Thurston Moore and Michael Chapman@South Bank,Purcell Rooms/1Feb2013

サーストンの朗読

サーストンの朗読

キム•ゴードンとの別離〜ソニック•ユースは活動休止状態に、とここしばらく波風が続いたThurston Moore周辺。とはいえ新たにバンドChelsea Light Movingを結成しそのファースト•アルバムも3月リリースということで、ポストSYの「次なるステップ」を踏み出し始めたのは間違いない。
CLMのアルバム•リリースに伴うツアーこそ「本番」なのだろう。とはいえその波に揉まれる前にさくっとフレキシブルな単独飛行であちこちに羽根を伸ばしておこう……というノリなのか、年が明けて1月後半からはしばし英国を行脚していたサーストン。カフェ•オトでのジェイソン•スペースマンとのインプロ共演ショウもプチ話題になったが、サウスバンク•センターのライヴ施設の中でもこぢんまりした雰囲気がナイスなパーセル•ルームで開催されたこの晩のイベント(その名もずばり「Acoustic Guitars」)は、ブリティッシュ•フォークの御大Michael ChapmanとのジョイントUKツアーの一環だった。両者のコネクションの、もっとも分かりやすい例がこちらです。

メインのショウはマイケルとサーストンのそれぞれのソロ篇、そして最後に両者の共演という内容ながら、オープニング•アクトとして(マイケル•チャップマンと同じく)英ヨークシャー出身の若きソロ•ギタリスト:Dean McPheeが登場したのは嬉しい。この人の音楽は近年のギター•インスト作品の中でもとみに評価が高いのでご存知の方も多いと思うけど、アコギながらフォーク•スタイルのみに捕われない流麗な演奏はもちろん、ラーガやジャズ、ミニマル、ドローンなヘヴィ•ミュージック等と共振するコンポジションの幅と密度の濃さには酔わされた。アコギもいいんだけど、ジョン•マーティンを思わせる巧みなペダル/エフェクト使いにエレキの演奏も聴きたくなる人である。
正味30分=2曲と短い演奏だったとはいえ(最後の曲はモーリス•ディーバンクばりの叙情性がしたたる演奏が抜群でした!)、噂にたがわず優れたギタリストであるのを確認。現在今年リリース予定のセカンド•アルバムに取り組んでいるそうなので、ご期待くださいまし。

続いて、トラッカー帽にTシャツはタックイン+ジーパンのおなじみのオヤジーなルックスでふらりとステージに上がったのはベテランMichael Chapman。この人については当ブログでも昨年ヨークシャーで観たライヴを取り上げたことがあるが、うーん!やっぱギター上手過ぎだ。先に登場したディーン•マクフィーは歌無しのプレイヤーゆえにスツールに着座しての安定モードで細やかな演奏を聴かせてくれ、その姿は琵琶法師や神事/祭事音楽家(たとえばガムランとか)を思い起こさせるものがあった。
一方マイケル•チャップマンはシンガーでもあるので立ったままで、雰囲気はもっと世俗的というかバスカーに近いだろうか。が、ひとたび演奏が始まると川の流れにも似た淀みのないプレイと変化に富んだ表情/トーンが滔々と場内を満たしていく。もはや腕とギターがマイケル本体から独立した運動機関として機能している印象なのだ。名匠。

Michael Chapman

Michael Chapman

そのめくるめく響きはロビー•バショーやジョン•フェイヒィ(「Fahey’s Flag」というオマージュ曲もこの晩プレイされた)、ピーター•ウォーカー、もっと若い世代では(故)ジャック•ローズといったラーガ•ギタリスト達との精神的な連携を感じさせるが、歌い手としては渋くささくれたトーキング調の歌いっぷりでブルース•シンガーの影響が強い。そこに歌詞ににじむ英北部人らしいドライなユーモア〜地の塩的な視点が加わることで、アメリカン•フォークとブリティッシュ•フォークの独特なブレンド=ユニークな交差点が生まれている。
たとえば晩年のデイヴィー•グレアムやジョン•マーティンのように、カルトなソロ•ギター•プレイヤーが不遇を囲うケースは珍しくない。あるいは「ブリティッシュ•フォーク」の枠組みにパッケージされ、懐メロ&ノスタルジアを求める(同年代)オーディエンス層にのみアピールするアーティストになっていくパターン。しかしそのどちらにも与することなく、マイケル•チャップマンがこうしてプレイヤー/コンポーザーとして健在かつ刺激的な作品を生み、ツアーも盛んに行っている事実は喜ばしい限りだ。

mcl&thstn

いよいよサーストン登場と相成ったが、彼の前の2者のプレイが良過ぎたからか自分的にはイマイチだった(お客さん達は「相変わらず見た目若々しいねー」と盛り上がってましたが)。理由としては「Mina Loy」や「Psychic Hearts」等々選曲がソロ作からに絞られており、イコール:去年ジェフ•マンガムATPで観たCLMとしてのバンド•セットとほぼ大差ない内容だったのがまずひとつ。サーストンの楽曲にいやおうなくつきまとうSY臭〜個性的なチューニングはアコギで聴いてもバンドで聴いても拭えないので、せっかくソロなんだからもっと柔軟に遊んでくれていいのになぁとつい感じてしまった。
遊びという意味ではポエトリー•リーディングの場面がそれに当たったのかもしれないけど、ギンズバーグ〜バロウズ系の朗読をやるにはサーストンは冷静過ぎるというのか、熱に浮かされたような「言霊」資質が足りない。志は買うものの、その野心をパフォーマンスとして具現化できるか否かはまた別の話というところ?(本人がやや照れくさそうに朗読をそそくさと終わらせてギターの演奏に戻った姿も、その印象を強めていた)。
もうひとつは、彼の音楽のルーツレスさとテクニカルな限界がソロでは剥き出しになってしまい、物足りなく感じられた点。ディーン•マクフィーとマイケル•チャップマンのマエストロでエモーショナル、めくるめくプレイの後に観たのも大きかったと思うけど、アコギ一本であれだけ多彩なメロディ/トーン/リズムの饗宴が生まれるのを見せつけられたことでサーストンのプレイは「もう一息」と響いたのだ。
相対的な感想なのでフェアではないし、まったく違うスタイルの演奏を比較するのはナンセンス。パンクやノー•ウェイヴが源流にある彼の音楽はそもそも伝統や歴史と分離しているのが魅力だし、ハーモニーの原則を無視した不協和音や奇妙なトーンはアイデアとしては面白いと思う。が、フィードバック他のエレクトリックな隠れ場所が少ないアコギのパフォーマンスではプレイヤーの運指やグルーヴ感等ディテールや息吹きがモノを言うわけで、リフがメインの彼のプレイ&楽曲は深みや奥行きに欠ける気がした。
その意味で、フィナーレのマイケル•チャップマン×サーストン•ムーアのインプロ•セットは「本領発揮」というか聴きごたえがあった。ドラム•スティックも駆使して様々なノイズをこすり、かきむしるサーストンがぐいぐい引っぱりコンポジションのきっかけを次々に開く中、全体の背景/底辺をマイケル•チャップマンの繰り出すエコーの効いた、しかしストイックに選ばれた一音一音が渋く埋めていく。スリリングかつ霊的な音楽でした。
と同時に、サーストンという人は他にギタリストが加わることで光る曲を書く、根っからのバンド•マンなのかもなぁ〜と感じた。聴いているとカウンター•パートが聞こえてくる、そういうプレイなのよね。ともあれ、再び新たにバンドを結成したということは本人もまだその側面=ギターや他のサウンドとのインタラクションを追求しようとしているってことなんだろうし、ソロの冒険はもっと歳を食ってからでもいいのかもしれません。

というわけで、最後にこのチャップマン/ムーアのインプロ対決を聴いていて思い浮かんだ楽曲=ジョン•フェイヒィの「The Death of The Clayton Peacock」をおまけに。2011年にリリースされたマイケル•チャップマンにとってキャリア初(!)のインプロ•アルバム「The Resurrection and The Revenge of Clayton Peacock」は非常に美しい「意識の流れ」音楽だが、タイトルから察するにこの曲はインスピレーションのひとつなのだと思う。

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Mariko Sakamoto について

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