London Contemporary Music Festival 2013@Peckham Car Park

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南ロンドン:ペッカムにある駐車場を舞台に、7月末から8月にかけて現代音楽をテーマとするライヴ•シリーズ:LCMF2013が開催されました。今回はその記念すべき第1回の体験談をリポートいたします。

自分にとって今年のロンドン音楽シーンにおけるもっとも興味をそそられる動きのひとつが、現代音楽――20世紀クラシック音楽と言い換えてもいい――の周辺にまつわる話題だったりする。
もっとも、基本的に日常の音楽リスニング志向はもっぱらポップ&ロックに偏っているミーハー人間なので、クラシックや現代音楽への知識はゼロに等しい。偉そうなことは言えません。しかし、年々クラシカル•ミュージックやジャズ(=いわばオールド•スクール)とポピュラー•ミュージック〜ロック(=いわばニュー•スクール)との因果関係に対する興味が増しているのは確かで、たとえば「対位法」とか「ミニマリズム」とか「セリアリズム」とか、以前の自分だったらチンプンカンプンだったタームがどういうものなのか、もっと知りたい!という欲求も比例して増大している。
わざわざ過去を遡らなくたって、昨今のアヴァンギャルド音楽やエレクトロニック•ミュージックをある程度聴いていれば、そうしたタームも徐々に「体感」できるのだとは思う。しかし、感覚だけではなく言語=ロジックで理解したいという頭でっかちな性格/抽象が苦手な非プレイヤー資質が仇になってか、なかなかブレイクスルーできないわん……と歯がゆく思っていたところに、ナイス•タイミング!でBBCがこの春に「現代音楽早わかり」的な教養ドキュメンタリー&関連プログラムをいくつか放映してくれた。

1900年頃から現在に至る1世紀以上のスパンにおける現代音楽の諸相/代表的な作家達/重要な動きを検証•包括するという大胆な展望の番組内容ゆえに、中にはオミットされたムーヴメントもあるのだろう。しかし、自分のようなズブの初心者にとってこれらの番組は耳と目で体験する格好の「現代音楽ガイド」として機能。その中でもいちばん自分にとっては興味深かった&ためになった番組である「The Sound And The Fury:A Century Of Music」のクリップを以下に。

これらの番組がグッド•タイミングで企画•制作されたのは単なる偶然ではなくて、背景には今年1月から12月にかけてロンドンのサウスバンクを拠点に大々的に連続開催されている文化フェスティヴァル「The Rest Is Noise:The Soundtrack Of The 20th Century」が大きく作用している模様。
コンサートはもちろんレクチャーやワークショップ、映画上映も含むこの大フェスも、8月の現時点では夏休み中。しかし9月以降のプログラムは生誕100年を記念してのベンジャミン•ブリテン回顧プログラムを中心に、戦後=1960年代から現在までの現代音楽の動向を政治情勢や歴史背景も絡めつつ多角的に切り取るイベントが多数待機中であります。

ちなみにこのフェスの企画にインスピレーションを与え、またイベント•タイトルに冠されてもいるのがアレックス•ロスの現代音楽評論本「The Rest Is Noise: Listening to the Twentieth Century」(出版/2007年)。刊行以来あちこちで話題になっているキーになる本でもあり、がんばって読もうかな? 読もう、読もう……と思い続けてずいぶんと経ってしまった自分は怠け者。んなわけで、いまだに「いつか果たす宿題本」のひとつだったりする。
しかしこの本にアプローチするのに躊躇してしまう理由のひとつは、文中に山ほど登場する作品名や作曲家名の多くは恐らく自分にはピンと来ないだろう、という不安があるから。戦後欧米の前衛ならちょっとだけかじっているけど、モダン•クラシックはまだまだ自分にとっては未開拓の領域。バンドやアーティストのバイオ本はともかく、この手のジャンル、あるいはムーヴメントを分析した音楽本というのは読んでいてその章で語られている楽曲そのものやアルバム名、固有名詞etcに自分なりのリンクが存在しないと具体的にイメージしづらいもの。「形容」だけ読んでいると退屈だったりするのだ。
その意味でも先述のテレビ番組は「お話/コンテクスト」だけではなく、番組内で語られている音楽作品を実際に耳で聴くことができ、コンポーザー当人の証言や「なぜこの作品が当時の音楽界にとって革命的だったか」の分析、作品が生まれた社会/文化/歴史的背景も映像を添えて具体的に描いてくれたおかげで初心者には入りやすかった。

これをいいきっかけに「The Rest Is Noise」にも着手できるかな……と思っていたところに、現在暮らしている南ロンドンで「ロンドン•コンテンポラリー•ミュージック•フェスティヴァル」が開催されるのを知り(しかも無料コンサート•シリーズ!)、早速飛びついたのは言うまでもない。
先にも書いたように、自分にとってクラシック〜現代音楽はある意味「とりつく島がない」。要するに、どこから手をつけていいのか分からないのだ。特にライヴだと、体験したいと思っても色んな意味で敷居が高いので「失敗したくない」と怖じ気づいてしまう。
しかし(通常であればコンサート•ホールやオケ演奏に限定されているであろう)クラシカルな音楽教育を受けた若い奏者達の中には、定番の人気古典作品を演奏するだけではなく、もっとやんちゃで冒険でモダンなコンポジションを老若男女混じった幅広いオーディエンスにぶつけてみたい……というラディカルな連中もいる。LCMF2013は、そうした送り手側と受け手側のニーズが出会うナイスな着地点だったんじゃないかと思う。

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ペッカム駐車場屋上のバー、Frank's。天気のいい日は大にぎわいです。

ペッカム駐車場屋上のバー、Frank’s。天気のいい日は大にぎわいです。

アート•インスタレーションも。

アート•インスタレーションも。

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このイベントの自分にとってのもうひとつの魅力は、会場になったPeckham Multi-Story Car Park。要は立体駐車場なんだけど、3年ほど前から最上階=10階に夏季限定のルーフトップ•バー:Frank’s Caféがオープンして、以来建物の上部3フロアを舞台にアート展示、DJナイトや映画上映など様々なイベントが繰り広げられてきた。
短い夏を満喫するには野外が一番!ということで、そもそも「夏の風物詩」な屋上ビアホール、ならぬ屋上バーは年々ロンドンでも人気が高まっているトレンドではある。けど、この駐車場から見渡すロンドンの全景は北ロンドンの名スポット:ハムステッド•ヒースから見渡すそれとはまたひと味違う、アーバンな趣きに満ちていて好きだったりします(……〝何とかと煙〟だろうって話もありますが)。
トレンディなカルチャーと縁があるエリアとは言いがたいラフな地:ペッカムながら、このカフェ/バーの成功は若者の流れを促したようで、ギャラリーやマーケット、気の利いたカフェも少しずつ増えてきている。テムズ川を挟んだ地下鉄網の少ないエリア……ということで長らく市民から敬遠されてきた南ロンドンだけど、この街にとっては最後のフロンティアと言えるこのエリアも徐々に「第2の東ロンドン」化しつつあるのかも??

ともあれ。約2週間、マチネも含めて計10公演が開催されたLCMF2013ですが、自分が観に行ったのは3公演。無料イベントなので基本的には①ウェブサイトを通じてメアドを登録→②Eチケットが送られてくる仕組みだったんだけど、人気公演(特に3日目のグレン•ブランカの新作「Twisting In Space」英プレミア、しかも本人付き!)は申し込みオープンとほぼ同時に応募が定員に達していた。
しかし自由に出入りできる会場の性質&フリー•コンサートのユルさと、「あるようでない」定員数――たぶんマックスのキャパは150〜200(?)だろうけど、広い駐車場スペースなので、音響に我慢できればパフォーマーから離れた場所でも聴ける――が今回のアドバンテージだった。試しにチケット無し=ダメ元で会場に行ったところ、「キャンセルした人がいるから」とのことで楽勝でパフォーマンス•スペースに入れてもらえました♪
シリーズ後半にはベンチもいくつか置かれていたけど、基本的に観客はコンクリの床に座り込んで演奏を聴くスタイル。クッションや折りたたみ椅子持参の方々も見受けました。プレイされる音楽のジャンルこそ違え、その「ござ座り/胡座」な光景が、実は60年代ロンドンのアングラ•ヒッピー達の集会〜コミューンの絵とあまり大差がないのは可笑しい。

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まず最初に行ったのは、「Lachenmann/Morricone」と題されたプログラム。ドイツ生まれの作曲家ヘルムート•ラッヘンマンと、彼のファイヴァリットであるエンニオ•モリコーネの前衛コンポジションでまとめられた内容で、11人のヴァイオリニストがサークルを成して奏でる「Musica per 11 violini」からスタート。曲の美しさはもちろん、おごそかな演奏の雰囲気と相まって非常にいい出だしだった。

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発表年代は若干前後していたものの、演目の大体の流れはクラシカルから前衛へ……というもの。自分的なハイライトは、生ループとテープを駆使して圧巻な静/動のコントラストを生み出したソロ•ヴィオラ奏者による「Suoni per Dino」と、それに続いたピアノ•ソロ「Guero」。後者はほとんど鍵盤を使用せず、弦やピアノのふちを叩く/こする……といったユニークな「ピアノ丸ごと使い」奏法が開放的であると同時に緊張感に満ちていて魅せられました。

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オーラスは弦楽器にトランペットが加わっての「Once Upon a Time in America」。このコンサート•シリーズの共同キュレーターのひとりであり、ソロ•ヴァイオリン奏者としてもシリーズ全般にわたって活躍していたカザフスタン出身のアイシャ•オラズバイェヴァがライヴ向け編曲を担当しており、壮大な中にもモダンな仕上がりに喝采が送られた。

この駐車場は電車駅に隣接しているため、パフォーマンスの冒頭のあたりはほぼ10分おきに階下を行き来する列車の轟音(笑)に左右されることもあった。しかし楽曲に慣れている奏者だとアドリブが可能なようで、通過列車のノイズに負けじ!とばかりに音量を上げた演奏を繰り広げてくれたのは頼もしい。
もちろん人によっては耳が敏感で、演奏以外の騒音が邪魔になって集中できない……というケースもあったんだと思う。しかし自分にとっては、雑多にうらぶれた南ロンドンの一隅にあるポンコツな駐車場で(時に上階まで飛んで来るカモメ達のちょっと悲しい鳴き声が入り交じる)モリコーネ曲をチラックスしながら聴くのは、密閉されたコンサート•ホールの座席に縛り付けられてオーケストラに耳を傾けるよりもずっと楽しかった。

コンクリ構造の建物だけに音の反射/反響はちょっと不安だったけど、アコースティック楽器がメインなので問題なし&頭上のバーの騒音もまったく介入してこなかったのを発見できたのはめっけもの。とかく「退屈」「小難しい」との印象がある現代音楽だけど、こういうオープンでアーバンなアプローチをとれば、ちゃんとお客は集まるもの――ほとんどの皆さんはマナーも良くて、とても快適でした――というのが分かったのもなんだか心強い。
にしてもあのグランド•ピアノを、どうやってあの階まで運んだのだろう?と最後まで不思議だった。楽屋エリアに向かうドアは小さくて、ピアノのサイズに合わない。まさか、部品を解体して運んだとは思わないけども……クレーンで吊り上げたとか?? いまだにミステリーです。 

フェス•キュレーターのひとりであるアイシャさん、弦が切れるほどの熱演。

フェス•キュレーターのひとりであるアイシャさん、弦が切れるほどの熱演。

続いて足を運んだのは、「Parmegiani,SND,Raime」。フランス出身のクラシック/電子音楽コンポーザー:ベルナール•パルメジャーニの楽曲を中心とする前衛エレクトロニック•ミュージック編。コンサートの1曲目を飾ったのは彼が1964年に発表した「Volostries」で、エレクトリックなドローンの編み目にソロ•ヴァイオリニストが多彩なテクスチャーをつけ加えていく。
続いたのはより現代的な「エレクトロ」で、ラップトップを駆使したホワイト•ノイズが全身に来襲! この日のPAはスピーカーの数も含めて恐らくもっともクラブ的なセッティングだったので、座っている床からも振動が伝わって来るほど。同時に――現代音楽からエレクトロに繫がる「血筋」を明確に腑分けすることは自分にはできないものの――純粋に音楽として聴くと、OMやSUN O)))のライヴに近い感覚が引き出されるのは興味深かった。
とはいえ、メイン•イベントはパルメジャーニの大作「De Natura Sonorum」(イベントに冠されている「SND」は、それを引っくり返したもの)。「自然の音」というアンビシャスなタイトルとおり、45分間のこのコンポジションは徐々にビルド•アップし、様々な展開を経て再び「無」に帰していく、繊細かつスリリングな隆起曲線が聴きものだった。非常に映像喚起力が高くてマインド•トリップできたのはもちろんのこと、60〜70年代の一部の日本映画サントラを思わせるミニマルな緊張感が美しい中盤を特にエンジョイしました。

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ラストを飾ったのは、昨年リリースされた「Quarter Turns Over Living Line」も素晴らしかったロンドン出身のエレクトロ•プロデューサー•チーム=Raimeによる生DJ。1997〜2002年頃の未発表曲を中心とする意欲的な内容だった……のだが、いったん目に見える「奏者」(ヴァイオリンでもピアノ奏者でもなんでもいいんですが)が視界から消えてしまうと、途端にオーディエンスの集中力が途切れてしまうのは興味深かった。
もちろん、機材やラップトップに囲まれてサウンドをクリエイト/マニュピレーとするRaimeのメンバーは目の前にいる。しかし、楽器を演奏しない「DJ」というのは、ある意味透明人間になってしまうらしい。それまで神妙に聴き入っていた観客も雑談に興じ始め、密閉空間ではないので音が拡散してしまうこともありリスニングどころの雰囲気ではなかったので、早めに切り上げた。自宅で聴いてるぶんにはいいんだけどなぁ、Raime。

テリー•ライリーを演奏するオルガニスト。

テリー•ライリーを演奏するオルガニスト。

最後は、このシリーズの最終日でもあった「Keyboard Breakdown」。鍵盤楽器音楽の変遷や発展がテーマで、ハープシコード向けのバロック期楽曲からスタート。グレゴリー•リゲティらより近い時代のコンポーザーの曲も混じっていたが、やはりもっとも「クラシック•リサイタル」の雰囲気になる。とはいえ生でなかなか聴く機会のない楽器だけに、その典雅な響きに心洗われました。
しかし目玉は電子オルガンによるテリー•ライリーの「Persian Surgery Dervishes」で、オルガンの他にキーボードを複数&ラップトップもシークエンスされた凝ったセッティング+奏者のインプロにより、東洋風ミニマリズムがスケールの大きい音の曼荼羅を編み上げていく様は陶酔ものだった。テリー•ライリーの影響はたとえばザ•フーの「Baba O’Riley」なども有名だけど、先にも書いたように、昨今で言えば一部のドゥーム•メタルやポスト•ロック、ミニマル•テクノにその痕跡が受け継がれているのだと思う。

というわけで、いつものライヴ体験とはひと味もふた味も違うこのイベントには多くの意味でリフレッシュされたし、若いリスナーに現代音楽へのドアを開き、その「ライヴ(生きた)音楽」としての魅力をオルタナティヴなスタイルで提示してくれた、好企画だったと思う。今後も続いていってくれることを願います。

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Mariko Sakamoto について

Hi.My name is Mariko.Welcome to my blog,thanks for reading.坂本麻里子と言います。ブログを読んでくれてありがとう。
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London Contemporary Music Festival 2013@Peckham Car Park への2件のフィードバック

  1. マキ より:

    taku sugimotoも聴いてやって下さい。       テオより

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