The Chemical Brothers:Don’t Think

フィナーレ近くに踊りだすお客も出た上映会

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去年の11月22日付けのポストでケミカル•ブラザーズのコンサート映画
「Don’t Think」のティーザー映像をアップしましたが、その縁もあって、2月3日に行われたロンドン:BFIでの同作上映会に行って来た。
コンサート映画〜ロッキュメンタリーが増える一方の昨今とはいえ、「ひと味違う映像体験」として好評を博している本作、ワールド•プレミアは1月に世界各国の映画館で開催済み。自分が参加したこの上映会はロンドンにおける2回目の上映だったと思うが、トム&エドが家族連れで観に来ていたのはもちろん、スクリーニングの前には監督であるアダム•スミス(国富論ではないですよ)を迎えての「オレの映像キャリア紹介」トーク、終映後には観客も含めたQ&Aも行われ、なかなか楽しかったです。

ご存知の方も多いと思うが、この映画の概要は昨年のフジ•ロックでのケミカルのグリーン•ステージでのヘッドライン•ショウを捉えた、というもの。昨今のコンサート映画の多くはレジデンス•ショウ、すなわち同じ会場で行われる複数のライヴを収録し、音質やパフォーマンスの良さを基準に編集する…というスタイルだと思う(なんで、2日連続でメンバーが同じ衣装だった!なんて目撃体験もあります:もちろんちゃんと洗濯してるんでしょうけど)。
その意味で、1夜のイベントを丸ごと収録=いわば一発勝負〜しかもフェスという不確定要素の多いシチュエーション(天候はもちろん、場に慣れてないとカメラ•クルーも大変だろう)を選んだ「Don’t Think」のプロダクションは、良く言えばオールド•スクールでオーガニック、悪く言えばリスキーな賭けを孕んでいたと思う。

しかし、監督アダム•スミス本人による映像遍歴トーク(監督作の各種クリップもプレゼンされました)で興味深かったのが、たとえ結果である映像そのものはモダンに見えても、その背後にある手法や発想そのものは意外とアナログであるところ。ギークな童顔にだまされがちだが、この人のキャリアはAcid Jazz勢=サンダルズ(!)のライヴ•ヴィジュアル制作から始まったそうで、実は年季が入ってる。その当時のライヴ映像がちょっと披露されたのだけど、60〜70年代のリキッド•ライト•ショウ(ヴェルヴェット•アンダーグラウンド&ニコのファーストの裏ジャケ、あるいはジャニス•ジョプリンやデッドのライヴ映像をイメージください)を使ったサイケなヴィジュアルは、ぱっと見90年代の映像とは思えなかった。ダンス•ミュージック(アシッド•ハウス他)って、やっぱ当時のイギリスの若者にとっては新たなサイケデリアだったのだなあ…なんて考えたりもしたが、それはともかく、サンダルズの音をこちらで:

ケミカル•ブラザーズのライヴ•ヴィジュアルやビデオを手がける一方、アダム•スミスはザ•ストリーツのプロモ•ビデオ他を通じ、物語性のある映像にも挑戦していく。最近ではチャンネル4のドラマ「Skins」、BBC「Dr.Who」なども何話か担当しているそうで、いずれ長編映画に向かうのかもしれない。
音楽ビデオやコマーシャルから映画へのシフトってのは、もちろん今に始まった話ではない(ミシェル•ゴンドリー、ジョナサン•グレイザー、スパイク•ジョーンズ、マーク•ロマネク等)。でも、アダム•スミスのこのトークを聞いていて、プロモ上がりのクリエイターの強みというのは映像面でのテクニックの多さ•引き出しの多さ、それらをミックスするセンスにあるのだなと実感。
本人も「映像のからくりを説明しちゃうと夢がないけど」と何度か苦笑していたけど、たとえば以下のビデオの2分50秒あたりで登場するドットでできた「顔」。これをこのトーク•セッションで実演版を見せてくれたのだけど、黒ずくめ•顔も黒く塗った役者の顔に豆電球(あるいは蛍光テープ)をびっしり貼り付け、闇の中でそのダンスや表情を撮影したものがベースになっている、とのこと。単純な発想だけど、CGっぽい雰囲気はちゃんと出ている。

他にもストップ•モーション/超高速撮影、磁気に反応する液剤を利用したパターン作りなどが種明かしされたが、アイデアそのものは新しくなくてもそれらの使い方や組み合わせ次第でまだまだ面白いことはできる、ということだろう。そこに、「手で生み出すライヴ」へのこだわり〜無機質に陥らない体温を伴ったダンス•ミュージック〜親しみやすさとエッジが共存する音楽性に象徴される、ケミカル•ブラザーズの感性とのシンクロを感じもした。

肝心の映画は、ケミカル•ブラザーズの音楽とライヴの特質を活かしつつ場の雰囲気を巧みに捉え、と同時に一風変わった味わいも織り込んだ、シネマ•ヴェリテとシュールな映像詩の間に位置するような内容になっている。

サウンドと映像の融和ぶりは申し分なく、さすがケミカルのライヴ映像制作を18年担当してきた監督だけのことはあって、ライヴ•ヴィジュアルの生でのアドリブやライティングの効果も含め、ショウの魅力を遺憾なく捉えている。こういう比較も手前味噌かもしれないが、自分の書いた文章は自分で通津浦々まで承知しているように、アダム•スミスにとってもあれらのヴィジュアルはすべて彼の掌中にあるのだろう。
とはいえもっともユニークなのはカメラの視点で、トムの手元のアップとかステージ上方から捉えたふたりの様子といったプロなアングルも含まれるものの、多くはオーディエンスの目線と同じ高さに置かれている。ゆえに視界が人の頭の壁で遮られたりもするし、ライヴの盛り上がりを(ステージではなく)それを観ている観客の興奮した表情や驚き顔で代弁させる、音楽は続いているのにカメラはふらふら場外に移動…など、意外な展開も。要するに、カメラがステージ&パフォーマーに縛られていないのだ。

ケミカル•ブラザーズに対してはいささか失礼な書き方になるかもしれないけど、この思い切った演出が可能だったのは、ロック系のコンサート映画ではどうしたって無視できない「リード•シンガーの表情」とか「泣けるMC」、「ギタリスト/ドラマーの見せ場」というスター要素〜キャラ幻想が彼らには薄いからだろう(中にはそういうファンもいるかもだが、ケミカルのライヴでふたりの動きだけ最初から最後まで追ってる…なんて人は、かなり稀だと思う)。
そんないわば音楽/主体としての匿名性を逆手にとることで、この作品は通常のコンサート映画とはまた異なる「疑似体験」感覚を生み出している。他の上映会同様、このスクリーニングでもラスト近くになって最前列のお客達が立ち上がり踊り始めたんだけど、実際の拍手やかけ声なのかあるいは映画の中の音声なのか、聞き分けがつかない混沌が生まれた。
あと、これはフジ体験者だから余計そう感じるのかもしれないが、「ライヴってこうだよね〜」というリアルな感覚/臨場感が伝わってきたし、ナショナル•フィルム•シアターの快適なシートに身を沈めて観ているにも拘らず、長靴と雨合羽のフェスの肌感覚すらよみがえってきたのは面白かった(でも、立ち上がって踊りはしませんでした。後ろの席の人達に迷惑なんで)。ここまでやるんだったらいっそ3Dにしても良かったのでは?と思うが(ライヴ部はともかく、大きくフィーチャーされているヴィジュアル映像は部分的に「飛び出す」と面白い気がする)、それだと現時点ではかなり制作予算が必要になるのだろう。

オーディエンス•サイドからのマルチなショットというのは、ビースティ•ボーイズ「Awesome; I…Shot That!」等でも既に使われているアイデアだったりする。が、あちらがYouTube映像あるいはブートレグの味を基調に据えていたのに対し、「Don’t Think」はプロによるショットなので印象は異なる。
また、このライヴ体験がひとりの観客の視点に基づいたものであることも徐々に示唆されていき、そこから作品は一時的に「フェス」という異空間にさまよいこんだ女性の一夜の幻想(軽い悪夢?)とでもいうべきゆるいシークエンスにすり替わっていく。
パレス•オブ•ワンダーの模様や屋台エリアも挿入されるこのくだりには「外人の目に映る異国日本のフェスのエキゾチックさ」とでも言うべきノリもあって、正直ちょっとこそばゆくもある。そうした「わー、これ何?」的な覗き見〜好奇心主体の解釈は他にもいくつか見受けられるが、あくまでライトなユーモアのスパイスとして機能しているので、そんなに気にならなかった。

ともあれ、この作品は日本じゃないと成り立ちにくかっただろう。監督アダム•スミスも上映後のQ&Aで認めていたが、フジのオーディエンスの理解と協力ぶり(「カメラに目線を合わせないで、ノリ続けてください」のメッセージを皆がちゃんと守ってくれたそう)がまずひとつ。これがたとえばイギリスのフェスだったら、すぐにカメラにキッズが群がる/目立とうとする/かっこつけ始める/カメラマンに話しかける、あるいは「何撮ってるんだ?」とドやされる/絡まれるのが関の山だろう。
もうひとつ称えられていたのが、オーディエンスの反応の素直さ•真剣さ。これはまあ、そうした印象を強める場面をバランスよく配した編集の賜物って面も大きいとは思う。が、エピックにビルド•アップするサウンドに合わせ「ウォ〜〜〜」と盛り上がっていく若者、キメのブレイク•ダウンにがっつり揺れてみせるオーディエンス、不気味なピエロの映像に顔を引きつらせるファン…と、音に合わせてエモーショナルなアップ•ダウンをはじけさせる日本の観客のイノセンスは、自分の目にすらまぶしく映った。
ライヴ•ミュージックを体験する行為が、ややもすると「酒を飲んで友達と騒ぐための場」に陥りがちなスレたフェス客(あるいはライヴ客)に慣れっこのイギリス人にしてみたら、このフジの様子はそれこそ「アンビリーバブル!」な光景だったんじゃないだろうか。

それを、あくまでシニカルに、「ベテランでもはや英国内では定番〜〝カッティング•エッジ〟とは言えない今のケミカルだが、まだまだこんなに忠実なファンがいる」という側面を外に向けて強調するためのギミック、と捉えることも可能だろう。だが、フジ客に限らず、日本のフェス/ライヴ客の中に全般的にある(と自分は思う)、ミュージシャンと彼ら/彼女らの作る音楽に対するリスペクト〜そしてライヴを満喫し素晴らしい体験にすべく心底盛り上がろうとするピュアな姿勢というのは、美徳に他ならない。
その姿勢は、大昔には「日本のお客は礼儀正しくおとなしい」「いちいち指図しないと騒いでくれない」などといった安易な通説にもつながっていたと思う。が、盛り上がるところではバンバン暴れ、聴かせる曲ではじっくり聴き入り喝采で締めくくる昨今の日本のオーディエンスの察しのよさ/心地よさ――それは、アーティストがその曲なりショウで描こうとしているコンテクストを理解し、その状況に合わせて振る舞う「知性」が存在してるってことでもあるだろう――は、音楽をプレイする側にとっては、(たとえ最初は慣れなくて驚いても)最終的にはとても気持ちいいものじゃないだろうか。そんな美しい交感の情景を映像に残してくれたという意味でも「Don’t Think」はレアな作品だし、ケミカル好きはもちろん、フジ•ファンにも体験してほしいなと思った。

蛇足ですが:もうひとつ感じたのが、たとえばイギリスのフェスで撮影すると例の「旗」が多く、ステージ•ヴィジュアルと音の連携がキモのこの作品には大きな障害になっていただろうし、その意味でも英国外のフェスで撮影、というのはポイントだったのかもしれない。グラストンベリーなんかでおなじみであろうあの旗は、遠目には絵になるけども、実際に目の前で振られると「ぎゃーっ、バンドが見えない!」とか不快そのものだったりする(肩車ギャルも同様:どうぞ1曲で終わりにしてくださいね)。フェス•カルチャーはどんどん発展し各地に伝播するものだけど、どうか、この旗ふり慣習だけはイギリスだけに留まってほしいものです。

にしても、イギリスのメディアではいまだにフジ•ロックの開催地を正確に把握していない人が多く、ちょっとびっくり。「富士山のふもとで」ってのが一番多くて一般的な勘違いなんだけど、今回「東京のフェス」って表記を見かけたのには大いに笑いました。

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Mariko Sakamoto について

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