お知らせ:K-PUNK


今回は業務報告です。

まずは、当方が翻訳で参加させていただいた、故マーク・フィッシャーのブログ投稿・各種メディアへの寄稿・対談・草稿などを集めたアンソロジー本「K-PUNK」の本/映画/ドラマ篇が出版されました。

メディア/文化/政治批評家にして思想家でもあったフィッシャーの基盤ともいえる、ブロガー時代の文章を中心にした内容で、英語版原書は辞書並みの厚さですが、日本では3冊に分冊の形で翻訳刊行されます。

今から20年近く前のブログポストもあり、フィッシャーの取り上げるトピックを懐かしく感じたり、あるいは評される人物がもう亡くなっていたり……と、色々な感慨を抱きます。ですがそれ以上に、今なお現在と反響し、重ね合わせることのできる解釈・文責・明察がたっぷり詰まった本であることに、驚きました。興味のある方は、どうぞ、書店でお手に取ってみてください。

そしてもうひとつ:「エレキング」さんで、ブライアン・イーノのサントラ集『トップボーイ』に関する対談に協力させていただきました。イーノにとっては初の連ドラ向けオリジナル音源集、というレアな作品の魅力を多角的に探っております。こちらも、音源&ドラマと併せてチェックいただければ幸いです。

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TV Roundup summer 2023


気がつけば、もう夏が終わりかかっている……。

本ブログも放置状態でしたが、難度が高く、格闘していた仕事がひとつ終わり、やっと軽く一息ついています。

日本は猛暑だったようです。イギリスはここ2、3年に較べると冷夏。7〜8月のどこかで、最高気温が連日30℃を越える時期が何度かあって音を上げたものですが(「日本に較べりゃその程度の暑さはなんでもない!」と怒られるかもしれませんが、基本的に住宅にエアコンが装備していない国ので、34℃とかになるとマジに逃げ場がない。溶けます)、今年はそのレベルで暑くなったのはトータルでも4〜5日程度かと。雨も多かった。

そういう気候の変化なのか、はたまた裏庭の草刈りを減らしたせいか(「Wilding」と称して、雑草や草花をなるべく放置しております。単に、怠慢の言い訳とも言えますが、自然の草花を組み込むのは、ガチガチに芝刈りしてしまうより昆虫や小動物の「生態系」には良いそうです。たしかに、今年はハチと蝶をたくさん見かけました)? この夏は1ヶ月ほど、庭で初めて、コウモリを見ました。

最初は、「もう夜なのに、なんで鳥が飛んでるんだろ?」と不思議だったんですが、眺めているうちに「飛び方が鳥ではない」と気づきました。
同じエリアを、滑空するように何度もピュンピュン、実に軽やかに往復している。てなわけで、庭に出て観察したところ、わおっ! たしかにコウモリだ! 淡い青の夜空に、バットマンの通りの、あの羽根の形が見えました。


コウモリ自体は、子供の頃に見たことがある。通っていた小学校の校舎が非常に古くて、音楽室の壁の中にコウモリの巣があった。掃除で、その死骸を発見して、みんなでビビったもんです。
それ以来だし、しかも生きてるコウモリを見たのは初めてなので、プチ感動。というか、毎晩同じ時間帯(午後8時半〜9時頃)に出没しては華麗な「バットダンス」を見せてくれるので、しばらくの間、夜ごとに窓際に座って観察を楽しませてもらいました。大きめのコウモリとやや小さいコウモリの二羽が飛び交っていて、オスとメスのカップルなのか、はたまた親子か?と想像を働かせたり。あの時間帯に飛び回る理由は何なのか?と不思議でしたし(捕食のためなのか? そう言えば、今年は蚊にあまり悩まされなかったが、これもコウモリさのおかげ??)、しかもかなり低空飛行するんです。庭に出て眺めていた時に何度も、目の前10センチ近くを突っ切られて、びっくりしました。
それ以上に、「このコウモリたちはどこから来るのか?」が最大の謎。うちの裏庭はすぐ横に木立があるので、そこに巣食っていたのかもしれないし、もしかしたら建物の上階の煙突部に巣があるのか……どこからやって来るのかを突き止めようと思いましたが、無理でした。今はもう、ダンスしに来ないんですが、コウモリたちはどこに行ってしまったんだろうな。

という、些細なネイチャー話はさておき、今回は、ここしばらくのテレビねたをまとめて。面白かったものを中心に、雑感を綴っていきます。(なるべく、ネタバレはないように気をつけます)。

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●Slow Horses/season1&2(Apple TV)
●The Gold(BBC)

『Slow Horses』はミック・ヘロンのスパイ小説「Slough House」シリーズのテレビ化。原作は読んだことないんですが、本屋でベストセラー棚に並んでいたのは、うろ覚えしている。なんで見ることにしたかは、ずばり、ギャリー・オールドマン。当方、映画版『Tinker Tailor Soldier Spy』が好きなもので(アレック・ギネス版も良いけどね!)、MI6のジョージ・スマイリーを演じた彼が、現代のMI5のスパイ・マスターを演じるとどうなる?と興味をそそられた次第です(ついでに言うと、ダスティン・デムリ=バーンズやポール・ヒギンズ、エイミー=フィオン・エドワーズといったナイスな役者たちが助演で顔を出すのも、自分的には美味しかった)。


お話は、今っぽい時事的要素(ウィッスルブロウワー、極右テロ、政治腐敗、ロシアのスパイetc)を軸とした諜報ドラマで、MI5の落ちこぼれ&問題児が集まったいわば「掃き溜め部署」であるスロー・ハウス(ドラマのタイトルの「スロー・ホーセズ(のろ馬)」はそれとの語呂合わせ)のサラリーマン的なみすぼらしさが醸す日常性と、アクションやスリルに満ちたスペクタクル場面が両方楽しめる。非常に大雑把に言えば、ジョン・ル・カレとイアン・フレミングの美味しいとこどり、とでも言いますか(もちろん、ボンド映画ほど荒唐無稽で「スーパー新兵器」が登場するファンタジーの域には達していませんけど)。
そんなわけで、スパイものにしては笑いも多めだし、リラックスして何も考えずに見る=「ポップコーン・ドラマ」としては充分楽しめる内容だと思います(プロットの穴は山ほどありますが、ポップコーンなので気にしない気にしない)。ギャリー・オールドマンの演技は、「アル中でいまだにYフロントを穿いてる、若者にいじられる時代遅れなおっさん」=「でも本当はキレ者で『ルーザー』は表面だけ」ジャクソン・ラムというキャラを、そんなに力まずに、パロディ的に楽しげにこなしている感じ。ロンドンがメインの舞台の作品なので、その昔ながらのロンドンっぽさを、ギャリーが代弁している印象もある(でも、その「昔ながらのロンドン」っぽさの描写が、なんというか教科書通り/観光客向けの「レトロ味」なのは、やや玉に瑕)。
なので、ギャリーが引っ張るというより、むしろ準主演や助演の協力で全体がリフトアップされるコラボ/アンサンブル色の強い作品だと思う。これはまあ、「掃き溜め部署」でエリートからはバカにされているスロー・ハウスの連中が、予想を裏切る健闘を見せ、事件を解決する……という、いわば『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』のスパイ版めいた構図なゆえに当然かもしれない。個人的に興味深かったのは、ジャクソン・ラムを妨害する/助ける、女性ふたり。前者はラムを敵視し彼に引っ張り回されるMI6長官ダイアナ・タヴァーナー(クリスティン・スコット・トーマス)、後者はスロー・ハウスの事務/書類整理/ラムや若僧の面倒見係のキャサリン・スタンディッシュ(サスキア・リーヴス)。別に、それは彼女たちふたりがラムをめぐって恋の鞘当てをする……という話ではなくて、単純に、80〜90年代には「ポッシュな女性」を演じるケースの多かった両者が、80〜90年代には労働者階級/悪役を演じるケースの多かったギャリーとこういう形で共演することになったのは、なんか感慨深いなと。
先述したように、英テレビ界を中心に活躍するナイスな助演級役者が各所に配置されているし、彼らのコミック・リリーフも随所でツボ。でも何より、実際の主役であるリヴァー・カートライトを演じるジャック・ロウデンが頑張ってます。顔がちょっとサイモン・ペッグに似ているので、二枚目でありつつ三枚目もばっちりこなす、というバランスを上手く切り替えている。そんな彼の演技は、『Slow Horses』のノリにはぴったりではないかと思います。

――というわけで、ジャック・ロウデンつながりで、『The Gold』。これは、1983年にイギリスで起きた実際の事件=金塊強奪事件をベースにした作品で、主犯のひとり=ケニー・ノイを演じたのがロウデンでした。別に彼が目当てで観たわけではなく、評判が高かったので観てみたところ、「あらあら、また彼だわ!」とびっくりした次第。売れっ子なんでしょうね。でも、『The Gold』でのロウデンの役柄は、リヴァー・カートライトのそれとは正反対の、冷酷で誰もが嫌うとことんヴィラン。彼の役者のキャリアにとっては、こういう「振れ幅」が大事なのでしょう。

ドラマのベースになっているブリンクス=マット事件は英国史上最大の強盗事件だそうで、当時大騒ぎになったのはもちろんのこと、実行犯たちが捕まった後も、「3トンの金塊」というシフトしにくい物品をマネー・ロンダリングしていく過程で協力した/影で暗躍した様々なネットワーク(ギャング、一般人、司法界、政界etc)や、その余波=コラテラル・ダメージも浮き彫りになったらしい。なので、金塊強奪の「事件」そのものはドラマでは割りとすぐに置き去りになり、焦点はこの事件に関わった色んな人々――警察側から犯人側まで――の「その後」やコンスピラシーの数々にシフトしていく。
だからといって退屈ということはなくて、逆に見応えがあったと思うし、当時の報道やリサーチを基に(脚色も含めて)再構成しただけに、要点もキビキビと絞られていた。ショーン・ハリス、アダム・ナガイティスをはじめとして「小粒でもピリリと辛い」助演勢も良かったけど、一番印象に残ったのは、犯罪グループのメイン役のひとり、ジョン・パーマーを演じたトム・カレンだった。彼の役柄は、80年代イギリスの「成り上がり/弱肉強食」エソスを体現するキャラのひとりなんだけど、ジャック・ロウデンが――ダサいカツラや衣装で「当時っぽさ」をばっちり醸したものの――どうしても「根が良さそうな地の人柄」が出ちゃったのに対して、彼はマジにこの、複雑で理解しがたいジャック・パーマーというキャラを演じ切っていたと思う。あと、事件の捜査主任を演じたヒュー・ボネヴィルも、いつもよりも厳しくタフ、権威的な役柄を演じることで、逆にいい味出してた。
トム・カレンの出世作『ウィークエンド』をまだ観ていないので、観た方がいいかもしれないなぁ。あと、ドラマ2作で気になったので、ジャック・ロウデンのバイオをチェックしたら、ああ、この人は、『ダンカーク』に出ていたではないか! ノーラン常連勢とマーク・ライランスとフィオン・ホワイトヘッドばかり追っていたので、全然記憶に残ってなかった(笑)。にしても、この大量の金塊はロンドンのどこに吸収されたんでしょうね??

●Succession/season 4(HBO)
●The Bear/season 2 (Hulu)
●The Last of Us (HBO)

うがぁ〜〜っ!というわけで、『Succession』がフィナーレを迎えてしまいましたぁぁ……ここ数年、最も楽しみにしていたドラマだったんで、とても悲しいっす。ですが、ここで完結してくれたのは正解なので、その意味でも――人気・評価が高いからといって、無駄に延長しない潔さも含め――やっぱり、最後まで愛せるドラマだった。ありがとう。


『Succession』は、最初から観ていない人に向かってあれこれ説明するのが楽ではない作品なので――メインとなる、メディア界の億万長者一家=ロイ一家の複雑極まりないファミリー力学・政治がお話のキモです――あまり深く書きませんが、短いタイムラインの中で、刻々と変化する状況を可能な限り吸収・反映しつつ見応えのある人間ドラマを生み出すと共に、着実にフィナーレに向かっていった手腕は見事だと思う(「短いタイムライン」と書いたのは、この最終シーズンは、1話がほぼ1日に相当する構成だから。でも、嘘みたいに1話1話が濃い!)。
脚本のキレはまったく鈍っていないし、いくつかのエピソードで展開する痛過ぎて観てられない場面(『Succession』にはいくらでもあるけどね)、度肝を抜くストーリー・ライン、どう転ぶか分からなくてハラハラさせられる展開、ビジネス界のシビアな駆け引き、ナイスな海外ロケ等々、毎回手に汗握らせた。このシーズンは、目を引く「ゲストのカメオ」で盛り上げる場面は少なかったとはいえ、そんなの全然気にならないくらい、メインのロイ家と彼らの周辺人物をメインに話を掘り下げたのは、完結編にふさわしかった。かつ、悲しみや喜びや怒りや恐怖といった機微はさりげなくも、しっかり随所でフォローされていて、そうした微妙な色合いをキャッチするのも本当に楽しかった。これは、『Succession』の出演者が、みんな、本当に「上手かった」からなんですけども、このシーズンではマジに、キエラン・カルキンとサラ・スヌーク、マシュー・マクファイデンが冴えてた。「ロイ家の連中は、みんなスーパー・リッチなバカ野郎だから、同情・共感する余地はない」みたいな論説も目にしたし、それはもっともなんだけど、このドラマとエンディングの苦さを観て「(ここまでの犠牲を払ってまで/人間性を失ってまで)スーパー・リッチになりたい」と思う人はいないんじゃないかと自分は思うし、そここそがこのドラマのポイントだったのでは。HBOは基本的に贔屓なので、バイアスかかってる意見かもしれないけど、『Sopranos』、『The Wire』、そして『Succession』と、これだけ夢中にさせてくれるドラマを作ってくれるのはリスペクトです。

気に入ったシリーズをフォローする……という意味では、昨年のドラマの中で最もハマった『The Bear』の新シリーズもとても良かった! というか、イギリスではプロモ不足というんですかねー、第2シーズンのオンエアがアメリカ本国よりやや遅かったんで、アメリカでのOA時の反応をネットでチラ見して、「うわ、もう次シリーズの登場か!」と気づいた感じ(それに気づいて、慌てて、色んな類いのスポイラー記事を回避しました)。HBOは、イギリスでもあまり時間差なしに最新エピソードが観れるんだけど、Huluやディズニーはイギリスでの「正式な公開」までに時差がある。英語なんだから、そのままアップしてもいいんじゃないの?と思うけど。(でも、最近ふと思ったんだけど、『Succession』も含めて、アメリカのドラマも、イギリスに簡単に浸透しなくなってる感あり。気に入りそうな友人にさんざん勧めたけど、『Succession』も『The Bear』もまだ観てない、というケースは多いんだよな。それくらい、ドラマとか映画のアウトプットが多過ぎてついていけない、みんな「FOMOも気にしない、いずれキャッチアップする」というノリになってる気もする)。
そうした雑事はともあれ――『The Bear』は、ずばり、第2シーズンも秀逸でした。ぶっちゃけ、第1シーズンが、あれはあれで見事に完結した内容だった――現代の「おとぎ話」の一種として――んで、「さて、あれを、どう拡張するんだろう?」と不安もあった。あのままで、終わってくれてもよかった。
で、その「拡張」は、主役のシェフ:カーミー(ジェレミー・アレン・ホワイト)の仕切る「伝統のある食堂(いわば町中華)」が、「グルメなレストラン」に変身する過程に沿っていて、その展開自体は、実はちょっと残念ではあった。もちろん、カーミーが「一流シェフ」なのは前提なんだけど、それって余りに「ミシェラン目指せ」型の下克上だし、メイクオーバーしなくても、庶民的な食堂なり寿司屋なりそば屋のオリジンを維持しつつも、「美味しくて、こだわりもある、素晴らしい店」と評価されるのは可能だと思うし。でもまあ、「ドラマ」の場合、目に見える形で変化がないと、視聴者を納得させられないのかもしれません。かつ、そもそもカーミーのお店のあるエリアが庶民的なので、「こんな上品なレストランに転身しても、どれだけ日常的な売上があるのだろう?」とも、思ってしまうわけです。
でも、そういうあれこれの懸念をすっ飛ばすだけの様々な工夫とエネルギーが、『The Bear』の第2シーズンにはちゃんとあった。そのひとつは、主役のカーミー――ジーン・ワイルダー似のジェレミー・アレン・ホワイトの神経質な演技は、まさに当たり役ですな――だけではなく、第1シーズンで視聴者が肩入れした/共感したキャラのそれぞれに、なるべく均等にスポットを当てているところだと思う。カーミーの抱えているメンタル面での諸問題も掘り下げているけど、今回はシドを筆頭に、マーカス、ティナ、リッチーら、サイドで光ってきた面々に、更に光る場面が与えられているのが嬉しいっ。
特に、マーカスとリッチーの「目覚め」の場面で個人的にナイスだったのは、両者が修行のために送り込まれる「現場」――どちらもカーミーの個人的なコネで実現した一種の「弟子入り」――で、彼らを教育する立場のキャラを演じるのがウィル・ポールターとオリヴィア・コールマンだったところ。いずれも英国人で、まあ、ある意味、「アメリカ人よりも厳しくて規則にうるさい」、グルメ界の「ヨーロッパ=伝統系」シェフのステレオタイプとも言えるんですが――たとえばの話、このふたりのキャラを、デンマーク人役者やフランス人役者が演じていてもおかしくないわけで――、それでも、ポールターもコールマンも非常に上手い&オーラを消して役に溶け込めるアクターなので、「隠し味」としてはとても効いていた。リッチーの「目覚め」は、そこまでに至るもろもろの下地・障壁を乗り越えた上で彼が迎えたものなので、特に泣ける。
でも、今回の『The Bear』の最も強力なゲスト出演陣と言えば、第6話でしょう。このエピソードに関しては、「観てください!」としか言い様がないので、詳述しません。でも、作品の根幹であるファミリー・ドラマの抱える闇を明かし、以後のストーリー・ラインを導入しつつ、これまでの『The Bear』のトーンを覆す思い切った作劇&演出を見せたのは、お見事。このエピソードをシーズンの半ばに据えたことで、更なる重みが加わったと思う。でもまあ、成功し、評価も高いからといって、この作品を単なる「家族経営のレストランが、ミシェラン星付きのレストランに成長するまで」の、アメリカ的な点取りストーリーにして欲しくはない。ミシェラン監査人が評価しなくたって、「The Bear」で働く人々は、私にとってはもう、みんな、「素晴らしいレストラン人」なので。

で、先ほど「HBO礼賛」を書いたばかりですが、そのHBO産の『The Last of Us』は……全然ハマれなかったのでした。あーあ、残念。メディアの評価も非常に高かったし、ペドロ・パスカルとベラ・ラムジーのメインのキャストも『GoT』絡みでおなじみだし、HBOだから間違いないだろう、と思って観始めたドラマだった。さすがにHBOで、撮影やセットetcを始めとするプロダクションの質は高いし、疫病が発生してパニックが起き、逃げ出す途中で遺棄された車でびっしりのハイウェイとか、爆撃を受けて崩壊した都市の景観等々は、「世界の終わり」の想像図としてはなかなか印象的だった。生存を賭けて、武力・軍事力・暴力が威勢を振るうという図式も、現実的。
こうした作品の基本構図が把握できたところで――このドラマはゲームがベースになっているそうですが、当方はゲーム音痴なので、内容はほとんど知らずに観た――さあ、メインのキャラ=ジョエルとエリーの生き残りドラマやいかに?と乗り出したわけですが、うーん、肝心のジョエルとエリーが、今ひとつ自分には感情移入できないコンビだった。ジョエルは、ある意味、大義だけではなく、自身のトラウマを乗り越えるためにエリーを守りその旅路を助けているんだけど、そうした葛藤の内面描写が足りない。なんか、「やたらと強くて銃器の扱いに長けた、ビシバシ人を殺す傭兵」という印象が先走って、もったいない。そういう「俺は『任務』としてこれをやってるんじゃ」型のストイックな男性と、彼の言うことをきかない気が強く生存能力も高い女の子、というでこぼこコンピの設定は通常の「父&子」の生き残り劇とはちょっと違った力学を生んでいる。とはいえ、ほぼ各話で他の生存者たちとの様々な形での遭遇&交流が起き、その間にジョエルとエリーのバックストーリーも挟み込まれ……と盛りだくさんなぶん、逆に、この道中でふたりの間に「疑似親子」な絆が徐々に育まれていく過程/徐々に進展していく「積み重ね」が見えにくくなっているのが残念。
その一種のドライさというか、単純に「助けてくれてありがとう!(あなたについて行きます)」的な保護する者/保護される者の図式にすんなり収まらないのが逆に新鮮なのかもしれないけど、一方で、その「本筋」に挿入される形でサイドに登場する他の生存者たちやバックストーリーが玉石混合なのが、自分には厳しかった。ジョエルとエリーが各地で出会う人々やコミュニティは「人類が滅亡に瀕したら、人間はどうサヴァイヴするのか?」の各種シミュレーションを提示していく――のは分かるんだけど、これらのストーリーの出来/不出来の差が激しくて……。
後はまあ、ゾンビと化した人間の造型があまりに荒唐無稽で、彼らが画面に出て来るたびに――しかも、「この窮地はどう切り抜ける?」という局面でワサワサと出て来るので、プロット・デバイスじゃないか〜と感じずにいられない――せっかく「リアリズム」を重視した作品世界が崩壊するのも困りもの。走れる、素早いゾンビは、まあ「それもありか」で構わないんですけど、このドラマでは謎の寄生菌からパンデミックが起きるんで、ゾンビ人間は一種の「キノコのお化け」と化す。デザインはかなりグロテスクで、ギレルモ・デル・トロ〜ラヴクラフト系な「異界発のモンスター」。これと、「菌」に感染して人間がこうなっちゃう(=なんとなく科学的な説明)……というギャップとが、自分には激し過ぎました。これなら『マタンゴ』の方が、じわじわ迫ってきて陰湿なぶん怖いなあ、と感じずにいられなかった。
あれこれ重箱の隅をほじくりましたが、このドラマはヒットし、第2シーズンの製作も決まっている。ので、以上はあくまで「ひなくれたマイノリティ野郎」の意見だと思います。というか、自分は基本的に「ディストピア/サヴァイヴァルもの」を観過ぎなのかもしれない(ゾンビものは、特にファンではないですけども)。『28 Days Later』、『War of the World』、『World War Z』。サヴァイヴァルものでは、『Children of Men』、『The Road』、『It Comes at Night』、『Leave No Traces』(この作品は、アポカリプス系ではなく、父と娘のお話ですけども)……基本的に、SFやホラーが好きなんで、この手の映画はつい観てしまうんですよね〜。でまあ、ある意味、『The Last of Us』は、『Children of Men』にダブる面もいくつかある。で、そう考えると余計に、『Children of Men』が約110分に凝縮できた/しかもあれほど素晴らしく見事に達成していたことを、9話もかけてテレビでやったのかぁ……と感じてしまう。

●The Fire Within: A Requiem for Katia and Maurice Krafft
●Once Upon a Time in Northern Ireland(BBC)

最後は、ドキュメンタリーでシメ。前者は、御大ヘルツォーク作品。1991年の雲仙岳噴火で命と落としたフランス人火山学者のカティアとモーリス夫妻を題材にした内容です。この夫妻は、『Fire of Love』というドキュメンタリー映画も公開され、高い評価を得ているんですが(こちらは、残念ながら当方は未見です)、とにかく夫妻が撮影したアーカイヴ映像の迫力と美――噴火、溶岩流、火砕流等、危険にもめげず果敢に記録されている――がすご過ぎる。これらの映像の背後には、多数の被害者がいるので「美」なんて言うのは不謹慎なんですけれども、自然が作り出す、誰にもコントロールできないパワーの顕現を捉えた映像にはただただ圧倒される。と同時に、火山に文字通り「魅せられ」、研究のために世界各地の非常にタフなエリアに向かって行った夫妻のエキセントリックなチャームを、ヘルツォークの淡々としたドイツなまりの英語が点描していく構成も、ドキュ・エッセイ的で、良かったです。

『Once Upon a Time In Northern Ireland』は、北アイルランド問題を、当事者たちの証言で綴っていく作品。IRAを描いた映画とか、そのテロ活動が絡む「アイルランド南北問題」はドラマとかでもそこそこ見てきたつもりなんだけど、このドキュ作品は、問題の近代の始まりがどこにあったかを検証した上で、それが文字通り「血で血を洗う」世代的な復讐劇に発展していった過程を時系列にほぼ沿って浮き彫りにしていく。何も知らなかった自分には、すごく勉強になった。
本作の迫力は、まず、紛争の両サイドの意見に耳を傾けているところだろう。プロテスタント側、カソリック側、元IRAメンバー、警察/軍人まで、基本的に、「自分の顔を晒して、堂々と自分の思い/自分の信念を語る」人々が登場する(顔を隠して証言したのは、元軍人のひとりだけ)。その発言や、思考に対しては、疑問を抱くこともある。だが、それらが彼らにとっての「真実」であることは観る側には否定できないし、証言者の数人は、当時の本人たちの映像や写真や報道が挿入されることで臨場感が増す。
その意味で本作は、取材を受けた者たちが「あの時に自分がやったことは、間違っていたのか、それとも?」と、自問する葛藤もエネルギーになっている。だが、彼らの真の共通点は、この「トラブルズ」で肉親や恋人、友人、自らの身体機能、コミュニティ等を失ったダメージであり、究極的には――意見や信念の食い違いはいまだにあるだろうが――「あれは起きるべきではなかった」という、悲しみだと思う。この作品にも、まだ、掬い取れていない声はあるだろう。でも、「複雑だから」と、つい尻込みしてしまう問題に光を当ててもらえたことで、自分のような人間にも、その理解のための「とっかかり」ができるのは間違いないと思う。ドキュメンタリーは、そうした「入り口」になり得る。

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というわけで、2023年上半期のテレビ関係ネタでした。ここしばらく、頭が悪いくせに無理したので、今はなんか……気楽に観れるドラマが観たいです。なんで、『Justified』の久々の復活で、気晴らしするのが楽しみ。

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RIP: Tom Verlaine


嗚呼。最愛のバンドのひとつ、テレヴィジョンの星が消えてしまったよ

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自転車あれこれ


先だって業務報告させていただきました「REVOLUTIONS――自転車と女たちの世紀」ですが、無事発売となりました〜!! 

関係者がこういうことを書くのは一種の手前味噌でお恥ずかしいですが、とても面白い本です。個人的にもとても発見の多かった本でしたし、著者のハナ・ロスさんの自転車に対するパッションに大いに打たれました。

そんなわけで今回は出版を記念(?)し、翻訳作業中にあれこれ頭に浮かんだ、自転車に関する音楽や映画をいくつかご紹介。やや皮肉な話なんですが、作業中は家にこもりがちだった。ゆえに、自転車に乗って出かける時間的な余裕がなくて、こうして頭の中で音やイメージを浮かべるのが関の山だったんですよ。トホホ。ともあれ、自転車の楽しさ感じていただける足しに、少しでもなれば幸いです。

Tomorrow―My White Bicycle

やっぱ、音楽で真っ先に浮かぶのがこれ。当時のオランダの自転車共同利用システムをモチーフとした英サイケデリック・ポップの傑作です。ちなみに、イギリスのフォーク〜サイケ界の名プロデューサー:ジョー・ボイド(ニック・ドレイク、インクレディブル・ストリング・バンド等々)の素晴らしい回想録も、たぶんこの曲にちなんでいます。

Serge Gainsbourg―Histoire de Melody Nelson

15歳の少女メロディ・ネルソンの乗る自転車に、中年ゲンズブールのロールス・ロイスがぶつかる事故から始まる夢物語。アレックス・ターナーもこういうエロ親父になるのかなぁ?

Queen―Bicycle Race

定番その①。自転車に乗るヌードの女性モデルたちをフィーチャーしたPVでも有名。歌詞はポップなナンセンス調ですが、「自転車に乗ってぶっちりぎたい!」という単純な思いをドラマチックに聞かせてしまう力技が実にクイーン。

Kraftwerk―Tour De France

定番その②。ラルフ・ヒュッターも自転車好きで知られてます。ケヴォーキアンのリミックスでどーぞ。

The Smiths―This Charming Man、Stop Me If You Think You’ve Heard This One Before

「REVOLUTIONS」の中でも、マイカー時代を迎え自転車人気が戦後落ちていった状況が描かれますが、自転車にはややレトロで思春期なイメージもありますよね。人里離れた寂しい丘陵地帯で自転車がパンクし、途方に暮れる僕――〝This Charming Man〟のそんなイントロは、いまだ瑞々しく象徴的。〝Stop Me〜〟のPVは、当時の筆者の友だちスミス・ファンたちのファッションのお手本でした(伊達眼鏡も含めて)。

Belle and Sebastian―Fox in the Snow

ザ・スミスの連想から、ベル・アンド・セバスチャンも。というか彼らの曲には他にも自転車が登場しそうですね。

Bicycle Thieves
Miracle in Milan

イタリアの叙情派ネオ・リアリズモの巨匠、ヴィットリオ・デ・シーカの2作。「REVOLUTIONS」では、「イタリア人は自転車と言えばレースが第一」という具合にお国柄を説明しているんですが、「自転車泥棒」は戦後の不況で苦しむ一家の頼みの綱=希望として、自転車が描かれています。「ミラノの奇蹟」は、当時のイタリア民衆を描きつつもお話としてはより寓話的。すこぶるつきにファンタスティックなラスト・シーンで活躍するのは自転車ではなく箒――なんですが、この場面は後述の「E.T.」にも影響しましたので参考までに。

Jour de fête

みんな大好き、ジャック・タチの長編デビュー作となったこの映画でも、タチの演じるのんきな郵便配達人フランソワのお伴として自転車が大活躍、様々な楽しすぎる冒険喜劇を巻き起こしてくれます。身体を張ったアクションの数々という意味でも最高。

二十四の瞳

この映画は、母親からリマインドしてもらいました。田舎に赴任した、洋服姿で颯爽と自転車に乗る先生――高峰秀子演じる「ハイカラ」な女性教師は、まさに「REVOLUTIONS」でも描かれる、自転車ブームと共に外に飛び出した「新しい女性」のひとりでした。

Les Bicyclettes de Belsize

1968年のイギリス産の珍品短編。主人公男性が自転車で走り回る映画で、台詞はほとんどなし=歌がキャラの思いを代弁するので、ミュージカル映画とも形容されます。タイトルは「ロシュフォールの雨傘」のもじりなんだそうで、なるほどフランスやイタリアのアート映画の影響をイギリス風にパロってます。何より、60年代末のハムステッド区の町並みや雰囲気、世相/世俗、スウィンギングなファッション等々が、ヴェリテ風でありながらも実は細かい撮影&編集で楽しめます。

Breaking Away

自動車大国=アメリカなだけに、自転車が主眼の映画はどっちかというと「お子様向け」が多い気がします。いわゆる「カミング・オブ・エイジ」ものの青春映画にしても、「アメリカン・グラフィティ」に「フェリスはある朝突然に」等々、高校生が颯爽と車に乗ってます。免許を取るのが、アメリカではひとつの通過儀礼なんでしょうね。ですが、プログラム・ピクチャー系の名手である英国人監督ピーター・イェイツによるこの映画は、インディアナ州ブルーミントンを舞台に、自転車レースに夢中な若者と彼の友人たちの青春群像をいきいき描くめちゃ素敵な映画。
イェイツはシスコのカーチェイスで有名な「ブリット」を撮った人だけに、自転車の痛快な疾走感やロケ撮影が見事っす。若き日のデニス・クェイド、味出し役者ダニエル・スターン(これが映画デビュー作!)も良いんですが、やっぱ主演デニス・クリストファーのコメディ・タイミングの上手さとややドークでセンシティヴな可愛さ(マイケル・セラの先祖、とも言う)は、アメリカのマチズモから逸脱しててチャーミング。イタリアかぶれの息子に当惑しながらも、息子を気遣う父母も実に良い味です。

E.T.、Empire of the Sun、Bridge of Spies

自転車と言えば、やはりたくさんの人々の記憶に強烈に焼き付いているのが「E.T.」でしょうか(「ストレンジャー・シングス」のチャリンコ・キッズはまさにこの系統でした)。何年か前に、近所の公園でおこなわれたファミリー向け野外映画上映会で上映されてこの作品を久々に観たんですが、この時は上映会の電力源として自転車を漕いでのペダル発電機も利用されていて、ボランティア客がずーっと漕ぎ漕ぎ。例の場面では、観衆から彼らにも笑顔と拍手が贈られました。
スピルバーグは、それこそ「激突!」で本格キャリアをスタートさせ、「Sugarland Express」もあり……と典型的にアメリカンな監督ですが、第二次大戦期の中国を舞台にした「太陽の帝国」で主人公ジムが乗り回す自転車(といっても、ジム少年のあこがれは車と飛行機なんですけどね)、「ブリッジ・オブ・スパイ」のベルリンの場面で学生が自転車で当時建設中だった「壁」沿いに走るちょっとした場面等、自由や無垢さの象徴として、たまに自転車を使う。

23 Days in July: 1983 Tour de France

「REVOLUTIONS」でも何度か話題に取り上げられる人気レース:ツール・ド・フランスはドキュメンタリーも多く作られているようなのですが、これはヨーロッパ外=オーストラリア国籍自転車選手として初めてマイヨ・ジョーヌを獲得した、フィル・アンダーソンを主眼に据えた1983年作品。ツールのタフさはもちろんのこと、苛酷過ぎて、見ているだけも筋肉痛が起きそうになります……。

Born in Flames

実は、この作品はまだ観れてないんですが――すんごーく観たい映画のひとつなので紹介します! ラディカルなフェミニズム映画の古典としてカルト人気を誇る映画で、主題歌はかのローラ・ロジック&アート・アンド・ランゲージが提供だいっ。「REVOLUTIONS」の中でもちょっと参照されるんですが、ニューヨークの裏通りで女性を襲う男性を追い散らす自転車女性自警団が登場するらしい。

American Flyers

これまた珍しい、アメリカが舞台の自転車青春映画。まだ大スターになる前のケヴィン・コスナーが出てる……ってのが今では「売り」な作品なのでしょうが、当時開催されていたアメリカのナショナル・レースで撮影されただけに、コロラド他の自然を背景にロードレースの迫力が味わえる。

Pee-wee’s Big Adventure

レーシング・タイプもカッコいいですが、ティム・バートンの長編デビュー作は、エキセントリックなコドモ大人:ピーウィーの愛する自転車が一種の「マクガフィン」で登場、彼を全米各地に引っ張り回す。ビーチ・クルーザー型のこの自転車(ジャック・ホワイトが乗ってそうな赤白)は、自転車=子供のもの、というイメージの典型ですね。

The Triplets of Belleville

シルヴァン・ショメの傑作アニメ、「ベルヴィル・ランデブー」も忘れられません。独特なデフォルメぶりや黄昏れた色彩感も含めてヨーロッパらしい味わいで、音と絵の混合ぶりもアニメならではの楽しさ! ショメは上述のジャック・タチ好きで、後に彼の遺した脚本を元に「イリュージョニスト」を撮りました。

The Program

「ベルヴィル〜」でもツール・ド・フランスが登場しますが、こちらはツールのタイトルをドーピング疑惑で剥奪され自転車界から追放されたランス・アームストロングを描く映画。ルポルタージュ本を元にした作品で、プロ・スポーツ界の「勝つ」ための陰謀のえげつなさを描く……と書くとシリアスそうな印象ですが、監督スティーヴン・フリアーズはひねくれたイギリス人らしく、むしろピカレスク・ロマン調のにぎやかな映画に仕立ててます(喜劇系役者クリス・オダウドに、ギヨーム・カネの怪演もニヤッとします)。そのぶん、アームストロング役のベン・フォスター(大好き!)の熱演や、ジェシー・プレモンズ(これまた大好き!)の抑えた演技といったディテールが、がちょっと空回りしているのは切ない&劇中音楽の選曲がダサ過ぎ。自転車レースのBGMにラモーンズって、どうよ……(汗)。

そんなわけで、色々と並べてみました。他にももっと、自転車が印象的な役割を果たす音楽や映画、それに小説なんかもたくさんあるんでしょうね。何かお勧めありましたら、コメントお願いしまーす。

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RIP: David Crosby


2023年も、既に音楽界の星がいくつか逝ってしまいましたが、デイヴィッド・クロスビーも亡くなりました。

筆者の最愛のバンドのひとつ、ザ・バーズのメンバー……というより、やっぱCSNとしての顔がいちばん有名なんでしょうね。今日は、彼のサイケデリック・フォークの傑作デビュー・ソロ作を聴こうと思います。合掌。

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2022年のカルチャー記


 今年の年末は比較的時間に余裕があるので、1年を振り返り、よく聴いたアルバムや気に入った映像作品等、軽くまとめておこうと思います。新しい作品だけではなく旧作も混じります。悪しからず。

〈音楽〉(アーティスト/バンド名のアルファベット順)

Bitchin Bajas/Bajascillators (Drag City)
Caroline/Caroline (Rough Trade)
The Drutti Column/Fidelity (Les Disques du Crépuscule/1996)
Brian Eno/ForeverAndEverNoMore (Opal/UMC)
Aldous Harding/Warm Chris (4AD)
Horsegirl/Versions of Modern Performances (Matador)
Cheri Knight/American Rituals(Freedom to Spend)
Makaya McCraven/In These Times (International Anthem Recording Company)
Sam Prekop & John McEntire/Sons Of (Thrill Jockey)
Nala Sinephro/Space 1.8 (Warp)
The Smile/A Light for Attracting Attention (XL)
Spoon/Lucifer on the Sofa/Lucifer on the Moon (Matador)
Whatever the Weather/Whatever the Weather (Ghostly International)

 仕事絡みで聴いた作品はなるべく除きました。ナラ・シネフロはデジタル版は昨年リリースされていたんですが、やっとアナログで出た今年の春先にゲット。キャロライン、ホワットエヴァー・ザ・ウェザー(akaロレイン・ジェイムス)と並びこの時期よく聴いた。

 夏から秋にかけては、とにかくサム・プレコップ&ジョン・マッケンタイアのコラボ(これ、いまだにアナログが出てないのがほんと悔しい〜。世の中ってなんて不条理!)、そしてマカヤ・マクレイヴンの2作に尽きた。前者は実に湯加減の良いエレクトロ風呂(なんつう形容…)でラムネを飲みつついつまでも浸かっていたくなるようなチャームにあふれているし、後者はマクレイヴンのこれまでの集大成と言える感動的なアルバムで、スピリチュアル・ジャズの素晴らしいモダナイズになっている。シカゴついで…じゃないですけど、ビッチン・バジャスのクラウトなサイケデリック・トランスも抜群。

 インスト音楽を中心に聴いたが、歌ものでは独自の路線を突き進んでいて頼もしいオルダス・ハーディング、そして期待を上回る出来だったザ・スマイルはいつか生で観たい。スプーンは毎回良い作品を作るバンドだけど、今回は本懐に戻った秀逸な内容&エイドリアン・シャーウッドがアルバム丸ごとリミックスしたヴァージョンもご機嫌。スプーンと同じマタドール発のホースガールは、90年代ギター・バンド――ソニック・ユース、ヨ・ラ・テンゴ、ブリーダーズ、スリーター・キニーあたり――が好きな人なら速攻KOされる素晴らしい新人トリオ。新しいことはやっていないけど、びっくりするほど良い曲ぞろいです。イーノ新作は久々の歌メインな内容で気象変動や時代に対するメッセージを打ち出しつつ、過去数年の経験を踏まえたトータルな音作りが見事。

 ドゥルッティ・コラムとシェリー・ナイトは、前者は再発、後者は79年から84年にかけての音源のアンソロジー。ドゥルッティは90年代なバレアリック・エレクトロの味がなぜか今妙に新鮮でハマった(アンドリュー・ウェザオールがリミックスしたらハマりそう)。シェリー・ナイトは彼女がブラッド・オレンジズに加入する以前=学生時代に作った実験的な音源の数々で、ローリー・アンダーソンが最も近いだろうか。かなり驚異的な発見でした。

〈ライヴ〉(観た順番)

Caroline(3月)
Roscoe Mitchell(6月)
Brian Eno talks about “Space”(10月)
Ben Lamar Gay (International Anthem Showcase/London Jazz Festival)(11月)

 ライヴはほんと、数えるほどしか観ていません……(トホホ)。キャロラインとロスコー・ミッチェルのギグは、既に以前のポストで詳述しましたのでここでは省きますが、どちらも生の良さを味わえる良いショウでした。

イーノのレクチャー。開演前。

 ブライアン・イーノのトークはバービカンでおこなわれたもので、滅多に「ライヴ」をやらない御仁なだけに貴重な機会!というわけで拝聴しにいきました。音楽と空間との関わりの歴史を紐解きつつ、録音音楽の誕生、スタジオ・テクノロジーがどんな風に進化し我々の生きる「空間」とインタラクトしてきたか/いるかを、スライドや様々な音源のスニペッツを使い語ってくれ、和気あいあいと楽しいレクチャーでした(デイヴィッド・バーンの本『How Music Works』みたい、という気もしたが)。


 紹介された音源はロネッツ(フィル・スペクター・サウンド)からロシアの宗教音楽まで古今東西幅広かったが、モダンなプロダクションの例としてビリー・アイリッシュ、スーパーオーガニズム、フレッド・アゲインまで飛び出したのには驚いた。あと、本人がオムニコードを演奏するところを聴けたのも得した気分(笑)。「なぜ私たちは音楽が好きなのでしょう?」という根元的な問いかけへと話は発展していき、その理由のひとつは音楽が人々を繋げるからではないか、という論で落ち着いた。
 それに続く形で、「この運動(=気象変動へのアウェアネス向上&アクション)にはまだみんなをひとつにする『歌』がないので、それを見つけようじゃないですか。皆さんのお知恵をください」という提案が成され、客席からはビートルズの〝Come Together〟を始め様々な声が飛んだ(イーノいわく、こういう歌はシンプルで歌いやすいものがいいのだそう。〝Baby’s On Fire〟と叫んだお客の冗談には当人も苦笑いしていました)。たしかにそう言われると、たとえばBLMとは異なり、クライメイト・チェンジの運動で連想される「歌」ってまだない。既存の歌もいいのだが、むしろこれから新たに歌が生まれるといいな、と思った。

LJF、これまた開演前。冗談のような話ですが、チケットを購入したら
イーノの時とまったく同じ席でした!
ジェフ・パーカー
ベン・ラマ―・ゲイ・アンサンブル

 ベン・ラマー・ゲイは、これまたバービカンにて「ロンドン・ジャズ・フェスティヴァル」の一環として、筆者にとって近年の個人的なベスト・レーベルである〈インターナショナル・アンセム〉のショウケースで観てぶったまげさせられた。たぶん自分にとっては今年ベストのパフォーマンスがこれです。


 ショウケースなだけに出演アクトは全4組。一番手は必見の御大ジェフ・パーカーのソロ・パフォーマンスで、フィールド・レコーディングと繊細なギター・ループの織り成すハモりを堪能。できればもうちょっとインティメイトな会場で聴きたい内容だったが、この素敵な前菜(っていう形容はとても失礼ですけども)に続き、ベン・ラマー・ゲイはカルテット編成で登場。スーザフォン付きという変わった編成で、主格のゲイはコロネットにヴォーカル&サウンドスケープ担当、ギタリストとドラマーのアンサンブル。 

 演奏が上手い――のはジャズではほぼ当たり前なんだろうけど、ジョン・ハッセルを思わせる色彩・動き・ビート・ドラマに満ちたゲイのフォーク〜ジャズ的なコンポジションを見事に乗りこなす息の合ったプレイには、一気に引き込まれて最後まで見入ってしまった。ドラム以外の3者がベルを鳴らし合う場面があったのだが、たかがベルなのに反響と空間の用い方が素晴らしく新鮮で、スティーヴ・ライシュの「Pendulum Music」を生で観た時を思い起こした。こういう経験はライヴじゃないと無理。


 続くエンジェル・バット・ダウィッドは、場内を練り歩いての派手な登場に続き、すさまじいフリー・ジャズ&ノイズ・インプロの嵐。マルチ・インストゥルメンタリストである彼女の才覚はすごいしブラック・ヒストリーをえぐる映像も興味深くお客もめっちゃ盛り上がっていたんだけど、容赦ない「怒り」のパワーに圧倒され消耗させられ、おかげでアラバスター・デプリュームを観るエネルギーがなくなってしまった。会場内のマーチャン台ではアナログ盤が飛ぶように売れていて、良いコミュニティがあるのを感じました。筆者も、トム・スキナーの「Voices of Bishara」とレーベル・ジンを購入。

〈映画、テレビ〉

 ライヴもお粗末だったが、それ以上に、一度も映画館に行かなかった筆者の今年の映画歴は惨敗。「観ようかな」と思いつつ……少し経つとストリームで観れてしまうので、完全に怠惰になっています。やばいです。そんなわけで、新しめの映画は片手で数えられるほどしか観てません。今いちばん観たいのは「The Banshees of Inisherin」ですが、これもディズニー+に落ちてきたみたいなので、年末のお楽しみで観てしまうかも。

 期待し過ぎたせいもあったのか、逆に滑った失望作品という意味では、たとえば「Doctor Strange in the Multiverse of Madness」(サム・ライミは好きだけど、彼のアクの強い持ち味とこれまでドクター・ストレンジが培ってきたユーモアがマッチしない)や「The Northman」(エガースの前2作が好きだったので余計に残念。カリスマのないアレクサンダー・スカルスガルドが主演というのも問題)が思い浮かぶ。


 一方で、それほど期待せずに観たデイヴィッド・O・ラッセルの「Amsterdam」が意外に良かったりするから面白い。ふたつの世界大戦の間の時期=20世紀前半が舞台のストーリーで、ノワールと政治コンスピラシーとブラック・コメディが混ざったかなり派茶目茶な内容(部分的に実話も含んでいて、現在の社会/政治状況とのメタファーになってもいる)。正直、2時間超えは無理がある=脚本と編集が甘い映画ではあるが、アンサンブル・キャストがとても効いている(アンドレア・ライズボロー、マイケル・シャノン、クリス・ロック、ゾーイ・サルダナ、マティアス・スーナールツ、ラミ・マレック、エド・ベグリー・ジュニア他)。願わくは、主役級のクリスチャン・ベール、マーゴット・ロビー、ジョン・デイヴィッド・ワシントンの三者の友情をもっと掘り下げて欲しかった。だって、可愛いトリオなんだもん。ベールの、義眼演技第2弾もナイス。
 にしても、「Knives Out」の成功(第二弾の「Glass Onion」も公開されましたね)のせいか、アガサ・クリスティ系の「フーダニット」、豪華キャストが集まったこの手の作りの映画がエンタメ本位のポップコーン映画界では増えてる印象。それだけ「アッセンブル」しないと企画が通らない=看板俳優ひとりかふたりで引っ張る、という作りがやりにくいのかもしれない。

 しかし、なんだかんだ言って、一番心に残ったのはギレルモ・デル・トロの「Nightmare Alley」だったかもしれません(この映画はイギリスでは年明けまで公開されなかったので、2022年にカウント)。前評判が良くなかったので心配だったんだけど、フタを開けたら充実の力作でひと安心! スーパーナチュラルな要素、すなわちモンスターや幽霊、吸血鬼、派手なSFX等々を使わなくてもばっちり怖かったし、映画術もいちいちアイス・クールな安定感でケイト・ブランシェットの氷の微笑といい勝負。いちばん怖いのは実は人間という点を掘り下げてみせた、デル・トロのペシミズムが重くも悲しい。


 1946年に発表されたノワール小説(読んでみたい…)を元にしているんだけど、たとえばロバート・アルドリッチの「Kiss Me Deadly」みたいなダウンワード・スパイラルなノワール迷路の悪夢の感覚と、ダストボウルの貧しさとスーパーリッチの対比、トッド・ブラウニングの「Freaks」が数滴混じった感じは新鮮。これを観て、デル・トロがジム・トンプソン作品を取り上げたらどうなるだろう?と想像が盛り上がった。自分的には、ブラッドリー・クーパーがハマっていたのも意外。生理的に苦手な俳優で、(顔が出ない)ロケット以外はNGな人だったんだけど、こういう「信用できないペテン師」をやらせると光る人かも。その意味では、「Gone Girl」でベン・アフレックを一瞬見直したのと、ちょっと似ている。

 年内にデル・トロの「Pinocchio」――「The Devil’s Bakbone」と「Pan’s Labyrinth」に続く三部作の最終作らしい――も絶対に観たいです。ちなみに、デル・トロはネットフリックス向けのアンソロジー・ホラー「Cabinet of Curiosities」のプロデューサーも担当(1話で監督も担当)。これは「Twilight Zone」をもっと現代的にグロくしたような(笑)、いい意味でのB級感も残すプロジェクトですが、各話の監督は個性豊かな顔ぶれだしプロダクションもなかなかの質、ラヴクラフトの翻案も2本含まれている。出来にムラはあるとはいえ、個人的にはパノス・コスマトスの「The Viewing」とジェニファー・ケントの「The Murmuring」が好きです。

 テレビに関しては、今年は夏に一度ラウンドアップしてしまい、そこでハマった作品=「Better Call Saul」の最終シーズン、「We Own This City」等について書いてしまったので、あんまり収穫はない……と言いたいところですが、どっこい! 秋に観た「The Bear」がめっちゃ良かったんですよ〜〜。フランチャイズではない新作という意味でも「2022年」を感じさせるドラマで、胸にズバンと刺さりました。

 「The Bear」は本国アメリカでは夏に公開され、その評価の高さゆえにイギリスで秋になってOAされた時もメディア・ハイプがかなりすごかった。天の邪鬼な筆者は、そういう「話題の作品」は逆に大抵敬遠してしまうんですが、イタリアン・サンドイッチ系の庶民的なシカゴの食堂が舞台、ということで観ることにした。食べ物系のお話は、食い意地が張っているので基本的に好き(「Masterchef」も結構観てます)。かつ、「神経衰弱ギリギリなシェフのお話」という設定を知り、90分のほぼワン・ショットでミシェラン・スター付きのレストランの一夜を描いた映画「Boiling Point」と見比べたらどうなのかな?という興味もあった。
 ところが、「The Bear」が良いのは、プロのキッチンという素人にはなかなか入れない領域(=そのぶん内幕が面白い)や調理を事細かに追っていくのではなく、メインの骨子として人間ドラマが据えられている点。タマネギを刻む、ソースを作る等々の仕込みの光景とか、業者とのやり取りとか、まかないご飯といった「それ」らしい場面もあるけれども、主役は料理ではない。(この全8話のドラマで、メインの舞台である食堂で提供されるサンドイッチとか、お客が美味しそうにパクつく姿はあまり出て来なかった。そういうのは、YouTubeの食いものビデオで観れますし。リアリティTVではないのです)。

 その人間ドラマは、突き詰めて言えば①悲嘆②負け犬たちの頑張り、だろうか。①に関して言えば、エピソードを重ねるごとに徐々に明らかになっていく、主人公カーミーの兄マイキーの自殺という重い影。唐突に自殺し、弟カーミーに家族経営の伝統ある食堂を遺して去ったマイキーとの折り合いを、家族や親友たちがそれぞれつけていく。カーミーの妹以外、誰も面と向かってマイキーの死に対応できず、その常に付きまとう暗雲が、テンションとして背景になり続ける。このカリスマな(でもクレイジーな)マイキー役を、ジョン・バーンサルが演じたのも自分的には「オー、イェー!」な展開でした。

 ②は、主人公カーミーはニューヨークの高級レストランで働いたこともあった卓越したシェフで、しかし兄の遺言に従いUターン帰省したものの、代々受け継がれてきた食堂で(部分的にはお情けで)働いてきた者の多くはミスフィッツなルーザーばかりで、借金だらけのビジネスを建て直すべく彼らと共に四苦八苦することになる。でも、そのルーザーの面々がいちいち良い味なんですよ。準主役のとても有能で腕のいいシェフであるシドはこのドラマの良心のバックボーンだし、彼女がブチ切れするエピソードは最高。彼女の対極と言えるヤクザな「マネージャー」(マイキーの友人ということで雇われているだけのごくつぶし。根はいい奴なんだけど、料理はできない、マジにただの用心棒)リッチーのアスホールぶりを始め、このファミリー・ビジネスに関わる様々な連中の人間模様が鮮やかで多彩。厨房の映像って、実はドラマが少ないから(プロなので、アクシデントはあんまり起こらない&ルーティン仕事は単調で絵になりにくい)、彼らの織り成すカラフルなドラマや「説明するのではなく見せる」キャラ造型が見ものです。

 できれば、あらすじとかあれこれを読む前に実際に観てハマっていただきたいので、これ以上は書きません。「The Bear」は、英ガーディアンの「Best TV series 2022」の一位になって、嬉しいです。別にそういう「裏付け」を求めてはいないんだけど、自分の好きな何かが一般レヴェルでもある程度共有されているのを知るのは、嬉しいものですな。で、この作品評は、「The Bear」が一話約30分、という構成の巧みさ――「え、これで終わっちゃうの?」という感覚が残るので、次のエピソードにすぐ手が伸びる――を指摘していてナイスなんだけど、筆者としてはもうちょっと付け加えます。

 まず、音楽。シカゴが舞台ってこともあるんでしょうが、〝Via Chicago〟を筆頭にウィルコ曲がばっちり活かされていて、ウィルコ好きとしてはそれだけでも大泣きだよ〜。他にも、スフィアン・スティーヴンスの〝Chicago〟やヴァン・モリスン、ブリーダーズ等が適所に使われていて、それだけでも「ああ、このドラマのクリエイターは音楽好きだな」と分かって嬉しかったし、圧倒的な大団円を迎えた最終話の「ここぞ」という場面でドカーンと流れるレディオヘッドの〝Let Down〟はあまりにハマり過ぎて、涙しか出なかった。全世代に通じる選曲ではないと思うけど、今40〜50代のリスナーには即刺さるはず。パンデミックの影響や不況、ジェントリフィケーション他のモチーフも含めた「現代」の物語なだけに、逆に思い切っておとぎ話のカタルシスでエンディングを迎える、というのも、ある意味ナイスだった。

 もう一点は、マリーナ・シティを始めとする高層ビル群からメトロ駅、取り残された住宅街、湖の光景他、様々なランドスケープを画面に織り込みキャラの一種にしている点。シカゴは一回しか行ったことがないんですが(1999年の大晦日〜2000年の新年。メトロで開催されたフレーミング・リップスの年越しライヴがメインの目的。雪の中を歩いてレコ屋巡りをしたのが懐かしい)、音楽の方でも〈インターナショナル・アンセム〉作品やシカゴ系をよく聴いてきただけに、記憶と今とが交錯して、余計に素敵だったなぁ。またいつか、死ぬ前に行きたいよ、シカゴ。そして、「The Bear」にはこのままで終わって欲しいんですが……ヒットにつき、第2シーズンが決定しています。

 というわけで、筆者の個人的なカルチャー記でした。読んでいるうちに、「聴いてみるか」「観てみるか」な興味をあなたの中にいくらかでもそそる記述があれば嬉しいです。みなさま、どうぞ穏やかな年末を。

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お知らせ:自転車の本


どうもです。業務報告です。

翻訳を担当させていただきました単行本『自転車と女たちの世紀』、年明けに刊行です。

興味のある方は、書籍情報の詳細をこちらからチェックくださいませ。

自転車が好き――と言っても、ずーっとママチャリな「ライトユーザー」ですけども――な筆者にとっても、翻訳していて強い共感を抱く&知らなかった大発見の多かった本です。

自転車の発明とそれにシンクロした社会意識の変化やフェミニズムの台頭といった歴史、歴史の中で消えていった自転車女たち、そして21世紀の世界において自転車が持つ意味まで、エピソード満載で記されています。書店で見かけたら、手に取ってみてくださいませ。

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The Car(s)


ご無沙汰しております。みなさま、お元気かと思います。

すっかり放置状態になっていた当ブログ。22年は後半の半年が色んな意味できつかった…

という言い訳はさておき、久々に投稿する余裕ができました。久々のついでで、今年好きでよく聴いた音楽作品他も忘備録的にまとめようと思っていますが、その前に、今回は「車」を。

このポストのタイトルは、アークティック・モンキーズ新作とのひっかけです。いや、別にあのアルバムとはまったく関係ないんですけども。

ただ、「車」というそのまんまなタイトルとジャケットのあのアルバムは、なかなか印象深かった。それにかこつけて、路上で撮ってきた車の写真を以下に。趣味ネタなので、どうでもいい方はスルーくださいませ。

車の運転はできない人間なんですが、車という物体には、純粋にデザイン的に興味がある。古臭い車ばかりですが、こういうのがたまに路駐されてるのが、散歩の楽しみのひとつだったりもします。

あざやかな紫色で素敵。
この手の、角ばっていてドン臭いデザインの車は好き。

オリーヴグリーンの車体、ハナの大きなデザイン、どれも素敵です。
でも、たぶん古い車種だから、メンテは大変なんだろうなぁ。

これはちょっと重たそうなデザインですが、愛嬌がある。
金色のベンツ。オーナーの宝なんだろうな。
シェヴィーのメタリック・ブルー。ひたすらかっこいい&速そう!
ポルシェかと思ったら、たぶんジャガー。赤はいいね。
ずんぐりしたトラック。働き者っぽくてナイス。
エメラルド・グリーンという色味がすごすぎる。目立ちたくてしょうがない。
地味だが何年も活躍しそうなボルボも捨てがたい味。
キャンピングカーの基本。機能とかアメニティはボロいだろうが、空色で頑張ってくれ。
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RIP: ミミ・パーカー(LOW)


ミミさんの訃報に触れ、悲しい。

彼女の凛として澄んだ歌声が、ロウのライヴでピーン!と空気を震わせる、あの瞬間をもう味わえないかと思うと、 本当につら過ぎます。

メランコリックな秋空に、彼女の冥福を祈る思いを送ろうと思います。アラン、そして子供たちもがんばってください。

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お知らせ:ザ・リバティーンズ


こんにちは。ロンドンはめっきり寒くなってきましたが、皆さんはお元気でしょうか。

そうであることを祈っています。

と言いつつ、今回は業務報告です。ウェブメディアのシンラさんに、リバティーンズのゲイリーのインタヴューを寄稿いたしました。気になる方は、こちらから、ジャンプくださいませ。

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