぞれ1つの音符/コードが割り当てられている仕組みで(1本1本チューニングも違うと思う)、リース・チャタムが先陣を切ってリフを弾き始め、やがてひとり、またひとり・・・とキューを与えられたプレイヤーが加わり、重なり合った音から異なるハーモニーが立ち上がる。その音感は確実にソニック・ユースに通じるもので、さすが師匠筋っす。

考えれば単純な発想なのだけど、建築の設計図、あるいは星図を思わせるその均整のとれた構成と理性は、聴いているだけで浄化される。と同時に、リース・チャタムが時に指差しで、時に目線でそれぞれのギタリストを絶え間なく指揮者のように操作(音量を上げる/テンポのアップダウン/オン・オフの切り替え)することで、楽曲全体はダイナミックかつエモーショナルに隆起し、サン・ラ・アルケストラばりのコズミックなトランス感が広がっていった。演奏する側にとっては大変だろうが、30分どころか1時間聴いていたいくらい、陶酔のジャムだった。
全員がF#を弾くというコンセプトの2曲目に続き、ラストは「Louie Louie」でおなじみのコードをアレンジしたトラック。ここでの主導はリズム隊で、彼らのダイナミックなグルーヴにのり、プレイヤー全員が思い思いに弾くことで生まれるズレやアクシデンタルな和音/不協和音がほとばしる。その只中で、ジャケットも脱ぎ捨て、半ば放心した表情でフロアに跪いたままリース・チャタムは同じリフをえんえんとストロークし続け、他のギタリストを激しく煽り、勇壮な音の翼で「彼方」へ連れて行ってくれた。
30年以上前に生まれたアイデアとは信じがたいくらいタイムレスな響きだったし、毎回異なる個性のプレイヤーと異なるエレキの組み合わせが生まれる=どのパフォーマンスも微妙に違う結果になるため、新たな生命が注ぎこまれているとも言える――と感動したのだが、たとえばクラシックやジャズでは、古典のバリエーションという発想はむしろ普通。コンポジションよりもプレイヤーやパーソナリティに重きが置かれ、イメージや声も全体の一部を成すロックとは違うなあ、と興味深くもあった。

夕方以降の後半戦は、トリのアラン・ビショップがハイライトその②だったので、近くのレバノン料理店まで抜け出してご飯を食べたり(周囲にあまり外食店のないエリアだけに賑わっていたけど、観察するとテーブルの7割はTusk参加者だった:笑。隣のテーブルは偶然にもマキシモ・ポール一行だったが、連れが全員女性だったのは、さすがロック・スターという感じ??)、軽く流しながら観ていった。Purling Hissは割りとオーソドックスなガレージ・ロック・トリオで、悪くはないが特に新鮮味はなし。Natural Snow Buildingsはギター2本とエレクトロニクスのミニマル・ノイズ・ユニットで、その名に恥じない霜柱のように繊細なサウンドだった。ヴォーカルが入る曲に、デーモン&ナオミを思わせる風懐な表情があったのもなかなか良い。

いよいよAlvarius Bことアラン・ビショップの登場。USアート・パンク界のエアー・ポケット:サン・シティ・ガールズの元メンバーであり、グローバル・ポップの秘境を掘り保存するアーキヴィスト/考古学ぶりで昨今つとに注目度が上昇中のSublime Frequencies(ビョークも先ごろファンであることを表明してましたね)創設者でもある人で、アンダーグラウンドにおけるリスペクトの高さは集客にも現れている。
SCGの頃は被り物やお面で隠れていたし、先だって観たATPでのリチャード・ビショップとライヴでもサングラスに帽子と、素顔をとっくり拝むのは今回が初めて。会場の外でレコードやCDを売る姿を見かけて多少慣れてはいたものの、レバノン系の血筋で濃い顔のスキンヘッド、眼鏡の奥には炯眼が光る生アルヴァリウスBは、江戸時代の怪談草紙に出てくるなまぐさ坊主(失礼な表現ですが)のようでもあり、近寄りがたいものがある。顔立ちではなく、「おっかない度」で言えば、スティーヴ・アルビニにも匹敵か。

とはいえ、アコギ1本を手にスツールに腰掛け、1曲目はこちらの構えた雰囲気を見透かしたかのように(?)なんとバカラックの〝Raindrops Keep Falling On My Head〟から。アドリブで歌詞を変えたいわば「邪道カヴァー」で、風呂に浸かりながら歌っているようなカジュアルさ(いい加減さと言ってもいい)だが、こういうポップ・クラシックも彼の広大な音楽スコープの中には含まれているのね~、とちょっと愉快になった。
弾き語りと言ってもオーソドックス&フォーキィなそれではなく、だんだん奇妙にねじれていく。演奏のスタイルもストローク中心でゴツゴツしていて、半ばトーキングな歌にギターのすさびが絡む感じ。その歌詞はシュールなユーモアを湛えたイメージをランダムに羅列したもので、日常の奇妙な破片を切り取り歌にする、ビジーでシャープな頭の回路には目を見張った。が、その破片はハンカチに包まれることなくそのまま提示されるので、たとえば中国系タクシー運転手をののしる曲(一応、歌い始める前にオフェンスを慮って断りを入れていたが)など、聴き手によっては「ジョーク」と飲み下しにくかったりもする、タブーでボーダーラインな内容も混じる。その上、屋内公共施設での喫煙禁止令を破ってステージ上でタバコをふかし、話し声がうるさくショウの邪魔になってるオーディエンスには堂々とNGを出し、突如詩の朗読を始めたり・・・と、何物にも動じないアウトローぶりは、知人の何人かが複雑な表情でサム・ダウンするほどだった。

別に、PCの限界をテストするのが彼のアイデンティティではない。が、アラン・ビショップがあくまで「芸」としてあれらの歌をパフォームしていたのは明らかだったし――美声の持ち主でも技巧ギタリストでもないけど、歌と表現は秀逸――言い換えれば、それは彼の個人としてのスタンスとは関係のない話。その意味で、このパフォーマンスには良識派に眉をひそめさせた、かつてのランディ・ニューマンのイメージがだぶりもした。
ラストは、ピンク・フロイドの〝Wish You Were Here〟と〝You Only Live Twice〟の名メロをマッシュアップした替え歌から、そのまま英カルト・ホラーの傑作「Wicker Man」の挿入歌〝Gently Johnny〟のカヴァー(!)へと繋ぐ、これまたマニアックで意表をつく展開で聴かせまくり。喝采を浴びせる熱心な観客に「Creeps in Newcastle!」と、しかし言葉とは裏腹の嬉しそうな笑み、そしてミステリアスな名残を漂わせて、アルヴァリウスBは去った。

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Mariko Sakamoto について

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