日々の雑感:夏の終わりに


秋分の日です。ロンドンも朝晩は長袖です。

特にこれといったポストではないですが、夏の思い出写真をあれこれと貼っておこうかなと。ランダムな絵日記みたいなものです。
こういうのって、インスタグラムを使えばいいんでしょうね、きっと……。

近所に少し前にオープンした公園。駅のプラットフォーム脇の細長い空き地が、手間ひまかけてガーデンになりました。ヒマワリも嬉しそう。

隣人の飼い猫エド君。いつもアウトドア派で(特に夏場はほぼ外でゴロゴロしている)、誰にでもなつくので近所のちょっとしたアイドルです。しかし、やはりお顔を見ると、ちょっと老けてきましたね。

同じ隣人の飼っているもう一匹、デリック君。まだヤングなので体型も毛並みもツヤツヤです。でも、恐がりなのであまり接近できません。もうちょっとなついて欲しいなー

猫三連発、こちらは知人の飼い猫ミスター・チョップス。ひっそり隠れていたところを激写しました。

知人の愛犬スタンリー。知人は引っ越してしまったので、もう会えません。いいキャラの犬(ダックスフンドとスタッフォードシャー他のミックス。めっちゃ個性的)だったので寂しいっす。

園芸上手な知人のミニトマトと、下に写ってるのはブルーベリー。自家栽培なので美味しいです。

少し歩きますが、フォレスト・ヒルの近くにある保護森林エリアにて。ちょっと分かりにくいけど、小さな沼の小島。年季の入った大樹も保護されているエリアで、歩いているとちょっと「ホビット」な気分。

秋らしい夕焼け。夏が終わったなあと、しみじみした光景でした。

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お知らせ:WARPXXXーワープ30周年記念プレイリストだー


今回は、ビートインクさんからのお知らせです。
唯一無比の存在を誇るレーベル:ワープも今年で30年。大いに話題を読んだNTSのラジオジャック他、記念イベントがあれこれと行われてますが、ポップアップショップ、各種来日公演/DJセットといった日本独自企画の一環として音楽通が選ぶプレイリスト企画がスタートしたそうです。各人5曲ずつのセレクトで、歴史も長く作品も数多いワープだけに、こういうキュレーション/ガイド的なプレイリストはリスナーにはとても参考になるかと思います。自分の好きなアクトだけじゃなく、「こんな曲があったのか!」と発見も豊富ではないかと。
というわけで、以下、ビートインクさんのPRをコピペします。気になる方はチェックくださいませー。

にしても、日本版の<WXAXRXP>ステッカー、いいなあ。「ワープサーティー」のカタカナのノリが昔っぽくて、ワープ・パープルと合わさって90年代な気分。イギリスでも、DJとかが欲しがると思う。

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〈WARP RECORDS〉30周年記念!
あの人が選ぶ “MY WXAXRXP” プレイリスト企画スタート

第一弾は!!!
AOKI takamasa
荒内 佑 (cero)
石野卓球
@SHARP_JP
曽我部恵一
野田努
山㟢 廣和 (toe)
若林恵

先鋭的アーティストを数多く輩出し、衝撃的なMVやアートワークといったクリエイティブの分野においても音楽史に計り知れない功績を刻み続けているレーベル、〈WARP RECORDS〉が今年で30周年!!その偉大なる歴史を祝し、アーティストや著名人など識者たちがそれぞれのテーマで〈WARP〉楽曲をセレクトした“MY WXAXRXP”プレイリスト企画がスタート!

本企画第1弾!! AOKI takamasa、荒内 佑 (cero)、石野卓球、@SHARP_JP、曽我部恵一、野田努、山㟢 廣和 (toe)、若林恵が〈WARP〉の膨大なディスコグラフィーからそれぞれ5曲をセレクト!!

WARP30周年記念『WXAXRXP』特設サイトにて展開中!!
https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php#playlist

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TV roundup(久々)


Mindhunter/Season2 (NETFLIX)

久しぶりに、テレビねたです。

ネタがなかったわけではありません。面白い作品は色々あったし、「ゲーム・オブ・スローンズ」もちゃんと最後まで見届け、「Line of Duty」もフォロー。「Better Call Saul」も続きを観たいし、「The Good Place」に「Succession」、友人から「めちゃ怖くなった」と薦められた「The Great Hack」等々、まだ観れてない/ぜひ観てみたい作品も映画と同様に山ほどある。ただ、ここ2〜3年くらいのネットフリックスやアマゾンといったストリーミング・サーヴィス浸透の結果、鑑賞方法/スタイルが変化しただけではなく情報&作品氾濫状態になった感が強く、フォローするのが逆に億劫になって少々遠のいてしまった、というのはあるかもしれない。

テレビ持ってないので、友人宅に行った際にキャッチアップで観せてもらったり、DVDでごそっと観たり……という人間ではあります。そんな人間でも、やっぱマスコミで次から次へ「話題の新作、必見テレビ」が紹介され、記事だの宣伝ポスターだのを見かけ、知人からレコメンされると、「面白そうだなー、観たいな」とつい食指を動かされてしまう。ただし、実際に観るかどうかはまた別の話。時間がある時に限るし、何より今はニュースの方が目が離せない。逆に言えば、それだけ――とりわけドラマに関しては――テレビの「リアルタイム性」はさほど重要ではなくなっている、ということでもあるだろう。

かつてはビデオに録画しないと番組なりドラマなり映画は見返せなかったし、再放送かレンタル・ビデオが頼りの綱だった。今なら気に入った作品は好きな時に好きなだけリピートできて、「フローズン」を繰り返しお子さんと一緒に観た(見せられた)親御さんも多いと思う。劇場公開から間もなくオン・デマンドで観れる映画も多いし、全話一挙に投下されるいわゆる「ビンジ・ウォッチ」できる番組は地上波局のデジタル・チャンネルでも増えている。勝ち抜きコンテスト型のリアリティTVではない限り、「毎週、この日時」の特定の時間帯にアポを取ってテレビの前に陣取らなくてもいい時代なわけです。

HBOはまだ基本的に1週1話のスタイルをとってるようだけど、たとえば「GoT」の最終シーズンは放映が終わってからしばらく経って、まとめて観た。というのも、一喜一憂させられた前シーズンまでにいくつかの重要なストーリー曲線にはカタがついてしまったし、残るクライマックスは突き詰めれば最後の決戦のみ。誰が最後まで生き残るかとか王座に座るのは誰かとかは、実はある意味もうどうでもよくなっていた(笑)。せっかくの大フィナーレなんだし騒ぎが落ち着いたところでじっくりと味わいつつ、先入観なしに観たい……という思いの方が、「早く何が起きるか知りたい」「FOMO」よりも強かった。それにまあ、スポイラーってのも、意識して避けようと思えばいくらでも避けられるもんで。

気前のいい知人がありがたいことに「俺のネットフリックスのアカウント、空いてたら使ってくれていいよ」と言ってくれたんで、たま〜に使わせてもらうことがある。こないだ、ドラマを観ようと思って本人からオッケーをもらったものの、彼のお子さん3人が同時に既にログインしていて別個のデバイスで何か観ていて混み過ぎ(笑)、結局諦めた。と同時に、大昔のチャンネル権/リモコン争いなど起こり得ない、こうした各人バラバラな鑑賞環境が相手だと、「次々に新作を送り出すと同時に過去カタログも充実させる(=子供からじじばばまで誰にでもヒットするブッフェ式)」のがひとつのアプローチなんだな、と思った。

先だって公開された「ストレンジャー・シングス」シーズン3は、プロダクト・プレイスメント=すなわち企業タイアップが多いことで一部に批判されていた(報道によれば収益1500万ドルとか)。コカ・コーラ、バーガー・キングetcが画面に登場し、H&Mがファッション・ラインまで展開したらしいけど、映画やドラマではブランドやメーカーはおおっぴらに画面に出て来ないもので、店名やロゴやドレードマークは(観ている側に「それ」とは分かっても)隠されていたりレッテルが見えないアングルで撮影されていたり、架空のブランドが作られることもある(タランティーノのレッド・アップル他)。一部のヴューワーが違和感を抱いたのも無理はない。自分も、ボンド映画を観ていてソニー携帯がこれみよがしに画面に登場すると「えっ?」と思う(普通、国際スパイの使う高級なスマートフォンと言えばiPhoneだろうと思いますよね)。まあ、ボンドはアストン・マーチンからオメガまで「ラグジャリー企業広告」映画とも言えるので不思議はないとはいえ、ソニー映画ではよくVAIOが出てくる気がするし(笑)、色んな映画のバーやクラブ場面で高級ブランドの酒壜がたまにレッテルを前に向けて不格好/不自然に割り込んでくると笑わされてしまう。

<ソニー、がんばってます>

しかしとある英記事によれば、「ストレンジャー・シングス」のこのタイアップはストリーム氾濫時代の一種のサヴァイヴァル術でもある、という。要するに、全話一気に投下されるために素早く消化されてしまう→→すなわちメディア地平におけるトップ話題としての滞空時間が短いいわば「打ち上げ花火」。なので、①まず広告でできるだけ稼いでおく②各種タイアップを通じて公開後も何らかの話題をキープする(作品そのものはネットフリックスでいつでも観れるので、未体験の視聴者の関心を促し続け長期戦のリーチを伸ばすのが大事)、という考え方らしい。色々と難しいもんですなぁ。

そんな「ストレンジャー・シングス」、シーズン2までは観たんだけど、シリーズ化したことで自分は逆に興味が薄れたかも。メイン・キャストの子供たちがみんな愛らしく、ドラマとリアル・ライフ双方での彼らの友情を応援したくなる……という磁力は間違いなく強力とはいえ、「スタンド・バイ・ミー」を経て、マイクとエルが主役のジョン・ヒューズ的青春学園ドラマならまだしも、いちおうSF/ホラー作品なので、やっぱミステリーとしての本筋は大事だと思う。で、この作品は2シーズンまでで基本構図がガッチリ固まっているので(=色んなハミ出しものたちが力を合わせて悪と戦う&トラブルを越えて親子が絆を確認し友情により疑似家族が形成される、の二本柱)――もちろん色んなひねりや趣向を様々に凝らしてファンを楽しませているだろうとは思うけど――お話としては回を重ねるごとにすり減ってきてしまうだろう。つーか、ホーキンスって街は何度超常現象や被害にさらされればいいんでしょうか? ツイン・ピークスは、地霊があったからまだ言い訳になるけども。

とまあ、「観てもいないのに何を言う」と突っ込まれればそれまでですし、今回もめでたく大ヒットして評価も高いので、自分の意見は少数派だろう。とはいえ第3弾ともなると「キャラ人気と80年代ブームに乗じてメタ度を増して、合わせてシリーズを水増し?」の印象が生まれるし、そうやって露出しまくって「当たり役」のパブリック・イメージが定着し過ぎるのは、まだこれから先の長い子役たちにもあまり良くないんじゃないかと……。

もともと、ダッファー・ブラザーズは「ストレジャー・シングス」をアンソロジーとして考案していたらしい。「トワイライト・ゾーン」的な、「不思議なお話」の集合体ですね。ということは、スティーヴン・キングが架空の街デリーを舞台に色んな作品を書いてきたように、場所は同じでシーズンごとにキャラや時代が変わり異なるお話を描く……という作りも可能だったのだと思う。実際シーズン1は、あれはあれで完結していたし――SFジュブナイルものと言えば日本にも古典「ねらわれた学園」や「時をかける少女」があるけど、ひろ子知世のアイドル人気に頼って続編は作られなかった。潔い。

でも、チャーミングな子役たちを中心にキャラ人気が突出してしまったことで、ファンの要請に応えるべく基本的に同じキャラたちのスレッドが続いているらしいのは、やっぱネットフリックスもそれだけ「自社発コンテンツ」を重視しているってことなんでしょう。近々ローンチが話題のディズニーTVを始め、ストリームに参入する会社が増えれば増えるほど、メニューに載せられる=配信権を維持できる映画やドラマのパイは減っていくんだろうし(それはヴューワーにとっては面倒だけども……)、いずれ頼りになるのはオリジナル作品だけってことになるんだろう。というわけで、早くもネットフリックスの旗艦番組になってしまった(?)「ストレンジャー・シングス」、プレッシャーはでかそうです。

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<シーズン1の予告編>

と、グダグダ書いてきましたが、そろそろ本題に移ります:今回のポストの主題はそのネットフリックスのオリジナル作「マインドハンター」の、主にシーズン2(この後、テレビねたを続けるつもり。「男はつらいよ」と感じてしまった3作について書くのですが、本投稿はその第1弾になります)。「マインドハンター」は、デイヴィッド・フィンチャーが「ハウス・オブ・カーズ」に続いて総合プロデューサー&数話で監督も務める話題作。主役はFBIに置かれた行動科学班なるユニットで、今ではよく知られるターム「シリアル・キラー(連続殺人犯)」および「犯罪者のプロファイリング」テクニックを開発したとされるこのユニットの成長・歩みを70年代後半から描いていく。

原作になっている本「Mindhunter: Inside the FBI’s serial crime unit」をマーク・オルシェイカーと共著したジョン・E・ダグラスは元FBI捜査官で、人質交渉スペシャリストを経てFBIアカデミーの行動科学班に配属され、教官仕事のかたわら、投獄された凶悪な連続殺人犯相手にインタヴューを行うことでプロファイリング向けの科学的リサーチを進めていく主人公=特別捜査官ホールデン・フォードのモデルになっている。彼は、ハンニバル・レクターでおなじみ:トマス・ハリスの人気作「レッド・ドラゴン」、「羊たちの沈黙」に登場するキャラ=ジャック・クロフォードのモデルと噂されてもいる。「マインドハンター」の書名は、「レッド・ドラゴン」映画化第1弾であるマイケル・マンの「マンハンター」をちょっと意識している……のかもしれない。

<音楽も含め、ムード満点だ!>

2017年に公開された「マインドハンター」第1シーズンは、若きルーキーのホールデン、彼とパートナーを組まされるベテラン捜査官ビル・テンチ、そして社会学教授ウェンディ・カーの三者が出会い、70年代後半はまだ目新しかった「複数(3人以上)を無差別に殺害し時期をおいて同様の犯行を続ける殺人者=連続殺人犯」という犯罪心理学概念とそのエニグマを追求するチームが成立するまで、が中心になっていた。印象に残ったのは、完璧主義で知られるフィンチャーらしい映像とディテールへのこだわり――メインの撮影はピッツバーグらしいけど、古臭い街並み、呆れるほどでかいピカピカなアメ車の美、スーツやファッション/髪型やインテリア等々、実にハンサムなドラマでどのカットをとっても絵になる♥♥――が高クオリティなのはもちろん、全体的に落ち着いたテンポでストーリーが展開していく点だった。

メイン・キャラというのは、シリーズ第1話で一気に「紹介/顔見せ」されることが多い。ゆえにドラマの開幕話は大抵わちゃわちゃしていて説明的な内容になることが多いんだけど、このシーズンでは3人全員が出そろうのが第3話と、実におっとりしたペース(ホールデン以外の2名が初めて画面に登場するシーンもさりげなくて、即座に「この人メイン・キャストでしょ」とは思わせないのもかっこいい〜)。脚本はもちろん編集が的確なのと、いわゆる「新人類」ホールデン&「兵役経験者」ビルのいわゆる「価値観も人格もでこぼこバディ・コップ」の形成プロセスや、両者が捜査に当たる事件がエピソード的に挟まれるのでダレることはない。しかし、60年代とヴェトナム/ウォーターゲイト後のアメリカ社会の推移、それに伴う(マンソンやサン・オブ・サムに象徴される)犯罪の性質の変容、フーヴァー引退後のFBIの組織的変化および新種の犯罪に立ち向かうニーズ……といった時代背景やストーリーの配された基本状況と雰囲気が、「詰め込み型」ではなく徐々に、自然に、観る側にも浸透してくるのは良い。

この点に関しては、フィンチャー自身が「『ゾディアック』での教訓を活かした」と述べている。なるほど「ゾディアック」はたぶん、同じく連続殺人犯が登場する「セブン」以上に「マインドハンター」と直結している(特にこのシーズン2では、「ゾディアック」でも非常に効いていた色彩設計=差し色で使われる黄色の禍々しさが踏襲されていたと思う)。筆者も「ゾディアック」は大好きだが、あの作品で唯一もったいなかったのは時代のジャンプぶり。20年以上の長いタイム・スパンを持つストーリーなので仕方ないとはいえ、早送りモンタージュ&ヒット曲のコラージュを挿入して「○○年後」に飛ぶ処理は、キャラクターや彼らのバックストーリーと変容も面白そうなだけに、ちと物足りなくなる。

調べてみたら、フィンチャーはこれまで発表してきた長編映画10本のうち実に8本が2時間越えしている「長っ尻」監督で、タランティーノといい勝負。それが災いして「冗長だなー」「このシーン、まだ終わらないのかなー」と観ていてくたびれる作品があるのもタランティーノ同様だけど、「ゾディアック」に関してはむしろ「このまま見続けたい」と感じる。その意味で、テレビという長尺フォーマットの良さ――平たく言えば「1シーズンで9〜10時間くらいの映画」なわけで――をフィンチャーが活かそうとしているのはクリエイターとして優れた判断だと思うし、「マインドハンター」は5シーズンで完結という予定で制作されているそうなので、その余裕はじっくりとした世界観&ムード作りとキャラ造型にポジに作用していると思う(とはいえ、ストリーム業界もせちがらくなってきているので、突如キャンセルされないことを祈ります)。

で、このドラマのいわば「客寄せパンダ」な要素と言えば、実在の連続殺人犯とのインタヴュー場面になるだろう(シーズン2では、ちょっと前に公開されたタランティーノの「ワンス・アポン〜」でもチャールズ・マンソンを演じたデイモン・ヘリマンがマンソン役で登場して話題でした)。犯罪心理のデータ・ベース作り/パターン分析のために凶悪犯に取材を試みる、というのは当時かなりラディカルな(突飛な?)メソッドだったようで、しかも「つべこべ言わずに銃にモノを言わせて事件解決」なマッチョでヴィジランテなノリが法を守る側にも強かった時代だけに、ドラマの中でも最初はなかなか周囲の理解を得られずチームが悪戦苦闘する様が何度か出て来る。

シーズン1でのホールデン&ビルは「本業の教官仕事をやりながら、その空き時間でやりくりせよ」という、いわば試験的トライアルの条件付きで、米各州を飛び回ってレクチャーをこなす合間を縫って凶悪犯とアポを取り(笑)インタヴューをやっていく。しかもカー教授との仕事場として彼らに与えられたのは、誰も寄り付かない物置みたいなFBIアカデミーの地下室。アンダードッグなわけです。

ドラマとしてのテンポもそうだけど、もうひとつ興味深いのが、この作品では「犯罪ドラマ」につきもののアクション・シーンや殺害場面がほぼオミットされている点だ。主人公が調査班だから当然っちゃ当然だが、基本的に彼らが動くのは「犯罪が起きた後」。なので、画面に出て来るのは遺体、死者の近影、犯罪現場や物的証拠、検挙書類の束といった「無言の声」であり、カーチェイスだとかドンパチのエキサイティングなシーンは滅多に現れない。その代わり、それら無言の声を説明する/代弁する/増幅するための、捜査陣の話し合いや聞き込み、犯罪者あるいは容疑者との尋問場面はたくさん出て来る。こういう場面って、台本と演技と編集がモノを言うんだけど、やー、緊張感ある。テーブルを挟んでコーヒーだのビールだのを飲みながら2、3人が談話する姿を絵にするのって、基本的に動きがないので難しい。しかしカット割り、画面構成/配置、役者の表情や細かいボディ・ランゲージの捉え方等で会話に肉付けし、強弱をつけていくフィンチャーは上手い。そういや英ドラマのヒット作「Line of Duty」も、毎シリーズで尋問シーンが名物になってるんですが、目には見えないサイコロジカルな戦いというのも、やりようによっては見応えがある。

さてさて:そんな負け犬チームが、犯人たちとの生のやりとりを通じて連続殺人のサイコロジーや生い立ち/背景/動機/犯罪のトリガーとなる要因を分析していき、その経験や知識をアドバイザーとして実際の犯罪捜査に適用し事件を解決していくことで、徐々にチームは認められ存在意義も証明されていく。そのビルドアップの模様を追う展開は、スタートアップぶりを描いた「ソーシャル・ネットワーク」でも醍醐味だった。かつ、ホールデン&ビルの「青二才/ベテラン」の師弟的組み合わせは、「セブン」のブラッド・ピット+モーガン・フリーマン、「ファイト・クラブ」のブラピ+エドワード・ノートン、「ゾディアック」のジェイク・ギレンホール+ロバート・ダウニー・Jrの構図もオーバーラップするし、フィンチャーは好きな構図なのかもしれない。

しかし「マインドハンター」が過去作と違うのは、ウェンディ・カー教授の存在だ。彼女はリベラルでアカデミアな「白い象牙の塔」の住人だった。しかし学術論文やセオリーだけではないフィールド・ワークで得た生の声という成果、そしてホールデン&ビルの直観的なアプローチに惹かれ、官僚主義や政治がドロドロと絡むFBIという面倒くさ〜い男世界に身を投ずるんだけど、その上同性愛者でもある。いまだに差別や誤解があるんだから、70年代アメリカのLGBTQ人が非常にマージナルな存在だったのは察しがつくと思う。彼女も自らのセクシャル・アイデンティティを伏せた上でFBIに入り込んでいくので、そこに様々な軋みは生じる。

だが嬉しいのは、ウェンディは完全にホールデン&ビルのブレーンとして配置されていて、彼女の知性と洞察力が彼らコンビの直観や嗅覚(および現場での腕力や経験値)に科学的な根拠基盤を与え、両者の仕事を奨励する立場にあるという図式だ。シーズン1でホールデンの推理/類推力に「彼は現代のシャーロック・ホームズ」との褒め言葉が贈られる場面があるけど、究極の「安楽椅子探偵」に当たるのは彼女。かつ、ホールデン(独身、ガールフレンドはいたりいなかったり)とビル(既婚者で子持ち)もそれぞれにプライヴェート・ライフ=内面生活があるので、美人でスタイリッシュなウェンディとの交流がありがちな「職場恋愛」に発展することなく、リスペクトも率直な批判もありの同僚としてナチュラルな三角形を形成している。それだけ3人とも目的に向かってフォーカスしている(オブセッシヴな?)「プロフェッショナル」ということだし、少なくともこのトライアングルの中では「男だから」「女だから」の違いは顔を出さない。

ゲイ・キャラクターの耐える心理的な足枷やフェミニズムの描写は現在の時代風潮にぴったりなわけだが、その他にも「今」を感じるのはこのチームの根底にある「コミュニケーション」「他者の理解」への欲求じゃないかと思う。シーズン1の序盤に、「自分は正しくて、間違っているのは他者だと考えている人間と接するには、まず彼らの話を聞く事。彼らを威圧しようとするな」という台詞が出て来る。これは人質をとって立てこもった犯罪者の説得方法に関する話とはいえ、政治や社会問題etcで意見が対立し、双方が頑として譲らない平行線な議論はしょっちゅう起きているし、中にはしびれを切らして「嘘つき」「フェイク・ニュース」と決めつけて対話をシャットダウン/ノン・プラットフォーミング/キャンセルしてしまう手合いも多い昨今。それゆえに意見や基本姿勢を同じくする者たちがフェイスブックとかに集まって、いわゆる「エコー・チェンバー」に籠城する……という、脳にノイズキャンセラーのヘッドフォンを被せてしまう図もどうかなと感じる身としては、この台詞はなかなか興味深い。根本的に間違った考えを指摘するのは重要だが、白黒はっきりしないグレーなゾーン、というのもある。そうした複雑な層を持つ議論の場合、「話が通じない!」と匙を投げてしまう前に、頭ごなしに否定する前に、相手の声をちゃんと聞くのは大事じゃないかと。

また、殺人犯の心理を探る中で「サイコパス」「ソシオパス」「ナルシシスト」というタームが何度か出て来るが、「自分には何も悪いところがないと思い込んでいるのがサイコパス。だからナルシシストはセラピーにかからないもの」「ニクソンはソシオパス」「ソシオパスじゃない限り大統領になれないよ」等々、台詞は実に鋭い。これらのタームがぴったり当てはまる人物がアメリカにでっかく腰を据えているのを思うと、たとえ「マインドハンター」の舞台は40年近く前であっても、現在とちゃんとリンクしているな、と。更には、もしかしてフィンチャーは、「アメリカン・サイコ」の翻案をいつかやりたいのかもな、と感じたりもして(もう映画化されてますが。あれは、クリスチャン・ベールがすごいので、それだけでもハードル高いんですけどねー)。

――そんなわけで、シーズン1で「物語/キャラ/ヴィジュアル/テンポ」の基盤を見事に固めた「マインドハンター」だけど、2年ぶりに登場したシーズン2は、その基盤を軸にしっかりと成長し枝葉を広げている。2年のギャップはあるもののストーリーはシーズン1のラストで起きた事件直後とその余波から始まるので、行動科学班の状況はまだ一進一退――ながら、彼らの実績に着目した支援者が登場することでチームの未来は開けてくる。そのぶん組織政治という駆け引きのドラマも増えていてそれはそれで面白いのだが、シーズン2の魅力のひとつは、(一応)主役格のホールデンにズームインしていた前シーズンに対して、ビルとウェンディの日常と内面により深く迫っている点にある。

両者は共に秀逸なキャラなので、これまでチラチラと垣間みれた、彼らのいる複雑な状況とそこで起きる様々な葛藤が掘り下げられているのは実に嬉しい。ホールデン/ビル/ウェンディそれぞれの私生活は、凶悪犯と間近で接し、陰惨な犯行を調査するというこの任務によって様々な影響を受けている。分かりやすいのがシーズン1のホールデンで、社会学を学ぶ頭の切れる学生ガールフレンドに惹かれつつ、一方で彼女の行動の動機や心理をあれこれ「深読み」せずにいられない(職業病?)姿やパラノイアが描かれていたが、これと同様の「仕事が日常を浸食する」の図は、ビル&ウェンディにも迫る。ミイラ取りがミイラになる……というのは犯罪サイコ・スリラーでは常套句で、マイケル・マンの「マンハンター」はもちろん、「ゾディアック」でもゾディアック・キラー探しに執着し過ぎたロバート・グレイスミスの家庭が崩壊する図が出て来る。「マインドハンター」はたぶん、そうした犯罪者と捜査側の微妙でスリリングな境界線を探っていくのだろう。

もうひとつ、シーズン2に見応えを増していたのは、このシーズンではモチーフとなる事件の数を絞り、そこに焦点を据えて立体的に描き出したからだと思う。主役のチームは基本的に、投獄された犯人相手にデータを収集し分析するのがメインの任務であり、捜査進行中の難事件には顧問/助言役として短期参加するパターンが多い。ゆえにシーズン1ではチームは少なくとも3つの事件の実捜査に当たることになったし、その結果は様々。連続殺人犯への取材プロセスを通じて彼らの犯行が浮き彫りになるのも含めて、ある意味各々の事件はエピソード的な扱いであって、チームが成長する足取りを捉えた短編アンソロジー、めいた印象すら残った。

対してシーズン2は、主眼になっていく進行中の連続殺人事件(実際に起きた事件)とその捜査に据え、そこにホールデン&ビルがずるずると絡んでいくことで生まれる変化やその余波を丁寧に追っていくスタイル。もうひとつ影を引く事件も起きるのだが(ネタバレになるので、詳細は書きません)、そちらはシーズン全体を通じて不穏なサブ・ベースをじくじくと奏で続け、主旋律にカウンターポイントを添えているのも良い。この連続殺人がメインになり、ストーリーを引っ張っていくのはシーズン後半とはいえ、そちらのドラマの方が面白くて引き込まれてしまい、シーズン前半のいわば「目玉」エピソードだった凶獣マンソンやサン・オブ・サムとの対面場面――それはそれでテンション高くてみものでしたが、やっぱ飛び道具ですね:シーズン1のエド・ケンパーほどインパクトなかった――の印象が薄れたほどだった。

「悪名高い殺人犯とのインタヴュー場面」という好奇心をそそられる設定に関して、フィンチャーは殺人犯をアンチ・ヒーロー=「理解されない(一種の)天才」のように賛美する描き方はしたくない、という旨の発言をしていた。ジョナサン・デミの「羊たちの沈黙」で、レクター博士とクラリスの対面場面は非常にドラマチックに、しかも美女と怪物というゴシック・ロマン的な図式のもとに描かれていた。しかし「マインドハンター」での凶悪犯との取材は無機質な面会ルームとテレコ相手の寒々とした状況でおこなわれるし、その実験ラボめいた環境のもと、サイコパスたちのいびつな心理――ナルシシズム、人心を操作する邪悪なマニピュレートぶり、犯行を自慢するエキシビショニストな性向、エゴイスティックな冷血さ――などが冷静に腑分けされる。天才でもなく怪物でもない、犯罪者の陳腐さや人間的な限界を等身大で描くことで、フィンチャーはある意味、神話/偶像を壊そうとしている、と言えるだろう。

<「もっと寄って〜!」。ホプキンス、芝居が濃い(笑)>

それを踏まえた上で、シーズン2は、殺人犯ではなく被害者の側にスポットを当てている。ここでの被害者は、非情な連続殺人の犠牲になった子供たちはもちろん、我が子を失った母親たちと殺人者の影に怯え、手をこまねく警察に怒るコミュニティだ。殺人事件を扱ったドラマでは、狩人と標的、すなわち警察と犯罪者は細かに描かれるが、犠牲者や遺族は得てして「背景」的に扱われることが多いと思う。だがこのシーズン2ではアトランタの貧しい黒人コミュニティ、KKKの影、アメリカ南部のデリケートな歴史・政治状況に揉まれてその狭間に落ちた、社会的な犠牲者と言える哀れな子供たちと、その親の悲しみ・絶望がストイックに(そのぶん余韻が強く)描かれていてパワフル。アトランタと言えば今ではドナルド・グローヴァー/チャイルディッシュ・ガンビーノのヒット・ドラマ「アトランタ」がおなじみかもですけど、彼はまた「This is America」を歌ったわけで。ブラック・ライヴス・マターの思いは、40年近く経った現在も変わっていないことになる。

<アトランタのナウ>

というわけで、長々と書いてますが:要は「マインドハンター」面白いぞ〜、ということです。シリアル・キラーという呼び文句が一番強いドラマだろうし(筆者もそれにつられたクチ)、タブーとされる極端な人物の心理の内面を知的に探るという構図はたしかに強力。でもそれはきっと、タブーではなくても知り得ない人間の入り組んだ心理――友だちや肉親といったとても近くて常に繫がっていると思っている存在でも、彼らに「理解に苦しむ」行動をとられることとか、「このメール/テキスト/ツィートの真意って何?」と判断に悩むことって、たまにありますよね? まあ、多くの場合は疑心暗鬼や行間の読み過ぎだったりしますが――に右往左往させられる我々のモダンでパラノイドな欲求にもアピールするのだと思う。「Mindhunter」=精神/心のハンターというタイトルは、ある意味、誰にでも当てはまることなのだろう。他者はもちろん、自分自身の内面も含めて。

ゆえに、「マインドハンター」では色んなパラレルが出て来る。先述したように、犯罪者と捜査側の心理的なシンクロ/紙一重のあやうい境界線もあるし(「セブン」、「ファイト・クラブ」、「ゾディアック」でも、この二重性はモチーフだった。「ソーシャル・ネットワーク」も、ザッカーバーグの理想と現実の矛盾を思えば、スレスレの線だろう)、反体制と体制、FBIにおける違法/合法といった、相対するはずの存在の差も微妙に揺れ、時にだぶるから面白い。たとえば、シーズン1の時点ではまだ駆け出しだったチームが参加するパーティと言えば、「ローカルな警察署で、事件解決を祝ってプラスチックのカップのビールで乾杯」なノリだったけど、シーズン2では格が上がってFBIのお偉方が集まるパーティにも招かれる。そのひとつのゴルフ・クラブの場面はマネーと特権、序列の匂いがプンプンで、ゴルフの大好きな某人物を思い出して笑ってしまった次第。

また、シーズン1では凶悪犯のトリガーとして「母親」に何度か焦点が当たっていて、これはすなわちノーマ・ベイツ的な「残酷で抑圧型の母(による害)」ということになる。この点は、スリラーやホラーの典型過ぎるなあ、母だけじゃなくて父にだって責任あるやろ、ちょっと安直じゃない?と引っかかっていたんだけど、シーズン2に登場する母親たちの多くはその逆の保護者であり留守宅を守るファイターであり、葛藤し模索する存在であり――「母性」という単語の象徴する、大雑把で時に都合のいいイメージに集約し切れない複雑な姿が描かれているのにも、個人的にはうならされた。こうした親子の絆、家庭とは何か?といったテーマは多面性は今後のシリーズでも様々な角度から掘り下げられていくだろうし、楽しみっす。

あと、最後の付け足しみたくなっちゃってすみませんが、「マインドハンター」で他にも楽しいのは、監督の起用ぶりと音楽の使い方のシャープさです。エピソード数が多いのでさすがにフィンチャーも全話監督を担当できないらしくて、シーズン1ではドキュメンタリー「セナ」や「エイミー」で知られるアシフ・カパディア、「コペンハーゲン」の脚本他で注目を集めトマス・ヴィンターベアとのコラボでも知られるトビアス・リンホルムが、シーズン2では「ジャッキー・コーガン」のアンドリュー・ドミニク、モダン・ノワールな作風で知られるカール・フランクリンが参加と、国際色豊かで世代も幅広い。この調子で、ジョン・ヒルコートとジョン・マクノートンにも登板して欲しい……というのは、さすがに無理でしょうかね〜。

音楽に関しては、時代色やエモーション/状況/心の温度を補佐するべく、ポップ・ソング(オールディーズからハード・ロック、ニュー・ウェイヴまで様々)が効果的にあしらわれていて、選曲へのこだわりにはうならされます。フィンチャー、さすが音楽好き。特筆ものという意味では、シーズン2第1話のオープニング&エンディングはゾクゾクするチョイスで「上手いっ!」とのけぞらされたし、同シーズンの最終話ではテーマ曲が変奏されていたのも――連続ドラマのアイキャッチでもあるテーマ曲をいじるって、普通やらないと思う――ストーリーの意味としっかりリンクしていて「納得!」でした。

あと、だめ押しでもうひとつ。シーズン1からチラチラと描写が続いている、カンザス州のヒゲ&ハゲの眼鏡のおっさんが起こしている怪しい動向の数々。この事件は、もしかしたら、「マインドハンター」がシーズン5まで予定されている、その理由かもしれないな、と気づきました(思い込みかもしれないけど)。気になる方は、キーワードは「BTK killer」ですので、事件の概要を自主チェックしてみてくださいませ。

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RIP: Rick Ocasek


元ザ・カーズのリック・オケイセックが亡くなったそうです。享年75。合掌。

筆者の個人的な音楽ファン歴で1984年は大きくて、この年はプリンスの「パープル・レイン」、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「スポーツ」、そしてカーズの「ハートビート・シティ」、この3枚をコピーしたカセット・テープ、マジに伸びるまで聴いたもんです。懐かしい。

<『ハートビート・シティ』は名曲ぞろいでシングル曲のビデオはどれも秀逸ですが、この曲はアンディ・ウォーホルを監督に起用。ファクトリー他、何気にアンディ自らの歴史を自己参照してるのも笑える>

カーズについては以前雑誌で書いたこともあったけど、リック・オケイセックは自分にとって最初の外国ロッカー・アイドルだった。彼を媒介に色んなグループを知ることになったし(スーサイド、コクトー・ツインズ、フェルト、ロイド・コール、バッド・ブレインズ等)、ウィーザーの1枚目の購入は「リックがプロデュース」というのが決定打。ガイデッド・バイ・ヴォイシズのような好きなバンドとの連携が後に起きたのも嬉しかったし、何よりストロークスのセカンドは、カーズ好きには泣けました。

<ご存知、カーズの代表曲。踊れるロックで、映ってるお客さんのディスコなノリもいですねー>

<去年、ロックンロールの殿堂入りした際のスピーチ。グレッグ、知的なおじさまで素敵。でもそれ以上に、プレゼンターのブランドン・フラワーズとばっちり張り合える銀ラメのジャケット姿のリック、やっぱり素敵。ちなみにブランドンの紹介スピーチも「ファン丸出し」で熱くていいので、チェックしてみえください>

<ストロークスではやっぱこの曲が一番良いオマージュかと。ニックのギターで、キーボードが再現されてます>

ヒット作を出したゆえに、カーズは必ずしも「うるさい音楽通」から重視されるタイプのバンドじゃないとは思う。けど、彼らは自分にとっていつまでもベスト・アメリカン・ロック・バンドのひとつであり続けます――オール・アメリカンなバンド名も含めて。リックもベンと再会して、きっとアコギで歌っていることだろうな。ありがとう。

<リックの隠れ名作ソロ「Beatitude」より。最高にクールなグルーヴ!>

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お知らせ:セバドー来日


というわけで、クリエイティブマンさんからのお知らせ。セバドーが来年早々来日です。
泣き虫パンクの王者と一緒に泣いてください〜〜
以下、来日情報のお知らせメールをコピペいたします。

ダイナソーJrのベーシスト、ルー・バーロウ率いるセバドーの東京1夜限りの来日公演が決定

東京 1月23日(木) 渋谷WWWX
OPEN 18:30/ START 19:30
TICKET オールスタンディング¥6,500(税込/別途1ドリンク)
※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:9/14(土) 
クリエイティブマン 03-3499-6669
制作・招聘:クリエイティブマン 協力:VINYL JUNKIE

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ジョンサベに会いました(ミーハー記)


少し前に刊行と相成りました、ジョイ・ディヴィジョンのヒストリー本「この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも」。ふつつかながら翻訳を担当させていただいた本についてあれこれ書くのは「自己宣伝は醜い!」とか突っ込まれるかもしれませんが――著者(というか編集者?)のジョン・サヴェージに今回初めて遭遇できたので、今回はその話。

きっかけは、イギリス版の原本が出版された際の記念トーク・イヴェント。開催は3月31日で、翻訳作業の途中だったものの、ジョン・サヴェージ現物を目にすることのできるせっかくの機会だわと思い、日本版出版元にお願いしてゲスト・リストに入れてもらった次第。

トークの開催場所は東ロンドン、ウォルサムストウにあるでかいパブ兼ライヴ・ヴェニュー:マース、マーヴェル・アンド・モード(Mirth, Marvel and Maud)。ここはもともと映画館で、60年代にはコンサート会場としても使用されビートルズやジェイムズ・ブラウンがそのステージを踏んだこともあったとか。JD本にも「かつては映画館で、やがてライヴ会場になった」メイフラワーという会場の話が出て来るけど、戦後英国のエンタメ文化の推移を感じる話ですね。MMMは建築、内装やデザインもめっちゃレトロな「昔の映画館」そのまんまでした。ちなみにこの会場、色んなシアターを仕切っているグループに少し前に買い取られて、いずれはコメディとかライヴを本格的に上演するシアターとしてがっつり改装されるそう。改装の着工は早くても来年らしいので、再オープンするまで、しばらく時間がかかりそうですけども。

昔の「EMDシネマ」の看板がそのまま残されて、味になってます

主宰はウォルサムストウ・ロックンロール・ブック・クラブなるイヴェンターで、その名の通り音楽関連書籍を軸とするトーク・イヴェントを中心に、ライヴもたまに企画している。それで毎月のようにイヴェントを組めるほど、音楽関連の出版物はアーティストの自伝からバンド・ヒストリー、ジャンルやシーン〜カルチャー考察等々、出版社の規模は様々ながら実に多い。ちょっと前にチャリング・クロスのフォイルズ・ブックショップに行った時も――あそこは、紀伊国屋書店新宿店みたいな「旗艦店」で売り場面積も広いし、改装以前からジャズ・レコード店も併設していたほど音楽にはこだわりのあるお店だから当然かもしれないが――音楽関連書籍コーナーの大きさにはびっくりさせられた。まあ、それでも映画関連コーナーの規模には負けるとはいえ、20年くらい前だとデンマーク・ストリートの専門書店とかタワー、ヴァージンといったレコード屋の一角の書籍/雑誌コーナーに行かないと音楽本が見つかりにくかったことを思うと、隔世の感なり。

イヴェントが開催されたミニ・オーディトリアム(映画館だった頃の座席そのまま、だと思う)に向かう……が、案の定、ゲスト・リストに名前が入ってなかった(笑)。仕切りがいい加減なイギリスではこれってたまに起きる話で、大物アーティストからインディのバンドのギグまで、今まで何度か弱らされたことがあります(なので、リスト対応の場合は、問題があった際のコンタクト番号をもらっておくのが大事です)。でも今回は、リストのチェック係の人が「まあ、うちのイヴェントのリストっていつもいい加減だからなぁ」と自認してくれ、無事に入れてもらえた。マイナーな企画だし、それに合わせてわざわざウォルサムストウまで足を運んでゲート・クラッシュするような物好きは多くないわけで。大目にみてもらえました。ちなみに、とあるアーティストのコンサートでリストに名前が載ってなかった時、リスト係の女性に「あなた、良さそうな人だから入っていいわ」と入場許可されたことがある(苦笑)。タヌキのような善人顔してるのも、たまには得です。

場内に入ると、スクリーンには「Unknown Pleasures」の例のパルサーのグラフ図やJD写真が映写されていて、DJ(ローンレイディが担当。ワーイ、豪華!)はインダストリアルでゴスなBGMを流している。お客さんは初老〜中年男性がメインで、こういう層が今いちばん過去の遺産保存に熱心&アクティヴなんだなぁ、と改めて実感。やがて客電が落ち、グラナダ・テレヴィジョン出演時のジョイ・ディヴィジョンの演奏の模様が映写されたところで、イヴェントは正式開幕。ジョン・サヴェージは白髪頭のおしゃれなおじさんで、遠目にはちょっとデイヴィッド・バーンっぽい。

トークの中で、個人的にもっとも嬉しかったのは、「なぜこの本を書くことにしたのか」という質問で、ジョン・サヴェージがジーン・スタイン/ジョージ・プリンプトンの本「イーディ」を挙げ、「ああいうオーラル・ヒストリー本を一度やってみたかった」と語っていたところ。偶然とはいえ、自分も「イーディ」は大好きな本で(イーディはマイ・アイドルのひとりです)、筑摩書房のハードバックは今でも大事な一冊。あの本の訳者代表の青山南氏は「映画の吹き替え声優よろしく翻訳チームが登場人物を分担した」との旨をあとがきに綴っていたけど、JD本もそのノリで自分は翻訳したつもりだしオーラル本の古典/お手本として「イーディ」を意識してもいたので、ライターとして尊敬しているジョン・サヴェージとわずかながらでも波長が繫がっていて、良かったぁ〜と感じた次第。

他に面白かったのは、このJD本にはJD目撃者/証人でもあったジョン・サヴェージ本人が「登場人物」として出て来ない(当時彼の書いたライヴ評やレコード評が2、3本引用されるのみ)のはなぜ?という質問に、「もう僕は(JDについて)さんざん書いてきたし、自分の声は別に必要ないだろう」と実にさばさばした答えだったこと。この本の大きな元ネタである映画「Joy Division」にはジェネシス・P・オリッジが証言者として(短いとはいえ)登場するのに、彼/彼女の声を含めなかったのはなぜ?との質問には、「ジェネシスの言うことなんて、信用できないから」と一刀両断だったのにも、笑った。これは深読みのし過ぎかもしれないけど、JD本の編集者はコージー・ファニ・トゥッティの「Art Sex Music」の編集も担当していたので、「ジェネシスの言うことには要注意」の共通認識があってフラッグが立ったのかな?なんて、ついつい。それでも、日本をはじめ多くのファンが、「イアン・カーティスと最後に話したのはジェネシス」という説を信じているみたいですが……まあ、真実はもはや「薮の中」です。

それと、この本にも出て来るリチャード・ブーン、そしてリズ・ネイラーのふたりがイヴェントに来ていたのも、ナイスでした。リチャードおよびリズ・ネイラーの当時の姿は、以下に貼る1984年に制作されたニュー・オーダー/ファクトリーのドキュ映画でも確認できます(リズの登場場面はカウント6:29あたり、ジリアンが真ん中で、右でエクササイズ・バイクを漕いでるのがリズ。左にいるのは、ファンジン「City Fun」でリズの相方をやっててバンドも一緒にやったことのあったキャス・キャロルですね)。この映像は、権利関係でブロックされる可能性があるので、早めにご覧下さいまし――当時のニュー・オーダーのライヴ映像が3曲含まれているので、非常に美しいので、それを眺めるだめだけでも。

しかしこのトーク、他の音楽ライター(ミック・ミドルズ)も観に来てて、お客との質疑応答篇でジョン・サヴェージに同業者(=マンチェの語り部)として重箱の隅に突っ込みを入れたり。それって、二者の間でメールでもトウィッターでも何でも、個人的にやりとりすれば済むレヴェルの話であって、わざわざああいう場に持ち出すまでもないと思うんだけど……。なんか、イヴェントとしては尻すぼみ。でも、おしまいにサイン会があったんで、ジョン・サヴェージにJD本、サインしてもらいました。サインをもらいに並んだファンたちには、ジョンの過去本(「England’s Dreaming」や「Teenage」)もがっつり持ち込んでる人がいて、微笑ましかったっす。「Unknown Pleasures」の40周年再発は英アルバム・チャートのトップ5に入ったわけだけど、それも、こうしたファンたちとJDの音と熱に惹かれ続ける人々の存在ゆえ、なんですね。

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Beat of My Own Drum: 131.Lloyd Cole and The Commotions


この8月バンク・ホリデーは30℃を越す暑さでした。もちろん日本の暑さに較べれば全然マシなんですけども、寝苦しい数日でありました。
たまたまですが、この時期になじみのパブの閉店、友人の引っ越し等いくつかのお別れやエンディングが続いてもいて。
それも含めてなんとなく、「夏が終わった」感にやや黄昏れています。

夏の終わりというと、このロイド・コールの名曲を思い出さずにいられません。またも年寄りのノスタルジーですけども(すみません)、今日はかつてのマイ・アイドルに思いを馳せてしまう、この曲で。

このプロモ・ヴィデオ、アルバム発売当時は観たことがなかったので、YouTubeで発見した時は軽く泣きました――っていうか、何度聴いてもいまだに涙がこぼれます。曲はもちろん、歌詞も、ロイド・コールの歌唱もバンドの演奏も、文句無し。

にしてもこのヴィデオ、撮影されたのはどこなんだろう? 樹木や湖やお城の様子からしてスコットランドでの撮影だといいんだけどなー、と勝手に妄想してしまうのは、このイメージにイアン・バンクスの「The Crow Road」をふと思い起こすから、でもあります。

ちなみに、このポストの写真を見てコモーションズの名作「Rattlesnakes」を連想した方がいたら、その方はかなり重傷なロイド・コール・ファンだと思います(笑)。あのアルバムのおかげで、自分はテレヴィジョン/ヴェルヴェッツ、カントリー・ロック、ノーマン・メイラー、ラヴ、「地獄の黙示録」ではないマーロン・ブランドに開眼しましたっけ。ありがとう、ロイド・コール。

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