All Tomorrow’s Parties:End Of An Era(Pt.One)@Camber Sands/22-24Nov2013

lastATP

遂にこの日がやってきました――というわけで、ベル&セバスチャンの「Bowlie Weekender」(1999年)に想を得て始まり、モグワイがキュレートした第一回(2000年)から13年の歳月を経て有終の美を飾ることになったATP。「ひとつの時代の終わり」とのいささか切ない副題を掲げた最後のホリデー•キャンプ•フェス、その第一週(キュレートはATPおよびその姉妹的存在であるスペインの人気フェス:Primavera Sound)の話です。

最後とは言いながらATPというギグ•プロモーション組織そのものは継続していくし、イギリスはもちろんのこと世界各地(アイスランド他)で今後も「All Tomorrow’s Parties」のバナーを掲げたイベントの開催は予定されている。これからも、どこかでATPの三文字は目にすることになる。
しかしそれら多岐にわたるATPの興行活動のルーツ(=スピリチュアルな故郷)とも言える、イギリスにおけるオリジナル:ホリデー•キャンプでのフェス開催はこれからしばらく――いつの日か復活するって可能性はゼロじゃないだろうけど――の間は、「不定期休眠」ということになる。

そう考えると万感の思いが募ってきてもおかしくなかったし、実際今回シャレーを共にしたATPベテランはフェス終了後しばらくの間は放心状態だったくらい、「イギリス有数の個性的なオルタナ•フェスの終焉」はショックな話ではある。しかし自分個人の感覚を率直に書かせてもらうと、悲しさよりもむしろ喜びや感謝の思いが感情の大半を占めていた。
というのも、どんなに素晴らしいものも、美しいものも、いつかは終わりを迎え、次なるサムシングに推移していくのが世の常なわけで。たまたまタイミング良く、(最初からではないけれど)ATPの様々なイベントを実際に体験できる場所&空間に位置していたってのもあるだろう。が、別に禅ぶるわけではないけども、自分にとってのATPのひとつの時代/フェーズがこうして終わりを告げることになっても、そこで失うことになる何かを嘆くよりもそこから得てきた何かに対する感謝の方が遥かに大きかったりする。

その感覚はルー•リードの訃報に触れた時とちょっと似ていた。ザ•ヴェルヴェット•アンダーグラウンドは、ATPというタイトルの由来になっているくらい大きな意味を持つ存在。ゆえにATPも、この「最後のホリデー•キャンプ」開催の約2ヶ月前に訪れた「ルー•リード逝く」の報に対し、しばらくの間ウェブサイトのトップ•ページを彼の写真で飾っていたくらい。
このフェス会期中のATPTV(シャレー内のテレビで楽しめる有線チャンネルで、キュレーターが選んだ映画/シットコム/ドキュ他のプログラムを放映)にしても、追悼の意を込めてルー•リードとVU関連の映像(コンサート、ドキュメンタリー他盛りだくさん)でほぼ埋め尽くされていた。

自分も友人達から「ルーが死んじゃったね」との携帯テキストやメールをいくつか受け取ったし、それでも半ば信じられない……という思いを覆す、メディアに溢れる数々の追悼記事を確認しながら「ああ、本当に終わったんだ」とショックを受けたもの。ただ、ではそこで自分が心底「悲しい」と感じたか?と言えば、たぶん嘘になる(比較論ではないけれど、好きなミュージシャンで、その死が当時も今も身を切られるように辛い……という人は他にいます)。
それは恐らく、既に彼の音楽的なレガシーは揺るぎなく確立されていて、志し半ばで倒れた者達の悲しさが浮かばないからだろう。

健康状態が回復していれば、ルー•リードは今後も音楽活動を続けたと思う。そこから新たな名作が生まれる可能性もあった。しかし、恐らく史上もっとも重要なオルタナティヴ•ロック•バンドを結成し、エヴァーグリーンな名曲をいくつも書き残し、ロック/ポップ/前衛の敷居をまたぐ層の厚い活動で新たな領域に足を踏み入れ続けた彼の生涯に似合うのは「充実」という言葉であり、「やり残した」感は薄いんじゃないかと思う。

ATPにしても、まだまだやれることはいくらでもあるだろう。が、アーティストが出演者を選ぶというレアなコンセプトを掲げ、商業的タイアップ&冠スポンサーとは無縁なインディ•フェスの立場――時代の流れに逆行するポリシーと言える――を貫きながら数々の名演•まさかの再結成etcを実現させたこの10年余の歳月は、「誇り」以外の何物でもない。
自分がこれからもヴェルヴェッツ、そしてルー•リードの音楽を聴き続けるように、ATPで体験した音や光景や感覚、他では味わえない感動や笑いやサプライズの数々は、これからもフェス参加者達の中の養分として生き続ける。その事実そのものに、何より感謝の念が浮かぶのだ。

というわけで、ルー•リード唯一のATP出演となった2004年:カリフォルニア版での映像(この曲が始まった瞬間、「来た甲斐あった!!」と感じたものです)と、彼のキャリアの中でも屈指の名曲のひとつである「Street Hassle」をどうぞ。

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またも前置きが長くなっちまいましたが、フェスそのものの話に移りまして:ロンドンは冬らしく乾燥していて逆に冷えたけど、会場のある沿岸部のライに入ると曇り時々小雨というややマイルドな晩秋の気候に変化。会場入りしたのは5時半近かったが、いつも以上に金曜到着組が多く、駐車スペースの確保に手間取ったのには驚かされた。
仕事を終えてから会場入りするという社会人客も少なくないので、初日:金曜の最初のアクト登場(5:15PM)の前からこれだけチェックイン済みのお客が多いのは珍しい。やっぱり最後ということで、オーディエンスの勢い/気合いもいつもとちょっと違うようです。

シャレーへのチェックインを済ませ、まずは「我々の最後のATPに!」の駆けつけ乾杯と相成った――が、今回同行したメンバーのひとりであるスコットランド人の飲み助な友人が持参したズブロッカ(!)が早速開けられ、シャレー•メイト達はあっという間にほろ酔いノリである(この晩のトリであるLOWの前に眠りこけるわけにはいかないので、自分は自粛)。

同行人のひとりが持ち込んだポータブル•ターンテーブルのスウィッチもオンになり、そのまま軽くDJ大会に突入。しかしお酒も食べ物も豊富で居心地のいいシャレーに根を張ってしまうとキリがないので、重い腰を持ち上げ、夕闇を抜けてセカンド•ステージのMagik Markersに向かう。
ほぼ満杯〜眼鏡も曇るほど熱気いっぱいな場内を満たすソニック•ユース直系のドローン〜ノイズ•ロックな爆音は「これぞATP!」という感じで、たちまち自分内のモードも切り替わる。ヒートアップするお客の歓声に応えてギターを頭上高く掲げてフィードバックさせるエリザちゃんのアイコニックな姿、マジ素敵でした。

今回のプログラムは金/土に観たいアクトがほぼ集中していて、ぶっちゃけバランスが悪かった。ゆえに同時刻に観たいアクトがバッティングするってケースは何度か遭遇したんだけど、MUMとThe Icarus Lineの対決とくれば――これは自分としては完全に後者に軍配が上がります。

icarus

南カリフォルニア発のバッド•ボーイ•ロックンローラーズとして悪名高いイカルス•ラインは、00年代のガレージ•ロック•ブームに乗って浮上したものの――名作「Penance Soiree」がお勧めです――その根本にあるのはメインストリームに収まりきらない強烈な個性。好き/嫌いは分かれるだろうが、「我が道」を貫きながら音楽性をソリッドに研ぎ澄まし続けてきた彼らのパフォーマンスは確信的で、その有無を言わさないエネルギーには圧倒された。

イカルス•ラインの音の磁力は、「パンク〜ガレージ=暴れ系な音のバンドなので、クラウドの真ん中あたりで無難に観ていよう」と最初のうちは安全第一だった筆者を最前列まで引っぱり出した。電球にフラフラ引き寄せられる蛾みたいなもんですが、何がなんでもこの音の根源に接しないと気が済まない!という自制の効かない衝動に駆られるのは、自分にとっては素晴らしいロックンロールが鳴っている証拠だったりします。

抜群な暴れっぷりだったThe Icarus Line

抜群な暴れっぷりだったThe Icarus Line

ギター/ベース/ドラムス/ヴォーカルのベーシックな4人編成、極言すればストゥージズ•チルドレンのひとつである彼らのサウンドに細かい仕掛けだのモダンなトリックはない。が、ぶいぶいリードするベースと首の太そうなドラマーの生み出すたくましいグルーヴを軸にギターがブルータルに叫び、ヴォーカルはカリスマティックにクラウドを掌握し……と、ガレージ•バンドに燃え立たせられる必須要素はすべてクリアされている。
かといってノイズ一辺倒ではなく、スーサイドのモノトーンな妖気やクロームのフリーク性も吸収されていて、ラフな衝動だけではなくアーティ&ミニマルな知性も感じられるバランスは最高。ヴォーカルのジョー•カーダモンは途中からシャツを脱ぎ捨てての上半身裸な熱演で、オーディエンスをワイルド&ヴァイオレント&グラマラスに煽ってみせる。そうした意味でも、バースデー•パーティのライヴはこんな感じだった?とまで思わされた。

ばっつり最後まで見通し、近くに立っていた若僧やおっさん達とさんざん盛り上がったこともあり(ダイヴする手合いもいました)、早くもかなり満足な気分。クラブ規模以上の大きい会場にこのバンドがコマを進める可能性は低いだろうが、こういう濃いバンドがまだどこかでアンダーグラウンドな狼煙をあげているという、その事実だけでも嬉しいっす。

とはいえ友人達のリアクションは様々で面白かった。おおむね「最高!」だったんだけど、くだんの飲み助スコットランド友人は「脱げー!脱げー!」とひたすらシャウト。彼いわく、「あそこまで(=上半身裸)やってお客をじらせたのに、下は脱がなかったあのヴォーカルはアカン。しかもパンツはブランドものだった」との若干の不平。デイヴィッド•ヤウ先生だったら下ろしていたかもですが、それやったら、たぶん会場側がライヴそのものを閉鎖していたことでしょう。

一方で、英女性友人のひとりは「あのヴォーカルの子、胸がツルツルでメチャ気持ち悪かった〜!」とコメントしていた。どうも、彼女にしてみると胸毛がない男胸はイコール=少年(未成年)の胸ってことで、セクシャルなノリが不気味だったらしい。しかし胸毛率の低い日本男子に慣れている自分には別にどうってことないので、「日本ではあれは普通だし、逆に胸毛に慣れる方が日本人には大変だよ」と話すと、かなりウケていた。
ロック•コンサートやフェスに行けば、お痩せさんから太め君、胸毛ゼロから背中まで覆ってる毛深いタイプまで色んな半裸男子に遭遇するので、別にウブがって男裸体に騒ぐつもりはない。しかし、英女性の中に根付いた「大人の男性」=「胸毛あり」という認識にこうして出くわしたのは、なかなか面白かった。たかが毛ですが、たとえばショーン•コネリーの胸毛を野性的でセクシーと思うか、あるいは気持ち悪い!と躊躇いを感じるか――その違いには、西洋文化と東洋文化の大きな差が横たわっている気がする。

でもイギーも胸毛ないし……

こちらも無毛ですよね。

そのままセカンド•ステージに残り、Fuck Buttonsの片割れであるベンジャミン•パワーのソロ=Blanck Mass。ステージが暗く照明もほとんどない(UFOみたいな文様がふわふわ照射されるのみ)ラップトップ•パフォーマンスなのでヴィジュアル面でのインパクトには欠けたものの、エレクトロニックなぶ厚いサウンド•ウォッシュと実はクラシック音楽に近いコンポジションのセンスは、クラウス•シュルツあるいはヴァンゲリスのスケール感を思わせるものがあってとても良かった。ベン•ウィートリーの「A Field In England」でも彼の楽曲は見事にハマっていたし、映画サントラを丸々やってみるのもいいかもしれない。

Blanck Mass

Blanck Mass

あと、ジムにでも通って鍛えているのか?ベンジャミン君自身の佇まいがマスキュリンになっていたのも意外だった。この人は以前ニューヨークのATPで間近で見たことがあるんだけど、その頃の筋肉の「筋」の字もない「日に当たってないイギリス人」っぽいひ弱さがなくなっていて、基本的にオタクの寄り合いであるファック•ボタンズにも変化が訪れつつあるのかな?

しかし最後まで聴いていると完全に同時間帯に被っていたLee Ranaldo&The Dustを見逃すので、ラスト20分で切り上げてメイン•ステージに移動。スティーヴ•シェリーとリーのそろい踏みを眺められるのは嬉しかったし、お客も盛り上がっていた――とはいえ音楽的にはガイデッド•バイ•ヴォイシズ(それもトビン•スプラウト)〜ウィルコ系のパワー•ポップで、ハート•ウォーミングなのは間違いないがこのユニットならではの個性に興奮させられる、という内容ではなかった。

Lee Ranaldo&The Dust

Lee Ranaldo&The Dust

ちなみに土曜日にはサーストン•ムーアのChelsea Light Movingも出演、キム•ゴードンを除くSYメンバーが最後のATPに集まった形になる。しかしポストSYのプロジェクトの中で個人的にもっとも好き&興味深いのはキムとビル•ネイスのBody/Headなので、彼女の欠席は残念としか言いようがない。

この日のシメは、メイン•ステージのトリであるLOW。このATPでキャリア回顧ドキュメンタリー「LOW Movie:How To Quit Smoking」も上映されたんだけど(観れなかった:残念〜)、ファースト•アルバムの1曲目から始まったこの晩のパフォーマンスに結成から20年の歳月を感じずにいられなかった……。「I Could Live In Hope」を、旅先のグラスゴーの中古レコード屋Missing Recordsで買ったのは今でも覚えている→たぶん95年。

しかしバンドは前を向いていて、セットの中心は最新作「The Invisible Way」やサブ•ポップ移籍後のアルバム曲。この人達のライヴは毎回ほぼ外れなくいいんだけど、静かなテンションでこちらの心に魔法をかける「Monkey」といった人気曲で本格的にキック•オフした後半は特に素晴らしかった。
オルガンのひなびた響きとミミの浄化される歌声が癒す「Just Make It Stop」、マジー•スター(っていうかオパールかな)の域に達している「Nothing But Heart」のサイケデリックなトーン、ミニマルながらエモーションの喚起力があまりに高くて毎回涙がにじんでしまう「Sunflower」、「Two-Steps」の神々しさ! しかしラストの「When I Go Deaf」ではアランのギターが野生の荒馬のように疾走し、そのカタルシスにただ立ち尽くすしかなかった。

自分が観た彼らのATPパフォーマンスという意味では、ジェフ•マンガム回の演奏での圧倒的なテンションに及ばなかった。しかしそれはバンドの問題というよりも、フェスの初日でまだまだ元気いっぱいな観客の酔っぱらって友人や連れ達と演奏中もガヤガヤ大声で喋りっぱなしという無神経さに、こちらの神経がヤスリでこすられるように逆撫でされたからだろう。

この問題は熱心なファンの集まる前方に移動して解消した。とはいえ、周囲のムードに構わず喚いている若いお客に注意した他のお客が「そんなにシリアスになるなよ〜!」と笑い飛ばされる光景は、端で見ていて悲しかった。
ロウのライヴに行ったことのある人なら、オーディエンスの話し声で彼らの繊細な音を邪魔されることの不快さ/辛さは分かるはず。で、自分にとってのATP客というのは「そういう塩梅をわきまえている人達」というものだったんだけど――たとえばロウはじっくり聴くけど、ジーザス•リザードでは半狂乱でステージに食ってかかるタイプでしょうか――今回はこのロウ以外でもライヴの間中ぐちゃぐちゃ喋っている連中に何度も出くわして、すごく萎えた。

静かに集中して聴き入る傾向の強い日本のライヴの感覚では、ピンとこない話かもしれない。しかしイギリスのライヴ客には、お酒を飲む/社交がメインという手合いも多く混じっている。そういう人達はおとなしくフロアの後方に引っ込んでお喋りに興じてほしいんだけど、「せっかく金払って観に来たんだから、前で観るべ」と寄って来るんですよね……(嗚呼)。
別にファン較べをするつもりはないし、同じチケット代を払って同じ会場にいる人達なんだから、彼らがどんな風にライヴの約2時間を過ごそうが何も言う権利はない。でも、他のお客の楽しみを慮る気遣いの欠如(=自分さえ良ければ他は気にしない的なアティチュード)、あるいは生で鳴っている音を感知して声を低めるセンシティヴィティの無さ――グラストンベリーみたいに群衆に掻き消えられる巨大フェスならまだしも、たかだかキャパ3000規模の屋内フェスでこれをやられると辛いっす――をこうして直に目撃するのは自分にとっては悲しかった。「ATP共和国」という連帯意識/一体感も、ディケイドを経て薄れたのか……とすら感じたので。

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とまあ、「古参兵のぼやき」モードに入ってしまい我ながらうざったいけども、2日目は自分にとってのピーク日!っていうか、他の参加者達も日曜(最終日)のラインナップの地味さをボヤいていたくらいで、これは純粋にプログラムする側の落ち度だろう。

2日目は、ライヴの前に近隣の街:Rye詣でからスタート。ATPの終了に伴い、自分がキャンバー•サンズに今後行く機会も、まあまずなくなる(結局、キャンバーに近いダンジェネスにあるデレク•ジャーマンのコテージに一度も行かなかったので、いつか行くかもしれませんが)……というわけで、ライにある中古レコード店=Grammar School Records、そして素敵なパブ=Ypres Castle Innといった馴染みのスポットにお別れを告げようって話です。

土曜で、しかも始まったばかりのクリスマス•ショッピングの賑わいも色を添えていた商店街の中で、グラマー•スクール•レコーズの店内も負けじ!とばかりにATPのリスト•バンドを付けたお客で活気づいていたのでホッとする。中流のシルヴァー族やファミリーが多い、キャス•キッドストンでバブアーな雰囲気のこの街で、中古レコード屋が継続しているだけでも珍しい。毎回、「もしかして潰れてるかも?」とドキドキしながら足を運ぶわけです。

色々を漁って、自分はドン•エヴァリーのソロ•アルバムを購入。しかし抜群だったのは知人のひとりがここ最近のマイ•ブーム曲「Macho City」の入ったスティーヴ•ミラー•バンドの「Circle Of Love」を発掘してくれたことで、残る2日間はシャレーでこのレコードをかけっぱなしだった。にしても、スティーヴ•ミラーって不思議だなあ。「Fly Like An Eagle」も相当にキてるグルーヴィ曲だけど、この曲のファンキィさと無茶なアレンジ、他にファンカデリックくらいにしか作れない気がする。

会場に戻り、この日2時半からオープンしたメイン•ステージの一番手:Tortoise。彼らがトリじゃないってのは正直驚きだったけど、それはこの後に控えるTelevisionも同様な話である(この晩のメインのトリはダイナソー•ジュニアでした)。

Tortoise

Tortoise

ともあれこのトータスのパフォーマンス、自分が観てきた彼らのライヴの中ではベストな内容だったと思う。2基のドラムスが向かい合うステージ布陣は相変わらずながら、久々に肉眼で見るジョン•マッケンタイア、思った以上に老けているのにはちょっとびっくりした。
しかしいったん演奏が始まると、5人の息の合ったプレイ&集中力に圧倒され邪念は吹き飛ぶ。ドラムス、パーカッション、ギター&ベース、キーボード/マニュピレーター他でヒップホップ、ジャズ、アフロビートのポリリズム、ラテン•ビートまでブレンドされた豊穣なグルーヴの会話が生み出されていった。会話というのは自分が喋るだけではなく、相手の話を聞くことで成り立つもの。各メンバーがそれぞれのサウンドに耳を傾けながら、たとえばソロでは一歩引き/前に出て、楽曲のムードが変化する場面ではトータルにシンクロし、興が乗るとアッパーに盛り上がるのも厭わない――エモーションと成熟したミュージシャンシップを兼ね備えたそのダイアローグには引き込まれずにいられなかった。

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もっかの最新作「Beacons Of Ancestorship」からのトラックも良かったけど、「TNT」収録曲を軸とする中盤、特に「Swung From The Gutters」のこめかみにキリッと刺さるテンションの高さと「Ten Day Interval」のザイロフォンによるリリカルかつ繊細なリズム構造の美しさには参った。
そして後半「Seneca」や「Prepare Your Coffin」でダイナミックに爆発したジョン•マッケンタイアのプレイ、ジェフ•パーカーのセンス溢れるフレーズ、シャドウ•ボクシングを思わせるビート•ダンスを繰り広げて超ノリノリなジョン•ハーンドンと、パンクにヒート•アップしていく光景にオーディエンスも興奮。コズミックな音の響宴と化したフィナーレに、自分も含め周囲はただただ陶酔の表情で踊りまくりだった。

1時間という短いセットで、正直、あっという間に終わっちゃったよ……アンコール!という感覚も残った。しかし1曲ごとの密度は非常に高かったし、トータスというグループがこれまでに手を伸ばしてきた音楽的領域の広さ、そしてそれらのオーガニックな消化ぶりをたっぷり味わえた。
喝采に包まれながら、ステージを去り際にメンバーが「Fuckin’ great, ATP!!!」とシャウトしたのも、キュレーター/出演者としてATPの歴史を支えてきた彼ららしく、泣かせました。スタジオに入っているという情報もあるし、ということは約5年ぶりの新作も来年登場か?楽しみに待とうと思います。

ここから先にはチェルシー•ライト•ムーヴィング、ウルフ•アイズとなかなかの顔ぶれが控えていたけど、このATPに行くことにした恐らく最大の理由であるTelevision開演へのカウントダウンしか、視野にはない。しかもこのフェスのバックボーンに流れる「ルー•リード追悼」の雰囲気(シャレーに戻ってテレビをつけるたび、ルー•リードの過去のライヴ映像だのが流れている)を考えれば、リアル•タイムなNY勢の咆哮とも言えるわけで。アホな話だが、緊張しすぎてちょっと胃が痛くなったくらいだ。

Television(Photo by M.McKenzie)

Television(Photo by M.McKenzie)

テレヴィジョンは自分にとってもっとも根源的なギター•バンドであり、彼ら以降のロックンロール•バンドを評価する際の、自分にとっての「基本=定規」みたいに大きな存在。他のCBGB同輩達が継続していったのに対し、オリジナル•メンバーで作った作品という意味では2枚だけで消えた潔さも自分の性にあっている。鼻息が荒くなってきたついでに書かせてもらうと、「Marquee Moon」は文句無しの鉄壁な傑作だけども、セカンド「Adventure」も素晴らしい!ので、ぜひトライしてみてほしい。「1枚だけのバンド」では、断じてないので。同アルバムの中で最愛の1曲が、こちらです。

とはいえ現在進行中の一連の再結成ツアーに関しては、リチャード•ロイドの不参加がどうにも自分的にはネックで、他の同行者達のように「双手をあげて100%歓迎!」という気分ではなかった。
健康上の理由だからリチャード不参加は仕方ない話なんだろうけど、ヴァーラインよりも常にロイド派だったへそ曲がり人間な自分にとっては――よく笑われるけど、リチャード•ロイドの軟弱な(笑)ファースト•ソロ「Alchemy」は、自分にとっての生涯ベスト•アルバムのひとつだったりします――彼とトムのギターが生み出すインタープレイが聴けないのはあまりに悲しいわけで。

我ながらブツクサうざったいので、先に進めましょう。メイン•ステージのフロアはほぼ満杯で、オールド客中心の前方から中央に向けて若返っていく感じだった。ドキドキしている間にもメンバーが登場し、「Marquee Moon」通りのシークエンスでプレイするのか?と思いきや、オープニングはややフェイントで「Venus」だった。
あのアルバムの素晴らしさは、どこから始めても聴き手をテレヴィジョンの世界に引きずりこむことができるから。なので別に不満はなかったし、あの曲のオープニング•リフのエレガントな落雷に打たれるのは快感にほかならなかった。しかしウォーム•アップのためか(?)トムがダラダラと弾き流すイントロはやや自己陶酔と映ったし、ジミー•リップのリズム•ギターは正確だけどタイトに刻まれ過ぎていて生真面目で、不敵な官能性には欠ける(ちなみに、筆者の横に立っていた若僧は「あのギタリスト、誰? ハイゼンバーグじゃん!」と妙なところで盛り上がって、「テレヴィジョンのギタリストはハイゼンバーグ」と生トウィートしていた:確かに遠目で見ると似てるよね)。

「ロイド好きだからバイアスかかってるんじゃないの〜」とバカにもされたけど、トムの喉の衰えやあの曲のキモであるコーラス「DIDJA FEEL LOW? /NO,not at all./HUH?」の掛け合いのズッコケかねない弱々しさなど、テレヴィジョンのある種の毒気が薄まっているのには思わず「嗚呼…」と頭を垂れてしまった。メンバーはいずれも今や60歳越えてるわけで、「枯れ」は差し引いてあげないとフェアではないのだろうけども。
若干バンドと噛み合なかったPAの微調整もここで終わり、サウンド面での不備にハラハラすることなく最後まで突き進んだのは嬉しい。と言いつつ、「Elevation」、「Prove It」、「Torn Curtain」と続く中も、どこか「トムを立てる」というノリが続いたので(テクニックは優れているけど、ジミー•リップにロイド/ヴァーラインの「対話」は求められません)なかなかこちらも全身で音楽にコミットできない。

その当方のノリと、あたたまってきたバンドのエンジンとがシンクロし始めたのは5曲目「Friction」。もっともバンドの演奏水準とハーモニー値は高くて、蛇のようにうねうねスキニーで繊細なアレンジを見事に再現していたのでそれだけでも素晴らしいとは思いましたけど(特にビリー•フィッカは、生で聴くとこのバンドの柱だったんだなあ、と感銘を受けずにいられなかった。彼のライド•シンバルのサウンドは最高や!)。
しかし「Friction」ではそのタイトさがやや崩れ、リフの鋭さが生ならではのオーガニックな白熱に溶けたようにやや緩まったのが良かった。完璧さもいいけれど、譜面通りだったらアルバムを聴けばいいわけだしね。そこに畳み掛けた「See No Evil」を引っ張る性急なエネルギーは、ある意味自分にとってのこのライヴの始まり。やっとバンド側がオーディエンスと結びついた感があった。トムが「この曲は青い照明で」とライティング•クルーにリクエストして始まった「Guiding Light」はとっぷりとメランコリックな情感に満ちていて、ソロの美しさにはマジで涙がこぼれた。

そこからはオーラスの「Marquee Moon」で、うなり合うワイルドなギター•バトルといい声がちゃんと出てきてピーク状態なトムといい、文句のつけようがないパッションと演奏力の融合には完全に酔わされた。なんで「We want more」の思いも浮かんだわけだけど、開放ではなく抑制がキモである彼らがこれ以上プレイすることはないだろう……というのは、同時に分かっている(それでも、「Little Johnny Jewel」は演ってほしかったなー)。

この、アップダウンもあったとはいえ最終的には満足したパフォーマンスを体験して感じたのは、壊すに壊せないレガシーを生み、そのレガシーを博物館に所蔵された宝物のように保つことの難しさでもあった。

遺産は記録として固定しているけれど、パフォーマーは生き続ける。遺産と人間との間にはどうしたってギャップが生じる。そのギャップを生の場面で埋めるのは並大抵のことではない。「再結成」と簡単に言える昨今だけど、タイムラグが生み出すこの境界をどうバンド側が捉えるかは大事だし、テレヴィジョンは少なくともボロ儲けを目指して安易に再稼働するようなバンドではないと思う。なので、その葛藤を目撃できたのはありがたいと思う。
もうひとつ感じたのは、テレヴィジョンというバンドのユニークさだった。ってのも、彼らのフォロワー、あるいはルーツと言えるバンドは自分なりに追っかけてきたつもりだし――その過程で素晴らしい音楽に何度も出会ってきたけど――このライヴで、テレヴィジョンみたいなブレンドの音楽をやってるバンドは他にいないと分かった。「Maquee Moon」を聴けばそれは一聴瞭然なわけだけど、「名作/古典」として当たり前のように消化するうちにそのユニークさが頭から抜け落ちてしまうこともある。なわけでライヴ冒頭のブーたれも、結局はトム•ヴァーラインの天才を当然のものとして受け流しがちな自分の非なのかもな、と反省。

Demdike Stare

Demdike Stare

続いては、イギリス出身のエレクトロ•デュオ:Demdike Stare。テクノ〜ダブステップ畑から出て来たクリエイターと、サイケを軸に世界各地に散らばるニッチ&カルト&モンド60〜70年代音源の再発でマニアに愛されるレーベル=Finders Keepersのスタッフの2名から成るユニットだ。
ここのところBFI他を舞台にサイレント映画にライヴ•スコアを付けるというパフォーマンスも続けているくらい、彼らにとってヴィジュアルの要素は大。それは両者のバックグラウンド――FK好きな人なら「Valerie And Her Week of Wonders」、「Daisies」といったサントラ•リリースのセンスがピンとくるだろうか――からしても自然な成り行きなんだけど、今回もバックに流れる映像は裸体女性の群れだの燃え盛る炎(魔女狩りのイメージ?)だの、ケネス•アンガーあるいはエログロなユーロ•トラッシュ映画のノリ。「Berberian Sound Studio」の異教徒な世界が眼前に現れた、と言ってもいいだろう。

映像喚起力の高いムードあふれるサウンド作りという意味で、そしてテーブルにラップトップが並ぶ布陣からも、ティム•ヘッカーや前日のブランク•マスのパフォーマンスと共通項は多い。しかしデムダイク•ステアと彼らとの違いは、アヴァンギャルドで頭本意なアプローチ、そして物語性の強いGY!BEのライヴ的な要素も含めつつ、無条件に踊れるバンガーな盛り上げ〜Kompakt勢を思わせるテクノ•ハウスといったフロア仕様のフックも自然にセットに盛り込んでいるところだった。
こういうアクトのセットは、得てして腕組みしながら神妙に聴く……というものになりがち。しかし彼らのズンズンと全身に響くビートはめちゃ踊れるもので、両手を上げてのダンスに突入するオーディエンスの姿はクラブの光景である。かといって90年代の英エレクトロ勢、あるいは昨今のユーロ•ダンス系が得意とする安直なブレイク•ダウン〜打ち上げ花火のように単純な緊張/開放とは異なり、ヴィジュアルの変化も含めてじっくりビルドアップすることでサウンドの諸相もちゃんと聴けるし、エモーショナルな結びつきを持てるドラマ性があるのもナイス。今ATPのエレクトロ勢の中で、ベストでした。

デムダイクと開始時間は同じだったが、2時間の大枠セットだったのでGodspeed You! Black Emperorの後半はチェックできた。彼らにとってこれがATPでの最後の行軍になったわけだけど、それにふさわしい勇壮さかつ叙情的な独特なランドスケープが展開。メロディックなパートとアブストラクトなノイズの緻密な編み目がクレッシェンドに達し、ビッグなサウンドが炎のように感覚を焦がしていった。どうもこの曲は現時点では未発表の新曲「Behemoth」だったようで、「Allelujah」に続く新作は素晴らしい内容になりそうだ。

階下のセカンド•ステージに戻り、この晩のマイ•シメとなったOneohtrix Point Neverことダニエル•ロパティン。ティム•ヘッカーばりの爆音セットだったんだけど、音が大きいばかりか、使ってるラップトップ(っていうかジェラルミン•ケース?)そのものも通常のこの手のセットのアウト達に較べて巨大だったのがどうにも笑えてしまった。
彼の新作「R Plus Seven」はいいアルバムだったけど、音源における多彩な質感やグルーヴを生の場に移し替えるというレベルにはまだ至っていないのは残念。デムダイクやゴッドスピードのようにライヴでのトランスフォーメイションも見事なアクトの後だけに、余計にそう感じてしまったんだろうけど。

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白状すると、夜まで食指の動くアクトが登場しない事情もあり、3日目はほとんどライヴを観ずに過ごした。我ながらひどい怠惰ぶりでお恥ずかしい話だが、この日は友人や普段なかなか会えない知人達とシャレーでダベり、料理し、飲み、食べ、語り……というのにエネルギーを費やした。そういう社交の側面も、ATP/フェスの楽しさだろう。

というわけで午前中はもう1度ライに戻り、食材買い出し&パブ。今回――っていうか、もうフィナーレなわけで遅きに失した感もありますが――はキャンバー•サンズとライの中間にあるこのエリアで唯一の農場直営店とATPが協力し、フェス客はリスト•バンドを提示すれば10%割引というサービスを実施。このチャンスを活用するには、サンデー•ロースト(イギリスでは習慣的に日曜に家族でローストを囲みます)をやるのがベストだろう。

東サセックスのこのエリアにはロムニー•マーシュという湿地帯があり、昔から羊の飼育で有名だったりする。なので子羊の足をチョイスし、ヴェジ=ジャガイモやブロッコリ、ラム料理の伝統的な付け合わせ=ミント•ソースも購入。チーズ他のデリ食品やオーガニック•フード、カフェも設営されていてなかなかナイスなファーム•ショップだったので、もしもこのエリアに行かれる機会があったらトライしてみてくださいまし。

シャレー•メイト達は「フェスなんだから、わざわざ(時間のかかる)料理しなくたっていいよ〜」と遠慮がちだった。しかし大人数向けに料理する機会は自分にとっては千載一遇だし――特にロースト料理は、到底食べきれないので敬遠しがちなのです――サイト内の食のチョイスもかなり限定されているので自炊は苦にならない。
あと、お向かいの棟のシャレーで誰かがロースト•ビーフを準備しているのを見たのにインスパイアされたってのもあるかな……。今回の我々のシャレーは2階にあり、窓からお向かいの地階シャレーがよく見えるポジション。で、たまたまこの朝見かけたのが、キッチンでいそいそと下ごしらえする男性の姿だった。赤ワインのボトル、各種香味野菜。大きな牛肉の塊にフライパンで焦げ目をつけていて、まあ間違いなくロースト•ビーフ(あるいはビーフ•ブールギニョン)をやろうとしているのだろう。

この人はGFと一緒に来ていて、彼女を感動させるために手料理しているのかなぁ、だったら可愛いなぁ〜、などと想像が働き、そのうちに自分もローストやりたい!という思いが湧いた次第。「覗きは良くないぞ」と笑われもしたけど、昔も今も人間模様の観察は生来のマイ習性なんで仕方ない。

午後の早い時間帯は、恒例のATPパブ•クイズで過ごした。コアのメンバーはシャレーをシェアした4人ながら、知人連が集まって来て最終的には総勢10人近くのチームになった。しかし船頭が多くても解けない質問は解けなかったし、参加チームも40組近い激戦ぶりでそうそう簡単に3度目の勝利のラッキーは訪れなかった(涙)。翌週の「ほんとにほんとの最後」のATPにタダで行ける唯一のチャンスなんでトライしたんだけどな〜。無念。

シャレーに戻り、ローストを料理したりなんだりしているうちに時間が飛び去る。我々のシャレーにはターンテーブルも、美味い地ビールのケグ(容量は約36パイント)もある。ので、さすがに3日目で持ち込みの缶ビールや会場内で売っている限定された酒類に飽きたとおぼしき知人達が次々に集まってきてミニ•パーティと相成った。

そのまったりとした「なごみ」に睡魔もドカドカ襲ってきて、Hebronixも見逃してしまったのは不覚……しかしForest Swordsだけはマストだわ!とがんばって会場に戻る。リヴァプール近郊:ウィラル出身のマシュー•バーンズことフォレスト•スウォーズは、3年前の秀逸なEP「Dagger Path」がじわじわと評価を集め続け、今年リリースされた「Engravings」も賞賛されているエクスペリメンタル•エレクトロニカの御仁。

トリップホップとよく比較されるダビーなサウンドは生でも威力たっぷりで(ライヴにはベース奏者も参加)、鼓膜と全身とがわななくエコー•チェンバーが現出!しかし、そのぶん「Engravings」での細やかなテクスチャリングまではコントロールできていなかったし、開演が15分押す機材トラブルといい、3日目夜のATPの雰囲気――みんな飲み過ぎで疲れてて、反応がゾンビなところに重低音はきつい――といい、初日か2日目にガツンとぶつけてほしかったアクトだな、というのが正直な感想。

知人達はそのまま「The Haxan Cloakまで居残る!」と元気だったが、自分はシャレーに撤退し、ATPTV鑑賞を決め込む。今回のプログラムは先述したようにルー•リード関連(次いで多かったのがスタジオ•ジブリ。「Eastbound And Down」なんかも混じっていて、二日酔い気味の朝にはナイスでした)映像が主体だったんだけど、「The Telephone Book」(1971年)という映画がパンフの解説から察するにとても面白そうだったので、試しに見始めたところ――大当たり!

この映画の存在は今までまったく知らなかったんだけど、当時のアメリカのヒッピー文化が名残りを留める/しかしウーマン•リブによる「自由な女」風潮を戯画化し、匿名&無人なモダン•セックスのアイコン――テレフォン•セックス、オージー、SM、痴漢、レズビアニズムの実験、インポテンツ/オナニズム、ゆきずりect――を躊躇なく提示していく様は、(たとえば電話をネットのチャットに置き換えられるように、テクノロジーは変わったとはいえ)今観ても充分面白い。

公開時は言うまでもなくポルノ映画扱いされたそうで、興行的にも散々。ゆえになかなか世に広まらなかったようなんだけど(たぶん日本公開もなし?)、アリスという名の若く無邪気な女の子がエッチ電話の天才=スミス氏に感銘を受け、彼を見つけ出すべくセクシャルなオデッセイに船出。
その航海を通じて様々な人間(と、その抑圧された欲望)に出くわし、ある種の目覚めを体験する……というモチーフは主人公の名前からして「不思議の国のアリス」を思わせるし、テリー•サザーンの「Candy」やマイケル•サーンの「Joanna」に一脈通じる。フェス後にネットをさらってみたところ、この作品はベルトルッチ「The Last Tango In Paris」にも影響を与えた(!)らしい。

しかし「変態セックスの地下世界」という陰湿さは皆無で、くっきり乾いたモノクロ映像の捉えるニューヨークの街並みやこの時期の映画ならではのスタイリッシュなファッション、ウォーホル組(オンディーヌ、ウルトラ•ヴァイオレット)の参加、ぶっ飛んだアニメーション•シークエンスも含めて基調トーンはラディカル•ポップ。ウィリアム•クラインの「Who Are You,Polly Maggoo?」や松本俊夫の傑作「薔薇の葬列」が好きな人なら、がんばって探してみて損はない映画だと思います。

そうこうするうちシャレー仲間達も戻って来て、飲んだり話したりしているうちに夜が明けた。チェックアウト時間も迫ってきたので、掃除やゴミ出しを済ませ、空っぽになった部屋を見渡す。
容赦なく照らす朝日は、夢から醒めて現実を見るのにちょっと似ていた。もっとも、このホリデー•キャンプそのもののインフラが限界に近くなってきている……との印象は今会期中あちこちで感じた。ソファ•ベッドはしょぼく寝心地が悪い上に、リネン類に至ってはなんと有料。カード式の電気メーターが2日目朝に壊れて暖房&温水がしばらく使えなくなったり(この問題は他の多くのシャレーでも起きていたようで、メンテナンス係を待つこと1時間)、シャレーの外壁や階段他の傷みもいちじるしく、会場側のスタッフ数も最小限=バーでお酒を買うのに毎回かなり待たされる等々。

もちろん我慢できるレベルの話だけど、たとえばこの海辺の施設にとっての書き入れ時である夏の光景を想像してみても、盛り上がってる図は浮かばないくらいシャビー。「ホリデー•キャンプ」というアイデアそのものが2010年代のイギリスにおいては過去の遺物なわけだし、キャンバー•サンズのポンティンズがこれからも長らくサヴァイヴしていけるようには思えなかった。
ポンティンズのライバルとも言えるバトリンズ(ATPも一時期使っていました)はアメニティやインフラにもっと力を注いでいるし、ATPのコンセプトを真似たオフ•シーズンのウィークエンダー(主に懐かしアクトのフェス)企画を打ち出してもいる。

なので「未来が無い」とまでは言わないけど、ロンドン圏/英南東部に唯一残ったホリデー•キャンプであるキャンバー•サンズは、よほどの投資がない限り、近いうちに営業を止めるんじゃないか?と思った(完全な推測で、何の根拠/裏付けもない「感想」ですけど)。色んな意味で「End Of An Era(ひとつの時代の終わり)」というフレーズはぴったりくるみたいだな……そんなことを考えながら、ドアを閉ざしシャレーを後にした。

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Mariko Sakamoto について

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