Heaven Adores You: Elliott Smith Documentary

昨年からアメリカのインディペンデント/ドキュメンタリー映画祭サーキットを中心に部分上映されてきたエリオット•スミスのドキュメンタリー「Heaven Adores You」。やっと海外でも公開の運びとなり、スケジュールは限定&小規模ながら、イギリスでも劇場で観ることができました。いずれ日本公開もしくはDVD化されることを祈りつつ、今回はその紹介&レヴューになります。

エリオット•スミスというソングライター/ミュージシャンのバイオグラフィに関しては、彼が世を去った2003年以降、雑誌•ブログ•書籍etcでさんざん追悼され、語られてきたので敢えてここでは繰り返さないことにします――それは、ひとつにはわざわざマイナーな本ブログをチェックしに来てくださるような奇特な方には、当方のエリオット•スミスの音楽への情熱を共有している(=わざわざ繰り返すのも野暮な)ファンの方がいるだろうという遠慮から。

それ以上に大きいのは、エリオット•スミスの悲しいストーリーとそのショッキングな最期は、ショッキングゆえに90〜00年代にコンシャスにロックを聴いていた人間であれば、たとえ「自殺だったらしい」という断片程度の話でもなんとなく知っていると思うので、ドキュメンタリー映画の作品評を目指すこの場で細かくリピートする必要はないだろうと感じるゆえ。Sweet Adelineでもウィキペディアでもピッチフォークでもなんでもいいですが、アゲイン、彼のライフ•ストーリーは色んな場で何度も語られている。というか、丁寧さの光る本ドキュメンタリー向けの特設サイトにも手短かなバイオ文は掲載されていますので、興味のある方はチェックください。

――と一気に書いてみたところで、この映画「Heaven Adores You」の持つアピールに気づかされた気もする。というのも、本作は「エリオット•スミスのマニアックなファンに向けられた内容」というよりも、むしろ「若い世代の人々がこれからエリオット•スミスの作品を聴く発火点」になるのを望む、いわば懐古ではなく未来に顔が向いているドキュメンタリー/トリビュートの意味合いが強い作品だからだ。

フェイヴァリット•アクト/シンガーというのは、それを好む人間にとっては強い意義•重要性•歳月を越えても続く同時性を放つものの、そもそもそのアクトを知らない人間にとってはなんの意味もない。ニック•ドレイクも、ジェフ•バックリィも、馴染みのない人々にはただの単語群である。そう考えればエリオット•スミスの死と最後のオリジナル•アルバム発表から10年以上が経過しリスナー世代のサイクルが回転した現在、彼の名前を認識しない音楽ファンが増えるのも当然の話であり――筆者が知らないだけかもしれないが、エリオット•スミスの楽曲が近年CMやテレビ/ヒット映画挿入歌に起用される、あるいは当代アクトにカヴァーされて再評価のきっかけを生んだ……ってケースは、まだ起きていない気がする――言い換えれば、先述した「彼のバイオは大体ご存知ですよね?」という暗黙了解でいささか怠慢なバイパス行為は年々通じにくくなっている。その意味で、筆者のように近視な「ES信者」とは異なる視点を意識して作られた「Heaven Adores You」には大いに価値がある、と言えるだろう。

その「エリオット•スミスはそもそもどんなアーティストだったか?」という入門編的スタンスは、彼の短い生涯と音楽家としてのキャリア〜ディスコグラフィを当人の発言(インタヴュー映像&ラジオ•インタヴュー音源がメイン)と親族•友人•関係者等からの補足コメントを通して再構築し、彼の暮らした街(ポートランド、NY、LA等)の情景も交えながら追体験していく……という作品スタイルに結実している。本作のオープニング•シークエンスに選ばれたのが映画「Good Will Hunting」のオリジナル主題歌としてアカデミー楽曲賞にノミネートされた「Miss Misery」をオスカーの檜舞台で歌うエリオット•スミスの映像(1998年)なのも、世の中の大多数の人間にとっては――それはエリオット本人も含むだろう――あの瞬間がターニング•ポイントであり「出会い」だった、という一般的な基点を示唆していると思う。

<このイントロのアレンジ、テレビ中継向けで派手にしなくちゃいけなかったんでしょうが、ひとこと、「不要」>

そこから作品はいったん2003年10月21日の彼の訃報を語る字幕へジャンプし、Solutions Audio-Video Repairの渦巻き壁画といったイメージやショックを語る友人他の証言が当時の悲しい記憶を呼び覚ます。彼の(コマーシャルな/メインストリームにおける)ピークと、そこから5年後に待っていた悲劇的な結末…という「あらすじ」をまず提示した上で、映画はいったん時系列を巻き戻し、彼の生い立ちから本編部のリールが回り始める。

オマハ/ダラス〜ポートランド期は肉親(エリオット•スミスの妹であるアシュリー•ウェルチ)や中高時代の学友の追想コメントがリードしていくのだが、子供〜少年時代の写真は彼のバイオ本にも使われていない未見なものが多く、眺めているだけでつい頬がゆるむ。特に印象的なのは部分的に挿入されるアマチュア時代のデモ音源で、演奏のスタイルや歌唱法こそ異なるものの、コード進行やメロディに既にエリオット味が響いているのには泣かされる。

しかしお馴染みの顔ぶれが登場し始めて音楽ファンの好奇心をくすぐるのは、やはりポートランド以降のタイムラインだろう。いくつかのプロジェクトを経てヒートマイザー、そしてソロへ……と動いていった揺籃〜アーティスティックな地固めに当たるこの時期は、トニー•ラッシュ、ラリー•クレイン、ピート•クレブス、ジョアンナ•ボルム、スリム•ムーン他のインディ•シーンを飾る友人/関係者達が次々に登場。今や「Keep Portland Weird(ポートランドは妙なままでいい)」のスローガンやオルタナ&アイロニカルなスケッチ•コメディ•ショウ「Portlandia」、ヒップスター達の米拠点のひとつとして世界的に知られるこのエリアだが、90年代初期はお隣=シアトルの巨大な影を振り払うべく対抗心を燃やしていた、というちょっとした背景も興味深い。

熱心なローカル音楽ファンの間では「ポートランドのフガジ」との異名もとっていたヒートマイザーの一員として活動しつつ、プライヴェートでギター弾き語りの宅録を始めていたエリオットは徐々にノイズ•ロックから遊離。ファースト•ソロ「Roman Candle」(1994)、セカンド「Elliott Smith」(1995)がミュージシャンやインディ•コミュニティの中に徐々に波紋を広げていく一方で、ヒートマイザーはメンバー間の亀裂により内破。このあたりで挿入される「Plainclothes Man」は、素晴らしい楽曲であるのはもちろんのこと、既にエリオットが「Either/Or」および「XO」に向かっていたのを示唆している。

<若いっす>

このくだりで地元のラジオ番組にヒートマイザーの一員として出演しインタヴューに応じる彼のリラックスした口ぶりが聞けるのだが、普段の話し声と歌う時の声にほとんど差が無い人なので、会話すら美しい音楽のように響くのに気づいた。

クセのあるアクトを送り出したKRSでならしたスリム•ムーンですら「最初のうちはメディアや業界人にエリオットの作品を聴いてもらうのに苦労させられた」と述懐するように、当時のオルタナ•ロック界トレンドの真逆をいく=ポール•サイモンによく比された彼の繊細でアコースティック、静かな(聴く人によっては単に地味な)音楽。しかしサード「Either/Or」のリリースでローカル人気は広がり、ポートランドでは1500キャパ規模のライヴ会場も埋めるように。この追い風から「Good Will Hunting」サントラ起用への筋道がつき、例のオスカーでの「Miss Misery」パフォーマンスへと繫がっていくわけだが、そのにわかハイプや脚光――大多数の人間にとって、エリオット•スミスは「バンドやソロで既に5枚以上のインディ•レコードをリリースしてきたアーティスト」ではなく、「ヒット映画のテーマ曲で当てた新人」と映った――は重荷だったらしく、パーソナルな事情も伴い、当人はポートランドからニューヨークに拠点を移す。

ドリームワークス移籍第一弾作となった「XO」録音時のエピソードがやや薄い気がするのは、このあたりからマネージャーやPR担当者といった業界人〜ビジネス関係者の証言が増えてくるからかもしれない。もちろん、当時のエリオット•スミスをサポートし、気遣う立場にあった彼ら/彼女達を「メジャーだから」と批判するつもりは一切ない。が、彼らのコメントに「腫れ物に触る」的なトーンがついて回る点に、ポートランドを去ることで、エリオットは長年培ってきた友人ミュージシャンのネットワークやローカルなコネクションという「防護膜」をも断ち切ってしまったんだな……という切ない印象は残るはず。

そんなある種の無謀さ、言い換えれば自己破壊の傾向は、ニューヨークからロサンジェルスへ移ってレコーディングされた「Figure 8」以降も悪化していく。深まった飲酒癖を憂慮して仲間達が善意で行ったミーティング(カウンセリングの一種である、いわゆる「インターヴェンション(介入)」)や善意のアドバイスを撥ねつけた……というくだりもこの前に出て来るが、そのエピソードには後にエイミー•ワインハウスが「Rehab」で歌ったのと同様な突っ張りがエコーしていて、軽く寒気が走る。中毒は身体ではなくて実は心の病い、という説は本当なんだろうな。そう言えば、この作品の上映前に流れた「乞うご期待」予告編集の中にそのエイミーのバイオ映画「Amy」(アイルトン•セナを取り上げた「Senna」の監督、アシーフ•カパディア作)もちらっと見れました。

<「Back To Black」前のエイミー映像に、心が躍りますな>

もうひとつ、その予告編集で面白そうだったのが「Lambert and Stamp」。このタイトルだけで「お?」と即座に反応した方はかなりのザ•フー好きですね〜。というわけで、これはザ•フーを発掘した初代マネージャー•デュオ=キット•ランバートとクリス•スタンプを通じてザ•フーの成り立ちを追う音楽ドキュ映画。60年代ロンドンやモッズ好きにはたまらない!興味深い内容になりそうです〜

<にしても、バンド本体ではなくマネージャーにまでドキュメンタリーの手が伸びているのは、業界の裏幕を知りたい人が増えた証拠でしょうか。まあ、名バンドに名黒子=マネージャーやレーベルは必須なので、自然な流れかもしれませんが>

逸れた話を戻しまして:LA期では、ジョン•ブライオンを始めとするLargoサークル(ポール•トーマス•アンダーソン撮影のパイロット映像も一部使用されている)やオルタナ〜インディ系写真家として名高いオータム•デワイルド(「Figure 8」のジャケット写真他、印象的なエリオットのイメージを撮影している)といったこれまた興味深い知人達が登場。しかし彼らの発言/観察から浮かぶのは、根本的にソングライターであってエンターテイナー/セレブではないエリオットの中に募っていった複雑な葛藤、ドラッグで才能が蝕まれていく様を成す術も無く見守る周囲の苦悩であり、重い。ここから映画は終幕に向かっていき、2003年、彼の死後リリースされた「From A Basement On The Hill」、そしてトリビュートやベネフィット•コンサート映像、遺族による記念基金他、2010年代へと様々な形で引き継がれているレガシーにスポットが当てられる。

ポジティヴながらやや唐突な幕引きと感じたし、取材に応じなかった人々(クワージのサム&ジャネット、デイヴィッド•マッコーネル、ジェニファー•チバ他)が作り出す欠落感はもちろんのこと、「From A Basement」レコーディングの模様や関係者が他のアルバムほどにはフォローされていないため、同作の魅力がしっかり伝わらない印象が残るのはやや歯がゆい――う〜ん、もう少し突っ込めたのでは?

<個人的に、ここしばらくでもっとも「見直して」いるエリオット作品が「From A Basement」。リリースされた当時は、辛過ぎてなかなか聴く勇気を出せなかったから、というのもあるかもしれない>

しかし公の場から離れていたこの時期は、恐らく本人の談話音源や取材映像といった素材が少ない……という事情ゆえにこうならざるを得なかったのだろう。かつ、晩年の彼にまつわる痛々しい噂やプライヴェートにおける混沌、リハビリと共にパラノイアに苛まれていたという状況、そして悲愴な死に至る背景を掘り下げるのは、下手に扱うと下世話なセンセーショナリズムに流れかねない。それはファンも望んでいないだろうし、それよりも彼の遺した音楽と影響とに的を絞るというニコラス•ロッシ監督の決断は、ある意味正しいと思う。

一方で、それらのいわば「闇」の部分をある意味タブー扱いした「俯瞰」で礼儀正しいとすら言えるアプローチゆえに、コア•ファンには食い足りなさが残る作品になってもいる。だがそうした感慨は、本人の死によってもはや決して埋まることがないと重々分かっているのに、時間の無駄なのに、それでも心の中にある「エリオット•スミス」という不完全なパズルを少しでも埋めようと、新たなピース片を求めて伝記や回顧記事を読まずにいられない自分のようなファンの身勝手な執着〜もしかしたら不健全なこだわりなのだろう、とも思う。

たとえば、彼のバイオで2年ほど前に新たに「Torment Saint-the life of elliott smith」(著William Todd Schultz)という本が出版された。丁寧なリサーチや取材ぶりに頭の下がる優れた内容でお勧めなのだが、本の題名からして「苦悩の聖人」、しかも表紙タイトルのフォントも今風なやや可愛らしくトウィーなヒップスター向けのサン•セリフ(Pisakのバリエーションだと思うが、この最近長らく人気の書体、自分には軽いピーヴの対象なのです)と、本屋で手に取った時はさすがに「ううぅ〜む…聖人かぁ」と軽く腰が引けてしまった。

もちろん、エリオットの音楽的な才能は不世出のそれだ。他に誰も真似しようがない天才という意味では、自分にとってはニック•ドレイク級の人だ。かつ、多くの人間が口を揃えて語る謙虚で優しい人柄も含め、「聖人」という掴みのいいイメージを本のタイトルに持ってくるセンスは分からないではない。が、そうやって(特に若くして亡くなった)ミュージシャンを偶像/神格化して崇める一種のセンチメンタルさは、自分にはどうも居心地が悪い。

だからといって「きれいごとばかりじゃないぞ!」と露悪するのがいいとも思わないけど、たとえあるアーティストが個人としては賛同しかねる行為やモラルを疑う発言を行ったとしても、その人の生み出した音楽作品なり楽曲そのものを、その点から評価するのは違うと思う(:とはいえギャリー•グリッターやエリック•クラプトンといった連中は自分にとっては論外。もっとも、もともとどっちの音楽も好きじゃないので、ジレンマはまったく感じませんが)。

先にも書いたように、本作「Heaven Adores You」には見どころがたくさんあるし、ファンなら/あるいは「もっとよくエリオット•スミスを知りたい」という人なら、観てみて絶対に損は無い作品だと思う。が、いちいちポエティックに撮影されたポートランド等々の「さびれたアメリカ」型風景映像の数々も含めて映画としての方向性は基本的に「センチメンタル•ジャーニー」なので、観ているうちに苦さや辛さも欲しくなってくる。その苦さや痛みをピリリと感じたくて、映画を観終わった後、エリオット•スミスの遺した音楽をさんざん聴き返した――ということは、この映画もまた、きちんと(自分の思う)音楽ドキュメンタリーの存在意義にして使命=映像を通してその主題となったアーティスト/バンドの音楽に触れたくなるという、大前提はクリアしていることになります。それは何よりも大事。

ガラにもなくやや切なくなってしまったので、最後はポジティヴに締めたいと思います。

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Mariko Sakamoto について

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