The Bridge(Bron‖Broen):Series 2(BBC)

本ブログで実は根強い人気を誇るポストのひとつが、デンマーク/スウェーデン共作の犯罪ドラマ「The Bridge(Bron/Broen)」のレヴュー。第1シリーズについてのこの感想は2012年6月にアップしたので、もう1年半以上前の話になります。

その時点では「果たして日本でも放映されるのかしら?」と半信半疑だったけど、放映後も作品の評価•評判は上がり、日本でのオリジナル版オンエアはもちろんのこと、①アメリカ版(US/メキシコ国境)、②欧州版(こちらは英仏海峡トンネルが舞台で、タイトルも「The Tunnel」)と2本ものリメイクを生み出すロング•テールな結果に。面白いアイデアや良い作品は国や言葉を越えてアピールするってことだろうし、なんだかんだ言ってもまだ(全体から見れば)マイノリティなスカンジナヴィア産ドラマ/映画の独特なムードには、ファン•ベースの裾野を広げる余地があるようだ。

UKにおいてじわじわ枝葉を伸ばしてきたスカンジ•ドラマ人気の下地は、BBC4の「海外字幕ドラマ」枠が培ってきたと言える。スウェーデンあるいはデンマークを舞台にした作品を思い返すと、ここ2、3年だけでも同チャンネルで「Wallander」(ケネス•ブラナー版もあり)、「The Killing」、「Borgen」、「Sebastian Bergman」、「Arne Dahl」等が放映されてきた。

別に北欧に偏っているわけではなく、フランス(「Spiral」)、イタリア(「Inspector Montalbano」)他のモダン•ドラマも輸入オンエアされている。とはいえ、映画はともかくテレビで字幕……というのにやや抵抗があるらしいイギリス(吹き替えは、こっちは子供向け映画でしかお目にかからない)がこれだけ反応したのは驚き。ちょっと前の「TVラウンドアップ」ポストでも触れたように「スカンジ味」が英国産ドラマの中にも感じられるトレンドと化したことも考えると、(いい意味での軽いエキゾチズムとも相まって)確実に「北からの新風」として歓迎されているのだと思う。

その意味で、北/中欧他のホーム•ベースでは昨年放映された「The Bridge」第2シリーズのUK登板は、「満を持して」という印象だった。DVDでキャッチアップした新たなファンも含め、前シリーズに対する人気は尻上がりに上昇。かつ「The Killing」も「Borgen」もシリーズとしては完結しており、スカンジ•ドラマ好きのニーズ(禁断症状?)が高まるタイミングでもあった――ということで、今回の注目度とファンの期待はかなりのもの。「Sherlock:SE3」にしても、ラーズ•ミッケルセン(「The Killing」SE1でおなじみ)の出演を「スカンジ前菜」的に楽しんだ北欧マニアもいたんじゃないだろうか。

前置きはさておき、今回はBBCで5週(計10話で、毎週2話ずつOA)にわたって放映された、その「The Bridge」:シリーズ2のレヴューをお送りしたいと思います。あらすじに留めて、「これは」というネタバレは可能な限り回避!を目指します。が、ストーリーが前作から直結している都合上、とりわけ前シリーズをご覧になっていない方には「えっ、そうなの? 知りたくなかった!」というネタも若干含まれてしまうかも。なんで、一応発しておきます。

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共通項も多いけど、やっぱり違うお隣同士の国=デンマーク(コペンハーゲン)とスウェーデン(マルモ)の海峡を繋ぐオーレスン橋。そこで発見された遺棄死体をめぐる共同捜査を通じ、デンマーク人刑事マーティン•ロードとスウェーデン人刑事サガ•ノレンの凸凹コンビが誕生。両者がお互いに対する理解を少しずつ深め、「友情」という名の橋を築いていく――というストーリー曲線は、ある意味犯罪の謎解き以上に前シリーズの醍醐味になっていた。

凸凹コンビと称される由来は、両者がことごとく対照的だから。ニコラス•ウィンディング•レフンの「Pusher」シリーズでおなじみの俳優キム•ボツニア演じるマーティンは情や機敏に厚いファミリー•ガイにして人間臭さいっぱい、という役どころ。画面の彼を観ているだけで「この人とビールを一杯飲んだら、きっと楽しいだろうな〜」と思わせるチャーミングなタイプだ。

対するソフィア•ヘリーン演じるサガは、①プライヴェートはほったらかしで仕事&規則最優先②社会性/社交術は欠如という2要素が合わさって、一部には「ロボット」と評する声すらあるくらいの「捜査マシーン」。ゆえにマルモ署のエースとして重大犯罪捜査の主任にもなるわけだけど、「軽口/お世辞」、「行間を読む」、「思慮」といったニュアンスを欠いたまま真実探求〜ターゲット達成に突き進む彼女の行動や歯に衣着せぬ言動は、コンピュータや証拠品といった「モノ」が相手ならまだしも、社会的な摩擦を避けるため腐心する現代人――証人や容疑者に限らず、職場を共にする同僚も同様――が相手だと「WTF?」「横柄」と誤解を招くことになる。

このキャラ作りには、両国のお国柄も反映されているんだろうか?残念ながらスウェーデン人あるいはデンマーク人の知り合いはいないので、言語や顔立ちは似ていてるとしても、歴史•文化•社会の違いから生じるその微妙な「差」は分からない(たとえ知り合いがいて比較できたとしても、個人差もあるので簡単に分類するのは難しいだろう)。また、サガについてはパーソナリティ障害の可能性が示唆されてもいるので、彼女のキャラを元にステレオタイプするのはフェアではないかもしれない。

しかし本作や関連記事、インタヴュー他をチェックしていると、なんとなくデンマーク側には「スウェーデンはユーモアを解さない(:お固く真面目)」という意識があり、一方スウェーデン側には「デンマークはおしゃべりで洗練されてない(:もっとストレートでリラックス)」というが認識が感じられる(あくまで「なんとなく」ですけど)。そう考えれば、ベタで人なつっこくあたたかいマーティンのノリと、どこまでも理知&合理的、かつ実務優先なアイス•クィーン:サガには、それぞれの国民がアイデンティファイできる何かが備わっているのかもしれない。

参考までに、今シリーズのキャストによる「ダンスカとスヴェンスカの違い」インタヴュー•クリップを(画面のせいで、英語字幕が読みにくいのが玉に瑕ですが)。

――とはいえ、たとえば映画を考えてみても、北欧映画の多くは多くがヘヴィ&アート志向というイメージ。いずれも故人で古いたとえになって恐縮ですが、筆者の大好きな2監督の作品のクリップを。

……どうも、どっちもあんまり「ユーモア」は得意じゃなさそうですね。

本題に戻りまして:この「氷と炎」、悪く言えば「ロボコップと人間警官」(笑)とも言えるコンビ、正反対だからこそお互いの長所を評価し、短所をサポートすることができる。そのユニークなバランス/コンビネーションの妙が視聴者を惹き付けたというのは制作者側も承知していて、謎解きやサスペンスもたっぷり盛り込みつつ、第2シリーズもサガ‖マーティンの信頼関係や内面心理をパラレルで描く仕組みになっている。

にしても。久々の「再会」だったにも関わらず、第1話の冒頭――「今から1年1ヶ月前の話」という設定で、前シリーズ最終話:クライマックスの要約フラッシュバックがイントロに流れる――だけで、記憶がドーン!と一挙に甦ってきたのには我ながら驚きました。この最終話でのソフィア•ヘリーンとキム•ボツニアの素晴らしい演技、および感情的な昂りが、それだけ強烈に心に焼き付いていたってことだろうか。

その「これまでの軽いおさらい」を経て、空撮で捉えた夜のオーレスン橋他、ムードいっぱいに捉えられたシティ•スケープ映像の数々をバックに、おなじみのテーマ•ソング「Hollow Talk」が流れてきてエモなサビに達する……展開は、あざとい!と言いたくなるくらい盛り上がる。この手のモダン•ドラマで「歌」つきの音楽を主題歌に持ってくるのって割と珍しくて、前シリーズの頃は「ちょっとダサいんじゃ」とすら感じたもの。けど、今シリーズではそのドラマとの相乗効果を認識させられました(と同時に、各話のオープニングとエンディングで流れるこの楽曲、ドラマ本編とは異なる音量レベルで編集されている気もするので、そのインパクトが作用したのかな?とも思いますが)。

しかしシリーズ2の本編は――「シリーズ開幕」のオプションは、たとえば前シリーズからずいぶんと変化した主役2名の現況を描写するとか、色々あったであろうにも関わらず――「ノスタルジーはここまでよ」と言わんばかりに軟着陸を避け、一気に「新たな事件(謎)」=アクションに観る側を引き込む。ナイス。

発端は、航路を外れた大貨物船が沿岸警備隊の警告を無視して暴走、デ/ス2国を繋ぐオーレスン橋の橋桁に突っ込み難破したことで橋間の交通網が緊急ストップを余儀なくされるというもの。しかし一見事故めいたこのアクシデント、オート•パイロットの無人船だった上に船倉に身元不明な若者が数人監禁されていたことが発覚。ロング•コートに革パン、ブロンドをなびかせ70年代のヴィンテージ•ポルシェで現場に急行するサガ•ノレン様が謎の解明に乗り出す。

監禁された若者達の中にデンマーク人が含まれていたため、事件解決に向けてデ/ス両国は協力体制を組むことになり、コペンハーゲンに資料請求に向かったサガは、前シリーズの悲劇から13ヶ月ぶりにマーティンと再会を果たす。悲劇はマーティンの状況をすっかり変えていて、殺人課ではなく警備班に異動、心理セラピーに通い……等々、傷心を抱えストイックに謹慎している雰囲気がある。

何より――たまたまそういう歳のとり方をする人なんだろうけど――キム•ボツニアがごま塩からすっかり白髪頭になっているのはインパクトが大きかった。これは染めたとかではなく自然な変化と思われる(インタヴュー他のプロモ映像で観れる「素」の彼もこの髪です)けれど、歳月の経過〜ある人間が経た苦悩や悲しみを、ある意味言葉や演技以上に端的に伝えるエモーショナルなヴィジュアルだと感じる。

ルックスが命とも言える俳優は、白髪だのシワだの二重あごだの肥満を隠すのが普通だろう。ゆえに表情筋の動かない「ボトックス顔」がテレビ画面やスクリーンに妖怪のごとく跋扈するわけだけど、そうしたハリウッド的な「表層こそ命」発想をチャラにするごときマーティン(Man BoobことMoobもばっちり見えます)のナチュラルぶりは、エアブラシ&フォトショップ修正時代の今、逆にスカンジ•ドラマが愛される理由のひとつなのかも?

ちなみに、それはマーティンだけではなくサガにも当てはまる。髪は洗いっぱなしで自然乾燥、化粧っ気もないし同じ服を臭うまで着続け、人前でズボンの前を開けてリラックスするのも平気……というキャラなので(誤解のないように書いておくと、少なくともイギリス人は大体においてシャワーや洗濯はマメで、衛生観念はちゃんとしてます)、いつもこざっぱり整っていて、眠っているはず/起き抜けの場面でもなぜかマスカラにリップグロス(!)まで乗っかってるような多くの女優さん達とはそもそも違う。

しかし第2シリーズのソフィア•ヘリーンは、カメラ角度やライティング、メイクでごまかせる顔の傷を前シリーズ以上に晒していて、勇気があるなと思った。鼻からあごにかけて残る傷は、彼女が若い頃に遭遇した自転車事故によるものだとか。モンゴメリー•クリフトやエリック•ロバーツを持ち出すまでもなく、アクターのキャリアにとって顔の傷は命取りになりかねない。もちろん本作でもおおっぴらに見せるのではなく、観る側が「あれ?」と感じる程度に抑えられてはいる。しかし、マスクに刻まれた「生きてきた痕跡」をそのまま出すことで、サガというキャラによりリアリティが伴った気がした。

ちなみに、実際のソフィア•ヘリーンの映像を以下に。

トーク•ショウ出演向けにきちんとメイクしているからとはいえ、きれいな人ですねー。こういう風に素材がいいから、サガみたいに「手抜き」でもキマるってことでしょうけども。

ともあれ。コンビが復活したところで事件は急展開、マーティンも現場に復帰する。前シリーズでのショックを慮り、家族からも上司からも腫れ物に触るように扱われ、自らもその「真綿」にくるまれるのを「良し」と受け入れていたマーティン。しかし久々に会ったサガの相変わらずの単刀直入さ〜感傷や愛想とは無縁なストレートさが一種のカンフル剤として機能し、彼は捜査陣に加わるだけではなく、前シリーズから引きずっているトラウマとその亡霊――旧友イェンス――に向き合う決意を固める。デフェンスからオフェンスに転じた、と言ってもいい。

一方で事件は拡大していき、環境破壊とその遠因(:先進国による搾取構造が生み出す不平等、利益優先の大企業が生み出す森林伐採/大気•水質汚染といった環境ダメージetc)を糾弾するエコ活動家達から成る過激派セクトが犯行声明を発表。前シリーズでも「真実のテロリスト」を名乗る犯人が登場したわけだけど、このエコ•ウォリアー達は細菌や疫病をバラまく他、もっと規模の大きく組織的な無差別テロを展開していく。

捜査の進展に伴い容疑者•うさん臭い人物他も次々に登場する。と同時に、今シリーズにはサガのボーイ•フレンドであるヤコブ、捜査チームに加わったスウェーデン人刑事ラスムス(男)&デンマーク人刑事パーニル(女)の2名といった新キャラも参入して、ドラマに新たな次元を添えていく。

特にラスムス&パーニルは、サガ&マーティンのコンビとゆるい「男女/デ•ス」シンメトリーを形成しつつ、「The Bridge」ファンには既におなじみ〜マーティンやサガの上司ハンス、同僚ヨンらは暗黙している彼女の「奇人と紙一重の天才」ぶりを改めてあぶり出す形にもなっていて、そのちぐはぐなインタラクションや誤解の生むドラマもいいアクセントになっている。といわけで、たぶん第4話くらいまでは――犯罪のこんがらがり方ももちろんだけど――主立ったキャラ達の立ち位置や人間関係のニュアンスを頭に詰め込むのでいっぱいだったりする。

このペース配分は前シリーズも同様だったので、10話完結というスタイルだと大体こうならざるを得ないらしい。しかしさすがに第5〜6話は複数のスレッドが絡まり過ぎ〜その一方で断ち切られた筋スレッドがひらひらいくつも風に揺れ始め、かつ毎回「続く」のクリフハンガーに持っていくための突飛な展開も目とハナにつき始める=10エピソードを維持するには寄り道や迂回路も必要、という苦しさが忍ばれる。

――という感想は、読み返してみたところ、前ポストでもほぼ同様のことを書いていた(笑)。しかしそれでも「The Bridge」を観るのをやめられないのは、そうした何層にも重なるこんがらかった筋や登場人物が単なるスリルの場つなぎ〜思わせぶりな詰め物で終わることなく(詰め物で終わったキャラも皆無ではないですが)、後々スマートかつさりげない形で活きてくるからだと思う。また、ヒントや伏線を緻密に配置すると同時に今シリーズではこのドラマのベースであるサガ&マーティンの動向•内面もより丁寧に描写されていて、それらがフィナーレできっちりカタルシスへと昇華。そう考えれば、随所で細かくアラをほじくることもできるものの、制作者側にはグランド•デザインがちゃんと見えているってこと。全体図=ペイバックが満足のいくものであれば、観る側はついていくのだ。

そのフィナーレのカタルシスについては、観ていただくのが一番いいと思うので詳述は避けます。しかし、前シリーズに勝るとも劣らない、非常にテンションの高いドラマが展開するので――またも、とある場面で泣かされちゃいました(不覚にも!)――期待してもらって損はないはず。とりわけ第7話以降は、レッド•へリングも多少出ては来るものの、捜査のサスペンスと人間ドラマ双方のクライマックスの波がテンポ良く畳み掛けるので釘付けになると思います。

にしても、今シリーズでますますサガ&マーティンが好きになった。マーティンについては、今回はシリーズ序盤での動きが割と「助手席サイド」に抑えられている。なんで、むしろ観る側の立場に近いキャラとして、「サガ•ノレンという不思議な生き物」に感嘆し、賞賛し、好奇心を抱き、理解し、サポートしようとする視点を代弁している、との印象があった。しかしメンタル面での不安定さ〜抑圧された狂気は色んなところでちらっと顔を出すし、これはぬいぐるみのクマさんを思わせる笑顔から本物の熊――本能に従う野生の生き物――に一瞬で変貌できる、キム•ボツニアの役者としての幅/演技力の見せ場だと思う。

サガに関しては、恋人との同棲という設定を中心に、そのプライヴェートな面が前シリーズ以上にクローズ•アップされる。対人関係のノウハウを学習中……という段階のこの人が、BFやその母親といった未曾有の関係に巻き込まれる図はそれだけでもユーモラス。いちいち「恋愛で成功するには」型のハウツー本知識を生真面目に引っ張り出してくる彼女の様に、微笑まずにいられないだろう。そうしたおもろい面――マーティンを相手に社交術を学習/確認する姿も含む――をややいじりすぎ?という気もしたけど、謎の多い彼女の過去のダーク•サイドに徐々にスポットが当たっていく中盤あたりから、その側面も締まってくるのはさすが。

個人的に興味深かったのは、彼女の「同棲」に対する反応だった。多くの人間にとって、同居は(得てしてそこから続いていくケースの多い)結婚生活の予行演習みたいなものじゃないか?と思う。で、そこで必須になってくる「妥協」に馴染めず困惑する――女性的な観点で言えば、たとえばトイレのシートが上がったままだとか、しつこく油汚れしたお皿の洗い方がなってない、といった細かい「ルール」を相手に合わせて曲げなきゃいけないこともあるってとこでしょうか――サガの描写には、共感すると同時に新鮮さを感じた。

共感というのは、突き詰めれば「自分の住居において、どこかに自分だけの領域を持ちたい」という欲求だと思う。これはまあ、ドラマの中ではサガのBFが彼女のフラットに引っ越して来たっていう状況も手伝っているんだろうけど……これが「ふたりで新居に移る」だったなら、もっと明解に「ここは私の領分、あそこから先はあなたの領分ね」と線引きできたことだろう。

しかし、フラット•メイトとは異なり、トイレはもちろんベッドルームといったパーソナル•スペースも含めて「共有」というのが前提である恋人同士の同居において、彼女の反応はギクシャクしていて面白い。またも古いたとえになるけど、「a woman must have money and a room of her own if she is to write fiction」と「A Room Of One’s Own(自分自身の部屋)」で述べたヴァージニア•ウルフの感性――この引用は「女性が創作小説を書こうとするのなら」というものだけど、現代に移し替えれば「自立した女性が仕事するのなら」とほぼ等価ではないだろうか――に通じる気がする。このウルフの論は自分にとってはとても大事だったりするので、仕事に使う法律本の置き場が変わっただけでも敏感に反応するサガにはとても納得がいった。

新鮮というのは、そういう風に女性だって持っている/しかしなかなか表には出てこないニーズを、テレビ•ドラマで観るのって(自分にとっては)初めてかも?という気がしたから。映画やドラマでパーソナルな空間、あるいは自分PCや携帯電話といったプライヴェートを女性が求めると、その多くは「隠したい秘密がある」あるいは「生意気」という含みを持つもの。でも、ここでのサガのマイ•ルームへの動機は単純に「仕事に集中したい」「邪魔されたくない」であり、一般的に考えればこれは「男性的」ということになるんだと思う。

またも映画やドラマを例に出すと、得てして「女性(GF、妻or母)のメインの居場所はキッチン•リヴィング•子供部屋•ベッドルーム」になるけれど、一方で「男性が自宅に(家人に荒らされない)書斎/ミニ•オフィスを構える」とか「男性がガレージや納屋他に、自分だけのワーク•スペースを持つ」設定はごく普通だったりする。そういう「自分スペース」を持てたらいいなと思う人間としては、サガの「働く現代女性」としての当然かつ素直な葛藤の描写はますますリフレッシングに映る。

ちなみにサガのBFのヤコブ君は、ルックスは大したことないけどもとてもいい奴で、あらゆる意味で「不思議ちゃん」、センチや感情的なアタッチメントとは無縁なサガに振り回されてもついていく姿には同情させられます……。

そう考えると、「The Bridge」の自分にとっての潜在的な面白さのひとつとして――もちろん謎解きや犯罪ドラマのスリル&サスペンス、人間ドラマの面も大きいとはいえ――ジェンダー(性差)の固定観念、あるいは境界を越える意外性もあるのかもしれないな、と思った。

こういうジェンダー•ステレオタイプの歪曲は、第1シリーズでも見受けられた(サガのセックスにあけっぴろげなところetc)。しかしシリーズ2では、女性がイニシアチヴをとる場面がより増えた気がする。サガ&マーティンの職場における平等性(彼らの上司はそれぞれハンス&リリアンと男女だし、新配属されたラスムス&パーニルの男女部下もパラレルしている)は言うまでもないけど、今回重要な役割を果たす/社会的&心理的に立場の強い/作劇にスパイスを加えるキャラの多くは女性だったりする。

その中でも秀逸なのは、有能な女性刑事パーニル、そして大製薬会社の社長ヴィクトリアだった。とりわけヴィクトリアは、サガの氷壁すら粉砕するストロングでいけすかない「プラチナ合金の女」ながら、同時になぜかシンパシーを抱けてしまう面白いキャラで、今シリーズでも強い印象を残すと思う。

かと言ってアマゾネス軍団のドラマというわけではないし、もちろん男性キャラも活躍するのでご安心を。ただ、彼らの多くが従来のドラマにおいては女性が担う率の高そうな役回り(:奸計、娼婦、嫉妬……わー、女篇の漢字が多いっすね!)を負わされている感があり、その逆転ぶりは実は大胆。もっともその転倒図式も、突き詰めればサガとマーティンから始まっている。前者はどこまでも理知的でデータ&規則重視のワーカホリックな堅物で、後者はエモーショナルで人情たっぷりで家族を大事にする、いわばウェットさん。そのキャラ設定自体が典型的な男女イメージの逆にある、と言えるだろう。

この点を更に突っ込んでみると、たとえばの話――アメリカで同じ時期に「The Bridge」のような犯罪ドラマが生まれただろうか?と考えてみましょう。

まずもって、社会性もなく、(一般的な尺度で考えれば)可愛らしくもグラマラスなタイプでもなく、「ガールフレンド」にも「妻」にも「母」にも当てはまらない、ゆえに「Weirdo」の烙印を押されそうなサガという「ヒロイン」は成り立ちにくい。なんだかんだいってもアメリカのドラマはやはりその多くが良妻賢母を理想像としているので、サガのような女性刑事がメインストリームなドラマで主役になる可能性は低いと思う。

その一方で、ボン!とピストルをぶっぱなして万事解決……型の、アメリカが好きなカウボーイでマッチョ、ハードボイルドな男性刑事ヒーロー像は、もはや過去の話。捜査手順が正規&正当なものだったか?令状はとったのか?等のややこしい内務規則があり、犠牲者やその身内(特に子供)他に及ぼす影響も考えないと……ってわけで、マグナム一徹なダーティ•ハリーが今活躍していたら、彼は書類仕事と残務処理/上司との衝突/ダメージ•コントロールに明け暮れていることだろう。

また、今シリーズでより広がった性的なリベラルぶり(同性愛の描写他、タブー破り多し!)を考えても、保守的なアメリカではなかなかここまで思い切った描写はやれないだろうな〜、と感じずにいられない。そもそも、大企業や出版社(メディア)といった社会的に重要とされる組織のトップが女性という、本シリーズの構図からしてレアだろうし。

それが、よく言われる「スカンジナヴィア圏は女性の権利を保護する先進国」のリアリティを反映したものなのか?……までは断定できない(これくらい男女平等なのかは、実際にその地で暮らしていないので分かりかねます)。しかし、これまた古い話になるけども、封建的な貴族社会(トルストイ)やゴシック噺(ブロンテ)を背景にするのではなく、コンテンポラリーなドラマの中で「人形の家」のノラや「ヘッダ•ガブラー」のヘッダといった現代的な悲劇を担うヒロインを生み出したのは、ノルウェー出身のイプセンだったりするわけで。

たとえば:USヒット•ドラマの傑作「Breaking Bad」においてすら、家庭を守るべく義務を全うする「強い妻」役のスカイラーは、殺人他の重罪を重ねてきた主人公:ウォルト(=スカイラーの夫)の共犯者になるのをよしとせず彼をはねつけたことで、「ウォルトの足枷」として一部のファンからビッチ呼ばわり(!)されていた。そう考えるとアメリカのドラマにおいて、いわゆる「妖婦/悪女」を除き、男性に付き従うのではなく自分の意志&意見を通そうとする女性像が受け入れられる日が来るのは遠そう。で、アメリカですら遠ければ、日本でこういう女性キャラが生まれるのは――更に遠い気がする。

とまあ、こういう風に「知らず知らずのうちに、こちらの抱くジェンダー常識を破る」作品として観るのもまた一興だろう。けど、おしなべて質の高い演技とそれを支える緻密なスクリプト、常に薄曇りで湿った北欧の冬の底冷えする雰囲気いっぱいな情景(んー、夜景がきれいだ!)をはじめ今シリーズに見どころは他にもいくらでもあるので、敬遠せずにトライしていただきたいところ。

しかし最終的に自分の心に焼き付いたのは、「人間がいったん何かを選択したら、彼/彼女はその結果の責任を引き受けることになる」というモラルだった。これは、誰かがどこかの時点で犯した何か(=下した決断)を追跡•捜査し解明する……というのが基本モチーフになる、本作の刑事ドラマという性質もあるのだろう。が、そこから生じる悲劇は絡まり合うことで勢いを増し、遂には肉親/恋人/結婚/同胞心/友情etc、キャラ達が互いの間に築いてきた「橋」ですら壊していく。その帰結として画面に流れる「Hollow Talk」のサビ:「♪And everything goes back to the beginning」は――今回、とて〜も重かったです。

追記:こちらの記事によれば、「The Bridge」の第3シリーズももっか企画進展中な模様。シリーズを重ねるごとにパワーがアップしているだけに(これは、ヒットすると「次の一手」が弱くなりがちなテレビ•シリーズでは珍しいケースです)、第3弾のハードルは一層高くなりそう……ですが、サガとマーティンのサーガ(物語)の行方、これからも期待しています!

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Mariko Sakamoto について

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