Niagara Forever

英メディアでも取り上げられる級な大ニュースでもない限り、日本の時事報道はあまりマメにチェックしないので事情に疎い。なので、大滝詠一さんが急逝したことも1ヶ月以上経った今ごろ初めて知った。それも、たまたま知人のトウィッターを見ていて「えええっっ!」と衝撃を受けたという体たらく……。この偶然が無かったら、おそらく長い間大滝さんの死を知らないままだったと思う。

それこそ山のように追悼記事やメッセージが寄せられ、ブログやソーシャル•メディアを賑わせていることだろう。けれど子供時代にもっとも好きだった(今でも好きな)音楽を作った大滝詠一さんは、自分のポップス観の原点にある存在のひとり。そんなわけで感謝の念をこめて、いちファンとしてのパーソナルな思い出を思いつくまま綴ってみようかと。年寄りの昔語りになります、ご容赦のほどを。

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「大滝(瀧)詠一」の名前を自分が意識し始めたのはいつだったのだろう? ガキの頃は「年代」とかあんまり意識しないものなので、はっきり覚えてはいない。この機会に振り返ってみたところ、恐らく1981年あたりになりそうだ。「A Long Vacation」リリース時――と言いたいところだけど、入り口は松田聖子の数ある名曲のひとつ:「風立ちぬ」だったんだと思う。

今でこそほぼ洋楽しか聴かない「偏屈人」な自分だが(別に意図して日本の音楽を聴かないわけではなくて、そこまでフォローしている余裕がないだけ。知らないだけで、素晴らしい作品はたくさんあるんだと思います)、小学生の頃は当たり前にテレビの歌謡曲番組やベストテンにかじりついていた。いつだったかは覚えていないけど、自分が生まれて初めて行った「コンサート」は、親が連れて行ってくれたキャンディーズだった。

明るく朗らかで可愛い、自分とは真逆な存在だけに聖子ちゃんにはすぐに惹かれたんだけど、「風立ちぬ」にはちょっと違う大人な切なさがあって、それまでの彼女の歌より沁みる何かがあった。日本のテレビって歌がオンエアされると「作詞/作曲」のクレジットが出るものだし、そうじゃなければ当時教室で回し読みされていた「明星」か何かの付録=歌本を通じて「大瀧詠一/松本隆」の名前が頭のどこかにインプットされたのだと思う。

また、あの時期の自分はそれなりにアイデンティティを探していたようで(もちろん当時は「アイデンティティ」なんて小難しい概念はカケラも意識してませんでしたが)、好きなものを通じて「これが私」を主張しようとしていた。これは、姉がふたりいる環境の影響が大きかったのだろう。

小中学生だと小遣い銭も限られていて、駄菓子だのマンガだのが最優先される中で「レコードを買う」なんて……まずもってない話。なんでテレビ以外の音源は姉との共有ラジカセから流れるカセット•テープやFMラジオの又聞きに頼ることになり、彼女達が好きなグループの作品にはお世話になった。

この時期はいわゆる「ニューミュージック」が盛り上がっていた頃。一番上の姉はオフコースのファンで、しょっちゅう聴かされていた気がする(彼女はその後「Avalon」でロキシー•ミュージックに傾倒)。「さよなら」、「Yes-No」、「愛を止めないで」といった小田和正ヒットが大きいとはいえ、「LIVE」で光る鈴木康博楽曲(「のがすなチャンスを」、「一億の夜を越えて」)も好きだった。今聴き返すと、演奏の上手さにオフコースって日本のイーグルスだったのかも?と。

二番目の姉は、これまた当時人気のあったユーミン好き(彼女はその後ボウイに傾倒)。これは我が家の血筋なのかもしれないけど、何か気に入るとそのオリジンまで探らないと気が済まない!みたいなところがあるようで、姉はその頃までにリリースされていたユーミンの作品をほぼ全てカセットにダビングしていた(貸しレコード屋の時代でした)。それもあってユーミンはよく聴いたが、自分の一番のお気に入りアルバムは「時のないホテル」だった。

いったんそうやってファンの縄張りというか、「カルチャー領土」めいたものが決まると、一緒に聴いていたとはいえ、なんとなく「自分も好き!」と大手を振るいにくかった。上の子にくっついて回る末っ子は「真似したがり」とバカにされるものなので、引け目を感じたのかもしれない。兄弟姉妹に付き物の、無意識の競争心もあったのかもしれない。たとえばマンガにしても、長女=マーガレット、次女=花とゆめ、自分=ジャンプといった具合にパッキリ分かれていたっけ。3人そろって仲良くオープンにファンだったのは、「まかロニほうれん荘」とプリンスくらいじゃないかな。

んなわけで「好きなものを自分で発見する」は重要課題(?)だったわけだけど、そんな自分にどんぴしゃだったのがナイアガラ•トライアングルのヒット「A面で恋をして」だった。「『風立ちぬ』と同じ人」ってのもポイントだったし、何より華やかでロマンチックでとことんポップに突き抜けていて楽しくて、聴いてそれこそ世界の色が――ピンクではなくて、何故かオレンジ色に――パーッと変わった気がした。ずっと後になってフィル•スペクターやバディ•ホリーを聴いた時は、マジびっくりしたもんです。

しかし、それ以上の衝撃がまだ控えていた。貯金をはたいて買った最初のナイアガラ作品は「Niagara Triangle Vol.2」だったわけだけど(確か特典でジャケを模した三角形のキーホルダーがついてきて、宝物だった)、レコード店や雑誌他の情報でその前に「A Long Vacation」というアルバムがあり、それがすごいらしい……ということで次なるターゲットになった。

「A面で恋をして」や「白い港」が心の視界に新たな色彩を加えたんだとしたら、「A Long Vacation」はアルバムというひとつの「世界」にすっぽり同化する最初の経験だった気がする。名盤中の名盤にして大ヒット作なので、今さら何も付け足すことはないだろう。サウンドもアレンジもメロディも一級品、ポップから悲しいバラードに遊び心までムードやシークエンスのバランスも最高。最初から最後まで通して聴いて、またすぐに一から聴き返したくなってしまう、そういうエヴァーグリーンな磁力に満ちた作品だと思う。自分にとっての「生涯ベスト•アルバム」の1枚だ。

音楽はもちろんだが、松本隆の描き出すリゾートで都会的かつ世俗離れした歌詞(何せ「薄く切ったオレンジを浮かべたアイス•ティー」に「キャンドル」に「ロシア語の小さな文字」ですから。ご飯にお味噌汁とは無縁)は映像喚起力が高くて、自分にはまだ遠い大人の情景を背伸びして眺めるようなときめく体験をもたらしてくれた。

永井博のカラッとアメリカンでポップなイラストをフィーチャーしたジャケットも大好きで、よく飽きずに眺めていたもの(彼のイラストを使ったノートとか缶ペン•ケースまで買ったほどだった)。明るく爽やかだけど、でも現実には存在しない/手が届かないパーフェクトな「夢」の観念的イメージ……というのも、実は切ない曲の方が多いこのアルバムの持つ憧憬というテーマとも完璧にマッチしている。「FMステーション」でなじんだ鈴木英人のイラストも好きだったけど、アメリカ西海岸の日差しが生むブライトな色彩感覚は、以来「好ましい基本トーン」のひとつとして刷り込まれた。

こうして「にわかナイアガラ•ファン」が生まれたわけだが、そう簡単に有り金をバカバカとレコードにはたくわけにもいかず、かつ一旧作には「CMもの」とか「音頭もの」とか子供には不可解な音楽も含まれているらしく(これは、幼稚園時代の盆踊り大会がトラウマだったってのも深層に作用しているかも)、各アルバムの謳い文句を慎重に吟味したもの。その結果手を伸ばしたのは「Niagara Calendar」だけだったと思うけど――しかもアナログ盤ではなく、ちょっと安いカセット――これはこれで、すごく好きな作品だった。

その後に続く「青空のように」、「Blue Valentine’s Day」、「五月雨」みたいな泣きの名曲は即刻好きになった。でも、今聴くとエルヴィスにボー•ディドリーに、と全体的にファンキィでやたらロックンロール度が高いし、聴いた当時ですら個性的な唱法や言葉遊び•ユーモア感覚(「Rock’n Rollお年玉」、「お花見メレンゲ」、なぜか大好きな「Baseball Crazy」……この和洋折衷感覚はすごい!)にいちいちびっくりさせられた。ニューミュージック系のシリアスさも好きだったけど、大体が歌謡曲の守備範囲だった「お笑い」あるいは「ノベルティ」な音楽ってのを、真剣にやっていたってことですよね。

そうこうするうちに「Each Time」が登場。レコードの発売をじりじり待つっていう、ファン心理を痛いほど感じました&ステレオの前に正座して、初めて針を落とした時の緊張感は今も覚えている。その感覚は今も抱いているけれど、小さい頃の自分はそれこそ1枚のアルバム、あるいは好きな曲をエアチェック(→死語)したテープが限界になるまで繰り返し聴いていたくらいオプションが限定されていたんで、音楽に対する心理的な投資額がいちいち大きかったな。

「Each Time」も前作に勝るとも劣らない出来の名作で、むしろこちらをベストにあげる人もいるはず。自分の印象は「更に大人っぽいアルバム」というもので、それは瀑布型ポップの恍惚=むせるようなラッシュが後退し、スロー〜ミッド•テンポ曲の割合が高いからだろう。だから逆に「1969年のドラッグ•レース」――これは完璧なポップ•ソングのひとつだと思います――みたいに動きに満ちたテンポのいい曲が光る、とも言えるだろうが。

「Velvet Motel」、「雨のウェンズデイ」、「我が心のピンボール」といったダウナー、かつ若いささくれの引っかかるトラックがアクセントになっていた「A Long Vacation」に較べ、「Each Time」は壮麗なオーケストラ•アレンジやスキのないプロダクションで洗練の極みを追求したトータル•アルバム、と言えそう。そのある種の重厚さは繰り返し聴くことで良さが伝わってくるもので、当時の自分には解しきれていなかったと思う(それでも「銀色のジェット」、「ドラッグ•レース」、「ガラス壜の中の船」、「ペパーミント•ブルー」といった名曲は拭えないほど焼き付いていますが)。

もうちょっと侘び寂びも味わった今の自分なら、もしかしたら「Each Time」の良さをもっと理解できるかもしれない……と思い、まとめて2枚を聴き返すべくCDの山を引っくり返してみたところ、ギャー!見つからない。「CD選書」シリーズ、どこにあるの? 日本アーティストの作品はロンドンでは入手が難しいので、用心して全部キープして持って来たつもり。なので絶対にどこかに埋もれているはず(と、三度目のフル•サーチ開始)。ジャックスもルースターズもサニーデイも見つかったけど、大滝さんだけ出てきません(涙)。

頭の中で鳴ってるサウンド=記憶が、果たしてどれだけ現物に近いかも知りたい――というわけで、箱を引っくり返しての捜索はしばらく続きそう。しかし、そんなパーソナルなごたごたや焦りはいったん脇において、今は大滝詠一氏の安らかな眠りと冥福とを心からお祈りしたいと思います。

あなたと、あなたの友人やスタッフ達とが生み出した音楽と世界とは、どんなに時代や世界がその表層を変えても変わらない、「終わらない夏」のオアシスを私の心の中に残してくれました。ありがとう。

結局。自分はプールサイドのリゾートにも、肌を小麦色に焦がす真夏の陽光にも(太陽アレルギーなのか、赤くなるだけでブロンズに焼けない体質)、外車を持つBFに連れられての海へのドライヴにも、リヴィエラのバカンスとも縁のない人生を送ってきた。これからも恐らくそうだろう。でも、もしかしたら――あくまで「もしかしたら」の話ですが――大滝詠一の音楽の中に永遠に刻まれ、それを聴くことで自分の中に生まれ広がった「夏」のイメージが鮮やかで美し過ぎて、自分にはそれだけで充分なのかもしれない。その幻を現実に触れて壊され、落胆したくないって思い/恐れも、どこかに働いているのかも?

いやはや。「写真に話しかけてたら/過ぎ去った時/シャクだけど今より眩しい」というフレーズ、シャクだけど本当なんだなと思う。

昔を振り返るモード全開のパーソナルな文章で、すみません。大滝詠一作品には、音楽的な造詣が深く奥行きのある人々が音楽を作っていた時代ならではの色んなポケットがある。ゆえに自分も、まがりなりにも音楽ライターならばちゃんとそこに向かうべきなんだろう……とは思うんだけど、そうした理性が機能しないレベルに浸透しているらしい。

たとえば、CDが見つからないんで仕方なくYouTube他をあさって音源に触れているんだけど(去年はもっと見つけられたのに、下ろされてる印象です)、それを聴くだけで涙が出てきてしまう。断っておくと、それは大滝さんの死の悲しみによるものだけではなくて、音楽と声そのものに涙バーストのスウィッチを押されてしまうからです。

というわけで、最後にフェイヴァエリットな大瀧詠一曲のひとつを(この画像もいずれダウンしちゃうかもしれませんが)。ロイ•オービソンの「In Dreams」に匹敵する切なくも美しい夢の歌じゃないだろうか。夢で逢えたら――そう願うしかない時も、あるんですよね。

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Mariko Sakamoto について

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