TV round up: Line Of Duty/Series 3

ここしばらくのテレビ鑑賞録、今回取り上げるのはBBC発の人気警察ドラマ「Line Of Duty」の第3シリーズ。イギリスでのオン•エアは今年の春先だったのでちょい懐かしくもあるのですが、既に制作にゴー•サインが出ているという第4シリーズには人気女優タンディ•ニュートンが出演するとの情報も流れてきたこの機会に、第3シリーズを振り返ろうと思います。可能な限りネタバレは回避するつもりですが、大まかなあらすじ他の「前情報」は一切知らないままに留めておきたい…という方は、スルーくださいまし。

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当ブログでは、本作の単独のエントリーは第2シリーズ(2014年)からだったはず。その際も書いたんだけど、第1シリーズは自分にとって「キャスティングは優秀なのに、ストーリーに無理があってどうも…」という印象で、いわば残念賞な作品だった。警察内の汚職や不正を摘発する部署:AC(anti corruption)−12の特殊さを伝えるべく描写がリアリティ重視なぶん、筋やキャラの動きの大胆な飛躍についていきにくかったのだ。

それだけに第2シリーズの登場には「あら、そんなに人気があったんだ」と驚かされもしたのだが、この第2シリーズが軽いテレビ現象に化けるヒット作になったことで箔がついたというか、第3シリーズはいよいよ「満を持して」の登板。尻上がりに上昇した評判や各種賞ノミネート&受賞にあおられキャッチアップしたファンも増えたところで、放映前の期待値はこれまでで最大だったはずだ。脚本、演出、演技ともに期待に応えるパワフルな内容だったのはもちろん、各シリーズのメイン•ターゲットになる犯罪とは別の、3シリーズを通じて存在してきた/それらを繋いできた、よりビッグな背景ストーリーの曲線も浮かびあがってくる。

本作の主役に当たるAC−12という部署は職務の性質上身分秘匿捜査を行う専門的なユニットであり、警察内部においては「嫌われっ子」な煙たがられる存在。だからだろうか、「Line Of Duty」にはどこか日陰なイメージ/負け犬の悲愴さ、みたいなものがついてまわる。負け犬ってのはオーバーな表現かもしれないけど、警察=体制側の歪みや偏見、不祥事、誤捜査等をもみ消す報道を現実の中で目にする状況で―−もちろん、そうした報道が「ネガな面に光を当てる」のにバイアスがかかっていて、日常的で大多数を占めているはずな警察の「ポジな行い」が見過ごされているのだろうな、とは思いつつ――AC−12がどこまで真実にリーチし、悪を裁きの場にまで引きずり出すことができるのだろうか?と、ついペシミスティックになってしまうんですよね。やっぱり、なんだかんだ言っても、芋づるのように長く根を張った巨悪という「長いもの」に巻かれちゃうんじゃないか?と。

「長いものに巻かれちゃったけど、でも自分たちはやれるだけのことはやった。妥協もあったけど、がんばったじゃないか」的なやや玉虫色な解決というのは、これまでも社会派ドラマや刑事もの映画で使われてきた手法だったりする。100%の全滅は無理だけど、その一角は突き崩して致命的なダメージを与えたんだから、ゼロよりはマシ――たとえば警察と犯罪組織双方にそれぞれの「スパイ」が送り込まれ、その正体を突き止めるべく罠や裏切りにあふれた複雑なデッド•ヒートを繰り広げるスコシージの「The Departed」も、そういうロジックの作品だった。煮え切らないとはいえ、スカッとさわやかな勧善懲悪がなかなか起きない灰色な今の世界を思えば、現実的な対処という意味では観る側も納得できる、「あり」なドラマの終わり方ではある。

<「The Departed」予告編。なんと、この作品ももう10年前なんですね〜!>

だがこの第3シリーズは、そうした自分の中にある悲観的な見方を覆してくれたという意味で新鮮だった。頭が見えないほど長いヘビの尻尾というか、あるいはぬるぬるした触手で締めつけてくるタコというのか、手を変え品を変え迫ってくる「黙殺」への政治的な圧力やパラノイアの霧をはねのけながら、ジリジリと少しずつ真相究明に向かうAC−12の姿が描かれている。

「ジリジリと」と書いたものの、起伏に富んだストーリーや「あっと驚く」仕掛けはシリーズ全体の随所に仕込まれているので、「続き物なドラマ」としては決して地味ではない。サスペンスな展開に毎回手に汗握って観たし、「続きは次回」で悶絶しましたしね。ただ、主人公達が標的に向けて徐々にコマを前進させる展開に快感を覚えると同時に、常に「でも、最後はやっぱり悪が勝ってしまうのでは? まんまと逃げられちゃうんじゃない?(それも仕方ないよね…)」という悲観の可能性も漂っていて、その一進一退のスリリングなバランスを最後の最後まで維持したのは見事だった。観ている側には知らされている事実やからくりの壁に突き当たって捜査が難航するたび、「騙されちゃダメよ!」「負けるなAC−12!」と画面に向かってシャウトしたくなってしまう。

というわけで、本シリーズのストーリーも過去2シリーズに負けず劣らずこんがらがっております。第1シリーズでは悪徳警部と犯罪組織の癒着、第2シリーズではその犯罪組織を裏切った証人の「口封じ暗殺」をめぐる謎が物語を始動させる「歯車」になっていたが、今回その役目を担うのはドラッグ犯罪の検挙に参加した武装警察隊が起こしたとある殺人事件。キーを握るキャラを演じるのが映画をメインの活躍の場にしている実力派ダニエル•メイズ(マイク•リー作品他)というのは嬉しかったし、本ドラマの人気場面とも言える尋問シーンの心理攻防戦をばっちり堪能させてもらった。

この不審点の多い事件(不祥事)を捜査すべくAC−12の核になる3人=スティーヴ•アーノット、ケイト•フレミング、テッド•ヘイスティングスが動き出すのだが、捜査の進む中で事件は更に発展&思わぬ方向へと拡大。その一方で第2シリーズで起きた事件の余波がAC−12にも及び、いちおう「主役」なはずのスティーヴが四面楚歌な状況に。内部特捜班の存在自体をも揺るがしかねない局面を迎えた彼らは、全シリーズ中でもっともあやうい「綱渡り」を強いられることになる。

しかも、ニュアンスに富んだ演技や演出の巧みさで、「この表情とセリフはこういう意味だったはずだけど、もしかしたら違う解釈も成り立つ?」、「この場面の、この人のこの行動は、どう解釈するべき??」と、画面の隅々から役者の表情筋まで、観る側もパラノイア菌に浸食されてしまうのか、いちいち油断できない。よく考えると物語の中のアラや穴はいくらでもあるんだけど、細かなテンションの連続で乗り切れてしまう。

それらのあっと驚く展開とスリリングな描写の数々についての詳述は、ここでは避けます。ただ、これまでこの作品に登場してきたキャラやプロットが様々な形で再浮上するので、もしも本シリーズを観る機会があるとしたら、その前に第1&2シリーズを「復習」しておくことを強〜くお勧め。プラス、今回は女性キャラ連の活躍が過去以上に印象的でもあった。第2シリーズにしてもリンジー•デントンという強烈な女性キャラが引っ張っていたわけだけど、今回はひとりにスポットライトを当てるのではなく、大小様々な役柄のキャラがそれぞれに見せ場を与えられ、いい味を出している。

それが「女性役者の役柄をもっと増やそう!」的な昨今のフェミニズム〜PC風潮に対する「応急処置」としてではなく、作劇の中にオーガニックに溶け込んでいる…と思えるのは、ひとつには、このドラマがヒーローあるいはヒロインといった個人のカリスマやパワーに寄りかかることがない、組織や仕事場を共有する人間たちの集団劇としてデザインされているからだと思う。

先にも書いたように、マーティン•コンプストンの演じるスティーヴがいわゆる本作の「主役」に当たる感情移入しやすい存在であり、試練を越えて彼が人間として/刑事として成長していく過程は全シリーズの通低音として鳴っている。それを追うのも、このドラマのひとつの見方だろう。が、彼以外のメイン•キャストもはまり役&葛藤があり複雑な思惑があり成長の余地がありサヴァイヴァーであり、単なる「壁紙」ではなく、心や血肉の備わったキャラとして描かれている。ゆえに、たとえスティーヴの出番や活躍シーンが減っても大丈夫、バックアップ勢がきちんと対処して面白くドラマを進展させてくれる。

この作品のエモーショナルな根幹として「信頼」というのがあると思うけど、文字通り、ここでは制作者とキャスト側の間に培われた信頼や絆――「自分のセリフが少ない!」等々のクレームは、エゴの大きな「非チーム•プレイヤー」なら言い出しかねない文句だろう――がプロダクションにまで浸透している、というか。その意味で「Line Of Duty」は、いちいち味のあるキャラの集団(主要キャラのすべてを使ってスピン•オフ作品が作れると思う、マジに)が独自のハーモニーを見出し共闘する名作「The Wire」に近い、「ビートルズ型」のカタルシスを備えている、と言えるかも。いやもちろん、ひとりの声で続いていくボブ•ディランも好きなんですけどね。

もうひとつの点は、これはネタバレにも通じるのであまり細かく触れませんが――最終的に、女性の強さと正義感が大事になってくる、ということ。それを声高に主張するほど野暮なドラマではないし、第2シリーズにも明らかなように、「女性の中に潜む悪、狡猾さ」も描いてきたドラマではある(今回も、したたかな女性悪役が登場します)。しかし、過去数年のイギリスで取り沙汰されてきた実際の事件/一連のスキャンダルが本シリーズの物語面でのインスピレーションのひとつになっているのを思うに、女性がクローズ•アップされるのはとても自然に映った。

…と、なんか、曖昧かつもったいぶった言い方ですみませ〜ん。でも、ここを丁寧に説明すると観る面白さが減ってしまうのですよ:なので、できれば実際に観ていただいて、その上で「ああ、そういうことなのね」あるいは「的外れな意見だな」でも、まあ、なんでもいいんですけども、それぞれにご判断いただければ。そうやってお勧めするだけの価値はある、骨のある作品だと思います。

本稿冒頭でも書いたように、このシリーズは人気上昇を受け、既に次シリーズも企画されている。しかしこの第3シリーズを観て感じたのは、ひとつの大きな物語が終結したなという充足感だった。第1シリーズにノり切れなかった人間としては、「作者であるジェッド•マーキュリオは、最初からこの長いスケールを想定して書いていたのか!」と感心させられもした次第。

本ブログのテレビ感想ポストでよく書いている話だけど、連載漫画同様、テレビは「人気が出なかったら打ち切り」の憂き目に遭うメディアだと思う。隠れファンが存在していても、視聴率次第でカット。ゆえに、仮に不発で10話で終わってもそれなりにオチのつく設定を用意しつつ、はずみでヒットしたら連載継続も可能な仕掛け=主役や悪役が完全には死なない、等の余地/言い訳をどこかに残す…というのは、制作者側にしてもやりにくそうだ。たとえ初心はピュアでも、シリーズ化してキャラや話を水増ししていった結果ルーティンに陥り、面白くなくなっていったケースもあるわけで。

でも、こうして3シリーズ観終えて、冷静にプロットだけを追うと観る人間を翻弄し続ける入り組んだ迷宮とも言える(指摘しようと思えば矛盾も結構多いですし)「Line Of Duty」には、問いかけたい最終的な「標的/テーマ」がちゃんと存在していたのだな、と感じた。次シリーズもそうした大きなテーマを根底に据えてほしいものだし、硬派な作家ジェッド•マーキュリオには、警察組織を通じて描きたいストーリーはまだあるはず。で、その新たなテーマ追求のために、3シリーズの主役であるAC−12班の顔ぶれを一新するくらいの思い切った決断もありではないか?と感じる。

マーティン•コンプストン、ヴィッキー•マクルーア、エイドリアン•ダンバー三者の息の合った演技〜疑似家族的な絆は本ドラマの見どころのひとつなので、恐らく彼らが降板することはないだろう。いずれも好みな役者なので、3人の共演は自分だってまだまだ観たいですし。ただ、ドラマの全体図を眺めると、主要キャラクターたちの成長•変容は今回でひとつのサイクルを閉じている。彼らが引き続き次なるサイクル〜難事件に足を踏み入れるのももちろんありとはいえ、敢えて人気キャラたちには「卒業」してもらい、次シリーズで異なる役者陣や力学、アングルを通じてフレッシュな物語を一から作り出してくれたら面白そうだ。評価している作品だからこそ、人気に寄りかかって安住してほしくないんです。

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Mariko Sakamoto について

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