Nick Cave And The Bad Seeds@Her Majesty’s/10Feb2013

総勢24人、圧巻のスペシャル•パフォーマンス

総勢24人、圧巻のスペシャル•パフォーマンス

みなさん、ニック•ケイヴ&ザ•バッド•シーズの新作「Push The Sky Away」はもう聴かれましたか?――なんて書き出しは「余計なお世話じゃ」とうざったく退けられるだろう。が、グラインダーマンを含むここ数年のべらんめえなベクトルから思いっきり逆に振り切ったこの作品の霞のように包み込むストイックな音作り、ブルース〜フォーク調の淡々とした挽歌の調べとある種の諦念がにじむ歌詞とが醸す幻視的なイメージはこれまでのニック•ケイヴ作品のいずれとも違う世界――「The Boatman’s Call」が比較的近いとの声も耳にしたけど、自分は不賛成です――を造り出していてみごと。
この人の作品にはどれも聴くべきところがあるけれど、スタジオ•アルバムとしては15枚目=普通だったら定例パターンのマンネリに陥る、あるいはアイデンティティ模索の果てに焦って新たな血(やったことのない音楽性にトライするとか、ゲストをやたら呼び込むとか)を導入してコケてもおかしくない。しかし(ミック•ハーヴェイが脱退したとはいえ)メンバーは基本的に同じ/プロデューサーも変わらずと布陣はほぼそのまま=安定した環境から斬新な美と息吹が生まれたのは、音楽集団としての美しい純化〜トータルな力の現れだろう。こういう作品は、なるべく多くの人に聴いてもらいたくなる。
キャッチーな曲は皆無に等しい非即効型のデリケートな内容なので一聴しただけでは「地味」「分かりにくい」と感じる向きもあるかもしれないが、たとえば個人的にこの作品の精神面でのルーツと重ねているニール•ヤング「On The Beach」のように、繰り返し聴き続けることで聴き手の心の編み目に年々浸透しいつしか人生の一部になっていく、そういう可能性を秘めた音楽じゃないかと思う。もっとも「On The Beach」のようにニックがブライトンの浜辺にぽつんと佇む光景ではなく、ジャケットはニックと彼の妻(全裸)を捉えた荒涼×エロティックな写真。枯れつつもhelplessばかりではなく、樹液はちゃんと残っているようです。

重々しい会場外観。元ゴスも多く見受けられた観客との相性もばっちりっす

重々しい会場外観。元ゴスも多く見受けられた観客との相性もばっちりっす

というわけで、実はロマンチストなニック•ケイヴらしくヴァレンタイン•デーを間近に控えたこのライヴは、アルバム発売を記念しロンドン/パリ/ベルリン他数都市を回るプレミア•シリーズ•ショウの初日。取材のお手伝いをした流れもあり今回は招待です。ラッキー!
会場は普段は「オペラ座の怪人」をロングラン興行している劇場で、お芝居やミュージカルにとんと縁遠い自分はもちろん初体験(ロンドンで、これまで唯一観に行ったのは「Matilda」だけです)。新作にハマっていたのはもちろんのこと、毎回外れ無し!なニック•ケイヴのライヴを観れる期待感からか(?)日程を1日勘違いしてライヴの前日=吹雪の中会場にフライングな無駄足を運んでしまったのだが(間抜けです:でも気分は「Fifteen Feet Of Pure Snow」ってことで)、入場待ちで外にあふれたお客の大半はほのぼのファミリー&観光客。対してこの本チャン•ナイトはオヤジ客を中心にかつてパンク/ゴスでならしたとおぼしき世代(鼻ピアス、黒づくめ、アイライナー等が目印)や中流カップルが行列を成していて、高級ホテルやレストランがひしめくウェスト•エンドにそぐわない世界が形成されていたのは面白かった。
メディア向けプレミアという性格の強いショウだけにゲスト•リストの入場列もかなり長かったが、前作のアート•ワークを担当した芸術家スー•ウェブスター、女優ジェイミー•ウィンストンらいわゆる「セレブ」も目撃。ジェイミーよりも彼女のお父ちゃん=名優レイ•ウィンストンを拝みたかったってのが本音ですけどね。レイは「Jubilee Street」のビデオでもいい味出してますが、出演作「The Proposition」(ニックが初脚本を担当)の予告編クリップもおまけに。

場内はこの手の古い劇場らしく3階席まであり、赤い緞帳やシャンデリアを金箔で覆われた天使だのなんだのの彫像の数々が見下ろす。バー•スタッフを始め場内案内係もベスト着用ながら、ロイヤル•オペラ•ハウスの格調の高さに至らない「芸能」で俗なノリがあるのはある意味ニック•ケイヴにふさわしい。
演目は①アルバムのレコーディングを追った短編ドキュメンタリー映画上映②ライヴ(前半は新作を全曲プレイ+後半は通常のライヴ)という流れ。①は既に予告編的に一部が公開されているが、南仏プロヴァンスにある旧家の豪邸を改装した美しいスタジオを舞台にニックがペンとノートを相手にしかめ面し、浪士めいた佇まいのウォーレン•エリスが胡座をかいて様々なノイズを操り……と「それらしい」光景が続く。メンバーやスタッフのコメントには作品の成り立ちや意図のヒントがちりばめられていたし、文学やファイン•アート、映像といった他メディアにもリンクするニック•ケイヴのようなアーティストのショウの場合、半端なオープニング•アクトを持ってこられるよりもこういう映像を見せてもらう方が気分が盛り上がる&効果的かもな、と感じた(ニック•ケイヴのファンは信者に近いので、メイン•アクト以外はある意味どうでもいい)。もちろん新作プレミアに限った話だが、とりわけ「PTSA」のようにアルバム1枚として完結していて過去の楽曲群とライヴの場で混じりにくい内容の場合、ドキュメンタリーや作品をテーマにしたイメージ映画/あるいはディスカッションが先に来るこういうライヴのスタイルはありかもしれない。

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映画上映→しばしの幕間に続き、赤天鵞絨の緞帳がするすると静かに上がってステージが明かされる。グランド•ピアノの他にキーボードは3台•ドラム•ライザー2基と大風呂敷な6人のバッド•シーズだが、今夜の特典はエド•クーパー、そしてバリー•アダムソンの参加だった。エドは豪ガレージ〜パンク•シーンの名バンド:The Saintsのオリジナル•メンバーとしても知られるが、ソロ作品の数々も素晴らしい人です。

ミック•ハーヴェイの脱退以後バッド•シーズのツアー•ギタリストとしてのポジションを固めたようだが、オーストラリア•コネクションを大事にし続けるニックらしい。バリー•アダムソンは新作にも一部参加しているとはいえ、現バッド•シーズのレギュラーであるトーマス•ウィドリアーが病気でこの一連のショウをお休みしたための代理登板。パーカッション/キーボード/コーラスと柔軟なプレイに老舗のバッド•シーズ•ファンは同窓会気分をそそられちょっと泣いたはず。この調子ならミック•ハーヴェイ、そしてブリクサも夢じゃないかも??
彼らの後方には弦楽クインテットが控え、女性バッキング•ヴォーカル2名、そしてとどめは子供合唱団(10人)。黒スーツにサテン黒シャツ姿のニックが加わり、総勢24人の行軍が始まった。

先述したように前半は「PTSA」全曲再演。動きの少ないメロディ、浮遊するループやリフにストリングスがほのかに味付けしていく……というミニマルな作風はもちろん、アルバムのフロウも素晴らしい=他の曲に邪魔されたくないので、この密度の高い展開は自分的には大歓迎である。いずれ通常ツアーが始まったらこの作品の楽曲とかつてのアルバム曲とをセットの中で交えないといけないだろうが、この時点ではとりあえずその心配は脇に置いておきます(コーチェラ2013ではバッド•シーズ篇とグラインダーマン篇の2回プレイするので、静/動をきっかり分けるプレゼンになりそうです:これまた正解)。
オープニング「We No Who U R」でニック演歌の世界が堂々と立ち上がり、続く「Wide Lovely Eyes」は子供合唱隊の清明であどけない歌声が美しく響く。合唱団と言っても宗教的なそれではなく、地方自治体が運営するローカル•クワイア。そこらの公園で遊んでそうな普段着姿のキッズがニック•ケイヴのアダルトな世界観に混じる光景は、ある意味倒錯していて思わず笑いがこぼれてしまう。
しかし、ネットでアルバム•ストリーミングも行われていたとはいえオフィシャル発売前のアルバムをライヴで丸ごと演奏するのはアーティスト•エゴと批判されても仕方ない。その「おとなしく拝聴する」ムードを覆すかのように、続く「Water’s Edge」ではウォーレンのフィドルがストリングス&合唱と共にうねり、ニックもステージ前方に飛び出て例の「指差し柳腰ダンス」を繰り広げJBばりにバンド完璧にコントロールし……と、いつものバッド•シーズの王様ライヴなノリが復活。お客もやんやの喝采で応え、この晩につきまとってきたややかしこばった空気がほぐれる。
そのノリが最大限に活かされたのは「Jubilee Street」で、満ちる潮のようにダイナミックなグルーヴにぐいぐい競り上がるコーラス、ニックのルパンなジャンプもばっちり決まって前半のハイライトと相成った。今後ニック•ケイヴ•クラシックのひとつに成長していくトラックだろう。しかしロバート•ジョンソンの名前も飛び出すグルーミィな「Higgs Bosson Blues」(歌詞のイメージにデニス•ホッパー「The Hotspot」が浮かぶ新作中白眉の曲。あの映画はジャック•ニッチェ/マイルス&ジョン•リー•フッカーのサントラも良かったですね)とアルバム•タイトル曲のフィナーレも秀逸で、一本道を思わせる荒涼としたテンポの楽曲をヴォーカルとあえかなバッキングのサウンドが丁寧に色づけしていく様は少しずつ色や空気を変えていく空を眺めるよう。この2曲に関してはニックのマイクとバッド•シーズの本能的なプレイだけで成り立っていて、ストリングスやコーラス隊は必要なかったかもしれない。

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基本的に抑え目の演奏ゆえに逆に余韻が続く前半を切り上げ、いったん引っ込んだバンドはすぐにステージに復活。それまでの雰囲気から一転、硬質なドラム/ギターがノイジーに全開し弦楽隊が構える台座に飛び乗ったウォーレンが全身を振り絞ってコンダクトするストリングスもドラマチックに隆起する中「From Her To Eternity」がキック•オフする。ドゥームなパッションとポスト•パンクの放蕩息子のようなサウンドは今聴いてもスリリングだし、ジャケットを脱ぎ捨ててニックも熱唱。そこからノワールな「Red Right Hand」のタイトさに難なく移行するバンドの手際も鮮やかだ。子供合唱隊の歌声が大いに活きた「O Children」、そして(待ってました!)「The Ship Song」とアンセミック&エピックなニック演歌の怒濤の昂りに早くも大泣き。初期のザ•ヴァーヴが好きな人なら、このむせ返るようなロマンに共振してもらえると思います。
既に時刻は午後10時近く、小中学童から成る子供合唱団は拍手に見送られて退場。児童保護条例を気にせずに済むシチュエーションが整ったところで(?)、ジムの爆音ドラムに引っ張られ音量を一気に増した「Jack The Ripper」に突入。重苦しくダーティなノリから「Deanna」に続いたが、トラッシーにポップなこの曲は(大好きだが)全体の中ではやや浮いていて、ニックの同年代ファンには音が若過ぎ、若い世代には古過ぎ……という中途半端な時期に来ているのかな?と感じた。「♪Oh Deanna」のバッド•シーズ•コーラスにもやや疲れが滲んでいたので、しばしセットから遠ざけるタイミングかもしれない。
しかし中年族にとっては続いてニックがピアノに向かってじっくり聴かせた「Your Funeral My Trial」のラウンジ〜ジャズな解釈、「Love Letter」のキャロル•キングばりに美しいメロディと切ない情感がハイライトだっただろう(カップル客は確実にヴァレンタイン気分が盛り上がったはず)。弦楽クインテットが退場し、本編最後はバッド•シーズのみで「The Mercy Seat」。狂気のモノローグをこれでもか、これでもかと加速させていく鬼気迫る演奏とブルータルなドラマツルギーはまさしく闇のマスターの独壇場、スタンディング•オベーションが送られた。その熱狂に応えアンコールは「Stagger Lee」で、蛇行するビートとマラカスのタフなシャッフルに乗ってエクスタティックに吐き出される説法節にノイジーなギターがぶつかる様はさながら前衛ブルースの趣き。興奮にとりつかれた観客が再び沸きまくったのは言うまでもない。

他に聴きたかった曲を上げ始めればキリがないが(「Tupero」、「Into My Arms」、「Nature Boy」etc)、今夜の主旨は新作プレミアなので文句はなし。かつ、ブルースを基盤にロック/ガレージ•パンク/クラシック/ジャズ/フォーク/ポスト•パンク/ポップ……と様々な音楽の曲がり角を自在に縫ってく後半は彼らの音楽集団としての成熟と自負とに満ちていた。
悲しいことに日本は「ニック鎖国」が長く続いていて――様々な状況が重なった結果なのでその要因を限定するのは難しいが――「PTSA」に対する反応の良さとアメリカ市場への視線を考えるに、日本がますます遠くに押しやられそうな気配は否めない。コールドプレイやウィルコなど、海外人気/評価格差が大き過ぎてジャパン•ブレイクが遅きに失した例は今に始まった話ではないとはいえ、日本の音楽ファンがこの繊細と剛毅の両極を併せ持つヴァイタルなバンドのショウを体験できないままなのは不幸に他ならない。
が、新作リリースを機にその状況は徐々に変化していくかもしれない、との希望も今は抱いている。「PTSA」を初めて聴いた時は、正直「わ〜お、押し出しの強かった前作に較べて音が地味過ぎ&暗過ぎ。受けないかも?」と心配になった。自分のようにマイナーでニッチでマニアックで小難しい基本趣向を持つ人間が「素晴らしい」と即座に膝を叩くような作品(=売れない音楽とも言う)は、ある意味商業的には呪われているのだから。
ところが「PTSA」のストイックで枯れた作りに何度も触れるうち、いや、むしろこのアルバムは日本のリスナーにこれまでとひと味違うニック•ケイヴ像を提示できるかも?との思いも浮いてきた。重くクレイジー、シリアスでヴァイオレントでオブセッシヴ。一見マスキュリンでとっつきにくいイメージの付きまとうニックだが、彼の音楽はクェンティン•タランティーノとは違って突き詰めれば女性的だと思う。その面がこれまでと違う形で前面に出た新作は、ゆえに今まで彼を敬遠してきた人達にとって逆に入りやすい内容かもしれない。ともあれ、一日も早く彼らが再び日本の地を踏む日が来ることを心の底から祈り続けます。

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Mariko Sakamoto について

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