Beat of My Own Drum: 90.Film&Music


漠然としたタイトルですが:BOMODの前回でコーエン兄弟VSボブ•ディランについて触れたところ、それで芋づる式に思い出したので既存のポップ•ミュージックの使い方が印象的で痺れるシークエンスを以下に。

まずは定番中の定番ですが、やっぱりこれは外せません:スコシージの「Mean Streets」より。

<ちなみにスコシージは楽曲の使用許可を取らずに本作を公開したため、フィル•スペクターは当時激怒したとか。しかし映画の存在をフィルに知らせた通報者であるジョン•レノン(ロンドンでのレコーディング中にフィルに「あんたの曲がパクられてるよ!」とチクったらしい)が「相手は若僧なんだから大目に見てやれよ」となだめた結果、フィルが「上映差し止め」のクレームをつけるまでには及ばなかったそう。この作品のヒットをきっかけにスコシージ/デニーロ/ハーヴェイ•カイテルのキャリアも軌道に乗るので、フィルが折れてくれてめでたし、めでたしというところでしょうか〜>

お次はデイヴィッド•フィンチャー。彼の作品の中で、自分としては1、2位を争う作品と思っている「 Zodiac」のオープニング。ちなみにかなりショッキングな映像なので、心臓の弱い方は再生しない方が無難かもしれません。

<ちょうど、ちょっと前に当ブログにコメントしてくれたmakiさんともドノヴァンの話が出たタイミングでしたね。この映画を観て以来、この旋律は自分にとって禍々しい「恐れ」と直結するようになってしまいました。ミッキー•モストがプロデュースしただけに、バックの演奏には彼のセッション•チームの一員でもあったジミー•ペイジとジョン•ボーナムが参加…という「ツェッペリンの種子がこの曲で蒔かれた」なる素敵過ぎる/出来過ぎな説もある(ジミーの公式ページの「セッション仕事」欄には掲載されている)ものの、異説もあるので真相は紫煙に包まれたまま、というところでしょうか>

ちなみに、上記映像でドノヴァンに切り替わる前のAOR調にナイスな曲はスリー•ドッグ•ナイトの「Easy To Be Hard」。以下のクリップはテレビ出演時のものらしいですが、クリップ冒頭のシークエンス=「Make Love Not War」のメッセージが袋だたきに遭う、という象徴的な場面が無骨ながらすごいので、おまけに。

<バンドの皆さん、廃車に囲まれて歌ってます。そんな、無茶な……>

お次はキンクス二連発。彼らの「Lola Versus Powerman and The Moneygoround,Pt1」曲を見事に使ったウェス•アンダーソンの「The Darjeeling Limited」の、まずは冒頭のシークエンス。

<動きの多い駅のモブ•シーン、列車を追って走る(走らされる?)ビル•マレー、それを追い抜くエイドリアン•ブロディと、実に美しい横の動きの連続デザインですねー>

ウェス•アンダーソンの音楽の使い方の巧みさは、もう周知の通りなのであれこれ言うのは野暮でしょうか? なのであーだこーだ付け足しませんが、この映画で音楽とのシンクロに一番ガツンときたのは、実は以下の場面でした。

<デイヴ•デイヴィスの熱唱が光ります。スローモーションってのはどうもあざといけれども、場面の情感にはマッチしているので許せると思う>

こうして並べたところで、どれも60〜70年代の音楽ですね。これは自分の個人的な音楽の趣味趣向もあるかもしれないですが、場面に即した(例:登場人物がクラブに行くと誰かが歌っていた、あるいはBGMで流れていた、は除く)特定の時代背景やニュアンスを伝えられる、あるいはその映画のモードを一発で決められるくらい「人口に膾炙した味」があるのは、ここらへんの時期の音楽がもっとも無難なのかも。とはいえ、70年代後期〜80年代以降の音楽の使い方で「ニクい!」と思わせるものも増えているので、いつかまた、そこらへんがまとまったら「続編」をポストします〜。

というわけで、今回のエンディングは(またも)ウェス•アンダーソンで、「Fantastic Mr.Fox」での使い方が抜群だったボビー•フューラー•フォーの「Let Her Dance」を使ったクリップを。この曲はもう、鳴り始めたら踊るしかないグルーヴィさがご機嫌ですよね♥

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The Ex:7Aug2016@DIY Space For London


粗悪な写真ですみません。背が低いのでミキシング卓の横にあった机に立って観るしかなかったのだ…

粗悪な写真ですみません。背が低いのでミキシング卓の横にあった机に立って観るしかなかったのだ…

実〜〜に久しぶりにライヴ話を。アクトはオランダの誇るベテランなアナーコ•パンク•バンド:ジ•エックスです。

このバンドはもう2、3回観てきたけれど、ライヴが素晴らしいので何回観ても飽きない。それは、「パンク」という一般的な概念/ジャンルの括りを越えてジャズにワールド•ミュージックetc、様々なコラボに果敢にチャレンジし続けている彼ら――そこにマイク•ワットの柔軟さをだぶらせるのも可能だろう――が、1979年の結成以来(ラインナップも変わりつつ)拡張•変容を重ねる「現在進行形」のバンドだからではないかと思う。

この日のライヴは、近年スタートした若手フェスの中でも成長株として評判が高いオックスフォード州開催のブティック•フェス:Supernormalに出演した翌日の、いわば「おまけのロンドン公演」。自分にとってもうひとつ魅力的だったのは、会場の側面でもあった。今からほぼ1年前にオープンして以来、少しずつギグのブッキングを増やしていて気になっていたDIY Space for Londonというワークショップ的空間で、ここをやっとこ初体験できました。なにせ自分の住まいからなら自転車で行ける距離なのだ〜。

会場入り口近くに貼ってあった本コミュニティ•スペースを説明した掲示

会場入り口近くに貼ってあった本コミュニティ•スペースを説明した掲示

観たいライヴであれば、もちろんアクセスが不便で面倒でも我慢して馳せ参じます。とはいえ、この気楽さはお尻の重い老体には実に嬉しい。東ロンドン:ドールストンに住んでいた頃は徒歩の距離に色んなヴェニューがあって楽ちんだったんだけど、今住んでいる南ロンドンには残念ながらインティメイトなロック系のハコは決して多くない。こういう風に終電時間等々を気にせず楽しめるカジュアルさは久々の体験でリフレッシングでもあり、かつ、この日は夕方/夜の2回公演だったので午後4時開演のマチネ•ショウをチョイスできた。おかげで小中学生な子供を持つ同行者たちは娘や息子連れで「親子ライヴ」を楽しめたし、とあるカップル客は生後2、3ヶ月の赤ちゃん(もちろんヘッドフォン着用でガードされていました。全然泣かないニコニコ•ベイビーで、親御さんも安心してライヴを楽しんでいた)&乳母車持参で観に来ていた。

こういうファミリー客の光景はロック世代の高齢化に伴いフェス等では増えているとはいえ、ライヴ•ハウスではなかなか観れないものだろう。以前、Kレコーズのキャルヴィン•ジョンソンに取材した際にそのまま同日の彼のライヴも観させてもらったのだが、あれは地元の公民館を使っての「オール•エイジズ•ショウ」(保護者同伴であれば18歳未満の子供も観に来れる)だったのを、ふと思い出した。学校主宰の「軽音楽クラブ発表会」みたいなのももちろん大事だけど、子供世代がプロのショウをじっくり楽しめる機会があるってのはいい話ではないだろうか。そもそも、今のキッズがロック•ミュージックに触れる接点そのものが日常的に少ない状況なんだし。

このDIY Space for Londonは、普段はアーティストや活動家のコミューン型拠点&ヴォランティアが運営するイベント空間として機能している。なのでギグのチケットを予約する際、いちおう「クラブ会員登録」を求められる。手数料は2、3ポンド。立地もなかなか変わっていて、南ロンドンの一角:デプトフォードの外れの公団群を越えたところにある、工業地帯の倉庫群のひとつをスタジオ/ヴェニュー空間に改装している。少し前に東ロンドン:ハックニー郊外にあるBloc.でライヴを観たけど、あそこも同様のインダストリア〜〜ル!なエリア(=周囲には倉庫、工場、高速道路以外な〜んもない)にあるクラブだった。ロンドンの中心ゾーンは家賃が高く、インディ/アンダーグラウンド系音楽のヴェニュー運営は難しくなっている。ゆえに会場は郊外へ、郊外へと拡散しているようだ。ソーホーからのライヴ会場やレコ屋の撤退はもちろんのこと、東ロンドンですらファブリックの閉鎖、カウンター•カルチャーの匂いたっぷりなPassing Cloudsも苦戦と、ナイト•ライフや社交の場が締め出される傾向は感じる。んなわけで、こうした僻地エリアにもいずれ再開発の波が迫ってくるのだろうけど、その数年の隙を縫って、クリエイティヴな空間を造営している人々はいるわけです。

この日のライヴのフライヤーも含め、様々な告知。他に「バンド•メンバー求む」「フラットをシェアしませんか」などの張り紙もあり。ネットの情報流通力が今は基本だろうけど、ここは草の根なコミュニケーションの場になってもいるようです。

この日のライヴのフライヤーも含め、様々な告知。他に「バンド•メンバー求む」「フラットをシェアしませんか」などの張り紙もあり。ネットの情報流通力が今は基本だろうけど、ここは草の根なコミュニケーションの場になってもいるようです。

子供も大人も自転車のプチ集団で、会場に到着。同行者は「ちょっと胡散臭いエリアだな、盗難が怖い」と通りに駐輪するのをためらっていたが、会場内には(当然のごとく)駐輪ラックが提供されていて、ひと安心。驚いたのは、入り口近くに小さなレコード店:Tome Recordsが入っていたこと。アナログ•オンリーの品揃えはパンクを中心とするDIYなインディ•ヴァイナル群に中古のロック、前衛、ジャズ、ワールド•ミュージック、ヒップホップ等、西新宿のマンションの一室型レコード店を思わせる規模の店内をぎっしり埋めている。マニア向けなショップではあるけれど、そもそもこのDIY Space自体が特化した空間であり、一見客や買い物客、観光マネーを呼び寄せる要素はゼロに等しい。だったら、これくらいポリシーのある/専門性の高いショップを目指す方がむしろ正解だと思う。

開演まで時間があったので、会場のロビー•エリアの一角にあるラウンジのソファでひと休み。設置された本棚の寄付と思しき様々な本に混じり、かなりの数のMaximum Rock ’n Rollのバックナンバーがあったのでパラパラ閲覧。ソファの上には充電中のiPhoneだのスタッフのトート•バッグやジャケットが置きっぱなしになっていて、暢気というか不用心というか、なんというか(笑)。しかしこれだけオープンだと、逆に「盗もう」という気が失せるのかもしれない。

ラウンジの向かいにはバー•カウンターがあり、安い缶/壜ビール/クラフト•ビールを中心にしたメニューが並ぶ。フードはスナック(クリスプスetc)程度だったが、カップラーメンも販売していたのは変わっている。「許可の都合により酒類販売は午後6時から」とのことで、酒なしのライヴが苦手なイギリス人客の多くは時間を持て余していて、ちょっと可哀想だった(とはいえ開演が押したので、結局みんなお酒にありつけていましたが)。

壁を隔てた会場エリアを探検。ライヴだけではなく多目的イベントに使われる200人くらいは入りそうな手頃なサイズで、ステージが低いのもコミュニティ•スペースっぽい。ラウンジ•エリアにあるコミュナルなベンチ群にふと目をやると、ジ•エックスの面々がライヴ前の腹ごしらえをしていた。しかも、スーパーマーケットかどこかで買ってきたと思しき、「レンジでチン」と温める式の簡易レトルト料理。周辺は倉庫&ちょっと歩いても人家しかない=外食が難しそうなエリアなので仕方ないとはいえ、彼らのように(おそらく)手弁当でツアーを組んでいるインディのアクトは贅沢はできないのだろう。とはいえテーブルにはしっかり赤ワインのボトルがあり、「やっぱヨーロッパのバンドだなあ〜」と、妙なところで納得したり。

ソロのサキソフォン奏者の前座――インプロのフリー•ジャズ調&多彩な音色を楽しめて悪くなかったが、ストローを吹いて立てるようなゴボゴボ音は、小学校で習わされたリコーダーやピアニカ演奏(楽器演奏が下手なので毎回苦労させられた)と、楽器の管内にたまった唾液(今考えると、結構不衛生)のプチ•トラウマを思い起こさせて、あまり嬉しくなかった。

しばしのセット•チェンジとなり、知人連とビール/タバコ休憩(彼らの子供たちは、持ち込みのスナック菓子をむしゃむしゃ)。前座の段階では場内は5割程度しか埋まっていなかったが、真打ち:ジ•エックスの登場時にはばっちりフル•ハウス。スタンディングなので子供たちは①がんばって前に陣取る②後方で肩車:のふたつの選択肢になるので、我々一行は②をチョイス。とはいえ車椅子客向けのランプがあり、そこに混じって観ている子供もいました。

しょっぱなからガチンコな演奏で、飛ばしまくる。このバンドはメロディックな「歌」よりも、むしろグルーヴ/サウンドの一体感溢れる演奏で聴かせ、ぐいぐいノせるタイプ。その意味で、楽器編成はロック•バンドとはいえ、受け取る印象は民族音楽やお祭り音楽にむしろ近かったりする。なので、たとえ彼らのディスコグラフィに精通していなくても(自分もそうです)、ライヴ•ミュージック=その場で展開する音の動きとメンバー間の以心伝心がもたらす醍醐味には感電するはず。

中年のおっさん&おばさんがパッショネイトに演奏しているだけで、ヴィジュアル面の派手さはゼロ。ノイジーというほどではないにせよ、1曲の中に長めなインストが混じりもする。なので「集中力に欠けると言われる今の子供には退屈かなぁ」とやや不安で、演奏中も「大丈夫?」とたまに声をかけて様子を見たり、柄にもなく保護者チックに振る舞っていた。しかし12〜15歳のキッズも身体を揺らしながら楽しんでいて、終演後に感想を聴いたところ「かっこよかった!」「面白かった!」とのこと。涙。

また、音楽は好きだけどジ•エックスのことはまったく知らず、「近所だし、家族連れで行けるからトライするか」ということで足を運んだ大人の知人連も、2分台の秒速パンクではなく押し/引きを見計らいつつじっくりビルド•アップしていく楽曲の構成やアラブ〜バルカン風からジャズ、レゲエまで様々なエレメントを混ぜ込んだ音楽性を楽しんで踊りまくっていて、汗と笑顔を浮かべていた。ナイス。

即興やジャズは「その場、その時、その空気」が非常に大事な音楽だけど、ジ•エックスもまた、そういう古風なミュージシャン集団なんだと思う。もちろん、録音された音源や流布したイメージを忠実に再現する/なぞるタイプの「ライヴ」をけなすつもりはないんですよ。それはそれで支払ったお金=代価に見合う「エンターテインメント」なわけで、すっきりした収支を求める人々のニーズは当然であって、そこは否定しませんし。また、ジ•エックスのレコーディング作品を「悪い」と言うつもりもない。

けれど、この人たちの真価やエネルギーを味わいたければ――やはりライヴで体験するのがベストじゃないだろうか。名手スティーヴ•アルビニも彼らのレコーディングを手がけてきたけれど、それでもやっぱり、演奏する側のコンディションの違いはもちろん、個々人の主観的な経験やライヴで心に焼き付いた「絵」というのは、録音音源を聴き返すのとは別物なんです。

何が正解で何が間違いか、という話ではない。ただ、ジ•エックスは「1回観ればそれでOK、消化•理解できる」という連中ではなく、3ヶ月後に観ても、3年後に観ても、発見や驚きがあってワクワクさせられる――そういう風に、変化し続けている人たち。なので、このライヴに一緒に来てくれた、目下のところ「Finding Dory」や「Dr. Who」、「Deadpool」に夢中な小•中学生たちが大人になったいつの日にか、「子供の頃に観たっけ」という思い出をきっかけにジ•エックスと再会しそこで新たな感動を掴んでくれたら最高だなー、と思う。

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Beat of My Own Drum: 89.Bob Dylan


今回は大御所の登場〜。というか、色々あってコーエン兄弟映画を観返しているところでして:「The Big Lebowski」と切っても切り離せないこの曲、改めてじーんと心にしみたのでアップします(最初に観た時はあまり深く考えなかったんですけどね。歳だなー)。

テンションのほつれとでもいうのか、ある種の狭間期にあったボブ•ディランのガードが緩い感じがいいなあ、と。ザ•クラッシュがカヴァーで取り上げたのもすごく納得。

<映画の印象的なオープニング•クレジット。美しいですねー。このヴァージョンは少々カットされているので、気になる方はこの曲を収めたオリジナル•アルバム「New Morning」にトライくださいまし!>

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Beat of My Own Drum: 88.Davy Graham


珊瑚色の夕焼け雲が、数分後には色を変え、空に横たわる大らかなクジラに見えていた…なんていう、秋らしい風情が深まっています。朝晩の爽やかな空気もこの時期ならではですが、そんな気分にぴったりのブリティッシュ•フォークの逸材:デイヴィー•グレアムの曲。

<〝めくるめく〟という形容がぴったりなパフォーマンスです>

これはご存知、ジョニ•ミッチェルの代表曲のひとつなんですが、収録された名作アルバム「Large as Life and Twice as Natural」のジャケットを眺めたところ、デイヴィーはジュディ•コリンズ版を聴いてこの曲をカヴァーすることにしたんだとか。そちらとはアレンジも唱法もムードもかなり違う解釈で、若い頃にモロッコ他を旅したこともあったというデイヴィーの音楽的な引き出しの多さを感じます。ジョニのヴァージョンももちろん素晴らしいんだけど、この流れ行く雲のような滑走感はどこか浮世離れしたスナフキンなキャラ(バート•ヤンシュといった同輩フォーク勢の生真面目な「学徒」的姿勢からは、やや逸脱したところにいる。ユーモラスな「軽み」があると思う)というイメージの強い、デイヴィー•グレアムならでは。

しかもこのヴァージョンでは、最初のヴァースを「ムムム〜…」というランダムなハミングとラーガ風な2分以上のオープニングに集約していて、肝心なはずの「歌」の部分は第2ヴァースからスタートする仕組み。自分の好みで勝手にジャズ•フォークに編集しちゃってるわけですが、こういうのこそ、カヴァーの優れたマナーではないでしょうか? にしても、ジョニのメロディの感覚はすごい。動きがアクロバティックなのに自然に聴ける。

そんなわけでリピートして聴いているんだけど、このジャケのイラストそのものも、デイヴィーの放埒なそれまでの半生や、その動きを通じて彼が拾ってきた様々な影響(中東、インド音楽etc)を絵で集約しているようで印象的。そこでイラストに署名されたDavid Ansteyという名前をチェックしたところ、あれまー、この人はムーディ•ブルースの出世作「Days of Future Passed」のイラストを筆頭に、デラム/デッカにおいて(おそらくハウス•デザイナーとして)サヴォイ•ブラウン、メロウ•キャンドルなんかのジャケを手がけてきたらしい。そう思うと、自分の知らない/気づかないところで、サブリミナルな影響は受けているのかもしれないなぁ、と思った次第。それでもやっぱり、自分はムーディ•ブルースはハマれないんですけどね。ごめん。

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Beat of My Own Drum: 87.Yo La tengo


まだ「秋に聴きたくなる音楽」を考えているところだったりしますが、今回は定番中の定番ということでヨ•ラ•テンゴ。「それは、彼らの曲の〝Autumn Sweater〟からの連想じゃないですか?」と突っ込まれればその通りかもしれませんが、夏の余韻にかすかな肌寒さの混じってくるこの時期には、「Electr-O-Pura」や「Painful」のフォギーなリリシズムが似合う気がします。

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TV round up: Line Of Duty/Series 3


ここしばらくのテレビ鑑賞録、今回取り上げるのはBBC発の人気警察ドラマ「Line Of Duty」の第3シリーズ。イギリスでのオン•エアは今年の春先だったのでちょい懐かしくもあるのですが、既に制作にゴー•サインが出ているという第4シリーズには人気女優タンディ•ニュートンが出演するとの情報も流れてきたこの機会に、第3シリーズを振り返ろうと思います。可能な限りネタバレは回避するつもりですが、大まかなあらすじ他の「前情報」は一切知らないままに留めておきたい…という方は、スルーくださいまし。

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当ブログでは、本作の単独のエントリーは第2シリーズ(2014年)からだったはず。その際も書いたんだけど、第1シリーズは自分にとって「キャスティングは優秀なのに、ストーリーに無理があってどうも…」という印象で、いわば残念賞な作品だった。警察内の汚職や不正を摘発する部署:AC(anti corruption)−12の特殊さを伝えるべく描写がリアリティ重視なぶん、筋やキャラの動きの大胆な飛躍についていきにくかったのだ。

それだけに第2シリーズの登場には「あら、そんなに人気があったんだ」と驚かされもしたのだが、この第2シリーズが軽いテレビ現象に化けるヒット作になったことで箔がついたというか、第3シリーズはいよいよ「満を持して」の登板。尻上がりに上昇した評判や各種賞ノミネート&受賞にあおられキャッチアップしたファンも増えたところで、放映前の期待値はこれまでで最大だったはずだ。脚本、演出、演技ともに期待に応えるパワフルな内容だったのはもちろん、各シリーズのメイン•ターゲットになる犯罪とは別の、3シリーズを通じて存在してきた/それらを繋いできた、よりビッグな背景ストーリーの曲線も浮かびあがってくる。

本作の主役に当たるAC−12という部署は職務の性質上身分秘匿捜査を行う専門的なユニットであり、警察内部においては「嫌われっ子」な煙たがられる存在。だからだろうか、「Line Of Duty」にはどこか日陰なイメージ/負け犬の悲愴さ、みたいなものがついてまわる。負け犬ってのはオーバーな表現かもしれないけど、警察=体制側の歪みや偏見、不祥事、誤捜査等をもみ消す報道を現実の中で目にする状況で―−もちろん、そうした報道が「ネガな面に光を当てる」のにバイアスがかかっていて、日常的で大多数を占めているはずな警察の「ポジな行い」が見過ごされているのだろうな、とは思いつつ――AC−12がどこまで真実にリーチし、悪を裁きの場にまで引きずり出すことができるのだろうか?と、ついペシミスティックになってしまうんですよね。やっぱり、なんだかんだ言っても、芋づるのように長く根を張った巨悪という「長いもの」に巻かれちゃうんじゃないか?と。

「長いものに巻かれちゃったけど、でも自分たちはやれるだけのことはやった。妥協もあったけど、がんばったじゃないか」的なやや玉虫色な解決というのは、これまでも社会派ドラマや刑事もの映画で使われてきた手法だったりする。100%の全滅は無理だけど、その一角は突き崩して致命的なダメージを与えたんだから、ゼロよりはマシ――たとえば警察と犯罪組織双方にそれぞれの「スパイ」が送り込まれ、その正体を突き止めるべく罠や裏切りにあふれた複雑なデッド•ヒートを繰り広げるスコシージの「The Departed」も、そういうロジックの作品だった。煮え切らないとはいえ、スカッとさわやかな勧善懲悪がなかなか起きない灰色な今の世界を思えば、現実的な対処という意味では観る側も納得できる、「あり」なドラマの終わり方ではある。

<「The Departed」予告編。なんと、この作品ももう10年前なんですね〜!>

だがこの第3シリーズは、そうした自分の中にある悲観的な見方を覆してくれたという意味で新鮮だった。頭が見えないほど長いヘビの尻尾というか、あるいはぬるぬるした触手で締めつけてくるタコというのか、手を変え品を変え迫ってくる「黙殺」への政治的な圧力やパラノイアの霧をはねのけながら、ジリジリと少しずつ真相究明に向かうAC−12の姿が描かれている。

「ジリジリと」と書いたものの、起伏に富んだストーリーや「あっと驚く」仕掛けはシリーズ全体の随所に仕込まれているので、「続き物なドラマ」としては決して地味ではない。サスペンスな展開に毎回手に汗握って観たし、「続きは次回」で悶絶しましたしね。ただ、主人公達が標的に向けて徐々にコマを前進させる展開に快感を覚えると同時に、常に「でも、最後はやっぱり悪が勝ってしまうのでは? まんまと逃げられちゃうんじゃない?(それも仕方ないよね…)」という悲観の可能性も漂っていて、その一進一退のスリリングなバランスを最後の最後まで維持したのは見事だった。観ている側には知らされている事実やからくりの壁に突き当たって捜査が難航するたび、「騙されちゃダメよ!」「負けるなAC−12!」と画面に向かってシャウトしたくなってしまう。

というわけで、本シリーズのストーリーも過去2シリーズに負けず劣らずこんがらがっております。第1シリーズでは悪徳警部と犯罪組織の癒着、第2シリーズではその犯罪組織を裏切った証人の「口封じ暗殺」をめぐる謎が物語を始動させる「歯車」になっていたが、今回その役目を担うのはドラッグ犯罪の検挙に参加した武装警察隊が起こしたとある殺人事件。キーを握るキャラを演じるのが映画をメインの活躍の場にしている実力派ダニエル•メイズ(マイク•リー作品他)というのは嬉しかったし、本ドラマの人気場面とも言える尋問シーンの心理攻防戦をばっちり堪能させてもらった。

この不審点の多い事件(不祥事)を捜査すべくAC−12の核になる3人=スティーヴ•アーノット、ケイト•フレミング、テッド•ヘイスティングスが動き出すのだが、捜査の進む中で事件は更に発展&思わぬ方向へと拡大。その一方で第2シリーズで起きた事件の余波がAC−12にも及び、いちおう「主役」なはずのスティーヴが四面楚歌な状況に。内部特捜班の存在自体をも揺るがしかねない局面を迎えた彼らは、全シリーズ中でもっともあやうい「綱渡り」を強いられることになる。

しかも、ニュアンスに富んだ演技や演出の巧みさで、「この表情とセリフはこういう意味だったはずだけど、もしかしたら違う解釈も成り立つ?」、「この場面の、この人のこの行動は、どう解釈するべき??」と、画面の隅々から役者の表情筋まで、観る側もパラノイア菌に浸食されてしまうのか、いちいち油断できない。よく考えると物語の中のアラや穴はいくらでもあるんだけど、細かなテンションの連続で乗り切れてしまう。

それらのあっと驚く展開とスリリングな描写の数々についての詳述は、ここでは避けます。ただ、これまでこの作品に登場してきたキャラやプロットが様々な形で再浮上するので、もしも本シリーズを観る機会があるとしたら、その前に第1&2シリーズを「復習」しておくことを強〜くお勧め。プラス、今回は女性キャラ連の活躍が過去以上に印象的でもあった。第2シリーズにしてもリンジー•デントンという強烈な女性キャラが引っ張っていたわけだけど、今回はひとりにスポットライトを当てるのではなく、大小様々な役柄のキャラがそれぞれに見せ場を与えられ、いい味を出している。

それが「女性役者の役柄をもっと増やそう!」的な昨今のフェミニズム〜PC風潮に対する「応急処置」としてではなく、作劇の中にオーガニックに溶け込んでいる…と思えるのは、ひとつには、このドラマがヒーローあるいはヒロインといった個人のカリスマやパワーに寄りかかることがない、組織や仕事場を共有する人間たちの集団劇としてデザインされているからだと思う。

先にも書いたように、マーティン•コンプストンの演じるスティーヴがいわゆる本作の「主役」に当たる感情移入しやすい存在であり、試練を越えて彼が人間として/刑事として成長していく過程は全シリーズの通低音として鳴っている。それを追うのも、このドラマのひとつの見方だろう。が、彼以外のメイン•キャストもはまり役&葛藤があり複雑な思惑があり成長の余地がありサヴァイヴァーであり、単なる「壁紙」ではなく、心や血肉の備わったキャラとして描かれている。ゆえに、たとえスティーヴの出番や活躍シーンが減っても大丈夫、バックアップ勢がきちんと対処して面白くドラマを進展させてくれる。

この作品のエモーショナルな根幹として「信頼」というのがあると思うけど、文字通り、ここでは制作者とキャスト側の間に培われた信頼や絆――「自分のセリフが少ない!」等々のクレームは、エゴの大きな「非チーム•プレイヤー」なら言い出しかねない文句だろう――がプロダクションにまで浸透している、というか。その意味で「Line Of Duty」は、いちいち味のあるキャラの集団(主要キャラのすべてを使ってスピン•オフ作品が作れると思う、マジに)が独自のハーモニーを見出し共闘する名作「The Wire」に近い、「ビートルズ型」のカタルシスを備えている、と言えるかも。いやもちろん、ひとりの声で続いていくボブ•ディランも好きなんですけどね。

もうひとつの点は、これはネタバレにも通じるのであまり細かく触れませんが――最終的に、女性の強さと正義感が大事になってくる、ということ。それを声高に主張するほど野暮なドラマではないし、第2シリーズにも明らかなように、「女性の中に潜む悪、狡猾さ」も描いてきたドラマではある(今回も、したたかな女性悪役が登場します)。しかし、過去数年のイギリスで取り沙汰されてきた実際の事件/一連のスキャンダルが本シリーズの物語面でのインスピレーションのひとつになっているのを思うに、女性がクローズ•アップされるのはとても自然に映った。

…と、なんか、曖昧かつもったいぶった言い方ですみませ〜ん。でも、ここを丁寧に説明すると観る面白さが減ってしまうのですよ:なので、できれば実際に観ていただいて、その上で「ああ、そういうことなのね」あるいは「的外れな意見だな」でも、まあ、なんでもいいんですけども、それぞれにご判断いただければ。そうやってお勧めするだけの価値はある、骨のある作品だと思います。

本稿冒頭でも書いたように、このシリーズは人気上昇を受け、既に次シリーズも企画されている。しかしこの第3シリーズを観て感じたのは、ひとつの大きな物語が終結したなという充足感だった。第1シリーズにノり切れなかった人間としては、「作者であるジェッド•マーキュリオは、最初からこの長いスケールを想定して書いていたのか!」と感心させられもした次第。

本ブログのテレビ感想ポストでよく書いている話だけど、連載漫画同様、テレビは「人気が出なかったら打ち切り」の憂き目に遭うメディアだと思う。隠れファンが存在していても、視聴率次第でカット。ゆえに、仮に不発で10話で終わってもそれなりにオチのつく設定を用意しつつ、はずみでヒットしたら連載継続も可能な仕掛け=主役や悪役が完全には死なない、等の余地/言い訳をどこかに残す…というのは、制作者側にしてもやりにくそうだ。たとえ初心はピュアでも、シリーズ化してキャラや話を水増ししていった結果ルーティンに陥り、面白くなくなっていったケースもあるわけで。

でも、こうして3シリーズ観終えて、冷静にプロットだけを追うと観る人間を翻弄し続ける入り組んだ迷宮とも言える(指摘しようと思えば矛盾も結構多いですし)「Line Of Duty」には、問いかけたい最終的な「標的/テーマ」がちゃんと存在していたのだな、と感じた。次シリーズもそうした大きなテーマを根底に据えてほしいものだし、硬派な作家ジェッド•マーキュリオには、警察組織を通じて描きたいストーリーはまだあるはず。で、その新たなテーマ追求のために、3シリーズの主役であるAC−12班の顔ぶれを一新するくらいの思い切った決断もありではないか?と感じる。

マーティン•コンプストン、ヴィッキー•マクルーア、エイドリアン•ダンバー三者の息の合った演技〜疑似家族的な絆は本ドラマの見どころのひとつなので、恐らく彼らが降板することはないだろう。いずれも好みな役者なので、3人の共演は自分だってまだまだ観たいですし。ただ、ドラマの全体図を眺めると、主要キャラクターたちの成長•変容は今回でひとつのサイクルを閉じている。彼らが引き続き次なるサイクル〜難事件に足を踏み入れるのももちろんありとはいえ、敢えて人気キャラたちには「卒業」してもらい、次シリーズで異なる役者陣や力学、アングルを通じてフレッシュな物語を一から作り出してくれたら面白そうだ。評価している作品だからこそ、人気に寄りかかって安住してほしくないんです。

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お知らせ:プリンス追悼ムック


今回は業務連絡です:
河出書房新社さんより、去る4月に世を去ったプリンスと、その足跡をたどるムックが刊行されます(明日=8/29発売)。題して、「プリンス 紫の王国」。刊行データ等の詳細は、こちらのリンクからチェックくださいまし。

当方も拙稿を書かせていただいています。そう言いつつ、私も出来上がったムックは読めていないので全体像は知らない=見本誌が届くのを楽しみにしているところ、だったりします。ジェフ•ミルズの発言が気になる〜。

ほんと、プリンスって、それくらいいくらでも切り口のあるアーティストだったので。プリンスが気になる方は、書店等で目にしたら是非、手にとってみていただければ、と。コアなファンももちろんですが、「プリンスって、何かと騒がれてるけど、どうなんだろう?」という方に、その奇妙な世界に興味を抱く/足を踏み入れるきっかけになってくれれば幸いです。

というわけで、おまけのYouTube映像。「LOVESEXY」ツアー時の映像と思われますが、三銃士みたいなコスチュームで踊り、歌い、ファンクからブルースまでギターを自在に弾きこなす姿は、ほんとワン•アンド•オンリーだなあ、と。素敵すぎる。この映像もうかうかしているうちにすぐ下ろされてしまうかもしれないので、今のうちに鑑賞ください。

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