RIP: ミミ・パーカー(LOW)


ミミさんの訃報に触れ、悲しい。

彼女の凛として澄んだ歌声が、ロウのライヴでピーン!と空気を震わせる、あの瞬間をもう味わえないかと思うと、 本当につら過ぎます。

メランコリックな秋空に、彼女の冥福を祈る思いを送ろうと思います。アラン、そして子供たちもがんばってください。

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お知らせ:ザ・リバティーンズ


こんにちは。ロンドンはめっきり寒くなってきましたが、皆さんはお元気でしょうか。

そうであることを祈っています。

と言いつつ、今回は業務報告です。ウェブメディアのシンラさんに、リバティーンズのゲイリーのインタヴューを寄稿いたしました。気になる方は、こちらから、ジャンプくださいませ。

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今日は…世界動物の日(だそうです)


「今日」と書いていますが、イギリスはまだ10月3日です。ですがまあ、日本は既に4日なので、World Animal Dayにちなみまして、近所のアニマルの写真をアップします。

うちの近所は、犬が多いです。みんな可愛いー。しかし犬は飼い主さんが付随してきますし、勝手に写真に写すのも、ちょっと気が引けるので、以下のアニマル写真は野生もしくは通りがかりの連中です。

リス。かわいいけど、動きはハイパー。
クモ。白いのは、たぶん、まだ若いからだと思います。
でも、おそらく餌食であるハチと戦ってるのはすごいな。

テントウ虫。食べ、食べられる虫もいますが、
このお二方は生殖行為中。
ネコはのんびり系。この子は、近所でたまにうろうろしてます。
人懐こい。

君は、横顔がナイス。

この子は、デプトフォードで遭遇。
暑い日だったので、完全にノびてます。
「買って、売って、寄付して」の文句は、もちろん猫の言い分ではない(笑)

ネコは動きが自由なぶん、迷子も多い。
この手の「迷い猫を探してます」の張り紙は、よく見ます、
この張り紙のドラガンちゃん、無事に飼い主と再会できていますように。

キツネ。ロンドンの、いわゆる「都会のキツネ」です。
田舎でも生存が厳しく、徐々に緑地をたどってロンドンにまできてしまったんでしょう。
でも生存能力は高く、ゴミだのなんだのを食べて生きてます。この子は、この夏、早朝に見かけました。
この子は、夏に見かけたのと同じ場所で、秋に遭遇。
まさか、同じキツネじゃないよね???
キツネの寿命って、どれくらいなんだろう?
都会のキツネは、車に轢かれたり、事件も多い。
あんまり長生きしそうにないから、きっと別の個体でしょう。
でも、お座りしていて、犬っぽいのが泣ける。

たまたま、この日は動物のおやつ(猫のスナック)を持っていたので、
キツネちゃんに進呈。非常にビビッていて、時間はかかりましたが、
よほどお腹が空いていたのでしょう(ガリガリです)。
カメラを向けていても置き餌を食べに来てくれました。

そうこうしているうちに、うちの裏手の狭い共同ガーデンに、常連ネコさんが登場。
おやつを置いているので、それが目当てで来るタイプです。
おやつ(日本のちゅーる的なそれ)に慣れているので、多分近所の飼い猫だと思いますが、
すさまじく警戒心が強いので、接近は無理。遠くから観察しています。
オスかメスかも分かりませんが、顔の模様が黒白系、トラ白系とくっきり半分していて、
オペラ座の怪人みたいで、ナイスだなー。イギリスでは、日本的な三毛猫って、あんまり見かけないんすよ。
身体も全体的にまだらでまざってるので、「ぶち」=ブッチー、という愛称です。
なんだかいろんな猫の血が混じっているブッチー。

最後は、「動物」ではなくて、「静物」な、木々の産物です。
forage、すなわち自然の中で色んなものを探し回り掘り起こし活用するのが
好きな知り合いと散策した日の成果が上の写真。
左から時計回りに、りんご。小さく固く酸っぱいので、生食は無理。料理かデザート向け。
どんぐりは、まあどんぐりですね。面白いのが、まん丸の、モルティーザーズ大の球体。
これはoak gallという、ハチの幼虫がナラの樹に寄生してできる虫こぶ。
フォレジャーの知り合いは、この、タンニンの多い虫こぶを使って、
染料やインクを作るそうです。筆者はこれまで全然知らなかったので、
自然界には色んな使いみちがあるのだな!とびっくりしました。
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TV Roundup(2020-22)


お題=TV Roundup: Better Call Saul, Justified, Watchmen, The Sandman, We Own This City

今回は久々にテレビねたです。ここ2、3年のドラマ体験をまとめます。

タイトルに挙げた作品群に興味のない方は、ここから先はスルーくださいませ。映画とは違い、テレビは長丁場になりがち(=ヒットすると、様々な手を尽くしてシリーズが続く。というか、場合によっては無理矢理「延命」される)。なので、心の面でその作品に特に思いを傾けていない方以外は理解しにくく退屈な話が続くかと思います。悪しからず。

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久々になったのは、ぶっちゃけ、ここしばらくハマったドラマが少なかった、というのもあると思う。大衆的な視覚メディアとして、ストリーミング時代にロング・フォーマットのドラマ人気が高まり製作数も激増したのは間違いない。パンデミックで映画館もしばらく閉まったし。ってことは、そのぶん面白い作品に行き当たる率も高まる……はずなんだけど、どっこい話はそう上手くいかないらしい。ストリーミング・サーヴィスと複数契約しているわけではないので見落としている優れた作品は山ほどあるに違いないが、オプションが多いぶん、新聞やネットのレヴューを頼りに目星をつけ、試しに観てみるものの――ここ最近イギリスで話題になった高評価のドラマは、外れが多い。

そのおかげで「五つ星」とか「今年ベストのドラマ」等々、最上級のベタ褒め言葉やヘッドラインに対しても懐疑心を抱くようになってしまった。っていうか、映画の宣伝広告とかも、様々なメディアの五つ星/四つ星をポスターにずらずら並べたり、レヴューの目立つフレーズ(例:「素晴らしい」「傑作」etc))だけを一切の文脈抜きで抜粋して勲章のように羅列したり、過剰過ぎる気がしませんか? まあ、こうしたレヴューが観る気を起こさせる/あるいは参考になるケースもあるのでプロモーションに活用されるのは仕方ないんだけど、近頃ではRotten Tomatoの星評価なんかまで宣伝に利用されていて、「おいおい!」と我が目を疑った……。

しばらくは、深くハマれる新たなドラマとの出会いはないのかもしれないな――そんな一種の「休耕期」の訪れを感じるのは、ここ数年で自分にとって最もワクワクし楽しみにしていたシリーズのひとつが終わった、というのもあるかも。そう、「Better Call Saul」(AMC)が、少し前に完結してしまいました(涙)。あー、これでもう、残る楽しみは「Succession」(HBO)、そして(フィンチャーが回帰してくれれば)「Mindhunter」(Netflix)だけかあ……

にしても「BCS」の終わり方は素晴らしかった。泣けた。たしか、以前のポストでも既に「BB」は上回っているとの感想を書いたと思うけど、この作劇・キャラ進化・ストーリー・映像のクオリティの高さを6シーズンにわたって維持したのは「お見事!」としか言いようがない。筆者はそもそもおでんちゃん=ボブ・オデンカーク好きな人間なのでバイアスもあるかもしれないし、いったん「BB」を作って消化した上で、ギリガン&グールドもたぶん様々な経験や反省を活かして焦点の絞りどころをブーストし、全体を向上させることが可能だった、とも言えるだろう。

ただ、その向上ぶりがただ者ではなかった次第。スピンオフを作れそうなキャラは他にもいる。ジェシーは実際、映画ができましたし。なのに、敢えて胡散臭いお調子者弁護士のソウル・グッドマンが主役。だが結果、ソウルを主軸としてマイク、ガス、サラマンカ一家を始めとする秀逸な悪玉キャラたちとその因縁の背景や周辺を明かしより深く掘れたわけで、この判断はシャープだった。

筆者はある意味「BCS」を一種の単体ドラマとして観ていたので、熱烈な「BB」ファンにとっての「ウォルトとジェシーはいつ、どこで登場するか?」というお楽しみ〜期待感は、まったくゼロでずっと観ていた(マイクとガスに再会するのは楽しみでしたが)。いわゆる「イースター・エッグ」=過去のエピソードや台詞、キャラとの参照点も数多くちりばめられていたようだし、それを血眼になって見つけるのも面白いんだと思う。でも、そこにこだわらず楽しむのが可能だったくらい、ジミー・マッギルがソウル・グッドマンに転生し、そしてジーン・タコヴィックへと変わっていく下克上〜転落の波乱万丈ストーリーはピンで立っているし、それを彩る「BB」外のオリジナル・キャラもチャック、ハワード、ナチョ、ラロらを始めそれぞれに厚みがばっちり描かれている。

何より、ソウルのソウルメイト=キムが秀逸なのが筆者にとっては大きい――両者の友情・愛情のケミストリーがしっかり感じられるので、数々のトリック(っていうか詐欺……)や急場からの脱出等、ふたりが繰り広げる「共闘」を応援したくなる。彼らがパジャマ姿でアイスクリームを食べながら映画を観て勝利を祝いリラックスする場面、あるいは負けを喫したストレスに負けてタバコを分け合う場面に、何度「自分も混ぜて〜」と思ったことか。それが単純に「ロマンチックな恋人同士」あるいは「夫婦」なだけではなく(両者の関係にはその要素も含まれるが)、それぞれに職業を持ち、対等にコラボレートし助け合う、孤独な人間同士としての繫がり・連帯があるのが、大好き。

それだけに、筆者にとってのこのシリーズの物語曲線の骨子は――チャックとジミーの兄弟確執、各種訴訟のアップダウン、マイクの「仁義あるプロ」な仕事の数々、ガスの生き残り術等々、見どころはいくらでもあるとはいえ――「キムとジミーはどうなるのか」だった。ゆえにこの最終シーズンの10話以降は毎回ドキドキしながら観ていったし、4話をかけて過去から現在に至る様々な「糸」をじっくり繋ぎ合わせ、大きく入り組んだ「BCS」ユニバースの蜘蛛の巣を完成させたのは感動的だった。ネタバレは避けたいので細かく書きませんが、この大人なフィナーレは、「BB」の掲げた様々な前提/テーマ要素を踏襲しつつそこでやり切れなかったことをちゃんとカバーしていると思ったし、そのニュアンスの細かさも含め、視聴者の知性と理解力をリスペクトしていて、最高だった。

開始当初は、人気ドラマの派生作品につきものの若干の揶揄というか、ソウルというイロモノ・キャラに対する好奇心本位のノヴェルティ性への関心もあったと思うし、どこまでシリーズが発展するかは「賭け」でもあったはず。視聴率が伸びなければ、打ち切りになっちゃいますからね。なので、どこまでキャラをふくらませ、話の筋をどう引っ張りあちこちに絡めるか等々、不確定要素も多かっただろうし(たとえばハワードやナチョは1シーズンで消えてもおかしくない助演キャラだけど、役者の力量とハマりっぷりで「育った」例)、にも関わらず、それらをひっくるめて毎シーズンをエキサイティングに走り切ってくれた。

もう一緒に走れないのは悲しいけど、「BCS」はボックスセットを買ってまた一から見直したい。あ、あと、シナボンのマネージャーのジーンの場面がモノクロ撮影だったのは、「カラフルでドラマ満載な過去」と「地味でルーティンな現在」の区切りを分かりやすく示すためのデバイスだったのだろうけど、ネブラスカが舞台なだけに、ボブ・オデンカークが出演した映画「Nebraska」への一種の目配せでもあるのかな……とふと感じた。

パンデミックの影響で「BCS」も「Succession」も制作&放映スケジュールにやや遅れが生じたわけですが、おかげでその間に少し前のドラマ・シリーズをまとめて観倒した時期もありました。そこでダントツだったのは、「Justified」(FX)と「Watchmen」(HBO)だった。作品発表の時期は前後します。

「Justified」はエルモア・レナードが90年代に世に送り出したキャラ=連邦保安官レイラン・ギヴンズ(ティモシー・オリファント)が主人公で、廷吏/法の執行人であり、いわば「殺しのライセンス」を持った彼が凄腕ガンマンとして勧善懲悪していく、一種の現代版西部劇。レナードは2013年に亡くなるまで番組プロデューサーでもあって、このドラマは翻案作品の多い作家であった彼個人もかなりお気に召していたようです。観ることにしたきっかけは、たまたまレイランものの1作「Riding the Rap」を読み、やっぱレナード面白いなあ!と思いチェックしたところドラマ化されていたのに気づき、友人も「きっと好きになるよ」とお薦めしてくれたので、トライしてみた次第です。即効ハマりました(笑)。

レナードは犯罪小説で有名だろうけど、若い頃はウェスタン作品も書いていた。その意味で「Justified」は彼のパルプ系作家としてのルーツを統合したとも言えるだろう。「Riding the Rap」のストーリー自体は、レイランや人物関係が大きく翻案され手を加えられていたため、ごく短いエピソードで終わってしまった。だが嬉しかったのは、ドラマのメイン設定に使われた短編「Fire in the Hole」の舞台がケンタッキー州ハーラン郡になこと。かつて炭鉱だったもののいまや廃れたコミュニティであるハーラン郡は「Harlan County, USA」という素晴らしいドキュメンタリー映画の主役でもあり、筆者には興味大だった。

もちろん実際にハーランで撮影されたわけではないのだが、ケンタッキーやアパラチア圏が舞台のドラマって、そんなに思いつかない。貴重だと思います。密造酒だのドラッグ密売組織だの、「取り残された南部の旧い田舎」というローカル色〜トラッシーな南部ゴシックのステレオタイプを脚色され過ぎた面もやや感じたのは事実だが、そもそも「現代のカウボーイ/保安官」というレイランの設定にしろ、次から次へと登場する犯罪ファミリー/ギャングと彼らの長年の確執、ドンパチ&死人のトンデモな多さまで、「現実にはあり得ない」フィクションの世界なのであまり気にならない。

個人的には、この作品のキモは主役のレイランではなく彼の幼なじみで宿敵=ウォルトン・ゴギンズ演じるボイド・クラウダーだ。ホームズに対するモリアーティというか、バットマンに対するジョーカーというか、知性・銃の腕前・スタイリッシュなカリスマ性等、すべての面でレイランと互角で、悪役なぶんアナーキック(しかも爆弾魔:笑)なのでスレスレ法の側に立つレイランよりもやることなすこと豪快&痛快である意味実に美味しい役どころ。ゴギンズは「The Hateful Eight」で最も光っていたけど、南部出身のアクターなのであのサザン・アクセントと流暢な台詞回し――レナード原作だけに、台詞は重要なドラマです――が実にハマっていたのも大きかった。一般的な「イケメン」という意味ではオリファントの方が人気あるんだろうけど、ジャック・ニコルソンとも比されるマスクと演技力を備えたゴギンズは、登場するたび場面をかっさらっていた。

かつ、シーズン3あたりから脇役キャラも軌道に乗り始め、ゲスト・スターも徐々に豪華さを増していった。中でもやはり、サム・エリオットとメアリー・スティーンバージェンの登場はドラマがピキーン!と引き締まった感じで良かったなあ〜。トリビアですが、優れたコミック・リリーフの多い本ドラマの中でも最も愛嬌のある「お馬鹿」デューイを演じたデーモン・ハリマンは、「Mindhunter」と「Once Upon a Time in Hollywood」の2作で立て続けにチャールズ・マンソンを演じたことでも話題になった(彼自身のキャリアにとってはあんまり良い効果はないのかもしれないが……)。ともあれ一転二転するストーリーと謎解き、キレのいい台詞、軽快なアクションが盛りだくさんの作品なので、ひとあじ違う犯罪ドラマが観たい方にはお勧めです。

「Watchmen」は単発シリーズで、ご存知アラン・ムーア&デイヴ・ギボンズの名作同名コミックが下敷きになっている。2009年の映画実写版は原作にほぼ忠実だったが、このテレビ・シリーズは原作のキャラやその相関図を活かしつつ、新たなオリジナル・キャラを主軸に構成された「コミックの出来事から34年後」に起きるニュー・ストーリー。原案・脚本・プロデュースを担当したショウランナー、デイモン・リンデロフ(「Lost」で有名)によれば「Watchmen」ユニバースの「リミックス」ということになる。「外伝」という風に捉えてもいいかもしれない。

ムーアは自身の物語の映画/ドラマ化への嫌悪を公言しており、本作にも関与していない。ゆえに当方も「どうなんだろう?」と構えてしまい、リアルタイム放映時には観ていなかった。「Lost」も、筆者はシーズン1だけで挫折したしな……。しかし、放映終了後の評価の高さに触れ、ロックダウンのおこもり中にかこつけて見始めたんですが、これは本当に秀逸な作品! ストーリーはもちろんだが、キャスティング、ヴィジュアル・スタイル、いずれも申し分無し。しかも音楽はアッティカス・ロス&トレント・レズナーが担当だいっ。

ストーリーは非常に凝っていて、タイムラインも世界線もあちこち飛ぶし、メインの視点を担当するキャラもエピソードごとにスライドし、また「物語の中の物語」というべき入れ子構造も含んでいる。ムーアは関わっていないとはいえ、彼の多視点な作劇センスをちゃんと感じさせるのはナイスだ。かつ、本筋に当たるドラマの時代設定も、最大のモチーフである人種差別の歴史的実話やトピカルな要素も織り込んだ、「BLMな現在」に限りなく近い――しかしSFパラレル・ユニバースあるいは代替現実なので、第一話からその世界に放り込まれてあっぷあっぷしながら「WTF?」の連続になる。

ドン・ジョンソンやルイス・ゴセット・ジュニア、ジェレミー・アイアンズといった大物ベテランの出演はその意味で一種の安定感/バラスト効果があるとはいえ、彼らの素性がなかなか明かされないのもまたミソ。主だったキャラ=現在のヴィジランテ(警察官)であるシスター・ナイトやルッキングラスらを認識しその立ち位置を把握しつつ、原作の主要ヴィジランテ(オジマンディアス、ドクター・マンハッタン他)の34年後の現在の姿とのミッシング・リンクを徐々に埋めていくうち、過去から綿密に構築されてきた巨大コンスピラシーが浮上する。安易な「キャラや状況の説明台詞」で観る者を甘やかさず、目と耳と洞察力を総動員させて話の筋道を自力でつけさせていく、こういうチャレンジングで知性信頼型な作りのドラマは大好きです。

もちろん、コミック版「Watchmen」を読んでおく方が、楽しみは何倍にも膨らみます――イースター・エッグがいくつもちらばっていて嬉しいし、ロールシャッハやナイトオウルといったキャラの扱い方や原作のバックストーリーの活かし方もスマートで「巧みだな」と感心する。ただ、「外伝」「リミックス」であるゆえに、そこにはあまりこだわらなくていいくらい、まずこのドラマにハマってみるのもありだと思う(そして、できればムーアの原作に挑戦してください!)。

あと、キャスティングも素晴らしい。ネタバレになるのであまり多く書けないんだけど、主役のレジーナ・キングは愛情豊かなアンジェラと彼女の裏の顔=カリスマな覆面ヴィジランテのアクションを見事に切り盛りしているし、悪との戦いの原動力が愛であるのを強く感じさせるニュー・ヒロイン。キングのことはトニー・スコットの「Enemy of the State」で憶えていたんだけど、あの映画は行き過ぎた監視社会を警告するコンスピラシー・セオリー的な内容で、その中で彼女は一貫して私人の生活に国家監視が侵入する危険を語っていた役柄だった。あの映画のエンディング近くで彼女は「監視人を、誰が監視するの?」という旨の台詞を言うんですが、これは「Watchmen」に何度も登場するスローガン「Who watches the Watchmen?」のバリエーションだと思う。そんなのフィクションの中のパラノイアっしょ!と片付けるのもいいし、ジーン・ハックマン出演も、コッポラの悲しきパラノイア映画の名作「The Conversation」へのオマージュなゆえにその印象を増すかもしれない。が、この映画に出て来るNSAが盗聴他の様々な違法行為をやっていたことが明らかになった今、笑い飛ばせないのではないかと思う。

ジェレミー・アイアンズのキャンプでコミカルな演技は貴族的で怪物的なキャラのバカらしさを見事に増幅していて、原作にはない造型が光った。っていうかアイアンズ、「High-Rise」の演技と波長同じやん!と突っ込みたくもなったが、顔と声でこれだけ存在感あるのはすごいこと。ちなみにこのユーモラスな面は、ローリー・ブレイクを演じたジーン・スマートの絶妙なやさぐれ中年女感、そして何より、ある意味この作品で最もトラジコメディなキャラであるルッキングラスを演じたティム・ブレイク・ネルソン(現代の名味出し役者のひとり。「The Ballad of Buster Scruggs」も、観なくちゃいかんな、自分!)が随所で光らせていて、ヘヴィなストーリーのそこここに揚力を与えていた。

極めてこんがらがったストーリーとサイコドラマの数々を、しかも伏線てんこもりで時系列をジャンブルしながら見せていくんだから、一体リンデロフの頭の中はどんなことになっているんだろう?と感嘆しっぱなしでした。かつ、関連記事等を読むと、本来は10話構成のはずだったのが、話がきちんとまとまってきて、追加エピソード(制作者側もかなりのサブプロットを考案したらしく、ネタはたくさんあった模様)を加えれば10話に延ばせたものの、フローやテンポやテンション、作品のトータル性を考え、9話でフィナーレにしたらしい。これは正しい英断だと思うし、ジャストに終わったぶん、ラスト・シーンの美しさも余韻がすごく豊かだった気がする。というわけで、リンデロフの高評価な前作「The Leftovers」も観た方がいいのか?と感じるんですが、うーん、このドラマには、筆者の苦手な役者であるクリストファー・エクルストンが出ているので、やっぱりできれば回避したいかも……悩む……。

コミック原作ということで、ついでに感想を書くのは「The Sandman」(Netflix)です。こちらも「Watchmen」同様、80年代後期に登場した英ニューウェイヴ系のDCコミックスで、原作者はニール・ゲイマン。彼はアラン・ムーアとも仲よしです。ぶっちゃけると、筆者はその有名さや評価は知っているものの、「Sandman」の原作は読んだことがないのです。90年代の英米キッズ〜サブカルに影響が大きいということなので、読もうかなぁと思いつつ、いまだ手にしたことがない(それは、マンガ文化が日本ほど発達していないイギリスでは、昔のコミックは専門店もしくは大型書店の狭い一角のコミック部門を漁らないとお目にかからないから、という事情もあると思う)。

なので、「Watchmen」とは違って前知識はほぼゼロで観ました。原作のファンが表明したフラストレーションとか、「ここが違う!」「これは忠実ですごい!」みたいな細かい比較検証は指摘できませんが、逆に先入観のないフラットな意見ではあるかと思います。で、簡潔に言いますと、ハマれなかった。……残念。たぶん、自分は次のシリーズを観ることはないです。

一番きつかったのは、主役のトム・スターリッジ。これはあくまで個人的な美的感覚なんですが、サンドマン/モーフェウスの造型は「ロバート・スミス×ピーター・マーフィー」な、平たく言えば「ゴス」。スプレーかけて逆毛の立ったへアスタイルと青白い肌と黒ずくめの服装はともかく、ロバートもピーターも、こんなに顔立ちがゴツくなかったと思うんだけど……。こういう顔だちだと、ロバート・パティンソンやティモシー・シャラメの方がはるかに冷ややかで鋭利でゴスっぽいのではないか?と。(まあ、パティンソンはあまりにステレオタイプかも、ですが)

スターリッジは、おそらくかなり減量し身体も鍛えていて、全裸場面やロングショットでは「痩せてるなー、羨ましいなー」と思ったけども、なんつうか……それが筋肉とか動脈が浮き上がってる感じのスリムさであって、骨や芯を感じさせない、不健康でデカダンな「ロック男子の痩せ方」になっていないのも気になる。そもそもこのキャラは人間ではないんだし、現実性が薄くマンガっぽい方が魅力が増したのでは? 

そしてもうひとつ、スターリッジの演技で気になったのが声(日本だと吹き替え放映が主流なのかな? だとしたら、地声はあまり気にならないのかもしれません。日本の声優は昔から優秀ですし)。原作者ゲイマンはこのシリーズに総合プロデューサーとして全面参加し、キャスティングでも大きな決定権を振るったらしい。その際の条件のひとつに「長ったらしくてややこしい台詞をこなせる人」というのがあったそうで、確かにこのドラマ、バロックな台詞が多い。その面でスターリッジは合格だったんだろうけど、ここでの声はなんかこう、「何千年も生きてきた一種の『デミゴッド』」の重々しさと苦悩とカリスマを出したいからなのか(?)、やたらとこもった低い声で、逆に「無理してる」感を抱いてしまった。ゲイマンは、言うまでもなく、本人もゴスなルックス。なので、モーフェウスは彼自身のオルターエゴで、そのぶん配役にはこだわりたかったんだろうけど……原作者のディープな関与も、時に考え物ではないかと思う。

サンドマンのいわば「宿敵」であるルシファーを演じたグウェンドリン・クリスティーも、威厳あるたたずまいはともかく、ゲイマンの「華麗な台詞」に正面から真面目に付き合い過ぎで(真面目そうな人だもんなぁ)、「Game of Thrones」の頃の輝きが逆に懐かしい。サンドマンとの対決場面は、正直ずっこけました。

ゲイマンは、自分にはスーパーヒーローものは書けないけど、神なら書ける……と思って「Sandman」を作り、後にはずばり「American Gods」も作った。歴史上の世界中の様々な神話・民話をリミックスできる、というのが作者としての醍醐味なんでしょうね。そういやMCUの「Eternals」(こちらも「GoT」組が参加)も神に近い守護聖人チームが主人公だったけど、1本でキャラをドカッと紹介したために破綻していてあらゆる意味で混乱した映画だった(愛するバリー・コーガンですら救いになってなかった:涙)上に、「神」を演じる仰々しさがハナについた感はあった。「Thor:Love and Thunder」のラッセル・クロウが演じたゼウスくらいのいい加減でバカなノリでいいんじゃないかなぁ……。

その意味で、「Sandman」第一シーズンの中では異色なエピソード「24/7」が評者の中では愛されているのもちょっと納得がいく。これはサンドマンではなくイギリスの味ありな俳優デイヴィッド・シューリスが活躍する回で、一種の「Twilight Zone」的なカルト味が懐かしいです。

「Sandman」にまで話が広がったので、ついでにもう一本、少し前に観た「We Own This City」(HBO)のお話も。これは、筆者の大好きな「The Wire」の作者であるデイヴィッド・サイモンも制作に参加した単発ドラマで、サイモンの古巣=「ボルチモア・サン」紙の記者ジャスティン・フェントンの書いた実話ルポルタージュ本をベースにした内容。メインで描かれるのは警察の組織的な汚職事件で、舞台がボルチモアなだけに人種差別問題や政治も絡んでくる。実にトピカル。作劇としてはフラッシュバックを多用した凝った作りだし、いくつかの筋が並行し、徐々にまとまっていく……という形式なのでややとっつきづらいかもしれないが、「The Wire」の経験を活かしたロケ撮影部、尋問場面の扱いの上手さ、アクションと静けさのコントラストなど、外/内のバランスはさすが。

別に「The Wire」を観ている必要はまったくない(なにせ、「The Wire」自体が第一シーズンの放映から今年で20年ですし)。でも、「The Wire」に出演した役者が数名登場しているので、ファンにはものすごーく感慨深いはずです。

筆者はこのドラマを観る前に、たまたまサイモンのルポ本「Homicide」を読んだばかりだった。1年にわたって彼がボルチモア警察の殺人課に貼り付いた一種の実録本で、ペーパーバックで600ページ以上と分厚いのも気にならないくらい、素晴らしい内容。「The Wire」のキャラのモデルになった人物や、インスピレーションとして活かされた事件もたくさん出て来る。ちょっと古臭いけど、警察官でも「仁義」のある人たちが描かれている。でも逆に、サイモンがこの本を出した頃から30年近く経った今、「We Own This City」のアメリカの警察・司法・政治界は更にシニカルになっているのは、見終わって、重かった。

そんなことを書きつつ、「We Own This City」は、主演を張ったジョン・バーンサルがナイス! この人はどっちかっていうと「画面をうばう脇役」というか、ヴィラン/アンチ・ヒーロー系。このドラマでもその両面性――バカな筋肉系も、狡猾な頭脳派もすぐに切り替えられる――が光っていた。っていうか、バーンサル目当てで、観ているだけでもつらいベン・アフレック(マスク&声、演技、画面の存在感、個人的にすべてが苦手な俳優です)を我慢して「The Accountant」も観ちゃったしな。「The Accountant」は、アフレックにとってのジョン・ウィック的フランチャイズとしてはアリだと思う。

そんなバーンサル、リチャード・ギア人気を固めた映画「American Gigolo」のテレビ版リメイクに主演で登場中。でもまあ、これはさすがに観ないと思う。

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お知らせ:ヴァイナルの時代


みなさま、こんにちは。

今回は業務連絡です。

当方が翻訳を担当させていただいた本、「ヴァイナルの時代」が、

来月出版されます。詳細は、こちらのリンクからご確認いただけます。

レコード、アナログ、ヴァイナル等々、色んな呼び名がありがありますが、

デジタル時代全盛の今になって、レコードが見直されているのは周知の事実かと思います。

そんな風に価値観が多様な時期だからこそ、色んな考え方も出てくるわけで。

この本は、その考え方のひとつの提案だと思います。もしも興味が湧いた方は、

書店で手に取ってみてくださいませ。

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猫ジャケ


急に立て続けのポストになっております。

しばらくかかりっきりだった仕事が一段落して、少し時間の余裕ができたのであれこれ備忘録的に書いておこうかなと。これにかこつけて映画やドラマも雑多に鑑賞、本も読んでるので、そこらへんも、去年観たものも含めてまとめられればいいのですが、筆者の夏休みは今日で終わりなので、またしばらくポストが途絶えると思います。

とはいえ、このポストは:

①猛暑が続いているからか、午後になると庭の日陰に涼みに来る近所猫が増えた。

②サム・プレコップとジョン・マッケンタイアの新たなプロジェクト=サンズ・オブのアルバムにハマっています。今年のレコード・オブ・ザ・イヤーの1枚であるのは確実。というわけでそれにインスパイアされた……猫ジャケ音楽集! 

サンズ・オブは、音楽そのものも素晴らしいんですが(アナログはいつ出るんだろう。今のところ、こっちでもCDしか見かけない)、上に掲載したダブル黒猫のこのジャケは抜群でしょう。眺めているうちに、猫ジャケの音楽を色々と思い出したので、以下はそのつれづれです。猫ジャケのマニアックなブログ・ポストやネット記事は他にもたくさんありますし、以下は割りと有名な猫ジャケばかりだと思います。駄話なので、どうでもいい方はスルーください。

あ、あと、以下のポストで、ジャケット画像のサイズに大小の差がありますが、これは別に「大きいジャケが大事」だとか、そういう意味合いはまったくありません。単に、ジャケ画像をアマゾンからディスコグスから、色んな所から引っ張って来て、画像サイズに統一感がないだけの話ですので、深読みしないでくださいませ。

Jimmy Smith/ The Cat (1964)
「猫ジャケ」で、真っ先に浮かぶのはやっぱこれです。タイトルもそのものズバリ。50年代のジャズとかイージー・リスニング系は猫(写真、イラスト)が多いのですが、この黒猫はまさに「ジャズ・キャット」というか、人間のお供としての犬には出せない味。

Bob Dylan/ Bringing It All Back Home (1965)
Carole King/ Tapestry (1971)
Joni Mitchell/ Taming the Tiger (1998)
フォーク〜シンガー・ソングライター勢は、ドメスティックな幸せのシンボル〜私小説の一部として飼い猫をフィーチャーしている模様。

Pussy/ Plays (1969)
Harry Nilsson and John Lennon/ Pussy Cats (1974)
Blancmange/ Happy Families (1982)
Klaxons/ Surfing the Void (2010)
時代もジャンル(サイケ/シンガー・ソングライター/シンセポップ/モダン・ポップ)も違いますが、猫の擬人化イラストで有名な画家、ルイス・ウェインの影響が感じられます(なめ猫の元祖かもしれない)。クラクソンズはウェインのモダナイズ、ブラマンジェはモロにトリビュート、ニルソン&レノンは擬人化された猫に自身を被せるというメタ構造。あまりよく知られていないプシーのジャケは、擬人化ではなくて、分裂病に悩まされ病院に入院してからのウェインの作風に近い。ルイス・ウェインの伝記は映画にもなっているので、観たいなぁ。

For Your Pleasure/ Roxy Music (1973)
Outdoor Miner/ Wire (1979)
Panda Bear/ Person Pitch (2007)
ネコにも色々ありまして……ということで、大型猫も色んな風に使われてきてます。ロキシーは黒豹、ワイアーはジャガーと、都会人をビビらせる威嚇/魅惑/ミステリーのシンボルですが、パンダ・ベアのジャケットでは、トラも子猫もみんなで仲良く温泉で混浴中。

Pale Saints/ The Comforts of Madness (1990)
Chapterhouse/ Whirlpool (1991)
シューゲイザーも猫が好きらしい。ペイル・セインツは、いまだに筆者の愛聴盤です。踊るならチャプターハウス(やMBV)の方がいいんですけど、アルバムとして聴くなら彼らの方が好きだす。

Smog/ Knock Knock (1999)
Superchunk/ Cup of Sand (2003)
Best Coast/ Crazy For You (2010)
米インディ系にも、猫の波が若干あったようです(ジョウブレイカーやブリンクの、エモ・パンクもやや被る)。スモッグは、おっかない山猫ですね。スーパーチャンクとベスト・コーストは、ドメスティック系猫。

Billy Bragg & Wilco/ Mermaid Avenue Vol.2 (2000)
Jeff Tweedy/ Adult Head (2004)
Wilco/ Star Wars (2015)
プレコップ/マッケンタイア=ザ・シー・アンド・ケイクと言えばシカゴ音響はなわけですが、シカゴ勢でもいちばん猫好きなのはウィルコ/ジェフ・トウィーディか??

The Cure The Lovecats
でも、やっぱ猫好きで、本当に猫とアイデンティファイしている人って意味では、ロバート・スミスが至高なのかもしれない。

最後はおまけに、2年ほど前に死んだ、うちの近所のボス猫だったエド君の写真です。シーラ・Eとの共演も、貫禄があって全然さまになってました。

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Oumou Sangaré @ Meltdown/QEH, 15/June/22 ; Roscoe Mitchell @ LCMF/Woolwich Works, 18/June/22


最近のライヴ体験、最後は6月にほぼ連チャンとなったウム・サンガレ、そしてロスコー・ミッチェルのショウです。

マリの歌姫ウム・サンガレは、前回=2019年にフェスで初めて観て、その歌声とカリスマ、ショウマンシップに感動したのでぜひまた観たい!と思っていた。嬉しいことに、グレイス・ジョーンズがキュレートする2020年版メルトダウン・フェスティヴァルに彼女の出演が決定……したのだが、もちろんパンデミックでこの回はキャンセルに。ようやく再会と相成りました。

サウスバンク・センターの外壁

会場のあるサウスバンク・センターでは、今夏「In the Black Fantastic」というコンテンポラリー・ブラック・アートの展示がおこなわれており、グレイスのメルトダウンもそれとうまくリンクしている。チケットを予約したのはもうずいぶん前の話なのでポスターを改めて眺めていたら、ラインナップもやはり若干変更されていた。カサイ・オールスターズとホット・チップのコラボ・ライヴが演目に加わっていたのに気づき、若干ほぞを噛む。楽しそう……。

キュレーターのグレイスがМCで登場するか?と期待していたが、
さすがにそれはなかったです。

久々のクィーン・エリザベス・ホール。ここは窓のない=気密性の高いシアター会場なので、軽くコロナ不安が頭を過る。パラノイアと言われても仕方ないが、お客も年配層が中心なだけに、まだマスクを被っている人も多い(若者系のギグではマスクはほぼ無視されてます)。

バッキング・コーラスの女性シンガー2名を含む計7名のバンドがステージに登場、演奏にノリながらディーヴァが登場し、場内一気に大興奮。バンドのメンバーは同じプリントの布を使ったデザイン違いのコスチューム着用、ドレス・アップしたウム・サンガレといいコントラストだ。最新作『Timbuktu』を中心とするセットは〝Wassulu Don〟あたりでヒートアップし始める。座席付きの会場なのでみんな遠慮しておとなしくノっている感じだったが、筆者の前に座っていた白髪の白人おばあちゃんが5曲目あたりで立ち上がり、通路で踊り始めたのはナイス。警備員も黙認している感じで、それにつられて少しずつ、立ち上がり踊る人々が増えていった。

ウム・サンガレの拝聴せずにいられない声のパワーと人間的な魅力が最大の磁力とはいえ、バンドも本当に素晴らしい。前回観た時とはたぶんギタリストが変わっていて、この人のブルース味がたまにデイヴ・ギルモア化する場面はちょっときつかったが、コラ(あるいはカバラッシュ?)、ドラム、ベース(女性ベーシストで、筆者は勝手に「ジュリア・フォーダムさん」と呼んでます)の軽やかな群舞はやはり格別〜。コーラスの女性2名はパワフルなハモりだけではなくダンスも上手で、ステージにキネティックな輝きを添える。

ラス・ヴェガスのコンサートってこんな感じ?と一瞬思うほど、
ウムにタッチし声をかけたいファンがステージに詰めかけました。

〝Yala〟で大合唱となる頃には、椅子から立ち上がり、ステージ前に集まったお客が踊れや歌えの大カオス。アフリカ系女性ファンのグループが感極まって崇拝を表明し彼女に絵画を進呈する場面も、ウム・サンガレのスーパースターぶりを伝えるものだった。ドレス姿でマジェスティックな佇まいだった彼女も、このオーガニックな盛り上がりは大いにエンジョイしていて、お客とバンドを盛り上げ、完全に掌握していた。ほんと、かっこいいボス・ウーマンです。

会場のウリッジ・ワークス。中庭もあって、こういうミニ・フェスにはぴったり。

3日後には、LCMF(London Contemporary Music Festival)に足を運んだ。ペッカムの駐車場で開催されてた頃に何度か行ったのだが、久しぶりの参戦となった今回の会場はウリッジ(ここはグリニッジ区なのでうちからはバスで3、40分)にある元花火工場のヴェニュー。テムズ川にも近いこのエリアは一部で再開発が進んでいて、この会場も高そうなマンションの居並ぶエリアにあります。

初めて行ったんだけど、いやー、広くて素敵な多目的スペースですね。建物の基本構造はそのまま維持しているようで、天井が高くて窓から入る自然光がナイス。音楽、演劇といったパフォーマンスはもちろん、絵画展やインスタレーション、ファッション・ショウなんかにも使えそう。音響もばっちり――というか、前・横・後ろとコの字型にステージが3つ設営+スクリーンもあり、スピーカーもサラウンドで配置してあったので、様々なソニック体験が楽しめた(でも、基本はコンクリートの建物なので、エレクトリックなノイズはちょっと耳にキンキンきました……。アコースティック楽器は問題なし)。

目当てはジ・アート・アンサンブル・オブ・シカゴでおなじみのロスコー・ミッチェルのパフォーマンス。コの字に挟まれる形でベンチが客席代わりに並んでいて、通常の気分で「メイン・ステージ前の座席を探そう……」と思ったが、よく見ると前方正面ステージはフル・オーケストラの楽器でびっちり埋まっている。対して、後方ステージにはバリトンを始めサックスが数本並び、ドラム・セットもある。どうやらロスコーはこの後方ステージに登場するらしいので、オケを間近で観る楽しみは犠牲にし、最後列に陣取る。

LCMF Orchestra

「THE BIG SAD」をテーマに5日間にわたって開催された今回のシリーズ、この晩はLCMFオーケストラがコミッション曲を4作ほど演奏したのに加え、ノー・ホーム、ノイズ・アーティストのエルヴィン・ブランディ、セリス・ウィン・エヴァンスのインスタレーション、日本人ビデオ作家Stom Sogoの作品等、ジャンルもメディアも横断する盛りだくさんな内容。オープニングは生オケとビデオ・スクリーン経由で共演したヴォイス・アーティスト(ビート・ボクシングとかスクリーム系)のコラボで、なかなか激しい。

ヴォイス・パフォーマー2名は生ストリームで参加

ビデオ作家Stom Sogo(アメリカでも一時期活動、2012年に亡くなったそうです)は筆者は残念ながら初耳だった。ビデオ・テープをメインとするローファイで粗くハレーション気味な画像をリミックスするスタイルで、ちょっと懐かしい。がしかし、ダウンタウンの映像とかお笑い系のテレビ動画がミックスされてて、笑い出さずにいられなかった。「アート」として真剣に眺めているイギリス人の中で、ひとり浮いて恥ずかしかったけど、久々に見る松っちゃん浜ちゃんには脇腹がくすぐられました。ヒヒヒッ!

Stom Sogoのビデオ・コラージュ

印象的だったのはノー・ホームで、ギター一本とテープを伴奏に弾き語る彼女のシンプルな歌には、初期キャット・パワーの生々しさを感じた。エルヴィン・ブランディは生でミックスしていくテクの確かさ、ジャズを脱構築するアイディアは面白かったんだけど、いかんせんノイズの暴風雨がすごくて、フル・セット(といっても30分程度でしたが)が終わる頃にはある意味無感覚になってしまった。

No Home
Elvin Brandhi

LCMFオーケストラはモダン・クラシカル〜前衛系のハードルの高いコンポジションを見事にこなしていたが、逆にそのぶん、著名なクラシック曲のフレーズが混ぜ込まれた場面にはすーっと癒されたし、第一ヴァイオリン女性奏者のリードするコンポジションは美しかった。生の弦楽器&管楽器はやはり心洗われます。しかしこのオケ、最後の大作コンポジションでは識者がおもちゃのピストルをパン!パン!パン!と撃つ演出(というか、そういう曲なんでしょうね:笑)があったり、非常に柔軟。この他にも、グラス・ハープやゴングを使ったグループ演奏(あれは誰だったんだろう??)もあったんだけど、このパフォーマンスは客席の中央スペースでおこなわれたので正体を把握できず。しかしグラスハープの独特なドローンは楽しんだ。

いったん幕間を置き、ロスコー・ミッチェルの登場。先ごろ82歳になったばかり……ということは、先日グラストンベリーのテレビ中継で観たハービー・ハンコックと同い年。少し前にもサン・ラー・アルケストラがロンドンでライヴをやっていたけど、そこで「今、現役でライヴ・パフォーマンスをやっている最年長アーティスト」と呼ばれていたマーシャル・アレンは98歳だし、ジャザーは長生きするようだ。とはいえ、ロスコーは以前観た時よりも更に痩せていて、ご老体の弱々しさを感じる。

がしかし、ステージに上がるやかくしゃくとしたオーラが発生。ソプラニーノにアルト、クラリネット、バリトン・サックス(これはドラム・スツールに座ったまま演奏)と様々な木管楽器の音色を使い分けての演奏は饒舌で、まさに一音一音が「語りかけてくる」感じ。しかしメロディやタッチに優雅な洗練があるところが、フリー・ジャズの奔放な荒れ方とは違う。途中でサングラスをかけた場面があって、ネクタイとマッチしてモダンなノリが素敵だな……と思っていたのだが、その黄色と青の細かい碁盤目のネクタイ、下の方にはなんとミッキー・マウス(?)に見えたコミック・キャラがプリントされていた。お茶目で素敵だ!

独演が続く中、後方(というか、メイン・ステージ側)でガタゴトとノイズが生まれる。この晩は通常の「ライヴ」というよりも固唾をのんでパフォーマンスを見守るノリで、咳やくしゃみもはばかられる感じだったぶん、お客も「何ごと?」と振り返っている。が、その音にチリンチリンと鈴の音色が混じり、しかもそれが背後から徐々に接近してくる(=雑音ではなくマイクで拾った音)のに気づく。パーカッション奏者のKikanju Baku(機関銃爆? 機関銃貘?)で、各種ベルを首に下げ足にも鈴を装着、編み笠に天狗のお面を被った姿でそろそろと接近してくる様は謎のお遍路というか、騒々しいベトコン(それじゃ矛盾してるけど)というか。

あっけにとられる観客を尻目にステージに上がった彼は、天狗のお面は脱いだものの編み笠のまま、ロスコー・ミッチェルとインプロ・バトルを展開。これまでもデュオとして共演してきただけに息の合った演奏で、若さと年季、打楽器のエネルギッシュな爆発とサックスのしなやかな動き、アフリカン・アメリカンとアジア……と多彩なカルチャー&音楽伝統の対話は実にスリリングでした。エネルギッシュなパフォーマンスを終えたロスコー・ミッチェルに、ひときわ大きな喝采と「ブラボー!」のかけ声が飛んだ。

バンドやソロ・アクトの単独公演も楽しいが、こういう風にボーダーレス/人種・世代もジャンルも異なる出演者の集まるイヴェントは、発見や刺激が多くて良いものです。先述したように、やや堅苦しい「おアート」的なノリもあったとはいえ、普通の興行以上にダイレクトに音と音が生まれる場、音を作り出す人間、そして空間とを体験できた晩だった。やっぱ、ライヴは良いね!

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Lewisham Sound System Trail, 29/05/22


前回に引き続いて、イヴェント&ライヴのお話です。

近所のデプトフォードで開催されたサウンドシステムのイヴェント、「Lewisham Sound System Trail」。筆者の暮らすルイシャム区は今年Borough of Cultureに選ばれていて、その一環として企画した市民のお祭りのひとつ。無料イヴェントで、ぶらっと遊びに行きました。

マーケットがあることでも知られるデプトフォードは再開発も進みお洒落になりつつあり、クリエイティヴな若者が多く暮らすエリア。この日は拠点となるジ・アルバニーというアート・センターを軸にトータルで4カ所にサウンドシステムが設営され、トースティングを披露する若いMCやゴールドスミスの学生たちによるパフォーマンス等々も展開していたが、筆者の目当てはデニス・ボーヴェルがキュレートしたガーデン・ステージ。

奥に見える瓦屋根の平屋がアルバニー

アルバニー内にバーがあるのは承知だったが、絶対に混んでるよね〜、と同行友人連と相談し、近くのパブで一杯飲んでから持ち込み酒で参加することに(実際、バーは行列で一杯買うのに10分待ち!缶ビールで正解!)。そのパブにいる間から低音はかすかにズンズン響いていたんだけど、その音をたどってアルバニーの横にある空き地エリアに入ると、痺れるようなダブ・サウンドが空気を揺らしていてご機嫌。

白黒老若男女が集まっていて、子供連れ客も結構いました。ピーカンとはいかなかったけど天気もそこそこで、みんなドリンクを手に(たまにハッパに匂いも混じってました:笑)楽しげに揺れている。レゲエは踊らずにいられないグルーヴなんですよね。ノッティング・ヒル・カーニヴァルでもおなじみというGladdy Waxがセッションを仕切る形で、ヴィンテージの7インチを次々にかけていくんだけど、白手袋姿で丁寧にヴァイナルを扱う姿には泣けた!

ジャマイカ国旗を手に踊る。ジャマイカは今年独立60周年です。

ニーナ・シモンの〝ボルチモア〟のダブ・ヴァージョン、スライ&ロビー、キング・タビー等々がかかったが、自宅のチャチなステレオで聴くのとはまったく違う立体感・迫真性があってまさに「音と一体化」した。DJのМCがお客を盛り上げ、それに呼応して曲が更に気分を盛り上げるというライヴリーなスタイルを楽しめ。ホントいい体験だった。ウェイラーズ初期の曲がかかり、ジャマイカの国旗を手に踊るおじいさんも登場しみんな拍手喝采でした。チャールズ・ヘイワードは見かけませんでしたが、ウッデントップスのロロが、楽しそうに体を揺らしている姿は目撃。いい歳こいて、スケボー持参なのはナイスだな。

このイヴェントをぜひ体験したいと思ったのは、ちょうどスティーヴ・マックイーンの「Uprising」をやっと観れたところだったのも大きかった。この三部構成のドキュメンタリーは2021年に発表された作品で、30年前=1981年1月に起きたニュー・クロス火災事件を検証する内容(ニュー・クロスはデプトフォードの目と鼻の先)。俗に「ニュー・クロス虐殺」とも呼ばれ、ジャマイカ系移民のハウス・パーティで火事が起き、若者13人が焼死した事件だ。

この火災は、ルイシャムに住んでいれば一度は耳にする事件だと思う。筆者も、火災が起きた家に掲げられたブルー・プラークを目にして以降、この痛ましい事件のことは知っていた。火災の原因は、何度か捜査・検分がおこなわれたものの、いまだ判明していない。80年代で、現在ほど法医学が進んでいなかった点もあったのだろう。

しかしこのドキュを観ると、70年代末以降このエリアではいくつか不審な火災が起きていて、アルバニー・シアター(ロック・アゲインスト・ザ・レイシズムのギグを何度も開催した会場でもある)も78年に一回焼け落ちた、という複雑な時代背景/文脈がよく分かる。1977年には、当時の犯罪増加を移民になすりつけるナショナル・フロントの行進を阻止すべく「ルイシャムの戦い(Battle of Lewisham)」も起きた火薬庫のようなエリアだ。人種差別が今よりはるかに露骨だった/放任されていた時代であり、ブラック・コミュニティの間には「白人至上主義/右翼の放火」説が広がっていった。少なくとも、作品に出演し事件を語るこの事件で生き残った被害者たちは、「誰かが放火した」と信じている。

スティーヴ・マックイーンはドラマ・シリーズ「Small Axe」で、
ニュー・クロス火災を取り上げたリントン・クウェシ・ジョンソンのこの曲を使っていました。
1978年のイギリスではこういう歌が生まれた。

この火災事件のリアクションという形で、同年3月に「Black People’s Day of Action」という抗議行進がおこなわれた。2万人近い人々がニュー・クロスからハイド・パークを目指した平和的な行進だったが、行進の許可を事前に得ていたにも関わらず、政府や官庁街の心臓部に達する前に警察が行進を阻止。この一件に続き、4月には「ストップ・アンド・サーチ」――警察が「怪しい」とにらんだ者は、問答無用で尋問と身体検査を受ける。対象になるのは黒人男性が多かった――の不満を爆発させたブリクストン暴動が起き、暴動は1981年の夏に英各地に飛び火した。

筆者にとって、こうした事件はすべて後追いの知識だ。コミュニティに残された傷跡とトラウマを理解できるかのように振る舞うつもりはまったくない。ただ、国家/警察による人種差別・人権の侵害は、BLМ以前から繰り返されてきたことを改めて感じたし、この日、サウンドシステムをエンジョイする多種多様な人々の姿に、音楽のもつ「ユニティ」の力を感じて、泣けた。「Uprising」のラストには、当事者として作品内でコメントを発したリントン・クウェシ・ジョンソンの素晴らしいポエム「Towards Closure」が響く。ギル・スコット—ヘロンのニヒリズムもいいのだが、今はLKJのオプティミズムに賭けたいと思う。

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Caroline@The Baths, 30/03/2022


久々に、ライヴ体験記をいくつか書いていこうと思います。

第一弾ポストは、もう3ヶ月以上も前の話になりますが:今年ラフ・トレードからセルフ・タイトルのファースト・アルバムを発表した、インプロ系フォーク/現代音楽/音響系/バロック/即興が賑やかに混じり合ったイギリス出身の8人組キャロラインのライヴ(彼らの所属レーベルのご厚意です)。

グループとしては既に数年活動してきたものの、いざラインナップが固まりレーベル契約を結び、アルバムを作るぞー……というタイミングで、コロナ禍が始まった。その間も規制緩和の折りに触れてライヴはぽつぽつやってきたものの、やはり露出という意味で機会がほぼ消滅したのは、キャロラインのような音楽性の新人としては大変だっただろうと思う。しかし、イギリスでライヴ会場での規制がほとんどなくなったこの春、彼らがアルバム・デビューに伴う英ツアーをおこなうのを知って、ぜひ生で観たい!と思った。そう感じずにいられなくなるくらい、アルバム「キャロライン」にはオーガニックで植物界を思わせる音の響宴が詰まっている。

いつもならロンドン公演に行くのだが、今回は我がままを言ってイプスウィッチで観ることにした。ロンドン会場のセシル・シャープ・ハウスは、フォーク系インディ・アクトを何度か観てきたし、英国フォーク協会の運営する会場だけに音響はオッケーなんですが、フォーク・ダンスもおこなわれる体育館っぽい会場だけに、ちょい広過ぎる……。初めて観るのでなるべくインティメイトな会場にしたかったし、規制はなくなったとはいえ、何百人も立ち見客の集まる屋内会場はまだやや抵抗感がある。

イプスウィッチはロンドンからもそんなに遠くないし(とはいえ一泊しました)、会場のThe Bathsにも興味をそそられた。その名の通り、昔公衆プールだった建物をイヴェント・スペースに再利用したヴェニューです。元々はアート・フェスのポップアップとしてスタートし、ヴォランティア運営で定期的にライヴをおこなうようになったのだそう。その地方DIYなノリを体験したかったし、キャロラインは、一時期バンドのリハをかつてのプール跡でやっていたこともあった。なんか良い縁だな、と思ったわけです。
かつ、イプスウィッチは、ブライアン・イーノの生まれた町ウッドブリッジとも目と鼻の先だ。なので、時間の余裕があったら4年ぶりに再訪しようかな、という欲張りな魂胆もちょっとあった。しかし、この日は残念ながら雨でそぞろ歩きに不向き(涙)。ウッドブリッジ行きのローカル線は1時間に1本しかないので往復するだけで結構時間を食うし、開演時間をチェックすべく会場のツィッターをチェックしたところ、前座がキャンセルでこの晩はキャロラインのみ。イギリスは大体メイン・アクトは9時過ぎ出演だけど、若干繰り上がるかもしれない。なんか心配で気分が落ち着かないので、今回は諦めて観光(?)はイプスウィッチに絞った。

実はイプスウィッチは、前回は電車乗り継ぎの空き時間で素通りした程度なので、逆に今回は少し探索できた。大学もある割りと開けた街で、川も流れていてマリーナまであって、ヨットがたくさん繋留されている。再開発と古さ/若い学生世代と年金世代とがせめぎあっている感じ。とはいえ今回の目当てのひとつはレコード屋さん。前回たどりつけなかった、Out of Time Recordsというお店で、メインのショッピング・エリアからはちょい外れたエリアにあります。

こぢんまりした古いノリのお店ですが、中古&新品でしっかり詰まっていて、店長さんの心意気と気遣いがちゃんと感じられる。基本はイギリス人が好きなロック〜ポップな品揃えなので、残念ながら購入には至りませんでしたが、インディ系の新譜はよりすぐって置いてあるので、ギター・ロックが好きな若い子には向いていると思う。

このレコード屋から徒歩5分程度の圏内には、そこそこ気の利いたパブもある。チャリティ・ショップも見かけたんだけど、残念ながら5時を過ぎていて閉店していた〜。残念〜。と同時に、このエリアは床屋/ヘアサロン、タトゥー屋、ネイルサロンがなんかやたらと目についた。コロナの影響……とまでは言い切れませんが、こういう「身繕い」ショップ――いずれも、プロの手で髪・タトゥー・ネイルといったルックスをメンテしてもらう場所で、一種のサーヴィス業――が空き店舗を埋めるのは、それだけ小売りが苦戦している証拠なんだろうな、とも感じた。

マイクロ・ブルワリー付きのパブ(ビール、さすがに美味しかった)で夕飯(普通)を食べ、会場を目指してあちこち迷いながら歩いていく前に、もう一軒、中心街にあるArcade Street Tavernに立ち寄った。降ったり止んだりの雨で体がすぐに冷えるんで、休憩が必要。かつ、この晩のライヴは、会場側のトラブルでバーが不調で、場内で買えるのは缶ビールや缶コーラのみだった。ので、ここは会場に入る前に飲み溜めしておくに限る。このArcade Street Tavernは、地元や英国内を始め色んな国のクラフト・ビールを取り揃えている、静かに飲めるモダンな「酒好き」のお店で雰囲気も素敵なので、お薦めです。

そんなこんなをやっているうちに、みぞれっぽい雨に濡れつつようやく会場に到着。パフォーマンス空間に最初に入った瞬間の印象は、「意外に天井が低い」だった。昔、東ロンドンにあったアングラ・ヴェニューやカフェ・オトを思い起こした。キャパはマックスでも250人くらいかな。いいサイズ。空間そのものは障害物なしのフラットな作りで、後方のバー設備に対して、その正面に申し訳程度に低く上げたステージがある、というシンプルな設計。キャロラインはステージから見下ろすというより、可能であればフロアにバンドが円形で陣取り、それを観客が囲んで見守る……というライヴが多いので、この晩も既に、フロアにかなりの数の楽器/機材ががっちり設営されている。


これがえらいこっちゃな数で、ドラムス、ギター&ベースおよびそのエフェクト群、レトロな小型キーボード、ハルモニウム、ヴァイオリン2本、管楽器にヴィオラ……とにぎにぎしく、8人編成ってこういうことなんだなぁ、と改めて。去年、エレキングさんの通訳仕事でスクィッドのオリーに取材した時、「ブレクジット後のヴィザ問題が大変で、バンドでツアーするのは大変」と彼はこぼしていたけど、動く人員とモノの数が桁違いだ。

ソールドアウトではなく、お客の入りは7割くらい。しかし壁際に椅子を並べて座る者もいれば筆者のように床に座る者もいて、他者とある程度の距離感も保てるいい感じの入りだったし気分的には楽。この晩の前座バンドのキャンセルもメンバーがCOVIDに感染したためだった、とメンバーのキャスパーがMCしていて、かなり落ち着いたとはいえまだウィルスは存在している。

メンバーが登場し、シーンと静まり返った中にアルバムの1曲目〝Dark Blue〟からスタート。ヴァイオリンの二重奏からスタートし、エレキの朴訥なリフでスタートする展開は、繊細ながらも音の迫力は増幅されている。まさにシカゴ音響系的なビルドアップを聴かせる曲で、やや噛み合わなかったリズムもシンバル・ラッシュのキネティックな動きで一体となり、徐々に狂おしい高まりに達する。生で聴くと、ヴァイオリン2本のインタラクションが強烈だ! ヴォーカルもワン・フレーズ混じるとはいえ、冒頭3分近くインストのみ。これは頭一発で聴き手を引き込まないとスキップされるスポティファイとかでは弱点になりそうだが、映画やドラマでもたまにある、冒頭しばらく台詞や会話なし/絵とキャラの動きだけで見せる作りに似て実はとてもスリリングだし、オーディエンスをキャロラインの世界に静かに引き入れてみせる。その世界では、一音一音に耳を澄まし、その場でしか生まれない絡み合い/ぶつかり合い/共鳴/音の隙間の空間等にじっくり浸り、受け手もその一部になれる。

2曲目〝IWR〟で早速楽器入れ替えが起き、ドラムを叩いていたジャスパーがヴィオラに移動。ギター2名&ベース氏の素朴でフォーキィな3声合唱がグループ混声に発展し、いつの間にか波のように隆起。シンプルな歌がふくれあがり、サウンドのあやの中に包み込まれる。素直に気持ちよし。アルバムの曲順をほぼなぞる構成になるのかなと思いきや、3曲目でアルバムのラスト曲〝Natural Death〟。フルートのささやかな響きから始まり、アトーナルな不協和音の数々とアイヴォー・カトラーを思わせる歌メロとが細かくせめぎ合う。ドラム/エレキが間欠泉のように随所でフリーな爆発をみせる一方でコーラスは楽しげに歌い、このバンドの音の錬金ぶりを間近で見守る気分。

その錬金マジックがこの晩最初にピークに達したのが〝Skydiving onto the Library Roof〟で、合奏部の印象的な、しかし単調なリフを弦楽チームが全力で繰り返し弾くことで積み上がっていく丘陵を、スウィングし暴れるジャクソン・ポロックなドラムス/パーカッションとエレキのラインが駆け上がって行く様は圧巻。耳で聴く抽象絵画の美しさだ。一転、〝Engine(eavesdropping)〟は鳥のさえずりを思わせる高音ヴァイオリンにトランペットやサックスの混じる静かな出だしで、ジャスパーの朗々とした歌声(彼は昔聖歌合唱団で歌っていたこともあるそうです)の周辺にテンションの高い音が寄せ集まると同時に、ドンドコとステディなビートは線路を進む列車とライヒの〝Different Trains〟を想起させる味だ。

〝BRJ〟は地味な曲だが、逆にライヴではその地味さを活かし(?)色々といじって改変されていて、クラリネットとハルモニウムの絡みや弦楽器のドローンの気持ち良さ等、聴きごたえのある内容に化けていた。そして待ってました!〝Good Morning〟が始まり、これはある意味このバンドにとって現時点で最もアンセミックな熱い曲でもあるし、何より陽光の射し込むようなメロディと音の明るさはオーディエンスの心を奮い立たせずにいられない。バンドの演奏はもちろん、オーディエンスも張り詰めてじっと音に耳を傾けていたぶん、この解放感に一気にカタルシスと笑顔が生じた。

ここで終わってくれてももちろん美しかったのだが、キャロラインの作り出す音の森に魅了された我々聴き手の側は、喝采が止まらない。バンドも嬉しそうで、彼らの「みんな、ついてきて」という声にしたがい、ゾロゾロと2階へ移動。いきなり天井が高くなり、大窓もあって、昔ここがプールだったことを思い起こさせる構造にびっくり。なんでも、リハ中にバンドは建物内を色々と探り、この2階スペースの音響が良いことに気づいて会場側に許可を得て1曲プレイすることにしたらしい(この模様は、メンバーがデジ録音機で録音してました。こういう一種のフィールド・レコーディングを、彼らはいつもやっているんでしょうね)。


ヴァイオリン、フルート、アコギだけを伴い、アカペラの〝Desperately〟。短い曲ながら、その澄んだ美しさに一足先にクリスマスが来たような気分になった。出来合いのセットをしっかりこなすだけではなく、会場の状況やノリに合わせてアドリブも含めるキャロラインの柔軟さはインディ音楽の素晴らしさのひとつだと思うし、それに反応しお客も「もっと!」とリクエストしていたが、彼らは苦笑&照れ混じりに「これだけです」と応え、ライヴは終わった。観客として生でライヴを観るのは、筆者はこれが丸2年ぶりだった。その久しぶりの再会が、こんな風に「生で音を吸い込み、それに体細胞を活気づけられる」ライヴだったことを、すごく嬉しく思った。キャロラインは、アルバムで聴くのもいいんですが、ぜひ生で体験して欲しいバンドです。

翌日は、昨日の雨雨ジトジトが嘘だったかのように早朝から青空が広がっていた。食い意地が張ってるので(クロワッサンとコーヒー、みたいなコンチネンタル・ブレックファストはあまり好きではないのです)、帰路につく前に朝ご飯は何か美味しいものを食べたい……とうろついたが、早起きし過ぎてまだ普通のカフェは開いておらず、仕方なくマリーナ沿いのカフェ/バーに入る。しかしここは当たりで、濃いコーヒーとチョリゾ入りソーセージ・マフィン&ポーチド・エッグを堪能。メニューからしてラテンなノリがあるので、お会計の際に店長(マイケル・ハネケ似で素敵)と「ご飯美味しかったです」のお礼と共にちょっと話したところ、おっちゃんはポルトガル系。イプスウィッチに移る前はロンドンのラドブローク・グローヴに住んでいたそうで、なるほどと納得。レインコーツのアナもポルトガルからあの界隈に移住した人だし、西ロンドンはポルトガル系の拠点のひとつだったのだろう。
ちなみに、前夜立ち寄ったArcade Tavernのお向かいのベーカリー/カフェも(筆者が発見した時点ではもちろん閉店していたが)パステル・デ・ナタ(エッグタルト)を売りにしていて、窓に貼られたメニューにはイワシのグリルとか、美味しそうな食べ物が並んでいた。おっちゃんいわく、家賃等々が高過ぎて、90〜00年以降、ロンドンにいられなくなった移民はイプスウィッチを始めとする周辺圏に移動したのだそう。しかし彼らの多くは医療関係他の高学歴&高技術を誇る人々で、イプスウィッチにしっかり貢献している。イプスウィッチそのものは、再開発と旧式なライフスタイルとが混じり合う、まあ、今のイギリスの地方都市の典型のひとつではあるけど、その地盤には色んな人種が混じり合っている。その豊かさは、強さになっていくと思う。

おっちゃんにバイバイして外に出ると、やはりまだ初春。空は青いが粉雪が散り始めた。キャロラインの音楽のように、物事は刻々と変化するのだ。

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お知らせ:フォークの逆襲


……と、何やら不穏なタイトルですがご心配なく、業務報告です。

明日発売のエレ・キングVol.29「フォークの逆襲」号に、協力させていただいています。

テーマはモダン・フォークでして、ビッグ・シーフの巻頭インタヴューを始め、今の時代に人民の音楽としてのフォーク・ミュージック(トラッド、カントリー、ブルーズ等々も含めて)を鳴らしている人々や色んな作品をフィーチャーした内容。

詳細はこちらのリンクをチェックいただきたいのですが、ご興味のある方は、店頭でお手にとってみていただければ幸いです。

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