Beat of My Own Drum: 111.Nicky Hopkins


偶然、アナログ盤でニッキー•ホプキンス(ストーンズやキンクス作品他への参加で知られる、名セッション•プレイヤー)が1973年にリリースしたソロ作「Tin Man Was A Dreamer(邦題:夢見る人)」に再会して、聴いてみました。そしたらもう、2曲目のこの曲でびっくり。

<これ、ジム•オルークの新曲でしょうか……??>

というわけで、この作品が1995年に日本でCD再発されたのを買って聴いた当時は、自分はその真価を全然分かってなかったんだなー、と認めざるを得なかった。たぶん、本作に参加した豪家ゲスト•ミュージシャンの数々の名に釣られて、みたいなところもままあって、ノリで買ってみただけで「分かった」ような気分で聴いてたんだろうな:若き日の自分。

かつ、アルバム全部を通して聴くと、決して「すべてが良い」と思える作品ではないんですけども、この曲の美しさにはこう、グウの音も出ない「普遍的な何か」がありますよね。

で、この作品のCD再発を自分が買ったのっていつ頃だったんだろう?と、ちょっとノスタルジーに駆られたので調べてみたら、わーお、この時期のエピック•ソニー系のいわゆる「再発」「ナイス•プライス」ものでは、他にコリン•ブランストーンの「One Year(一年間)」もあったんですね。このアルバムは、たぶん、自分にとってのエヴァーグリーンなアルバムのひとつ。ということで、懐古ついでに。

<ゾンビーズでも最高なコリンですが、このソロ作でのヴォーカルは絶品です>

「One Year」のジャケと見て、ふと、ジョン•ケイルの名作「Paris 1919」のジャケでの「ほおづえポーズ」を思い出したので、ついでに。ジョン•ケイル作品は好きなものが多過ぎて「この1枚」とは言いがたいんだけど(時期や気分によって、判断が変わるのです)、やっぱり、一番よく聴く作品と言えばこのアルバム。全曲すごすぎて、いまだになんだかナゾが一杯で、その意味でも色あせない、これまたエヴァーグリーンな1枚。

<最初から最後まで、どの曲も捨てがたい名作なのですが、ここでは、ウェールズ人であるケイルの可愛さが全開なこの曲を>

再び、「日本のレコード会社による見事な再発」例に戻って:ザ•シティの「Now That Everything’s Been Said(邦題:夢語り)」。この作品も90年代の再発で聴くことができたんだけど、意外と「タペストリー」好きなイギリス人もその存在を知らないくらいにカルトな1枚だったらしい。ソロになる前のキャロル•キングが在籍したバンドで、これまた素晴らしい作品です。

<ザ•シティは、アルバムのジャケ写真もすごく好きなんです。いまだに手放せない1枚だったりします>

そんなわけで、なんだか「日本のメジャー会社の再発の労を讃える」みたいなノリになってきましたが、その意味では自分には欠かせないのが、これまた再発キャンペーンで手にしたアル•クーパーの作品の中でももっとも好きな、「Naked Songs(赤心の歌)」。このアルバムから、もっとも日本ではウケが良くて知られていそうなこの曲を。

<またも1973年の作品…という話ですが、このアルバムを聴いていると、自分はスティーヴィー•ワンダーの「Innervisions」も合わせて聴きたくなってしまいます>

この手の、いわゆる「秘宝館」「探検隊」みたいな再発企画って、メジャーではもうやり尽くされてしまって、今ではインディが私家版を発掘するような状況になってるけど、まだ、「再発されないままのこの作品」みたいなのって、どっかに眠ってるんでしょうね。既に評価の決まった「名作」のボックス再発とかもいいんだけど、権利があやふやで手が出ない云々の面倒な事情で再発されていない作品が、広く世に出る機会が増え続けることを祈ります。

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Beat of My Own Drum: 110.Amor


今日はこんな感じ。グラスゴーを拠点とするアヴァンギャルド•ミュージシャン、リチャード•ヤングスの

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Manuel Göttsching plays E2-E4@Barbican Centre:22/March/2017


あれよあれよ〜〜と、なんだか日々の泡に揉まれていて、このライヴに行った時の話をログしそこねていました。クラウトロックの重鎮マニュエル•ゲッチングが、1981年にレコーディングした「E2-E4」を全曲再演というコンサート。日本他でも行われてきたライヴですが、やっぱこのピースは、リアルタイムで体験しないといけないと思います。とはいえ写真がボケボケ、しょぼくてすみません。

ゲッチング先生は白髪の好々爺で、序盤はラップトップとにらめっこな渋い/学者っぽくもあるノリだったんだけど、反復がトランスを生み始め、気持ちよくなってきた……ところで、エレキが混じってくるあたりが自分的には最高。このギターがアフリカ系ブルースのそれととても似ていることに気づいて、いたく感銘を受けたわけです。根源。

本編のあとにはオーレン•アンバーチ他と共演する「アシュラ•テンペル•エクスペリエンス」という演目も控えていたんだけど、「E2-E4」経験の至福の後には何もいらないので、帰路に着きました。しかしこれはウェストミンスターでテロが起きた日でもあり、遅い時刻にも関わらず帰りの電車の駅にはいつになく制服警官がうろうろ警護に当たっていて、落ち着かない。ここが天国なのか、地獄なのか、よく分からなくなってくる。

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TV round up: Westworld(HBO)


今回のテレビねたは、かなりタイミングはズレますが:昨年第1シーズンがスタートし波紋を呼んだ話題大作:「Westworld」についてのもろもろ。

アメリカ有料テレビ•チャンネルの横綱格:HBOが新たに送り出すオリジナル•ドラマ•シリーズということで、この作品のオン•エア前からの注目はかなりのものだった。バズの背景には、HBOの今の立ち位置というのもあったと思う。

意欲的な力作•評価の高い作品を送り出し続けている局とはいえ、いわゆる「看板」に当たる近年のグレード作だった「Boardwalk Empire」は2014年で終了し、「世界的なヒット」の人気シリーズと言えば現時点では「Game of Thrones」しか手持ちのコマはなかったりする。その「GoT」は、第6シーズンを終えた昨年の段階で残りはあと13話(を、2017年/18年に2シーズンに分けて放送予定)で終了というスケジュール。「GoT」の成功でミレニアル世代にまで認知の高まったHBOの「ブランド」を維持すべく、「次代の旗艦ドラマ」として立ち上げたのが「Westworld」ということになる。否が応でも期待は募りますよね。

もうひとつ、このドラマの血統もマニアの前評判を煽った。タイトルだけでピンとくる方もいるだろうが、本作は人気作家の故マイケル•クライトンが初監督を務めたSF映画「Westworld」(1973年)を原案•起点にしている。映画版「Westworld」はユル•ブリナー演じた故障し「キれちゃった」カウボーイ•ロボットの不気味なイメージでよく知られる作品で、後にクライトンが大成功を収める「Jurassic Park」のプロトタイプと言える「未来のテーマ•パーク」もの。

<というわけで「Westworld」予告編。タイトルのロゴも実に70年代味で良いですね! にしてもユル•ブリナー、ごく自然にアンドロイドっぽ過ぎるのはすごい……>

クライトンと言えば「Westworld」だけではなく「The Andromeda Strain」や「The Terminal Man」といった科学ホラー映画の原作者でもあり、「Soylent Green」、「Zardoz」、「The Stepford Wives」、「Logan’s Run」、「Demon Seed」や「Invasions of The Bodysnatchers」といったパラノイアとディストピアに満ちた70年代SF映画の風変わりな「味」を形作ったひとり、でもある。

いまや古典〜カルト名作とされるそうした70〜80年代SF/ホラー映画のリメイクやリブート企画は後を絶たない状況でもあり、「Westworld」もそのワンオブゼムなのかいな?と早とちりした……のだが、もうちょっと探ってみたところ、原作/プロデュース/脚本はジョナサン•ノーラン&リサ•ジョイ(=夫婦)。ジョナサンはクリストファー•ノーランの弟で、「Memento」原作から始まり「The Dark Knight」、「Interstellar」他の脚本でコラボしてきた。

ノーラン映画好きとしてはアンテナがピピッと反応するし、40数年以上前のアイデアをどう2010年代に提示するのか好奇心が湧いた。放映期の少し前に見かけた番組宣伝の街頭看板もダ•ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を思わせるクールに理知的&ハイテクなイメージで、今見返すと滑稽に映る映画「Westworld」の愛すべきキッチュさや「ロボットとセックスぅ?!」とついニヤニヤ笑いが浮かんでしまうポスト•モダンなシニシズムとは異なる、シリアスなベクトルに向かった作品なのがうかがえた。

そんなわけで実際に観始めてみたところ、いやはや〜:お金のかかったプロダクションの質の高さや映像美、周到な世界観の確立ぶり•豪華なキャスティングは言うまでもないけど――HBOだからハイ•クオリティは当然とも言えるが、それでもやっぱ「わお! 映画かいな?」とうならされます――ストーリーのスケールと宗教他を含む野心的なテーマ設定には圧倒された。このドラマではキーになる音楽としてレディオヘッド楽曲のアレンジも多く使われていて、これまたノーランっぽい。しかし映画版へのオマージュは「イースター•エッグ」的にちょこっと忍ばせてあった程度で、70年代ノスタルジアの入り込む余地はほとんどなし。見事に「今」へとアップデートされたサスペンスフルなSFドラマに仕上がっている。

<レディオヘッドのメロディはなかなか効果的でした>

というのも:AIやロボット/ヒューマノイド技術が進歩した現在、「人間とロボットの差は?」、「チューリング•テスト」、あるいは「シンギュラリティ」をテーマにしたフィクション作は増えている。思いつくだけでも、「her.」、「Ex Machina」、「Real Humans」&「Humans」(前者はスウェーデン制テレビ•ドラマで、後者はその英国版リメイク)など。話題の「Bladerunner 2049」もこのテーマを更に突っ込むものになるのだろうし、40年前には荒唐無稽な「科学空想」だったであろう「ロボットのホスト&ホステスから成り立つテーマ•パーク」のアイデアは――もちろん実現までには相当に時間がかかるだろうが――よりアクチュアリティを増して我々に日々接近している、と言える。

その意味でも「Westworld」は、オリジナル版「Westworld」の骨格を用いつつ、まったく違う世界へと踏み出している。これに近いアイデアを根本とする翻案/リブート•ドラマでは「Fargo」も思い浮かぶが、同作がコーエン兄弟へのトリビュート〜ある意味「非常によくできたファン•フィクション」でもあるのを考えるに、過去にとらわれずに「Westworld」が果たした思い切った飛躍と野望、その成果はそれだけでも評価に値するんじゃないかと思う。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 以降、「Westworld」:シーズン1の概要に触れながら観て感じた思いや自分なりの見どころポイントをつらつら書いていきます。基本的にネタバレは無しで進めるつもりですが、日本でもほぼ同タイミングで放映されたみたいなのでこれから観るチャンスは大いにあるかと。で、「余計な前知識は欲しくない」、「まだ観ていないからストーリーは知らないままでいたい」と感じる方は念のため、ここから先の文章は用心してお読みください〜 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

タイトルの「Westworld」は、デロスなる会社が運営するテーマ•パークの名称。その名の通りウェスタン=開拓期アメリカの西部劇の世界を実体験しましょう!というコンセプトが売り物のパークで、完全に再現されたセットの中にカウボーイ•ハットやコルセット付きのドレスといった時代衣装に身をやつした「ゲスト」たちが遊びに来る高級リゾート地だ。

それだけなら「凝った大人のコスプレ」だが、ウェストワールドが大金持ちにしか許されない贅沢リゾート/エンターテインメントである所以はずばり、「パーク内ではお客は何をやっても許される」という規則のおかげ。ゲストが生身の人間であるのに対して、パークに配置された何百体もの「ホスト」(=人間キャラクターはもちろん馬他の動物も含む)はすべてアンドロイド。本作の時代設定がいつ頃なのかははっきりと明かされていないものの、3Dプリンターと最新のバイオ•テクノロジーを駆使して人間あるいは実物とは見分けがつかないほど精巧に作られ、切れば血を流す彼らホストは、与えられた役柄と同じ台詞を来る日も来る日も繰り返すだけの「ループ」の中に存在している。

イコール、人工物であるホストを銃の的にしてなぶり殺しにしても、暴行しても、ゲストには一切おとがめなし:無礼講が許される。ホストは反撃できないようにプログラムされているため人間が危険に晒されることもなし……というわけで、無法がまかり通っていた西部劇の世界にどっぷり浸りつつ、ゲストは普段抑制している様々なファンタジーとアドヴェンチャーへの欲求を存分に解放できる、という仕組みだ。

しかし、これらの基本設定は映画版と同様。この奇妙でノベルティな世界の存在を前提とした上で、ドラマ「Westworld」はパークに遊びに来たゲストたちの視点や彼らの経る「限りなくリアルでエキサイティングなゲームの数々」を描くよりも、むしろロボットたち=ホスト側の視点と体験、そしてパークを運営する面々=裏方を主軸にストーリーを展開させていく。

それもそのはずで、本作のテーマは「ロボットの覚醒」。映画ではコンピューター•ウィルスの発生でアンドロイドとパークの管理システムが異常をきたすという「突発事故」が発生し、ゲストである人間はヒューマノイド相手のサヴァイヴァル•ゲームに投じられる……というパニックものだったが、テレビ「Westworld」の焦点はそこではなく、アンドロイド/AIが自我&自意識を獲得するプロセスとその是非、そしてそのプロセスを押し進める人間たちのミステリアスな思惑とが物語を織り成していく。

ホスト役の中でメイン格に当たるのが、イヴァン•レイチェル•ウッド演じるドロレス、そしてタンディ•ニュートン演じるメイヴ。ドロレスは快活そのもので美しい農家の娘、メイヴは酒場兼娼館を仕切るやり手マダムと対照的な役どころながら、運命の糸に導かれ本業=ループから外れていく両者は「Westworld」第1シーズンの主要ドライヴ部。見た目は人間でありつつ中身は人造物というメンタル面で複雑、かつ身体的にもタフ(ヒューマノイドたちはメンテナンス/修理時は全裸になるという設定なのでヌード場面も多し&彼らがゲストから受ける虐待の数々は観るのが辛い)な役どころを、経験値の高い実力派女優2名がしっかり受けて立っている。

彼女たちを見守り/管理し/操る側のキャスティングも奮っている。ウェストワールドを立ち上げたクリエイター=ロバート•フォード役として御大アンソニー•ホプキンスが参加したのを筆頭に、パークのチーフ•エンジニアにジェフリー•ライト、そして謎に包まれたゲスト=黒服のカウボーイこと「Man in Black」に(これまた御大)エド•ハリス。彼らベテランたちの風格と存在感は基本的に荒唐無稽な本作の世界に奥行きを与えていたし、シセ•バベット•クヌッセン(「Borgen」他)、ジミ•シンプソン(「It’s Always Sunny In Philadelphia」の傑作キャラ:リアム•マクポイルでおなじみ♥♥)、クリス&リアムの兄ちゃんことルーク•へムズワース、クリフトン•コリンズ•ジュニア(「Pacific Rim」他)等々、サイドを固める面々にも「端役なのに印象に残る」キャラクター•アクターを多く起用していて、目を引くビッグなスター達だけではなくディテールへのこだわりを感じさせたのはナイスだった。

んなわけで映画も真っ青の豪華キャスト!大予算!!と前評判は華々しいものの、「Westworld」は色んな意味で「とっつきにくいドラマ」だったのはまずもって興味深かった。映画版「Westworld」の怖さは故障したロボットが殺人マシーンと化す展開にあったわけで、テレビ版を観る側にもその反乱/下克上カタストロフがいつ起きるか?はポイントだったと思う。しかしこのドラマ、第1シーズンにも関わらずゆったりしたペースで進むんですよね〜。

尺も1時間以上のスペシャル•エピソードな第1話から、観る側はいきなりウェストワールドにおける「ノーマルな世界のあり方」の中に放り込まれる。主だったロボット•キャラが与えられた「筋書き」と毎日記憶を消去されては同じ「舞台」に送り出される奇妙なルーティン、そして風光明媚な「マールボロ•カントリー」が作り物であることを観る側に叩き込む一方で、どれがホストでどれが人間(ゲスト)なのかの説明なしでエピソードが進むのにも混乱させられる。これは「もはや一見した程度では人間とヒューマノイドの差がない」という設定確立のためだろうけど、観ているうちに「このキャラも、実はロボットだったりして??」と疑心暗鬼が早々にこっちのマインドに入り込んでくる効果は実に高い。

どんなに「これは人間ではない、リアルではないのだ」と分かっていても、ゲストに奉仕するための存在=いわば奴隷であるマシーン:ロボットと、彼らをコントロールするパーク管理側およびゲストとの間にある絶対的な主従関係は観ていて抵抗がある。ロボットはマニュアルやリモコンではなくヴォイス•コントロールで作動/停止するので、管理側の一声で瞬時に「マネキン•チャレンジ」が生じるのもかなりフリーキー。表に広がる雄大な自然とウェストワールド舞台裏のハイテク研究所&医療機関を思わせる冷ややかなクロームとの対比も相まって、この奇妙な世界とそれを成り立たせているロジックに慣れるまで=受け身をとれるようになるまで、自分は少なくとも2話を要した。

この、「観る側に丁寧で分かりやすい説明をしない」スタイル、言い換えれば、1回観ただけでは飲み込みにくいセリフやテクニカルな言語、一見重要そうではない些細なニュアンスや短い場面にちらっと映ったアイテム(これは、ひいてはファンたちの間に様々な「コンスピラシー」「独自解釈説」のフィーヴァーを焚き付けることにもなったのだけど)といったパン屑をちらばらせリピート鑑賞を促す傾向は、「Breaking Bad」や「Better Call Saul」、「Mr. Robot」といった作品を盛り上げた、ネットとリンクした一種のインタラクティヴ人気の熱源のひとつでもある。

しかし、「BB」他が割とストレートに感情移入できるキャラ――それはウォルトでもジェシーでもソウルでもキムでもエリオットでもいいんだけど――、すなわち観る側が「このキャラを追おう」と感じられる=心理的に投資するアヴァターを決めやすいのに対し、「Westworld」は少なくとも自分にはそれをやるのに敷居が高かったというか、アヴァターを見つけるのに時間がかかった。

ドロレスやメイヴら、ロボットたちはシーズン序盤は悲惨な目に遭うばっかりで、その救いのなさと閉塞感には息が詰まった。かといって管理者側=ロバートやバーナードもそれぞれの思惑が読みにくくて信用できないし、エド•ハリスのMiBに至っては冷酷なサディストで、彼なりの使命感があって旅しているのだろうと察しはついても、やはり自分は完全に乗車拒否。それでも共感できるキャラ、そして彼らの活躍は徐々に浮き彫りにされていくので「あー、観続けて良かったわい」と思えるんだけど、共感のカタルシスをなかなか許さない二重三重に絡まった複雑なキャラ設定と作りは、これが第1シーズンということを考えても、かなり野心的だなと思った。

とはいえ、ストーリーのボールは1話からはじかれて転がり始めている。フォード博士がホストたちの機能に新たに加えた「Reverie(夢想)」がそれで、その動機はロボットの「人間性」や動作の自然さを更に高めるため……なのだが、そこから生じた一種の副作用は様々な形でロボットたちに小さな変化をもたらしていく。この新機能の真の意図は?というナゾをめぐり、パーク側とフォード、そしてMiBがそれぞれ独自の動きを見せつつ、エピソードが進むごとに、新機能によってトランスフォーメイションや葛藤を経ながらドロレス&メイヴらは自意識=覚醒に接近し、変化していく。

でまあ、非常に凝った作りのドラマで、「これでもか、これでもか」というくらいに仕掛けやビックリな事実、どんでん返しがあるので、細かくプロットに触れてくとネタバレが避けられないので、これ以上は書きませ〜ん。しかし、本作のテーマ面での大ゴール=シンギュラリティの可能性をじっくりと浮かび上がらせつつ、サブ•モチーフにもいくつか現代的なテーマを織り込むことで厚みを増していたのは秀逸だと思った。

そのひとつは、ホストとゲスト、引いてはロボットと人間との関係が、奴隷制度とそこから根強く続く様々な差別の構図を思わせるものである点。たとえば、管理側で働いている、現実ではモテそうもない雰囲気のオタッキーな修理マンや技術者たちが(規則では禁じられているものの)モデルやポルノ女優のように完璧な肢体を持つ美しいロボット相手にこっそりセックスする場面など、かつての奴隷主や植民地主義者たちの横暴ぶりがだぶる。ドロレスとメイヴがいずれもジェンダーは女性であり、かつ、ひとりは有色人種キャラという設定からも、作者たちの側にレイシズムやフェミニズムといった「今」な要素を盛り込みディスカッションを広げようとしているのは明らかだと思う。

もうひとつ面白いのは、ウェストワールドというヴァーチャルな虚構と、それを影であやつる作者たちの存在、という図式だ。神話、小説、映画、テレビ•ドラマ、ゲーム……とメディアは様々だけど、ある意味究極の体験であるウェストワールド――要は、自分自身がファンタジーの中の登場人物になれるテーマ•パークですからね――は人間が求めてきたストーリーの精髄、とも言える。なので、脚本を組むシナリオ作家やキャスティング担当にあたる人々の四苦八苦も描かれるんだけど、なんでもできる立場の彼らが、突き詰めればセックスとヴァイオレンス=アドレナリン充満な物語(平たく言えば男性的な妄想の充足)を作り出すのに終わっているのは、一部のドラマや映画やゲーム、ひいてはそれらを享受する現代の消費者たちの飽くなき欲求をドラマという視点から風刺しているようで、とても面白かった。人気のあるスーパーヒーローものにしたって、要はヴァイオレンスとセックス=現実では解消しない欲求を満たすのががキモですもんねー。

ともあれ:この第1シーズンは、尻上がりに良くなっていってハマらされた面も含め、イントロダクションとしては秀逸。シリーズとしての「第一章」には一応のカタがついているとはいえ、ここから何がどうなっていくのか、もっと知りたい! 気になる!と思う人にはいくつもの種子が多方向に撒かれているので、それらが芽吹くのを見守っていくつもりです。何より、次のシーズンで明かされるであろう(明かされてほしい)、リゾート地ウェストワールドの外にある現実の世界、これがどんなものかは興味がある。

にしても、ジョナサン•ノーランは今回で見直した。この人が「Westworld」と同様、JJエイブラムスと組んで送り出した以前のテレビ作品では「Person of Interest」ってのがあったんだけど、あれはバットマン/イークォライザー/仕事人系の自警ネタをテクノロジー社会にアップデートしようとした心意気やクレバーさは買う……ものの、キャラ造型とかドラマのテンポが早急すぎ&ご都合すぎで正視に堪えなかった(助演とかゲスト出演で良い役者がぽこぽこと顔を出すので、一見の価値はありますが)。

<「Person of Interest」シーズン1の予告編。ガチャガチャしたトレイラーの編集だけでも、軽く疲労しますよね>

しかし同作は米CBS製作だったので、ネットワーク系番組の放送コード(問題になる言語や暴力/性描写は御法度)とか、視聴者を困惑させる野心的なコンテンツには渋い顔を出すスポンサー側への遠慮がアダになっていたのかな?と、そうした規制やしがらみがゆるいHBO産のこの作品は、彼にとって真の意味で本領発揮できる場になってくれそうです。

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Beat of My Own Drum: 109.Peter Perrett


元オンリー•ワンズのピーター•ペレットが6月30日に初のソロ(個人名義という意味では、確かに初です)「How The West Was Won」を英ドミノからリリースするそうで:やはりちょっと嬉しくなってしまいます。この人はほんと、「生きててくれて良かった…」という思いを抱かずにいられない、たま〜にチカッと浮かぶ燐光に触れてほっとさせられる、そういうタイプのアーティストなので。

そんなわけで、ヴェルヴェッツ+ディランとでも言うべき、先行公開されているアルバムのタイトル•トラックをどうぞー。

<バックには息子さんたち=ピーターJr.とジェイミーが参加しているらしく、アルバムが全体でどうなるのか楽しみです。ジョニー•サンダース、ニッキ•サドゥン〜エピック•サウンドトラックスあたりが好きな方も、ぜひトライしてみていただきたいところ>

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Beat of My Own Drum: 108.The Sugarcubes


なんだか色々あったところで、80年代中盤の音楽を振り返っているうちに、今日の行き着き先はここ=シュガーキューブス。彼らのワールド•ワイドなデビュー曲「Birthday」を無性に聴きたくなったので、どーぞ。

この時期から30年、ソロとしてのビョークの飛翔&躍進は現在に至るまですごいわけですが:自分の中では、最初に出会ったこの楽曲での「声」の半端ないインパクトと不思議なポップさ、ポケットに蜘蛛を隠した少女、のイメージがいまだに(たぶんもっとも)強い。

この曲をアップするなら、付随で紹介しておきたいのがこちら:ジーザス&メリー•チェインによるリミックス。

リミックスっていうか、サビのコーラス部でお風呂場ギターの音量がアップし、ジムが「イェー•イェー•イェー、イェーェェ……」とコーラスしているだけなんですが、基本的にやる気なしの元祖スラッカーことリード兄弟としては上出来かもしれません。ちなみにこのリミックスのタイトル「Chiristmas Eve」の由来は、ジーザス=キリストの誕生日(Birthday)に引っ掛けて、のものです。

そういえば、そのジーザス•アンド•メリー•チェインも久々の新作を出したばかりだけど、内容はどうなんだろう? まだ聴いてないので、なんとも言えない。 

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Beat of My Own Drum: 107.Long John Baldry


インターネットのラビット•ホール、すなわちアリスが落っこちたウサギの穴っていうのは言い得て妙で:今回は、色んな意味でユニークな立ち位置にいるブルース系英シンガーのロング•ジョン•ボールドリーについて触れよう……と思って動画を探していたところ、いやはや〜、こんなお宝映像に突き当たって、しばし落下してしまいました。というわけで、1965年、ロンドン西部リッチモンドで開催された「The Fifth National Jazz and Blues Festival」での、おそらくフィナーレの一幕。

<エリック•バードン、スティーヴ•ウィンウッドに続いて3番目にマイクを握る、背を折り曲げるしかないのっぽさんがロング•ジョン•ボールドリーです。彼のバンド•メイトに当たるスティームパケット期のジュリー•ドリスコールも、モロにマリー•クワントな見た目で可愛い!ですが、同じくメイトであるロッド•スチュワートに向けられた女性客の悲鳴のスゴさは、この頃から彼のスター性を示唆していたかも>

カメラの動きはもちろん今に較べてぎこちないですが、好きなイギリス人シンガーがこんな風に一堂に会してジャムっていたのか〜と思うと、なんか不思議に泣けますね。いや、今もこういうゲスト参加やお友達の飛び入りはフェスの場ではあるんだろうけど、ジャンル(R&B、ソウル、ブルース)やスタンダード曲で繫がりやすかったこの時代には、音楽にもまだ「共通言語」みたいなものがあったのかも?と。

ヒップホップではまだその伝統気風は残っていると思うけど、こんな風にオーガニックに歴史的な瞬間って、今の分断/細分されたブリティッシュ•ロックからは生まれなくなっているんじゃないでしょうか。この映像も、最後のクレジットを観ていたら、総合プロデューサーにブライアン•エプスタインの名が出て来てびっくり。ビートルズがもちろん本業なんですけど、こういう風にシーン全体の連携や盛り上げに一役買っていたのかもしれません。

というわけで、この映像から芋づる式に思い当たった楽曲を色々と。まずは、エリック•バードン&ジ•アニマルズ。

<名曲の多いアニマルズですが、ここでは敢えて、メロディは美しくも兵士ネタというサイケ色も含む奇妙なギャップが印象に残るトラックを。エリック•バードンは素晴らしいシンガーなんだけど、どうしてもスタイルや影響、時代からヴァン•モリソンが思い浮かんでしまい、「やっぱヴァンだよね」と感じてしまってあんまりちゃんと評価していないかも。ごめん>

<スティーヴ•ウィンウッドの神童&美丈夫ぶりを堪能ください!ということで、スペンサー•デイヴィス•グループのイキのいいこの曲。しかし、クリップが撮影されたのはどこかのショッピング•モールなんでしょうか、エスカレーターとかの存在がアメリカっぽいぞ。しかし、本当に良い声だね〜>

<ジュリー•ドリスコール、ブライアン•オーガー&ザ•トリニティの1969年の名作「Streetnoise」より。ディランやドノヴァンのカヴァーも最高で再解釈は上手い人たちだけど、この曲=リッチー•ヘイヴンスがオリジナル=も、また痺れます>

<ロッドの初期名作から、バッキング•ヴォーカルでロング•ジョン•ボールドリーが参加している、とされるタイトル曲。ロッドは、エルトンと共にの地にロング•ジョン•ボールドリーのアルバムのプロデュースも担当しました。ちなみに:これはブラック•クロウズの曲ではないですので、勘違いしないように>

<というわけで、シメは本稿の主人公のはず……だった、ロング•ジョン•ボールドリーの、この恐らくもっともよく知られているであろう曲(1971年発表のアルバムより)。と言ってもオリジナルは彼ではなくて、アメリカ生まれのシンガー•ソングライターであるロン•デイヴィスが元ネタ。この曲が人口に膾炙するのにはボウイのヴァージョンを待ったわけですが、タイミングやボウイの音楽的背景を考えてもLJBのカヴァーが影響大きいのか?と思いきや、案外とロン•デイヴィスのヴァージョンに近い解釈な気がするのは、なんとも面白いです>

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